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第2話 たそがれときみ

 香村洸希:(かむら こうき)という同級生への第一印象は『当たり障りのない影の薄いやつ』だった。  影が薄い、というのは良い意味でも悪い意味でもある。  存在感があまりないといえばいいのか、自己主張が少なく同調するのが上手い。いつでも輪の中心にいて、色んな人から頼られているものの、必要以上に目立つことはない。  だから、余計にそう思ったのかもしれない。  あまり興味がなかったから、深く観察することもなかった。  そもそも彼は俺のことを避けているようだったし、俺も『来るもの拒まず、去る者追わず』のスタンスだったから、あえて絡みに行くことはなかった。一生関わらずに終わる人間なんて、人生の中でいくらでもいる。だからきっと彼もそうなのだろうと思っていた。    しかし、その絶妙な距離感を壊したのは、香村洸希の方だった。  いや、正確に言うなら『壊した』というよりも『踏み込んで来た』が正しい。  忘れもしない、あの高二の夏の夕暮れ。  誰もいないから、と当時恋人だった同級生の仲持縁(なかもち より)がキスをねだってきた。その日は丁度期末考査テストの最終日で、先生たちの都合で部活動もなかった。  テストが終わったのに、教室で勉強するなんて生真面目なヤツはいなかったし、がらんどうの真っ赤に染まった教室の中で二人きり。  俺も大概気が緩んでいたと思う。  男同士で付き合ってる、なんてクラスメイトに言えるはずもなかったし、仲持がとにかく嫌がった。  みんなが言う『普通』と違うと、好奇の目に晒される。  ひどい時には揶揄いのネタにされて、笑い者にされることだってある。噂として学校中を回って、尾ひれがついたありもしないことを、影で言われる。  それを俺自身も良く知っていた。  万が一誰かに見られたら、次の日には学校中に噂が回って、晒し者になることは必然。  そう思ったけれど、俺だって恋人のおねだりを無下にするほど甲斐性ナシではなかったし、油断もしていたと思う。  一回だけな、とキスをした。  それを、香村に目撃されてしまったのだ。  目を開けた時には、すでに彼は扉の前に口をぽかんと開けて立っていた。  バチリ。  そう音が鳴ったと錯覚するくらいに目が合う。心臓が嫌な音を立てたのを感じながら、仲持を引き剥がした。え、と声を漏らした仲持が恐る恐る振り返ったのと、香村に俺が声を掛けたのは、多分同時だったと思う。 「何見てんの」  その声は出した俺ですら、低く刺々しく感じた。  肩を震わせたのは仲持で、香村は特に動じることなく、一度瞬きを寄越しただけだった。それから返ってきたのは、あー、という気の抜けた声。 「悪い。邪魔した。忘れ物取りに来ただけだから」  そそくさと窓際の一番後ろの席へたどり着き、数学の教科書を取り出した彼は、こちらには見向きもせずにまた同じように扉へと戻っていく。  そんな香村を見ている間、嫌な汗が背中を伝っていって、どんどんと体が冷えていくような感覚に襲われた。  口止めをするべきだろうか。香村にはたくさんのオトモダチがいる。噂好きのそいつらに、もしも今日のことがバラされたらどうする。俺はいいとして、仲持はきっと傷付く。最悪の場合、学校に来られなくなる可能性だって。 「あ、あの! 香村くん!」  声を上げたのは仲持だった。香村は律儀に振り返って、なに、と聞いてきた。 「変なところ見せて、ごめん。でも、今見たこと……ッ、誰にも言わないでほしい」  お願いします、と頭を下げた仲持の声は震えていた。  握り締めた拳が震える。  別に誰にも迷惑掛けてないのに、なんでこっちがお願いしなきゃいけないんだ。別に俺たちは悪いことなんてしてない。誰彼構わず手を出したりしない。仲持は同性が好きなだけだ。俺は同性も異性も好きなだけ。なのになんでこんなに、肩身の狭い思いをしなきゃいけないのか分からない。理不尽だ。  少しの沈黙の後、香村が口を開く。 「見られて困るなら、ここでキスしない方がいいと思う」  全くの正論だった。香村の言ってることは正しい。見られて嫌なら教室でキスなんてするべきじゃなかった。でもこの時の俺は、そんな冷静ではいられなかった。  勝手に見ていたお前がそう言うのか。お前が来なければ。  そんな思いのまま睨みつけた直後、香村はなんてことはないように言った。 「でも、別に頭下げる必要ないだろ。悪いことしてるわけじゃねーし」  は? と呆けてしまった。まさかそんな言葉が返ってくるとは、少しも思わなかったからだ。  別に頭を下げる必要はない?  悪いことしてるわけじゃない?  そんな俺たちを肯定してくれるような言葉、ただの一度だって掛けてもらったことがない。きっと仲持も同じ気持ちだったのだろう、ワンテンポ空けた後すぐに、慌てた様に声を掛けていた。 「で、でも! 不快に思ったり、とか」 「まあ驚きはしたけど、別に不快とかでは。それに一応聞くけど、二人とも同意の上だろ?」 「それはそうだけど……」 「ならいいじゃん。じゃ、俺行くから。ごゆっくり~」  戸締りはちゃんとしろよ~、なんて間の抜けた声を置いて、香村はさっさと行ってしまった。  教室にぽつんと残された俺は、しばらくそのまま固まってしまった。  香村の言葉を、頭の中で何度も繰り返す。もしかしたら夢だったのか、と思うけれど抓った太ももの痛さは本物だったし、帰ろうか、と声を掛けてきた仲持も本物だった。  初めてだった。  同性が好きなことを嫌悪されなかったのは。この人なら大丈夫だろう、と思って正直に言っても、次の日には避けられるなんてこともザラにあった。陰口を叩かれて、コソコソ笑われて、真正面から、キモいよお前、と蔑まれたことだってある。  だからきっと香村にも、面白がられて否定される。  そう思っていたのに。簡単に受け入れてくれるなんて。  でももしかしたらあれはただの上っ面だけかもしれない。  そう思い至った俺は、次の日、香村を観察することにした。  香村が登校してくると、クラスメイトはすぐに彼の元へと寄ってたかる。ぼんやりと、そいつらが話す声を背中で受け止める。笑い声と少し潜めた声が交互に耳に入ってくるけれど、内容までは分からなかった。  気になる。けれど、話の輪には入れない。  はぁ、と溜息を吐いて机に突っ伏した。 「香村、ちょっと話あるんだけど。いいか?」    もう面倒くさい。我慢できなくなった俺は、昼休みに本人に凸した。  相変わらず香村の周りには、弁当やら購買のパンを持ち寄った男子が群がっていたけれど、それにも構わずに声を掛けた。  俺を見上げてくる男子たちの目は、少し敵意を持っていたり、興味深そうだったりと様々。  でも、香村だけは冷静に俺を見上げてきた。  一瞬断られるのかと思ったが、いいよ、という返事の後に香村は立ち上がる。それを見届けてから、俺は中庭に足を向けた。  早く帰って来いよ~、とふざけた声が追いかけて来たのを無視して、どんどんと足を進めていく。  たどり着いたのは人気の少ない中庭の木陰。  きょろりと当たりを見回しても、暑いせいか、ほかの学生はいなかった。  あち~、と間の抜けた声が聞こえた方を見ると、ちょうど香村が日陰に入ったところだった。  ぱたぱたと手で顔を数度扇いだ香村は、目が合うと少し姿勢を正して言った。 「話ってなに?」  どうやって言うべきか、少しだけ迷う。  昨日のことまさか誰にも言ってないよな、はあまりにも直球過ぎる。昨日言ったことは本心か、というのもなんだか違う。  でも何となく、香村は他の奴らには何も言っていないのだろう、という気がした。だってもしも言いふらしているなら、後ろ指をさされたはずだし、仲持だって友だちと談笑していないはずだ。  確かめるまでもないんじゃないか。  そう思い始めて、言い淀む。 「おーい、梢江?」  目の前で手を振られて、はっと顔を上げた。眉を真ん中に寄せて、大丈夫か? なんて聞いてくる香村に、もしかしたら、と思った。  もしかしたら、彼なら打ち明けてもいいんじゃないか。  打ち明けるも何も、昨日見られているのだから、打ち明けなくたっていいはずなのに。この時はまだ友だちですらない、ただのクラスメイトのはずなのに。  俺は何故だかそう思って、気付いたときには口が動いていた。 「俺、バイなんだ」 「えっ? あぁ、バイって、恋愛対象が男も女もっていう性的指向、って意味で合ってるか?」 「うん、合ってる」 「なるほど」  沈黙。じっと目の前の香村を見てみる。  香村の瞳は、ただ見つめ返してくるだけで、揺らがなかった。  侮蔑も恐怖も軽蔑も、何一つとしてなかった。  それが信じられなくてずっと見ていた俺を、不審に思ったのか、それとも沈黙に耐えられなかったのか、探るように瞳が揺れて、えーっと、と戸惑いを含んだ声が耳に届く。 「とりあえず、梢江がバイなのは分かった。その上で聞きたいんだけど、話があるっていうのは、それのこと? それともそれからさらに話があるってこと?」  あまりにも普通の返事だった。今までの人たちだったら考えられない。当然のように、俺がバイであることを受け入れてくれている。そう錯覚するような、普通の返し。 「……、俺がバイって聞いても、何とも思わないのか?」  だから思わず聞いてしまった。  気持ち悪い、とか。  ありえねぇ、とか。  信じられねぇ、とか。  そう返されることが当たり前すぎて、あまりにもいつもと違う反応だったから。  前のめりに聞いたものだから、香村は僅かに顔を引き攣らせた。けれど、言葉を少し選ぶように視線を彷徨わせて言った。 「へーそうなのか、くらいは思ったけど。それ以上にあるか?」 「キモいとか、良く言われるけど」 「えぇ? どういうところが?」 「俺に聞かれても知らないけど、あらかた普通じゃないとか異常者とかそういう感じなんじゃないか?」 「別に誰が誰を好きになろうが勝手だと思うけどな。好意を相手に押し付けて強引に迫ったらさすがにキモいけど」  全くの正論。  ぷっと噴き出してしまったのが何故なのか、当時の俺は解らなかった。  でも今なら分かる。  この時の俺は、香村が俺自身をそのままでいいと肯定してくれたと思ったんだ。    それに香村が言った言葉が、すべて俺と同じ想いだったから。  誰が誰を好きになろうが、本人の勝手で、その人の心はその人の物だ。  だから決して誰にも、咎められる筋合いも貶される筋合いもない。  好きだと言う気持ちを相手に押し付けて、相手を思い通りに動かそうとしない限りは、どんな心を持とうが、誰を好きになっても良い筈だ。  想いを告げた時、同じだけの想いが返ってきた、もしくは、受け入れてもらえたら、初めて恋人という関係になる。  たったそれだけのことだ。  そう言われたような気がして、嬉しかったから。  笑い出した俺に驚いたような顔をした後、なに笑ってんだコラ、と香村は不服そうで。そんな彼にまた笑ってしまったのは許してほしい。ちゃんと弁明はしたけれど、彼はあまり納得いっていないようだった。曰く、馬鹿にされた気がする、だそうだ。  思えば、この時から俺は、洸に惹かれていたんだろう。  良くつるむようになって、『香村』だった呼び名も『洸』に変わって、『梢江』から『璃空』と呼ばれるようになった頃には、俺の中で洸は、友達なんて枠には収まらなくなっていた。  洸が好きだ。  ずっと初恋に縛られていた俺を解放してくれた、洸が好きだ。  本当は親友じゃなくて、恋人になりたいくらいに、洸が好きだ。  恋人が欲しいという洸に、俺でいいじゃん、と言ってしまいたいくらいなのに、洸はこれっぽっちも俺の想いには気付かないで隣で笑っている。  打ち明けてしまえよ。そう思ったことは何度もあった。  でも思う度に、この関係が壊れてしまう方が怖い、と思い直す。  もう二度と、今みたいに話せなくなるかもしれない。  今度こそ避けられてしまうかもしれない。  気まずくなって、友だちですらなくなるかもしれない。  関われなくなることが、何よりも怖かった。  二度と話せなくなるくらいなら、この想いは伝えなくていい。俺が洸を想うだけだったら、俺の勝手だ。俺がこの気持ちを洸に押し付けないなら、キモいなんて言われない。嫌われることも、絶交されることもない。  ただ今は、洸の傍に居たい。  重金属が融解したみたいにどろどろの想いでも、自分の中から溢れないようにするなら、持っていたって良いはずだ。  初恋を手放したくせに、また拗らせているのか。そういって頭の片隅のもう一人の自分が嘲笑っていたって、構わない。俺がこの心を持っていたいと決めたから。  本心を隠すのは慣れている。洸はきっと気付かないでいてくれる。  だから俺は、今日も想いが漏れないように、上から押さえ付けて、洸の隣に立つのだ。  この想いを手放せるまで、ずっと。  

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