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第16話 揺るがない想い
“怒り”というものは、はじめの約六秒間がピークだという。
だからその六秒間をやり過ごせば衝動的な感情はなくなり、理性的な対応ができる。
そう何かのバイトの研修で習った。
その時はへぇと思ったけど、今、それは嘘だということを身をもって知った。
確かに一瞬は収まる。でも、それは波のようにすうっと引いたと思っても、また激しく押し寄せ、あっという間に舞い戻ってくる。
そのせいで、昨夜はほとんど眠れていない。
眠気によるイライラも加わって、完全に引き際を失った怒りを踏み固めるように、王宮の廊下をドスドスと音を立てながら、あてもなく歩いていく。
昨夜の舞踏会、第二王子であるアーデベルトが唐突に咲玖をラストダンスに誘った。
後から聞くに、それはこちらの世界では“求愛”を示すらしい。
もちろんその場の雰囲気でなんとなく察してはいたからこそ、“決闘”なんて言葉が出た時止めに入ったのだ。
それなのにラインハルトは咲玖の思いを無碍にして、その決闘を受けてしまった。
握った拳にさらに力を入れれば、怒りで肩がブルブルと震える。
自分にもこんな激しい感情があったのかと驚くほどに怒りが止められない。
だって何度考えても、咲玖をかけた“決闘”なんてする意味が分からない
この世界でいうところの“決闘”は、もちろんじゃんけんで勝敗を決めるなんていう生ぬるいものではない――じゃんけんで自分の行き先が決まるなどということも御免被りたいが。
決闘はその名の通り、“真剣勝負”。つまりは咲玖をめぐって二人の男が命をかけるというのだ。
私のために争わないで、なんて咲玖が産まれてすらいない時代の名曲が頭を駆け抜ける。
――あぁっ!ムカつくっ!!
咲玖はダンっとひときわ大きな音を立てて足を踏み鳴らし、立ち止まった。
舞踏会のあと、もちろんラインハルトにそんなことはやめてくれと懇願した。
怒ったり、泣いたり、恥も外聞も捨てて全力でかわいくお願いまでしたのに、ラインハルトは、こればかりは譲れないと首を横に振るばかり。
ラインハルトは「絶対に負けない」と言ったが、物事に絶対など存在しない。
たとえその確率がわずかだとしても、どれほどに自信があったとしても、咲玖がラインハルトの元を離れなければならなくなるという可能性を作って欲しくなかった。
それがとても腹立たしくて、悲しかった。
「ライのバカーーーーー!!!!!」
広い宮殿の廊下にこだまする咲玖の声に、使用人たちが驚いている。でも、その声がラインハルトに届くことはない。
昨夜はもちろん、キスも触れ合いも、同じベッドで寝ることさえも拒否した。そうすればラインハルトは別の部屋を用意してもらうだろうと思っていたのに、「側にいたいから」とラインハルトは部屋に備え付けられていたソファへ横になった。
もちろん王宮のソファなのだから、幅が広く、座面もふっかふかだ。
咲玖がこちらの世界に来る前に使っていた布団よりもよっぽど寝心地はいいだろう。
とは言え、ラインハルトの体格では当然窮屈そうで、その立派な肢体を縮こまらせて眠る姿に申し訳なさが募った。
それでもでもやっぱり、一緒に寝ようと言うことはできず。
何とも言えない罪悪感と怒りのせいで浅くなった眠りから覚めると、部屋にはもうラインハルトの姿はなく、修練場に行くと書いた置手紙だけが残されていた。
一人取り残された咲玖は用意してもらった朝食を呆然としたまま食べ終えた後、再びむくむくと膨れ上がってきた怒りを発散するために散歩に出てきたのだ。
乱れた息に合わせて肩を上下させながら、涙をこらえてグッと唇を噛む。
どうしたらこの“決闘”を止められるのか。
一番はアーデベルトが決闘を取り下げてくれることだが、おそらくそれは難しいだろう。
貴族は面子が大事らしいし、何よりアーデベルトが咲玖を欲した理由はきっと……。
「何をしている」
突然後ろ声を掛けられ、咲玖はビクリと全身を震わせた。
その声には聞き覚えがあった。
ゆっくり振り返ると、思った通りそこには今咲玖にとって最も憎き相手、そして最も警戒すべき存在であるアーデベルトがいた。
「先ほどの大きな声はやはり貴方か」
今日も桜のようにあでやかなピンクブロンドの髪を後ろに束ね、ロイヤルブルーの騎士服を纏うその姿は、桜の王子様という二つ名にふさわしく美しい。
万人が見惚れるであろうその姿に、咲玖はあからさまに眉を顰めた。
しかし、アーデベルトは全く気する様子もなく、楽しげな表情で咲玖に歩み寄ってくる。
はっきりと嫌がって見せているのに――ハート強すぎじゃない? 心の中でつい悪態をつく。
「公爵は一緒じゃないのか?」
「……公爵様は修練場です」
「なるほど、結構なことだ。だが、」
またフッと唇の片端をあげたアーデベルトは、唐突に咲玖の腕を掴んだ。
「貴方を一人にするとはいささか不用心だな」
掴まれた腕からゾワリと悪寒が背に広がる。なんとか逃れようとするが、アーデベルトは易々と咲玖を物陰へと引っ張りこんだ。
「離せ!」
その痩身からは想像できないほど腕を掴む力は強い。抵抗が難しいことを咲玖はすぐに覚ったが、だからと言って怯えたまま従うなんて絶対にしない。そう強い意志を込めてアーデベルトを睨みつけた。
「そう睨むな。別に危害を加えるつもりなどない」
腕を掴んだまま、周囲から見えづらい物陰へと連れ込んでおいて、なんて説得力のない言葉なのだろう。
「じゃあ腕を離してください」
いざとなったら噛みついてでも逃げよう、そうグッと腹に力を籠めると、アーデベルトは観念したようにふうっと息を吐き、手を離した。
「貴方は見た目に似合わず強情だな」
「お気に召さないのであれば、決闘を取り下げてください」
「それはできない。それに、その気の強さも好ましい」
ニヤリと目を細めた不遜気なその表情が余計にイラっとさせる。
はっきり言って今すぐここから立ち去りたいが、腕を離されたからと言ってそれは無理だろう。
隙なんて全く無い。さすがにこの国の騎士団長様だ。
ならば、向こうが立ち去りたくなるように幻滅させるようなことをすればいいのでは? と咲玖は浅知恵を働かせてみることにした。
「貴方に好まれても嬉しくない」
アーデベルトはこの国の王子様だ。不敬な態度をとる人間を好んだりはしないだろう。
だからもう一度思いっきり睨みつけてやる。
でも、それを見たアーデベルトはフフッとまた意地の悪げな笑みを浮かべた。
「その強気な眼差しもよいな」
「……俺はあなたが嫌いだ」
「今はそれでいい。初めは評価が低い方が後々の好感度を得られやすいというからな」
「先にも後にもあなたを好きになんてならない!」
「そう結論を急ぐな。まだ出会って二日しかたっていないではないか」
暖簾に腕押し、糠に釘。普段絶対に思い出さないようなことわざが頭に浮かぶ。
アーデベルトはこの国の騎士団長で、さらには王子様。日常的に相手をしている人たちと比べれば、咲玖の浅知恵など痛くもかゆくもないのだろう。
全く気に留める様子もなく、アーデベルトは自身の顎に指を添わせながら、咲玖を観察するように眺めていた。
その余裕綽々な態度にさらにイライラが募る。咲玖はグッと奥歯を噛んだ。
黙り込んだ咲玖を見て、アーデベルトもこの無意味な問答を終えることにしたのだろう。
まるでお遊びはここまで、と言わんばかりにその濃緑の瞳に鋭さを戻した。
「貴方の怒りはわかる。だが、もうこの決闘をなかったことにするのは無理だ。公爵もそう言っていたのではないか?」
確かにラインハルトもそう言っていた。
決闘は、申し込まれた時点で受けるという選択肢しかないのだと。
それがなぜかは詳しく話してはくれなかった。
でも、だいたいわかる。その理由が咲玖には理解できないことだということが。
「私はこの決闘に名誉と誇りを掛けると宣言した。名誉とはこの第二王子としての地位で、誇りとは騎士団長の座だ。それを撤回するなどと言えばその全てを捨てることになる。それは公爵も同じだ。この決闘を拒めば臆病者と後指を差され、これまでに築いたものなどあっという消え失せるだろう」
――ほら、やっぱり理解できない。
アーデベルトの言葉は再び咲玖の怒りを再びピークへと押し上げるには十分だった。
この決闘を断れば、ラインハルトがこれまでに心血を注いで得た信頼や信用、そして公爵家としての威信を失う。
そして、決闘を受けても負ければ咲玖を奪われ、勝ったとしてもラインハルトが得られるものといえば“名誉”とか言う不確かなものだけ。
ラインハルトにも咲玖にも何のメリットもないのだ。
こんなにも理不尽なことはない。
なぜ、そんなことが許されているのか。それどころか、こちらの世界ではもてはやされすらする。
心底理解できない。
咲玖はただ、ラインハルトと静かで穏やかな日々を送っていきたいだけなのに、なぜ邪魔をするのか。なぜ、奪おうとするのか。
震えるほどの怒りや悔しさで涙がにじむ。
「どうしてそこまでするの……」
この男に弱いところなど絶対に見せたくない。それでも揺れる声で何とか絞り出した言葉に、アーデベルトは躊躇いなく答えた。
「そうしてでも、貴方が欲しいからだ」
アーデベルトのその答えに、その眼差しに、咲玖 の本能がガンっと大きく音を鳴らした。
アーデベルトが咲玖を欲する理由。
それは、咲玖がケーキであり、アーデベルトがフォークだから。
アーデベルトは咲玖 のその“味”も、自分がフォークという存在であることも知らない。それでも、本能が求めるがままに咲玖 を欲している。
それを示すかのように、咲玖を見つめるその濃緑の瞳には、ケーキを喰らいたいというフォークの欲望がありありと浮かんでいた。
もとの世界にいた頃にも、何度かフォークからの視線を感じたことがある。
きっとアーデベルトと同じように咲玖の匂いを嗅ぎつけたのだろう。本能をむき出しにした、その獲物を狙うような視線が恐ろしくて堪らなかった。
今も頭の中でケーキの本能が鳴らす警鐘の音がガンガンと響き渡る。
目の前にいるのは、自分の命を脅かすものだと本能が叫んでいた。
これまで、ラインハルトの美しいエメラルドグリーンの瞳がフォークの欲望に染まるところを何度か見たことがある。
でも、ラインハルトは本能のままにその視線を咲玖にぶつけるようなことは絶対にしなかった。
それは咲玖がケーキだと知る前も、知った後も変わらない。
ラインハルトは、咲玖を“ケーキ”としてだけではなく、一人の”人”として尊重し、愛してくれた。
そんなラインハルトだから、好きになったのだ。
だから忘れかけていた。
フォークがどれほどにケーキである咲玖にとって危険な存在であるのか。
そして、気が付いていなかった。
ラインハルトがどれほど特別であるのかを。
「俺は、ライが好きだ」
この決闘にラインハルトが負けたら、咲玖はラインハルトから離れ、アーデベルトのものになるらしい。
もし、そんなことになってしまったとしても、咲玖がラインハルトへの想いを忘れ、アーデベルトを好きになることなんて絶対にない。
そんな強い気持ちを込めた咲玖の言葉に少し考えるようにしてアーデベルトは目線を下に向けた。
もしかして少しは伝わっただろうか。そんな咲玖の期待を、アーデベルトは容赦なく打ち砕いた。
「それは刷り込みではないのか?」
「えっ?」
思ってもみなかった言葉に思わず咲玖は言葉を失った。それを好機とばかりにアーデベルトは言葉を重ねていく。
「貴方は元居た世界からこちらの世界に突然送られたのだろう? 見知らぬ場所で、頼る人もなく、きっと恐ろしくて不安だっただろう。公爵は温厚だし、誠実だ。きっと不安におびえる貴方に誠心誠意尽くしただろう。寄る辺としては最良だ。そんな相手に縋る心を恋情と勘違いしてもおかしくはない。ましてや求められたら応えるしか道はない。断れば、土地勘も、知り合いもいない所へ放りだされてしまうかもしれないのだから。それに……」
カツンと言う靴音が磨き上げられた王宮の廊下に響く。
アーデベルトは距離を詰めると、咲玖の顔の横めがけてトンっと壁にこぶしを置いた。
これ、壁ドンってやつだな。なんて冷静に思ったのは、さっきまで恐怖に怯えていた心が急に凪いだように静かになったせいだろうか。
咲玖が反論も身動きもしないことをいいことに、アーデベルトは咲玖の首元に顔を寄せた。
「昨日ほど強くはないが、やはり今も感じる。甘い、華の香りだ。きっとこれは特別なものなのだろう? だからこそ公爵は貴方を逃がさないよう婚約者にした」
首元にかかる息のせいでゾワゾワと毛が逆立つような不快感が這い上がってくる。
それでもまだ咲玖は何も言わない。
「この決闘は、私が力ずくで貴方を手に入れるためのものではない。公爵から離れるという選択肢を貴方が得るためのものだ」
そう言ってアーデベルトが咲玖の手を取り、甲に口付けようとしたその瞬間、咲玖はその手を勢いよく払いのけた。
「馬鹿にするな。俺にはそんな選択肢、必要ない」
水底から響くような低い声には自分でも驚くほどに怒りが乗っていた。
でも、それはさっきまでの激しいものとは違い、凪いだ海のようにとても静かなものだった。
「俺とライがどれほどの覚悟を持って一緒にいるのか、何にも知らないくせに好き勝手言うな」
確かにアーデベルトが言うことは最もだ。
突然異世界転移なんて非現実的なことが起こり、一人身を置いた先にいたのが、とても親切で優しい、さらには並外れて美しい男だったのだ。
他に頼りもない状況で、知らず知らずのうちに縋る気持ちを恋だと思い込んでしまうこともあったかもしれない。
だから、それは本当に恋なのか? ――そう問われたとき、普通の人 であれば、その言葉に揺さぶられてしまったかもしれない。
でも、咲玖とラインハルトはケーキとフォークなのだ。
捕食され、捕食するという自然界において天敵と呼ばれる間柄で恋をするなど、互いに身を滅ぼしかねない、危険なものでしかない。
それでも咲玖はラインハルトを信じ、身をゆだねることを選んだ。
そして、ラインハルトは本能に怯える心を乗り越え、咲玖を受け入れてくれた。
二人ならば『大丈夫』だと確かめ合い、心を繋げた。
こんな戯言で簡単に揺らぐほど、生半可な気持ちではないのだ。
「俺とライの覚悟、見せてやるよ」
咲玖は自信ありげに笑って見せると、アーデベルトから離れ、またドスドスと王宮の廊下を歩き始めた。
そのまま向かうはラインハルトの居る修練場。
王宮から少し離れた位置にあるその場所は、近づくだけで何かがぶつかり合う耳慣れない音と、低い掛け声が響いてくる。
突然現れた咲玖の姿に鍛錬をする騎士たちがざわめいた様子をなど気にもかけず、汗の匂いをかいくぐってドスドスと足を進め、修練場の奥で打ち合いをするラインハルトを見つけるや否や、その襟ぐりを掴んだ。
「ライ、絶対に勝って。負けたら許さないから」
突然のことに目を丸めていたラインハルトだったが、きっとすぐに咲玖の思いをくみ取ったのだろう。穏やかに笑い、咲玖の頬を優しくなでた。
「当然だ」
決闘は明日。
もう泣き言は言わない。
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