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恐怖のゴミ袋

「こわいこわいこわい!」 夜も11時を過ぎようとしてた頃。 うちの三男の洸(こう)が、マンションの玄関ドアをすごい勢いで閉めるなり、リビングに飛び込んできた。 「どうしたん、洸くん。変な人でもおった!?」 その声に反応して、ソファでのんびり晩酌を始めていた長男の秀太(しゅうた)がサッと駆け寄っていく。俺も何事かと思い、シャワーから出たばかりの濡れた髪のままリビングへと走り寄った。 「もう! 弦(げん)!! パンツくらい履いて!!」 「いや、今はパンツより洸の緊急事態の方が優先やろ!?」 俺の逆ギレを綺麗に無視して、洸は秀太にがっしり抱きついたまま、「人間やった……!」と意味のわからん言葉を連呼している。え、なにその怯え方。ゾンビでもおったんか。 「洸くん、ちょっと落ち着こか?」 秀太が穏やかな声で洸の頭を優しく撫でると、ようやく興奮が収まってきたらしい。洸は小さく息を整えてから、ゆっくりと話し出した。 「……エレベーターから出たら、目の先にに黒い塊が見えて。大きいゴミ袋やなぁと思って前を通り過ぎようとしたら……人間やってん。ほんで体育座りしててん……」 最後は思い出しただけで鳥肌が立ったんか、洸は少し震えながら、また秀太の胸に顔を埋めた。ほんま、洸は秀太お兄ちゃんのことが好きすぎるから、構ってほしくて大袈裟な怪談でもでっち上げてるんちゃうか、と一瞬疑ってしまう。 「ほな、弦お兄ちゃんが見てきてあげるから、洸はここで待っとき」 男気を見せて廊下へ歩き出そうとした瞬間、秀太にガシッと腕を引っ張られた。 「お前が公然わいせつで捕まるぞ」 「あ、忘れてた」 そうや、俺、ポンのままやったわ。 高速でスウェットを引っ掴んで着用し、そっと玄関ドアを数センチだけ開けて、マンションの共有廊下を覗き見る。 ……そして、音を立てずにそっと閉じた。 「……こっわ。でかいの、ほんまにおるやん」 思ったよりも至近距離にソレを確認してしまって、心臓のバクバクが止まらん。声も自然と震える。なにアレ、俺らだけに見えるゴースト的ななにか? 「……あぁ、多分お隣の空(そら)くんやろ」 隙間から外を確認した秀太が、ドアを閉めた後ぽつりと言った。 「まだここに俺しか住んでない時、引越しの挨拶でお隣のお兄さんの後ろに、背の高い制服着た高校生がおったわ。……にしても、確かにこれは怖いわな」 兄貴は後ろにぴったり張り付いている洸の頭を、ポンポンと宥めるように撫でる。 「鍵でも落としたんかな? それでお兄さんの帰り待ってるとか」 流石にこの冬空の下、コンクリートの廊下に生身で座り込んでいるのは見ていられへん。俺はリビングの椅子に引っ掛けてあった、秀太のお気に入りのピンクのフリル付き膝掛けを掴んだ。 「……それ、ふわふわで俺のめちゃくちゃお気に入りなんやけど?」 「まぁええやん、困った時はお互い様やろ?」 「秀太にぃ、俺の使ってええよ」 「え? 洸くんの使ってええの? ──じゃあ弦、それ持って行ってあげて」 「秀太にぃ、優しいなぁ」 「いや、優しいの持って行く俺やろ!」 目の前で当たり前のように繰り広げられる、容姿端麗な兄と弟のイチャイチャ。ほんま、ふたりとも仲良すぎるねん。俺がひとりだけゴリゴリの体育会系やからって、暑苦しがらんとたまには俺も混ぜてくれよ。 そんな心中を隠しつつ、俺はふわふわの膝掛けを抱えて再び廊下へ出た。大きな黒い塊の前にゆっくりと歩み寄る。 「……あの、もしかして、お隣の空くん……かな? 今日寒いから、これ良かったら使って?」 突然の俺の声に、黒いスウェットのフードを深く被っていた物体がピクリと動いて、咄嗟に身構える。 それにしても、お兄さんを待ってるにしても、この寒さじゃ膝掛け一枚でも足りんやろ。 「空くん、寒いからウチで待っとく? 流石に今日は冷え込みがキツすぎるで?」 何度か呼びかけてみるものの、フードの奥の顔は見えず、反応も薄い。これはありがた迷惑やったか、と引き下がろうとした、その時。 「……もうすぐ帰ってくるから、大丈夫」 少し掠れた、消え入りそうな声が聞こえた。 「……そっか」 まぁ、無理強いしても仕方ないし、諦めるしかないか。 「ちょっと秀太! 俺のクッション一個取って! 椅子の上に置いてあるやつ!」 俺は玄関のドアを開けて中に呼びかけた。すぐに秀太が投げてきたスクエアクッションを片手でキャッチし、再び空くんの元へ踏み込む。 「はい、ちょっと立ってな。下コンクリやし、お尻から冷えるからガードしとこな? ほんで、この可愛らしい毛布も貸してあげるから、風邪ひかんようにな」 空くんの大きな腕を強引に引っ張り上げると、驚くほど素直に体が浮いた。その隙にお尻のあった場所にクッションを滑り込ませる。 力なく座り直した空くんの広い肩に、秀太のフリフリふわふわな膝掛けを優しくかけてやった。 空くんからの言葉の反応は相変わらずなかった。……けれど。 秀太の膝掛けの極上のふわふわ加減が気に入ったらしく、フードから覗いた細い指先が、ピンクの生地を可愛らしくなでなでと動かした。 その無自覚な甘い仕草を見て、俺の口元から自然と笑みが溢れる。 「……じゃあ、おやすみなさい」 そう言って、今度こそそっとドアを閉めた。 秀太のマンションに転がり込んで、もう丸2年。高級スーツを着こなした、いかにも仕事が出来そうなお隣のお兄さんとはたまにエレベーターで会うてたから、てっきり一人暮らしやと思い込んでた。あんな大きな弟がおったんやな。 「どうやった?」 リビングに戻ると、秀太がハーブティーのカップを片手に聞いてきた。 「寒いから家来る?って誘ってんけど振られたわ」 「まぁ、弦は色気ないもんなぁ」 「あほかよ。俺のこのムッキムキの筋肉から溢れでるフェロモンは、一部の層には絶大な需要あるんやぞ?」 「27歳で、一回しか彼女おらんかったやつが何言うてんねん」 「恋愛は回数じゃないやろ!! 愛し合った期間の濃さやろ!!」 「……弦の口から、愛とか出てきたら鳥肌立つわ」 秀太ならまだいい。いつもの毒舌や。でもな? 小さい頃は女の子みたいに可愛くて、それこそ子猫を愛でるように可愛がってきた洸くんの口から、そんな事でてきたら、お兄ちゃん、ええ加減傷つくで? 「……でも、さっきの膝掛けとかクッションとか。誰かが気づく前に行動できるとこ、弦のええとこやと思う」 「え!?」 傷ついた所にそんな急なツンデレを投下されたら、流石の弦ちゃんも嬉しくてちょっと泣いちゃう。 「……洸くんっ!」 感極まって、両腕を広げて洸に抱きつこうとした瞬間。 秀太の細くて長い、モデルのような足が、俺の行く先を無慈悲に遮った。蹴り倒される手前でストップがかかる。 「……洸くんに触れてええんは、俺だけや」 「俺も実の兄弟やのに! 理不尽やろ!!」 負け犬のような捨て台詞を吐き捨てて、俺は自室のドアを勢いよく閉めた。

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