44 / 47

幼馴染と恋人

「あ……空くんのお兄さんの、陸さん」 俺が慌てて二人の間に入るようにして紹介すると、もとちゃんは「あぁ!」と納得したように笑顔になった。 「どうりで、どっかで見たことある顔やなと思ってた。空くんにそっくりやもんな。……初めまして、秀太の幼馴染で、元宮酒店の元宮と言います」 もとちゃんは重い酒箱を抱えたまま、いつもの人懐っこい笑顔を陸さんに向ける。 しかし、そんなもとちゃんの気さくな挨拶に対して、陸さんは少しだけ口元を釣り上げ、信じられない言葉を事も無げに口にした。 「どうも。──秀太さんとお付き合いさせてもらってます、蜷川陸です」 「……は?」 もとちゃんの動きが、完全に停止した。 エントランスの空気が、一瞬で凍りつく。 隣で聞いていた俺も、心臓が口から飛び出すかと思うくらい跳ね上がった。付き合ってる!? いや、確かに一ヶ月限定でそんな約束をしたけれど、まさか初っ端から、しかもよりによってもとちゃんの前でそんな爆弾を躊躇なく破裂させてくるなんて思わへんやん! 本当のこと──弟たちのための『偽装恋愛』だなんて、ここでは絶対に言われへん。もし言ったら、初っ端から陸さんとの約束は失敗に終わる。空くんと弦の未来が壊れてまう。 パニックになった俺の脳みそが、必死に導き出したのは、最悪の防衛策だった。 「あ、あー! もとちゃん! とりあえず、今上に弦も洸くんもおると思うから! これ、上に持ってって! 代金はまたまとめて集金しにきて!それ、持っていったらもう帰ってもええから」 早口でまくしたて、もとちゃんの背中を押して強引にエレベーターの方へと促す。 あんなに楽しみにしていた夜の約束を、俺の手で、最悪な形でぶち壊した。今の言葉は、あいつをどれだけ傷つけただろうか。 もとちゃんは、一瞬だけ、見たこともないくらい悲しそうに顔を歪めた。 胸が、ちぎれそうなくらい痛む。 けれど、もとちゃんはすぐに、いつもの気の置けない幼馴染の笑顔を作って見せた。 「……あ、そっか。悪かったな。空気読めんくて。じゃあこれ、洸たちに渡してくるわ。じゃあな、秀太。……蜷川さんも、お邪魔しました」 それだけを言うと、もとちゃんは引きつった笑顔のまま、エレベーターへと乗り込んでいってしまった。 閉まる扉の隙間から見えたあいつの顔が、頭に焼きついて離れない。 「……本当に幼馴染じみですか?」 隣から、何事もなかったかのように陸さんの涼しげな声が降ってくる。 俺は拳をギュッと握りしめ、冷たい怒りと、もとちゃんへの申し訳なさで、今にも泣きそうになっていた。 「あ、そうだ。僕、今日とても美味しそうなデザートを見つけたんです。お二人を送った後、ドライブがてらにウロウロしていたら、行列ができているお店があって」 もとちゃんを追い返してしまい、冷たい怒りと後悔で立ち尽くす俺の前に、陸さんがひょいと回り込む。 「お渡しするので、少しだけ家に寄ってもらえますか?」 さっきまでの、もとちゃんを冷酷に突き放したような攻撃的な雰囲気はどこへやら。陸さんは、空くんにそっくりな、どこまでも優しくて無害な笑顔に戻って俺を誘ってきた。 ──ん? 待てよ。この雰囲気、なんかおかしくないか? 俺は陸さんの差し出してきた笑顔をじっと見つめながら、急速に冷静になっていく頭で考えを巡らせていた。 一ヶ月限定で「男同士の恋愛の意味を教えろ」と言ってきたのは陸さんだ。だから俺は、どうにかしてこのエリートを俺の魅力で落とさなあかんと必死になっていた。 ……やけど、俺がわざわざ好きにならせようと仕掛けんでも、こいつ最初からこの状況をめちゃくちゃ楽しんでるよな? 朝に俺たちを送った後も、仕事もせずにドライブがてらウロウロして、男一人で行列に並んでデザートを買って、俺の帰りをずっと待っていた。さっきの、もとちゃんに対する唐突な「交際宣言」だってそうだ。 よく考えたら、前に俺ともとちゃんが二人でエントランスにいる時も、この人は何度も出くわしてる。俺ともとちゃんが、どれだけ仲が良いか、この人はとっくに知っていたはずや。 それを分かった上で、さっきはあんな風に、もとちゃんを煽るような意地悪なことをわざわざ言った。 ──こいつ、もしかして。 「男同士の恋愛がわからない」とかもっともらしい理屈を並べてたけど……本当は最初から、俺のことが好きなんちゃうか? 「これ、よかったら、ご兄弟3人で食べて下さい。色んな種類を6個買ってますんで、1人2つずつ食べられますね」 招かれるままに、いつも通りの完璧に整えられた陸さんの部屋へと足を踏み入れる。 すると、俺の予想通り、陸さんはどこか嬉しそうな顔をして保冷剤の入った紙袋を差し出してきた。 ──いや、待てよ。これも全部、俺を油断させるためのこの人の作戦なんかもしれん。 だとしたら、ここは乗っかったフリをして、この流れのまま一気に俺のペースに巻き込んでまう方が賢い。身体に指一本触れずとも、言葉と態度だけでこの男を完全に骨抜きにできたら、それほど楽なもんはない。 俺はフッと息を整えると、これまで陸さんには一度も見せたことのない、トップ美容師としての『極上の営業スマイル』をその端正な顔に真っ直ぐ向けた。 「ありがとうございます。特に洸くんは甘いものに目がないので、すごく助かります」 いつもより声をワントーン上げて、慈愛に満ちた笑みを浮かべてみせる。 その瞬間、陸さんが「あ……」と息を呑み、一瞬だけ分かりやすく戸惑ったのが目に見えて分かった。 ──ほらみろ。やっぱり、こいつそうか。 手応えは完璧だった。完璧超人のエリートの仮面が、俺の笑顔一つで一気に崩れていく。 「あ、それじゃ、僕の分もよかったらどうぞ。沢山種類がある方が、きっと弟さんも喜ぶと思いますし……!」 陸さんは目に見えて少しテンパった様子で、慌ててもう一つの紙袋に手を伸ばそうとする。 その動きを、俺は逃さなかった。 スッと手を伸ばし、陸さんの指先に、ほんの少しだけ触れるか触れないかの絶妙な距離感で、その動きを静止させる。 「これは、空くんと陸さんで食べて下さい。兄弟で仲良く食べるのが、1番美味しく食べられると思うので」 目を細め、優しく諭すように告げる。 「兄弟」というワードは、この重度のブラコン男にとって最大の特効薬のはずだ。 案の定、陸さんは動きをピタリと止め、まるで恋をしているのを認めるかのように少しうっとりとした瞳でじっと俺を見つめてきた。その綺麗な瞳には、完全に俺の姿だけが映っている。 ──ほんまはここで、俺から不意打ちのキスでも一発かましてやれば、一ヶ月なんて待たずに完全勝利できるんやろうけど。 でも、俺からしたら、顔がどれだけ良くても好きでもない相手にそこまでするのは、さすがにハードルが高すぎる。 まずはこの小悪魔作戦で、この男をじわじわと焦らして、ギャフンと言わせてやる──。

ともだちにシェアしよう!