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キハル(35才)×クラマ(22才)篇
風呂から出て、ため息をつく。
脱衣所兼洗面所の鏡に映る僕の顔から、いつの間にか幼さが消えているのに、気がついてしまったから。
音ばかり大きなドライヤーで髪を乾かし、腰にバスタオルを巻いただけの姿で、リビングへ移動する。
壁にかかった時計を見上げれば日付が変わろうとしていて、自分に残された時間の少なさに絶望した。
部屋の中央に置かれたボロボロのソファでは、キハルがだらしなくうたた寝をしていた。
てっきり寝室で眠っていると思っていたのに。
僕が風呂から上がるのを待っていてくれたのだろうか……。
僕は彼の顔のそばにしゃがみ込み、無精髭の生えた頬に触れてから、そっと唇を重ねた。
キハルは目を閉じたまま「どうした?泣き虫」と、笑いを含んだ揶揄うような声で問いかけてくる。
やはり寝たふりだったのだ。
僕は返事をせず、再び口づけを落とす。
唇の隙間に舌を滑り込ませて、彼の口内を舐めて、舌を絡ませて。
いつもキハルが僕にしてくれたように。
あなたが僕に教えてくれたから、こんなこともできるようになったのだと分からせる為に、積極的なキスをしてみせる。
キハルはゆっくりと目を開けて、至近距離から僕を見た。
何か言おうとしたから、その言葉を発せないように、キハルの舌を唾液とともに吸い上げる。
余裕のあるフリをして自ら仕掛けたキスだったけれど、自分自身が蕩けそうになる。
息継ぎのように「んっ」と甘い吐息が意図せず漏れてしまう程に。
きっと僕の目の周りは朱く染まって、欲情した顔が露わになっているだろう。
キハルは腕の力で僕を引き離し、深い深い溜息をついてソファから身体を起こす。
そして頭を掻いてから「わかった、これが最後だ。好きにしろ」と、Tシャツとヨレヨレのスウェットを脱ぎ捨ててくれた。
下着一枚になったキハルの股間は、僕と同じで既に形を変えていた。
再びソファに仰向けで寝転がったキハルを見下ろすと、彼が僕を挑発する。
「してくれるんだろ?」
だから彼の下着を捲って、硬く大きくなった陰茎にチュっと口づけをした。
まるで何かの儀式かのように。
覚悟が決まった僕は、先端にチュッチュッと唇を押し付けた後、パクリと奥までそれを咥えた。
四年間、この部屋で暮らしてきたけれど、キハルの陰茎を咥えたのは初めてだったから、どうすれば喜んでもらえるかなんて分からなかった。
だからいつもキハルにしてもらう行為を思い出し、必死に真似た。
深く浅くと口の中を出し入れして、根元を指でしごいて、キツめにチューッと吸い上げて。
上目遣いでキハルの表情を読み取って、どこがいいのかを必死に探りながら口淫に没頭していく。
「んっ。クラマ……」
キハルが名前を呼んで、股間に顔を埋める僕の頭を、大きな手で愛おしそうに撫でてくれた。
「いいか。ちゃんとした大人になれよ」
諭すようにそう告げながら。
*
キハルに拾われたとき、僕はまだ十八歳だった。
両親にお金をかけて大切に育てられ、難関大学への進学も決まっていたのに、全てを投げ出し知らない街へ逃げ出してきて、五日が経った日の夕方のことだった。
この街へ到着したときには見頃だった桜も、翌日、翌々日の雨で全て散って道路を汚していた。
冬に逆戻りしたような寒さと、思い描いていた自由とは大きく違った現実に、僕の心は既に折れそうだった。
漫画喫茶に泊まって、スマホで調べたゲイバーの前を行ったり来たりしていた僕に「なにしてんだ?」と声を掛けてくれた男がいた。
「オマエ、昨日もこの辺りをうろついていただろ?」
長身でスタイルが良く、キチンとしたスーツを身に纏い、髪を綺麗に撫で付けた男は「家出か?」と僕に問う。
男は目の前のゲイバーではなく、近くのコーヒーショップに僕を連れて行き、尋問のようなことをした。
「行く当てはあるのか?」
僕は首を横に振る。
「実家には書き置きくらいしてきたのか?」
また首を振る。
「金は?アパートを借りるような金はあるのか?」
答えは「いいえ」ばかりだ。
「男相手に身体でも売ろうとしたのか?」
これは「はい」だったけれど、男の顔が怖かったからこれにも「いいえ」と答えたが、いつの間にか涙がボロボロと溢れ始めた。
家を出てたった五日で、あまりの自分の幼さ、無力さ、世間を知らないということを思い知っていたから。
「オマエ、泣き虫か?」
子どものようにブンブンと首を横に振ったが、流れ出した涙は止まらなかった。
男が深く深く溜息をついて、頭を掻いた。
「オマエにぴったりの仕事がある。どうする?」
「え?」
てっきりどこかに通報されるのだと思っていた僕は、顔をあげた。
男はテーブルの向こう側から手を伸ばし僕の顎を掴み「話している俺をちゃんと見て答えろ」と言う。
男の目をしっかり見ると、目を細め、微笑んでくれた。
「身体を売るよりはマシな仕事だ。文句言わずにやるか?やるなら、うちに住み込ませてやる」
その話に縋るしかなかった。
堅苦しい実家から大学に通って、良い子として生きていくのは、もう限界だったから。
「やらせて、ください……」
小さな声で、それでもちゃんと目を見て返事をした。
「それなら、今すぐ公衆電話から家に電話を入れて、無事だってことだけでも伝えろ。誘拐したとでも思われたら困るからな。そしたら美味い中華丼を食いに行こうぜ」
この都会で人を簡単に信用してはいけない。
そう分かっていながらも、この人はいい人なのかもしれない、とそのときの僕は思った……。
汚い中華屋に連れて行かれて食べた中華丼は、本当に美味しかった。
五日ぶりのまともな食事にほっとした僕は、また涙を流してしまった。
キハルはビールを飲みながら、そんな僕の姿を眺めていた。
そして「やっぱり泣き虫だな」と笑い、狭いテーブルの向こうから伸ばした指で、涙を拭ってくれた。
「俺はキハルって呼ばれている。三十歳だ。オマエは?」
「ク、クラマです……十八です」
「よし、オマエを相棒にしてやるから、もうそんな顔するな」
「キハルさんの相棒?」
「呼び捨てでいい。俺にさんなんて付ける奴はいないよ。オマエもキハルって呼ぶんだ。相棒なんだからさ」
食事の後は、キハルの自宅に連れて行かれた。
年季の入ったマンションの一室で、生活感は溢れてたけれど、煌びやかな実家よりも過ごしやすそうな部屋だった。
ボロボロの大きなソファがあるリビングと、清潔なシーツが掛かったベッドがある寝室。
部屋を見渡して「僕はどこで寝かせてもらえますか?」と問うと、当然のように「一緒に寝たらいい」とキハルは答えた。
そしてその夜には、僕を抱いた。
経験がなく初めてだった僕を、まるでペットのように可愛がって。
おそらく気を遣ってやさしく抱いてくれただろうけれど、十四歳の頃からずっと妄想していたような気持ちよさはなくて、痛くて苦しいだけで涙が溢れた。
なんだ。
結局この人は僕を性的な目的でこの部屋に連れてきたのか、とキハルにも失望した。
悪い大人に騙されたような気分で朝を迎えた。
それでも行く当てのない僕は、この大人に縋るしかなかった。
キハルの仕事は皆に「謝罪屋」と呼ばれていた。
小売店や飲食店から依頼を受け、店に理不尽なクレームをつけた個人宅に、菓子折りを持って詫びに行く。
僕も一緒に連れていかれ、隣でただただ頭を下げ、場合によっては意図的に涙も零す。
「世間知らずの若手への教育が行き届いていなかった」というのが、大概の場合の謝罪理由となる。
謝罪屋に出動要請がくるような相手は悪質なクレーマーばかりで、誰でもいいから罵倒して鬱憤を晴らすのが目的なのだ。
相手が言いたいことを巻き散らす間は「申し訳ございません」と、首を垂れひたすら時が過ぎるのを待っている。
本当に嫌な仕事だけれど、キハルは相手の気が済んだタイミングで、上手くあしらってその場を収めることに長けていた。
そして謝罪が終わりクライアントへ報告に行き、その場で報酬をもらうと、分かりやすく上機嫌になって、僕に美味いものを食べさせてくれた。
更に夜になれば、やさしくやさしくトロトロに溶かすように抱いてくれる。
最初は痛みや苦痛ばかり感じていた僕も、だんだんと快楽を得られるようになり、抱かれることを待ち望むようになった。
仕事のある日には、役職ある会社員に見えるよう小綺麗な身なりをするキハルも、それ以外のときは、だらし無い格好ばかりしていた。
髪はくしゃくしゃで、無精髭も生やしている。
生活のリズムもめちゃくちゃだったが、型にはならない生き方には憧れるものがあった。
事業を営んでいて常に来客がある実家では、ありえない生活だったから。
キハルは仕事以外にも、常に僕を連れて歩いた。
打ち合わせにも、パチンコにも、買い物にも、美容院にも、歯医者にも、飲み屋にも。
最初のうちは、行く先々で皆に「キハルさん、その子は?」と訊かれていた。
その度に「野良猫を拾った。俺のペットだ」と答えるのだ。
周りの人々は「なにそれ?」と笑いながらも、僕のことを「ペットくん」と呼んで良くしてくれた。
そしてキハルに可愛がられている僕を、皆が羨ましがった。
二十四時間、三百六十五日いつもそばに置いて、本当にペットのように可愛がってくれた。
世間知らずの僕に、社会の汚いも綺麗も色々な面を見せてくれる。
僕はその姿を見て、少しずつ世の渡り方を覚えたいと思った。
*
購入したケーキに金属片が入っていた、と嘯くクレーマーの家に謝罪に行ってきた。
「作業工程から考えまして、ありえないことなのですが、お客様のおっしゃる通りなのであれば、最終の検品をしたこの若者が、見落とした可能性がゼロだとは言い切れず……」
スラスラと手慣れた謝罪の言葉を口にするキハルの横で「申し訳ありませんでした」と僕も頭を下げた。
仕事に慣れすぎたのか、最近は簡単には涙が流れてこないが「もう泣いて可愛い未成年じゃないんだから、涙が出ようが出まいがどっちでもいい」とキハルは言ってくれている。
帰り道、クレーマー宅から最寄り駅へと続く桜並木を二人で歩いた。
この街に来てから四回目の桜だった。
「キハル見て。あっちまでずっと並木が続いている」
天気も良く、気温も高く、桜は満開で僕は少し浮かれていた。
「なぁ、クラマ」
「なに?」
少し強い風が吹いて、花びらが舞う。
「オマエ、もう要らない」
「え?」
「もう要らなくなった。相棒は解消だ」
「え?」
あまりに唐突で少しも予想していなかった言葉だったから、すぐに理解ができずに首をかしげる。
「出て行けって、ことだよ」
「どこへ?」
「そんなこと、自分で決めろ」
キハルは怒ったようにそう言い、それきり黙ってしまったし、僕はその言葉の意味が咀嚼できないままだった。
仕事終わりに食事をするのも最後だと言いたいのか、回らない高い寿司屋に連れて行かれ、二人で黙って夕飯を食べた。
僕が大好きなボタンエビでさえ、旨味など感じなかった。
事務所に戻ってきて、ソファの上で不貞腐れるように丸まっていると「おい、クラマ」と名を呼ばれる。
キハルは僕の前に立ち、分厚い茶封筒を差し出してきた。
「これは今までの給料だ」
今までバイト代などもらったことはなかった。
寝る場所を与えてもらっていたし、食事も買い物も、スマホ代金まで全てキハルが出してくれていたから、現金が必要になることはなかったのだ。
受け取ることもできずただ茶封筒を眺めていると、僕の手に無理やり握らせてきた。
「この金でアパートを借りろ。仕事も探せ」
「なんで、そんな……。いつまでもずっと、キハルのとこで、働きたいよ……」
「ダメだ」
キハルに冷たく告げられても、涙は出なかった。
泣き虫な少年だった僕は、いつの間にか、もう少年ではなくなって、社会に馴染んだ大人になっていたから。
「金は渡した。明日の朝には出て行け」
僕はキハルとの生活がずっとずっと続くだろうと、錯覚していた。
ただの家出の野良猫だったのに、キハルの家の飼い猫になったと錯覚していた。
本当に居心地のいい素晴らしい四年間だった。
*
ソファの上でキハルに跨り、自分の手のひらにローションを垂らす。膝立ちになって自らの後孔に中指を突っ込み、入口を広げるように動かす。
「あっ、んっ」
初めて自分で触った後孔の中は、熱くて柔らかく湿っている。
指を動かす度にローションがグチュグチュと卑猥な音を立て、僕は「キハル、キハル」と愛しい人の名を呼んでしまう。
キハルは手を伸ばし、僕の乳首を指で押し潰すようにグリグリと触ってくれた。
「ゃっ、ぁっ、んぁ……」
嬌声は大きくなり、呼吸は「はぁはぁ」と乱れてしまう。
これではダメだ。
いつものキハルのペースになってしまうから。
「さわっちゃ、ダメ。や、やめて、キハル。さ、さいごは、ぼ、ぼくが、キハルを、きもちよく、して、あげるんだから」
「なんだ、お子様は何も分かってないな。オマエがそうやって気持ち良さそう喘ぐ声が、蕩ける顔が、いつでも俺を興奮させてたんだよっ」
そんなことを言われても、今日は僕がリードをして、セックスしてやると決めたのだ。
だからキハルの硬く勃った陰茎に、僕がたどたどしくゴムを被せる。
それを後孔に当て、ゆっくりと腰を下ろしてゆく。
ズブズブとめり込むように、つらぬくように、僕の身体に入ってくる。
「あっ、ん、んっ。キ、キハルっ」
キハルの硬いモノで腹の中がいっぱいになって、苦しくて、気持ちよくて、満たされて、これだけでイってしまいそうで、前から先走りがダラダラと溢れ落ちる。
キハルは「ふぅふぅ」と呼吸を乱したけれど、何も言ってはくれない。
その表情は気持ちいいというより、悲しそうで、せつなそうで、苦しそうだった。
「キ、キハルっ、きもち、いい?」
そんな辛そうな顔を見ていたくなくて、質問を投げかければ、コクリと頷いてくれたから、キハルに跨ったまま、腰を動かした。
奥深くまでキハルのモノが当たって、僕の全身に快楽が走る。
「あっ、いいっ、あっ、き、きもち、いい、キ、キハルっ」
突然、キハルがクルっと体勢を変えて、僕を組み敷いた。
「やっ、ダメっ、あっ」
当たる角度が変わって、身体がビクビクっと震えて、頭が快感で支配されてゆく。
鈍っている頭で、この状況を把握しようとするけれど、よく分からない……。
大人で格好いいキハルが、いつも毅然としているキハルが、涙を流していた。
ポタポタと僕の腹に、水滴がおちる。
「クラマ、クラマ……」と名を呼んで、僕の目を見て、奥へ奥へと突き上げてくる。
「俺が、オマエを。大切な、オマエを。捨てて。捨てて、やるんだ。だから、立派な、大人に。幸せな、男に、なれ。クラマっ」
何を言われているのだろう。
考えなくては、と思うのに、気持ち良くて、気持ち良くて、「あっ、んぁっ、あぁぁ、イイ、あっ、イイっ」と喘ぐことしかできない。
「クラマっ、これで、最後だっ。変な男に、捕まるなよっ。いい、セックスを、たくさん、しろよっ」
「キ、キハル、イクっ、イっちゃうっ、あっ、ねぇ、すごい、あっ、イっ」
僕の中は、ぎゅうと収縮して、キハルのモノから全てを絞り取るように蠢いた。
僕から放たれた白濁は、自分のヘソに白い溜まりを作った。
キハルは僕からズルっと陰茎を抜き、新しいゴムに付け替えて、すぐにまた突っ込んできた。
僕はただただキハルにしがみついて「捨てないで」と喚き散らした。
キハルは「いい男になれ」と何度も何度も僕に言った気がするけれど、途中からの記憶が曖昧だ。
朝。
目が覚めれば、僕はベッドに寝かされていた。
隣にキハルは居なくて、枕元には僕が家出したときに持っていたスポーツバッグが置かれている。
中には僕の着替えと、とっくに契約の切れた昔のスマホと、昨日もらった金が入れられていた。
これからキハルはどこに行っても皆に訊かれるだろう。
「ペットくんはどうしたの?」って。
そしたらなんて答えるつもりなのだろう……。
きっと溜息をついて頭を掻きながら「捨てた」と言うのだろう。
キハルなんて、僕がいなくなって、悲しんで寂しくて、落ちぶれてしまえばいいんだ。
そしたら、いい男になった僕が拾ってペットにしてやるのに。
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