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第44話 第三の人生
「史人さん……」
「黙れ。その名で呼ぶな。俺はフランツ……じゃなくてトイファーだ。……なんかややこしいな」
「ええ。ですが二人きりのときは、先輩のお名前で、その……」
「おまえはミヒャエル・ラスベンダーだ。佐倉だなんて呼ばないからな」
「一度だけでも……というか、わたしの名前をご存知ですか?」
「……知らない」
今日、俺とミヒャエルはハンスとアグネスの王太子夫妻から夕食会に招かれていた。
そのため城の廊下を歩いているところだというのに、名前を呼ぶなどと……俺のほうが多く言った? いや、そんなことはないはず……
とにかく、だ。
身内だけという、その夕食会に嫌な予感がしてならない。
ご乱心であるはずのアグネスが、ここ二ヶ月ほどやたらにご機嫌なのである。ハンスのほうも、結婚してから青ざめ、やつれていく一方だったというのに、生まれ変わったように艶々とし始めている。
「『魔王の血清』がなけりゃハンスは勃たないはずだよな?」
聞くと、隣のミヒャエルは神妙な顔で頷き返してきた。
「ええ。おっしゃるとおりだと存じます。アグネスが他の攻略対象者と結ばれた場合、という設定上の話ではありますが」
それが引っかかる。聖女アグネスは主人公だ。もともとは必ず王妃となるべく存在なのである。
俺の目的は世界征服だが、王座に就くまでには拘っていない。魔族と人間がともに安心して共存することが第一の目的なのだから、それさえ永続的に続くのであれば、正直なところ王座には誰が就いても構わない。
ただ、魔王 を討伐した張本人の二人が、魔族との共存などという念願を聞き届けてくれるはずがない。それは間違いないため、布告が認められ、実行に移されるためには、王太子夫妻には退場してもらう以外にないのである。
「もし、だぞ。もしあの二人が無事にやることができたら……」
「ノーマルエンドですね。エバーアフターモードも無事にクリアということになります」
「おまえ、プレイしたことある?」
「……当然です。あなたのつくったゲームなのですから。ですが、一度だけ、しかもハンスでしかプレイしていません」
「ああ、だからキセガセやハルシュッフに行っても最初はぴんとこなかったんだ」
「ええ。その知識はありませんでした。ですが、なにか思惑があったことには勘付いておりましたよ」
「じゃあ、その勘のよさを働かせてみせろ。今日の夕食会は何が目的だと思う?」
俺が聞くと、ミヒャエルはふふっといつものあの笑みを漏らした。
「あなたのご推察したことと同じです」
「……じゃあ、俺の世界征服は遠退いた、っつーか不可能ってことか?」
「なぜそのようなことを。そんなことはありません」
「……いやだから、ハンスが王位に就いたら魔族のことなんて認めてくれないだろ」
「……それはいかがなことかと存じますが」
「どういう意味だ……あれ?」
俺とミヒャエルの歩く先にエルンストの姿が見えてきた。どこぞのドアから出てきたところらしい。
「これは……トイファー神官、騎士団長」
「おまえ、何してんだ? ここは……何の部屋だっけ?」
「ポーツァル公爵の執務室です」
ミヒャエルは騎士団長だけあり、王城に執務室を構える閣僚連中を知っているらしい。
「……誰?」
「ナウマンは確かに非常にお出来になる方のようですね」
「何のことだ?」
「ポーツァル公爵はプレゲスバウアー宰相に次ぐ影響力を持っていらっしゃる方です。彼を懐柔させることがかないましたら閣僚たちの三分の一……いえ半分は手中に収めたも同然となるほどの」
「……懐柔ってどういうことだ? エルンスト、おまえは何を画策している?」
エルンストの反応を窺うと、顔色をいっさい変えないばかりか微笑もそのまま、俺に誇らしげな目を向けてきた。
「わたくしめの目的は、……あなた様のお考えを形にすることであります」
「ほう」
「それで、公爵はどのような反応を示されたのですか?」
「ええ。わたくしめのことを大層信頼してくださっているご様子でした」
「……そうですか。……それは、妬ましいことですね」
俺はよく理解できていないというのに、エルンストとミヒャエルは了解し合っている様子だ。
「いったい、何なんだよ、そのポーツァル公爵がどうしたんだ?」
「ですが、プレゲスバウアー宰相は?」
「ええ、公爵のあと、と考えておりましたが、その公爵がお力添えしてくださるということで」
「……はあ、そこまで」
「プレゲスバウアー宰相とポーツァル公爵が推してくだされば、殿下のお考えにもいくばくかの影響を与えることができるかと」
「まさか。でしたら、いくばくかではありません。決定されたも同然です」
ミヒャエルは言い終えて、はあ、と何やら気落ちした様子を見せた。
「……どうしたんだよ」
「いえ。大言壮語だったようです。あなたのお力になれるのはわたしだけだなどと、不相応の限りでありました」
「何言ってんだよ。俺はおまえのことを一番……」
「ナウマンは思っていた以上に優秀なようです。わたしの至らぬところにも手が届く能力を持っておられました」
「騎士団長、それは過分なお言葉です。わたくしに能力などありません。わたくしができたとすれば、それはすべてフラン……あのお方の知識と情報があったがゆえです。あのお方の志に感銘を受け、お力になりたいと思わなければ、とてもこのような結果は成し遂げられなかったでしょう」
「それは……」
今、夕闇が迫ってきている時刻だったが、まだ日は明るかった。それが、急に雨雲が垂れ込めてきたかのように薄暗くなった、ように感じた。
「……どういった意味でおっしゃられたのですか?」
ミヒャエルの声が、まるで鋭利な刃物のように、その場の空気を切り裂いた。それと春の陽気のようにぽかぽかとしていた気温が、真冬のそれのごとく下がったような感じも、同時にした。
「騎士団長、わたくしはあのお方に対して特別な感情は……」
「特別な感情? ……を、抱いている、とおっしゃられるのですか?」
「いえ、違います。……あ、いえ、えっと、いっさい抱いていないと」
「まさかのことでした。気づかぬとはこれぞ不覚の至りであります。すぐに、と申し上げたいところですが、あなたにしかできない仕事がまだありますので、それが済むまでは生かしておいてあげましょう」
今何て言った? 生かしてやるとか言わなかった?
「あの、騎士団長」
「もう、会話は結構です。彼に……ダグラスに申し上げたいことがおありでしたら、これから先は必ずわたしを通していただくようお願い申し上げます。近づくことはおろか、同じ空間にいてもなりません。ダグラスが入城された際は、用事でもなんでも見繕って外出していただきます」
「おい、何言ってんだ。エルンストがそんなことできるわけが……」
「ダグラス、わたしから絶対に離れないでください」
「は?」
「夕食会も出なくて結構です。……ナウマンのいる場にあなたを置いておくわけにはいきません」
「何言ってんだ、俺一人で帰れって言うのかよ」
「いえ、当然わたしも欠席します。あなたが行くところにわたしも行くのですから。どうせ懐妊の報告です。そんなもの聞く必要はありません」
「おま、それが一番やばい話だろうが」
「跡継ぎができてハンス国王になったところで、あなたの目的に関しては何ら不都合はありません」
「えっ? なんで?」
「ですから、王城へも二度と出向く必要はありません。わたしとどこかに家を買って二人の生活を始めましょう」
「いや、ちょ、」
ぐいぐいと引っ張られ、階段に差し掛かり、今にも城から出るとばかりに下りていく。
王太子夫妻の懐妊報告、それは俺も推測していたことだ。二人の最近の様子を見れば、夫婦生活が上手くいっているだろうことは誰の目にも明らかであり、三ヶ月も経てば時期的にもぴたりなのだから、むしろそれ以外に考えられない。
だからこそ、事実なのかどうかを確認したい。おそらくそうだとしても、もしかしたら違うかもしれないし、というかそもそもエルンストと同じ空間にいるなとか、そんなバカげた指図をしてくるとは何様のつもりだ?
「おい、ミヒャエル」
ついぞ大声をあげてみた。
神官風情が騎士団長に、という配慮を押しのけるほど頭にきたからだが、結果無視を返されただけだった。
「放せ、ってか止まれ」
「放しませんし、止まりません」
「なんでだよ」
「理由は申し上げました」
くそ。独占欲が健在なら、あの気狂いじみた嫉妬心も変わっていない。やはりミヒャエルはミヒャエル だ。
「おい、止まれって。俺は出席したいんだ」
「なりません」
「てめ……言うことを聞けよ」
「聞きません」
「ミヒャエル……貴俊 !」
呼びかけたら、ミヒャエルはようやく足を止めた。
城から出る寸前のメインエントランスホールで歩みを止め、硬直したらしく、身動きをしなくなった。
まるで慌てたように急ぎ足で来たというのに、ぴたりと止まったせいで注目を浴びている。
物珍しさと奇異な視線に耐えられなくなり、今度は逆にミヒャエルの袖を引っ張って人気のないほうへと誘導した。
「俺は出席したいんだ。それに、おまえもしないと変だろ。嫉妬丸出しのわがままなんて言ってないで言うことを聞けよ」
「……先輩」
「先輩じゃねえ。トイファーだって」
「史人さん、わたしの名前を呼んでくださったのですね」
ミヒャエルの潤んでいた目からどばっと決壊したように涙が溢れ出した。うっとりするほどの美貌はあられもないほどで、ぐしゃぐしゃな顔のまま、いきなり俺に抱きついてきた。
「やめろ! こんなところで」
「念願です。あなたに名を呼ばれるなんて、あなたを抱けたことも念願でしたが、わたしを認識してくださって、親しげに名前を呼び捨てにしてくださったことは、なんとも……死んでもいいくらいに嬉しく思います」
いや、普通逆だろ。比重が変じゃね?
などと呆れていたら、今度ははばかりもせずにキスをしてきた。軽く触れるのではなく、舌までがっつり入ってくるほうだ。
「……何してんだよ!」
「史人さん、愛しております。どうしようもなく好きです。あなたはわたしのすべてです。愛しくてもう……たまりません。好き過ぎて、この気持ちは……いったい、どうすればいいのでしょう?」
「どうすればって、とりあえず抱きつくのはやめろ、夕食会には出席させろ、エルンストとは必要なときに顔を合わせる、そんで俺の言うことを聞け」
いまだぐしゃぐしゃ顔のミヒャエルは、うんうんと何度も頷いた。
「わかってくれたらいい。……とりあえず放せ」
「嫌です」
「は?」
「我慢できません。今すぐあなたを抱きたい。そして、わたしに抱かれながらもう一度呼んでください。いえ、一度と言わずに、これからその最中は是非貴俊とお呼びください」
言いながら、ミヒャエルは城を出てロータリーにあった馬車を呼び、俺をそこへ押し込んだ。
「……な、おま、ちょ」
「参りましょう……ユーア教会へ」
「かしこまりました」
御者の冷静な返答を耳にした直後、馬車が静かに動き始めた。
「てめえ! 俺の話全然聞いてねえな……って、やめろ」
馬車の中だというのにがっついてきやがった。服が乱れる。神官相手にこんなところで何してくれてんだ。
「あなたの目的はもう達せられたのですから」
「まだ何も……あっ、そんなとこ触んな」
「あなたのすべてはわたしのもの」
「んっ、やめ、やめろ……」
清廉な騎士であるミヒャエル・ラスベンダーは、その身のすべてを俺に捧ぐと誓ったように、俺に尽くし、俺の目的のために奔走してくれた。
その結果、一年と経たずに俺の目的は達成することができた。
世界征服、とまでは言えないが、人間の居住区に魔族の村を設置し、農作業や牧畜などを協力して行えるよう、国王が認可してくれたのである。
国王、その座は空位ではない。今や生まれたばかりの息子を溺愛してやまないハンスが、王座に就いている。
ハンスは驚くことに俺の要望をすべて呑み、そればかりか魔族を国教徒にすべく自ら魔族の村々を訪問して回るほど、俺の目的に熱心な働きを見せてくれている。
この悲願が叶ったのは、エルンストの助力が大半だが、ミヒャエル的には「そばに置くことを許可してあげた」のだから、一番力になったのは自分であるらしい。
それにしてはなかなか言うことを聞いてくれず、俺のほうからサービス──たっぷりとミヒャエルの言うことを聞いてやらなければ、外に出ることすら難儀だったのだが。
ミヒャエルは、攻略対象者の中で一番気に入っていたキャラクターだった。
その理由は、滅多に笑みを見せないところがクールで、騎士としての立派な面差しとその清廉実直な性格が魅力的だったからだ。
そのはずが、今目の前にいるその騎士は、立派な顔つきどころか、でれでれと目尻を下げ、頬は緩みっぱなし。性格も清廉とはとても表現できない。心は清くなければ、私欲だらけであり、実直なはずが、俺以外の人間には嘘ばかりをつくキツネだ。
しかし、ただのミヒャエル のままだったら、俺はこんなに惚れていない。
そんな設定からは程遠いハイブリッドと化した、ミヒャエル だからこそなのである。
そんなことを言うとまた一月 も閉じ込められることになりそうなので、死ぬ間際までは黙っておくことにする。
天使がいたからには神もどこかにいるのかもしれない。
死ぬ間際に前世の記憶を取り戻し、それを生かして斬首刑から逃れた俺は、今第三の人生というものを歩むことができている。
そのお陰で、悲願を叶えることができたばかりか、激重感情を向けてくる男にも再会することができた。
ありがた迷惑……ではないのだから、ここは感謝をしておいてやろう。
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