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第10話 トムとジェリー

 夕食はバイキングだった。神室と義父は、昼食のほうが美味しかったと文句たらたらで、周りには聞こえないよう不満を言い合っていた。そんなことないわよと口を挟んでいた母も、いつもの強張った表情ではなく砕けた様子が窺えて、自宅では味わったことのないリラックスした雰囲気だった。家族の内だけでこそこそするというのは親密さを感じるもので、海莉は気が咎めつつも嬉しさで口元がにやけてしまった。  その調子で食後も家族団欒するかと思いきや、母たちは夜の街へ出ると言って、子どもたちは明日に備えて九時には休みなさいと、まるで小学生に向けるような言葉を放って出かけていってしまった。 「延々とガキ扱いだな」  バスルームから出てきた神室は、ホテルのナイトウエアを翻しながら冷蔵庫のあるところへ行き、中からコーラを取り出した。  キャップを捻った神室の手元から、ぷしゅっと炭酸の弾ける音がして、渇きを感じていた海莉はごくりと唾を飲みこんだ。 「飲んでいいのかな?」 「飲め飲め。外に出るなっていうなら、ここのを飲むしかねえだろ」 「出てもバレないと思うけど」 「なに? 一ノ瀬は夜の街に出てみたいわけ?」 「そんなことないよ」  いつもなら無視を決め込むはずの神室が、普通に会話をしてくれている。今日一日で心境が変化したのだろうか。一晩同じ部屋にいて黙りこくられるとの懸念は、嬉しい誤算だったのかもしれない。 「さっきの奴と電話するならラウンジに行けよ。目の前で悪口言われたら不愉快だ」 「悪口なんて言わないよ」 「……言ってたくせに。てか、毎朝電話してんのに旅行のときまで電話してくるなんて、キモすぎんだよ」  釘を刺しているのかもしれないが、当の神室は顔を合わせるたびに言うではないか。自分のことを棚に上げるとは、まさにこのことだ。 「キモいとまで言うのは、さすがにひどくない?」 「事実を指摘したまでだ。彼女なら仕方ないと思ってたけど、男同士でそんなべたべたしてたら普通にキモいだろ」 「男じゃないよ、レイは。……彼女でもないけど」 「は? どう聞いても男の声だったじゃねえか」 「確かに声は低めだけど、レイは女子だよ」 「嘘つけよ。だったら写真見せてみろ」 「写真?」 「別におまえの彼女なんて興味ないけど、女だって言い張るんなら、どんなゴリ女なのか見てやってもいい」 「ゴリ女? レイはイギリスと日本のハーフで、映画なんかに出てくるみたいな美少女だったんだよ」 「……だった、ってなんだそれ? 今は違うのかよ」 「今は……わかんない」 「はあ? 隠すなよ」  神室は海莉のポケットめがけて手を伸ばしてきた。海莉は慌てて身体を捻り、立ち上がって距離を取る。   「隠してないって。俺も見たいんだけど、小四のときにイギリスへ引っ越しちゃってから一度も会ってないし、写真も送ってくれないんだよ」 「嘘下手すぎ。毎日電話してんのに、そんなのが言い訳になると思うなよ」 「ホントなんだって」 「どうせホーム画面にしてんだろ? 見せろ」    またも夕食前の再現とばかりに、神室が追いかけてきた。海莉は逃げながら、まるで修学旅行の夜みたいだと連想して、口元がにやついてしまう。 「ちょこまかとしやがって……一ノ瀬の前世はネズミだな」 「神室が遅いんだよ」 「うるせえ。グラウンドではおまえよりも足が速いだろうが」  追いかけてくる神室も、呆れつつ頬を緩ませていて、海莉と同じくこの雰囲気を楽しんでいるのではと勘違いしたくなる。 「こんなところでトムとジェリーやってる場合じゃねえっての」  息を切らせた神室は、疲れたとばかりにベッドへ倒れ込んだ。 「トムと何?」 「ジェリーだ……知らねえの?」 「……知らない。なにそれ」 「犬猿の仲の猫とネズミが、追いかけっこをするアニメだ」  そんなアニメがあるとは知らなかった。というより、神室の口からアニメの話が出ることに驚いた。   「神室ってアニメとか見るんだ? 毎日何してるのかと思ってたらそういうの見てたんだね」 「見てたのはガキの頃だって。いまは毎日真面目に勉強してんだよ。おまえと違って静かだろうが」 「俺だって静かだよ。レイとの電話も少しだけだし」 「少しって言ってもうるさいし、なにより朝早すぎね? まじでしんどいんだけど」  前にも指摘されたが、神室の部屋から物音が聞こえてきたことがないため、どれほど響いてしまうのかわからない。申し訳ないとは思うものの、声は潜めていたはずだし、指摘するにしても言い方というものがある。   「わるかったよ。でも、あの時間に起きないと電車に間に合わないんだ。朝寝坊できる神室とは違って」 「もしかして起こしてもらってるわけ? 彼女からのモーニングコールなんてますますキモい」  海莉は嫌味を言ったつもりが、鼻で笑われてしまった。しかし、神室は不満をぶつけるといより、面白がっているように見える。普通に返してくれるばかりか、ふざけ合えているというか、軽口まで叩き合えている今の雰囲気は、距離が縮まってきたとは言えないだろうか。   「起こしてもらってるっていうか、時差かあるから……」  自覚した途端、この雰囲気を壊したくないという焦りが生まれた。会話の流れを止めたくないという思いが、恥ずかしさに勝り、海莉はレイとのことを打ち明けた。もしかしたら、そんな話聞きたくないなどと一蹴されるかもしれない。少し不安だったが、神室は興味をそそられたらしく、次々と質問を投げかけてきた。海莉は答えているうちに、レイとのことだけでなく、母とは離れて暮らしていたことや、祖父母の家で育てられたことまですっかり話してしまった。 「あのよそよそしさは、他人行儀なんじゃなくてガチだったんだ」 「よそよそしいって、俺と母さんが?」 「俺とおまえに対する態度があんまり変わんないのは、義息子に気を使ってるからだと思ってた」 「ずっとあんな感じだよ。……お義父さんのほうは俺に気を使ってくれてるみたいだけど」  義父の名を出すと、神室は途端に表情を強張らせ、黙り込んでしまった。そのときを図ったかのように海莉のスマホが振動し、ベッドに投げ出していたその画面に各務レイの文字が表示された。 「……一ノ瀬から電話するって言ってなかったっけ?」  神室な苛立つというより、呆れたような反応を見せた。同じことが頭によぎった海莉も、神室と目を合わせ、同時に頬をひきつらせた。   「レイは……ランチタイムに入ったのかも」 「ランチ? ……ああ、時差は八時間だっけ?」 「そう……」  神室は電話をするならラウンジへ行けと言っていた。苛立っていないとはいえ、目の前で電話するのは失礼だし、配慮するべきだろう。 「ごめん、すぐ行くから」  だとすれば、ナイトウエアから着替えなければならない。こんな格好でラウンジへ行っては、部屋に追い返される。   「……うるせーから、ここで出ればいい」 「えっ?」 「ラウンジまで行くのめんどいだろ。ここで出ればいい」  神室は投げやりに言って、自分のスマホを手に操作を始めた。  いまだ振動し続けているスマホをちらと見た海莉は、「ありがとう」と神室の背に声をかけ、煩わせないよう、離れたところにあるテーブルセットのほうへ向かった。

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