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第15話 『まだ』恋人じゃない

 姫宮の話どおり、午後になると宅配業者がテレビを持ってやってきた。ゲーム機の配線作業も請け負っていたそうで、昼食を食べ終えた頃には海莉の部屋にゲームの準備が万端整った。   「神室が一人でもやりたかったら使ってもいいよ」 「は? そんなこと言ったら勝手に部屋入るぞ」 「いいよ。盗まれて困るものなんてないし」 「ふん。俺よりいいものなんて持ってないだろうしな」  神室の憎まれ口も、実は照れ隠しらしいと気づいてからは微笑ましくなってきた。  神室は兄と遊んでいたソフトをやりたいと言って、二人で大勢の敵を倒しながらステージをクリアしていくゲームを選んだ。経験者である神室からあれこれと指図を受けたり、怒鳴られたりしたが、もともと競争心の欠片もない海莉は、むしろ神室とゲームをしている事実が嬉しくてたまらず、楽しいばかりだった。  翌日はさすがに勉強をせねばと午前から問題集を開いた海莉も、お昼ご飯で顔を合わせた神室と流れでゲームをやり始め、結局はゴールデンウィークのほとんどを神室と遊んで過ごすこととなった。  学校が始まると、教室では以前と変わらず挨拶を交わす程度の仲だったが、帰宅したあとは神室が海莉の部屋へやってきて、夕食までの時間を二人でゲームをして過ごすようになった。  そんな日々を過ごしていくうちに、会話をして笑い合うばかりか、憎まれ口も平気で言い返すし、それまでの関係からは考えられないくらいに距離が縮まっていった。 「最近、彼女とはどうなんだ?」  毎日顔を合わせているからか、神室とは親や学校のことはもちろん、今やレイのことまでも気軽に話せる仲となっていた。 「どうって、別に……」 「あんまり電話しなくなっているみたいだし、メールとかも全然来ないじゃん」  ちらと海莉のスマホを見た神室に続いて、海莉もほとんど通知を知らせなくなったそれに目をやり、ため息をついた。   「……時差があるから」 「前は授業中でもガンガン連絡きてたんだろ?」    神室のいうとおりだった。ゴールデンウィークを機に変わったのは、神室との関係だけじゃなかった。レイは思っていた以上に根を詰めて勉強しているようで、毎朝の電話は続いているもののすぐに切れるし、メールの返信がくる頻度も激減していた。 「学校以外でも猛勉強をしてるんだって。Aレベルとかいう資格を取るためらしい」 「Aレベル? それって、大学に入るための資格だろ?」 「そうなの? 日本で言う共通テストみたいなもの?」 「目的は近いけど、向こうでは国家資格だったと思う。同い年なんだろ? まだそんなの受ける年じゃないはずだけど」  レイからは単にテストとしか聞いていなかった海莉は、神室の説明を聞いて驚いた。聞くだけでも難しそうな試験だったようだ。  彼女のことを思えば、寂しさなんて感じている場合ではないらしい。 「浮気してるわけじゃないんだから、あんま凹んでんじゃねえよ」  黙っていたからか、神室は慰めの言葉をかけてくれた。冗談交じりではあるものの、最近は珍しくもない頻度でこんなことすら言ってくれる。   「浮気って……わかってるよ。てか彼女じゃないし」 「勉強に集中してるだけだろ? Aテストはハイレベルらしいから、何年も勉強が必要だって話だし」 「そんな大変なんだ……」 「彼氏が応援してやらないでどうすんだよ」 「……だから、まだ恋人じゃないって」    神室はレイのことを以前として『彼女』と認識しているようで、何度訂正しても、『それで付き合ってないなんてあり得ない』と反論してくる。いい加減面倒とはいえ、海莉自身が気にしている点であるため、訂正しないと落ち着かない。  いつものように神室に釘を刺したら、神室は癖となっているらしい義父そっくりの仕草で片眉をあげたあと、次に笑い出した。 「自分で『まだ』って言ってるくらい、自信はあるんじゃん」  指摘されて自覚した海莉は、恥ずかしさのあまり耳まで熱くなった。これまた神室の言うとおりだ。距離が縮んできてからというもの、神室にずばりを突かれることが増えてきている。海莉のことを気にかけてくれているらしく嬉しいのだが、神室と距離が縮まった分、レイとは逆に離れてしまったような気がして、両手をあげて嬉しいとは言い難いのが現状だった。  六月も半ばにまで来た頃、レイは下旬にある模試へと向けて集中するからという理由で、連絡の頻度が大幅に減っていた。神室のお陰で寂しさを紛らわせていた海莉だが、ちょうど同じ時期に中間テストがあったため、レイを見習って熱心に取り組んだ。  その甲斐があってか、テストはゴールデンウィーク前に受けたときよりもかなりの手応えを感じた。 「どうだった? 俺、問二で引っかかって、最後のほうなんて勘でマークしただけだったよ」  すべてのテストが終了したあと、海莉の席へ颯が近づいてきた。周りもガヤガヤと途端に賑やかしくなり、そうそうに帰路につくものや、頭を抱えているもの、晴れやかな笑顔を浮かべているものと様々だ。 「あれ、参考書に似たやつあったよ。そんとき引っかかってかなり考えたから解き方覚えてた」 「嘘? 参考書ってどれ?」  颯のしまったという顔を見て、海莉は通学リュックをごそごそとやり、数学の参考書を取り出した。 「これ」 「なにこれ? 本屋でも見たことないよ……って、七年前のやつじゃん。こんなので勉強してたの?」 「えっ?」  颯の手から奪い取り、海莉は発行年月日の書かれた後ろのページをめくった。確かに、七年前の日付が書かれてある。  この参考者は、引っ越してきたときに既に設置されてあったデスクに置かれてあったもので、母が購入してくれたものと思い込み愛用していたものだった。前回の小テストもこれで勉強して高得点を取れていたから、使える参考書だと信頼を強めていたのだが、真新しい様相だったし、そんな古いものだったとは気づかなかった。  もしかしたら誰かの持ち物だったのだろうか。七年前といえば義兄が海莉の年の頃と合致する。もし義兄のものだったとしたら、勝手に使ってしまったことになる。  どうしようと海莉が青ざめたとき、ポケットの中でスマホが振動した。  サイレントモードにし忘れていたらしい。テスト中に通知が来なくてよかったと焦りながらポケットから取り出すと、画面にはレイの名前が出ていて眉根を寄せた。  日本がお昼前の今、イギリスは真夜中のはずだ。 「なに? カガミって読むの? 誰?」  颯に見られたらしい。しかし、説明している暇はない。海莉は「ちょっと、ごめん」と答えて、立ち上がり、人のいないところを探すため教室を飛び出した。  レイに何かがあったのだろうか。  次々と浮かんでくる考えたくもない映像を振り払いながら、人のいないところを探し歩く。  ざわつく人混みを通り抜け、屋上へと続く階段に誰もいないことに気づいた海莉は、向かいながら受話ボタンを押した。 「どうしたの? こんな時間に」 『試験、終わった?』  いつものレイの声である。脱力しそうになりながらも、心配させないよう気遣ってのことかもしれないと思い直す。 「終わったけど、どうしたの? 大丈夫?」  『何が? あー、こんな時間だから? 午後にテストが終わって、帰ってソッコー爆睡してたから、お腹空いて起きちゃっただけだよ』  海莉はへなへなと階段に座り込んだ。   「……食べないで寝たの?」 『ここずっと、ろくに寝てなかったから意識失ったみたいに寝たよ』 「……心配させんなよ」 『人生がかかってたからさあ』 「ああ、なんか大変なテストだったみたいだね」 『そうなんだよ。模擬試験だったけど、この結果で変わってくるからさあ』  あれほど熱心に勉強していたのだから当然かもしれないが、突然電話をかけてくるのは勘弁して欲しい。事故に遭ったか、事件に巻き込まれたかと肝を冷やした。   「……そうだったんだ」 『そうそう。これでようやく会いに行けるよ』 「会いにって誰に? あ、夏にOasis(オアシス)のライブがあるって言ってたね」 『行きたいけど、嬉しいことに行けなくなりそうなんだ。ノエルより愛している人に会えるからね』  ふふ、と嬉しげな声を聞いて、海莉は血の気が引いた。他のバンドに目移りしたのだろうか。ファン歴十五年と豪語するレイがまさかとは思うものの、愛している人というのが一般人であっては困る。 「よかったじゃん……いつ会うの?」  別の推しが見つかっただけだと答えて欲しいとの思いで、震えてしまう声を抑えながら訊ねた。   『ママは夏休みいっぱいこっちに居て欲しいらしいんだけど、僕は夏休みこそ一緒に過ごしたいんだよね。だから、始まる前に行きたいって説得するつもり』 「……そんなに会いたいんだ。説得できるといいね」 『できるといいねって他人事みたいに言わないでよ……そうだ、今度ママと話してよ。海莉の家の近くにするつもりだから、そばにナイトがいるって知れば安心できるでしょ』 「……ナイト?」 『夜じゃないよ。騎士のほうだよ。あ、やば。ママだ』  スマホからゴソゴソと物音が聞こえて、くぐもった向こうに英語でわめいているレイの声が響いた。 『ごめん海莉、深夜なのにうるさいって怒られちゃった。いま怒らせるのはまずいから、また電話するね』 「あっ、うん」 『じゃあ、Sweet dreams.My love』  通話を終えて、海莉はふらふらとした足取りで教室へ戻った。数人の生徒を残して、ほとんどが帰宅している。颯や神室の姿もない。  海莉は帰り支度をしながら、ドキドキと高鳴る心臓を鎮めようとした。  もしかしたら、レイは日本へ帰国するつもりなのではないだろうか。高校を卒業するまで日本へ来ることはできないと言っていたが、説得というのは、帰国するためのことを指していたのではないか。  期待してはいけないと思いながらも、レイの言葉を解釈するほどに、抑えようのないほど口元が緩んでしまう。    ──レイが日本へ来る。  三年後の未来が、手の届く距離にまで近づくかもしれない。これが期待をせずにいられようか。  抑えようのないほど高まる鼓動を全身に感じながら、海莉は自宅への道のりを軽やかな足取りで踏み出した。

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