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第17話 不審者か迷い人か、はたまた誰かの知り合いか

 ついにレイが日本へ来る日がやってきた。  レイは、授業を終えた足でそのまま飛行機に乗り込むのだという。三日ほどしたのちにレイの両親が後を追ってくるそうだ。  なぜそんな強行軍をと訊ねると、一刻も早く海莉と同じ空気を吸いたいから無理を言ったとの答えが返ってきた。  思い上がりは事実だったらしいことがわかるも、それほどまでに期待をされては、がっかりさせた場合の反動も大きくなる。神室に恋心を抱くかもという懸念もいまだ拭えないままだ。  海莉は楽しみであることと同じくらい不安も膨らみ、いや増しになる緊張感を抱えながら、落ち着かない日々を過ごしていた。 「念を押しておくけど、家には絶対連れてくるなよ」  その日の神室は朝から機嫌がわるい。母たちはいないにせよ姫宮はいるのに、海莉を睨みつけてくるばかりか、声も荒らげている。 「わかってるよ。学校が終わったあと待ち合わせて、そのままホテルに向かうから、家に来ることはないって」 「何時に着くんだ?」 「午前には到着するんだって。迎えに来て欲しいって言われたけど」 「はあ? サボれってことか?」 「空港じゃないよ。最寄り駅までみたいだけど、断った」 「当然だ。ガキじゃあるまいし、日本語も話せるんだから、どこでも待ってられるだろ」    レイのほうは夏休みでも、海莉たちにはまだ学校がある。午後の早い時間には帰れるのだから、数時間程度待つだけだと言って、近くまで来てもらうよう頼んであった。  六年も待ったのにとレイは文句の嵐だったが、さすがに友人を出迎えるためという理由で欠席はできない。  緊張が高まる中、午前の授業がすべて終了し、昼休みを告げるベルが鳴った。レイからは一時間ほど前に羽田空港へ到着したとのメールが入っていた。今頃はどこにいるのだろうとスマホをチェックしてみると、モノレールに乗ったというはしゃいだメールが届いている。  時間は四十五分前だ。それ以降は何も届いておらず、今どこにいるのかを訊ねるメールをレイに送信した。 「おーい、急がないとバラバラの席になっちゃうよ」  教室の入口で、颯が片手をあげて呼びかけていた。  有明高校にはカフェテリアがある。日替わりで三種類のランチセットを楽しむことができるそこは、昼休みに全校生徒が詰めかけるため、場所取りは時間との勝負だ。 「ごめんごめん」  レイからの返信を待たずに、海莉は颯とカフェテリアへ向かった。  他のクラスの授業が伸びているようで、席にはまだ余裕がある。海莉と颯は食事を受け取って、悠々と席を選ぶことができた。 「夏休みはどこか行く?」  Aランチを頼んだ颯が、パスタをもぐつきながら訊ねてきた。   「どうだろ……ゴールデンウィークに行ったばかりだし、行かないんじゃないかな。颯は?」  海莉はCランチのオムライスセットにした。オムライスの日は必ず選ぶ。ケチャップのかかったオムライス以外を知らなかった海莉は、東京へ来て初めてデミグラスソースなるものを味わって以来、好物となっていた。 「うちは北海道だよ」 「まじ?」 「行ってみたくなったから親にせがんだんだ」 「ホント? もしかして俺が行ったから?」 「そう言えば海莉も北海道だったっけ。神室くんが行ったって聞いて行きたくなったんだよね」  海莉の話はまるで聞こうとしない颯は、神室のことなら耳を大きくしてあちこちから噂を拾ってくる。友人とするにはなかなか薄情な男だが、この学校の中に颯のような生徒は少なくない。神室が何かを口にすると、檜山たちにしか話していないことでも、放課後になる頃にはすっかり広まっているというのが常だった。 「神室くんが理由?」 「そうだよ。神室くんがしろくまと写真撮ったのかなとか想像すると、かわいくない?」    その写真なら今現在海莉のスマホの中にある。などと言えるはずはないが、そんな理由で旅行先を決めるとは驚きである。 「イケメンだと思うけど、かわいいかな?」 「それはあれだよ。かっこいいって表現するときの一種っていうか、神室くんは、美しい・綺麗・かっこいい・かわいい・優秀・凄い、とか褒め言葉がどれでも当てはまる」 「本気のファンじゃん」 「ファンっていうか、女子だったら惚れてるよねえ」  うっとりと言った颯が、海莉ではなくどこぞへと目を向けているので、海莉はその視線の先を目で追った。するとそこには当然のごとく神室がいて、そのタイミングで顔を上げた神室と目が合ってしまった。 「いま、こっち見た!」  すぐに逸らされたが、颯は嬉しげに頬を染め、それを隠すように両手で口元を覆った。  女子だったらというが、すでに恋をしているかのような反応だ。 「誰を見てたんだろう……神室くんって、彼女とかいるのかな?」  さすがに自分を見ていたわけではないとの冷静さは持ち合わせているらしい。しかし、反応だけでなく、台詞も恋する男子そのものだ。   「颯こそ、彼女とかいるの?」 「中学のときはいたけど、こっち来るときに別れたから……」 「いたんだ?」  ということは、同性愛的な嗜好ではないようだ。 「そんなに驚くこと? 海莉は……海莉に彼女なんているはずないか」 「なんだよそれ」 「だって、頭はいいけどそれだけじゃん。顔も平凡で、途中入学組だろ? 海莉に彼女ができるなら、俺には三人くらいできるね」  相変わらず酷い言い草だ。あけすけと言えば聞こえはいいが、結局馬鹿にしているわけである。  もし、レイと付き合えることになったら颯も見直してくれるだろうか。現在レイは、一万キロ先ではなく、数キロ先のどこかにいる。三年後のはずが、今すでに近くにまで来ているのだ。そのことを改めて思い出して、海莉は途端に緊張がぶり返してきた。 「なんかあったのかな?」  颯がカフェテリアの入口のほうを見ながら、ひそめた声をかけてきた。海莉も釣られて目を向けると、確かに入り口付近に人だかりができている。海莉たちの周りも「なんだ?」「どうしたのかな」とざわつき始めた様子だ。 「校内に私服の人が入ってきたんだって」 「どういうこと? 不審者?」    聞こえてくる声から察するに、不審者が校内へ入ってきて、何かを探し歩いているらしい。 「真っ昼間から不審者なんて、ヤバいね」    颯は不安そうと言うより面白がっている。  確かにセキュリティのしっかりしたここに、侵入できること自体が不思議だ。   「道に迷ったんじゃない?」 「どこか別の学校と間違えたとか」    そんなことあり得るのかと海莉が首を傾げたとき、突然わっと声がして、入り口に集まっていた人の波が二つに割れた。  そこから、私服の男がカフェテリアの中へ入ってきて、ぴたりと止んだざわつきの代わりに、驚きの目が集まった。 「めっちゃイケメン」 「誰? 外国の俳優?」 「撮影場所と間違えたのかな?」    不審であるはずが、迷い人と判断したくなる理由がわかった。  突然現れた男は日本人離れしていた。外国映画から飛び出てきたようなスタイルと端正な顔立ちで、カールした明るい茶髪を肩まで伸ばし、ざわつく生徒の海から頭一つ分飛び出るほど背が高い。  あんなに目立っていては、こそこそと忍び込むなど不可能だ。注目を集めているのに気後れした様子もない。校内に知人がいるか、生徒たちが知らないだけで、学校の関係者である以外に考えられないだろう。 「スタッフを探してるんじゃない?」    その異邦人は、きょろきょろとしながら、カフェテリアの中を縫うように歩いていく。生徒たちは彼の行く手を遮らないように場を開け、人の壁ができていくかのようだ。  迷い人だとしても何語を解するのやらといった様子で、もしかしたら不審者かもしれないしと、誰も声をかけずに動き回る彼の様子を眺めている。 「……Are you lost?  Do you need help?」  その中で一人、立ち上がった生徒がいた。神室が男に近づいて英語で何か案じるような声をかけたようだ。さすが、生徒たちの敬愛を集める優等生は違う。 「神室?」 「……えっ?」 「海莉はどこ? 神室だよね? 海莉がどこにいるか知らない? 探してるのに見つからないんだよ」  どこから見ても外国生まれの容貌から、流暢な日本語が飛び出てきてざわついた。のではなく、名乗ってもいない神室の名前を口にしたことで騒然となった。   「まさか……嘘だろ……」  神室は声を震わせながら、ゆっくりと海莉のいるほうへ顔を向けた。男もそれに合わせて顔を向け、海莉は男と目が合った。 「海莉!」  目があった瞬間に、男の顔は華が開いたような笑みに変わった。  ──誰? 「海莉海莉海莉ーー!」  誰なのかまるでわからない男が、大声で海莉の名を連呼しながら駆け寄ってくる。ものすごいスピードで、間にいた生徒たちは跳び上がったように道を開けた。  唖然としていた海莉は、駆け寄ってきた男に、その勢いのまま抱きしめられ、そしてキスをされた。  唇に何度もちゅうちゅうとされ、頬に鼻に目元に耳にとキスの雨というか嵐が起きて頭の中が真っ白になった。 「海莉……あー、海莉、本物だ。愛してるよ海莉。海莉海莉。好き好き」  カフェテリアはしんと静まり返っている。  ぼけっとしていた海莉は、キスの嵐が台風の目のごとくに大人しくなったとき、男の肩越しに何十と向けられている目を見て、かーっと全身が熱くなった。    なぜいきなりこんなことを? この男は誰だ? 「会いたかったよ海莉。あちこち探したんだよ。ようやく会えたね」    ぎゅうぎゅう抱きしめられながら、いまだ混乱し続けている海莉の耳に、聞き覚えのある声が響いている。    聞き覚えのある声、と考えたそこで、海莉は気がついた。  覚えがあるのは声だけではない。相貌と髪の色からかすかに浮かぶ六年前の面影、今日来るといっていた事実、神室を知っていたことなどを合わせて導き出すは、ある一つの答えにたどり着く。  それは、彼が彼女かもしれないという、およそ信じがたい答えだった。

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