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第26話 僕のヒーロー

 翌日の予定は墓参りだ。意外にも道が空いていて昼前には済み、時間に余裕ができたからと、祖父母と母たちは日帰り温泉へ行きたいと言いだした。レイがやってくる日でもあったので、海莉たちは留守番を買って出て、中学時代の友人たちを自宅へ呼んでプチ同窓会をすることにした。 「海莉くんにはお世話になりっぱなしで、勉強も教えてもらっています」 「まじで?」 「本当は違うんでしょ?」  優等生モードの神室を前に、タカシとユウトは驚愕にビビりまくっていた。二人とも小学校からの同級生なので、海莉が見るも淑やかな青年と義兄弟だなんて、どんな生活を送っているやらと想像ができないからだろう。  しかし、レイが現れたときの驚きはその比ではなかった。 「海莉〜! 来たよー!」  鍵を閉める習慣のないこの地域では、チャイムが聞こえて、「どうぞ」と答えれば、友人たちの誰もが勝手知ったる様子で二階へと上がってくる。レイもそれは心得ていて、直接海莉の部屋へとやってきた。 「まじで来た!」 「何年ぶり?」    そわそわとするタカシたちを前に引き戸ががらりと開くと、現れたレイはいきなり海莉に飛びついてきた。  タカシたちはその光景に絶句し、目を見開いた。大型犬が何年ぶりかに飼い主と再会したかのような場面だったからではなく、彼らもまたレイを女子だと思い込んでいたからだ。 「誰?」 「うそ……男じゃね?」  抱きついていたレイは手の力を緩めて「タカシとユウトも勘違いしてたの?」と脱力し、海莉は堪えられずに笑い出した。 「海莉てめえ、先に言っとけよ」 「ごめん」 「笑ってんなって」 「俺の驚きを体験して欲しくて」    腹を抱えて笑い転げる海莉に、タカシたちだけでなく、レイも面白くないとばかりに口を尖らせた。   「なんでみんな僕のこと女の子だって勘違いしてたの?」 「いや、だってさ……」 「あんなに……」  あんな可愛らしかったのに、とユウトの口から出そうになって、慌ててつぐんだことが傍目にもわかった。六年前はタカシやユウトのほうがレイよりも大柄だったのに、今ではレイが見下ろす側となっている。美しく成長するのは予測できても、体格が逆転するなんて思いも寄らなかったことだろう。 「つーか、だから南沢(みなみざわ)はレイのこと狙ってたのか」 「南沢って三年のときの担任?」  懐かしい名前を聞いた。レイと同じクラスになったときの担任だ。レイが転校していくのと同時に離任していったため、名前を聞いたのは六年ぶりだった。 「あいつがどうしたの?」  途端にレイの表情が怯えたかのように強張り、海莉の腕を掴んで身を寄せてきた。  こんな様子のレイは見たことがない。南沢のことで何か気にかかることがあるのだろうか。 「あいつ、男子の着替えを盗撮して捕まったじゃん」 「えっ?」 「一週間くらいテレビに出てたけど……見てない?」  話を振られたレイは絶句している様子だ。レイのマンションにはテレビがないし、二人でいてもそんな話題は出なかったから、レイも海莉と同じく寝耳に水だったのだろう。 「テレビ見ないから知らなかった……ガチで捕まったんだ?」  海莉がレイの代わりに答えると、タカシは神妙な顔つきで頷いた。   「二ヶ月くらい前かな? 教員仲間からのリークだったらしい。捜査したら他にも色々やばい写真が出てきて、実際に手を出した証拠とかもあったみたいで結構な騒ぎになってた」    信じられない。おぼろげだが顔はまだ思い出せる。あいつがそんな非道な真似をしていたのかと背筋がざわざわとした。   「あいつ、レイのこと執拗に気にしてたじゃん、あれ狙ってたんじゃないかって話してたんだ」 「えっ?」 「そうだよ。おまえがいなかったらヤバかったんじゃないかな」  タカシとユウトの言葉に飛び上がった。レイが狙われていたとしたら、ぞっとするどころではない。   「俺が?」 「レイとマグネットコンビって呼ばれるくらい一緒にいただろ?」 「懐かし。そんなあだ名あったね」  思い出して口元を緩めたユウトに、タカシは神妙な表情のまま頷き返した。   「南沢は、だから下手ことできなかったんだと思う」 「かもね。報道では、わざと居残りをさせていたとか言ってたし、海莉がいなかったら変なことされてたかもしれない」 「やめてよ!」  突然レイが悲痛な声をあげた。 「考えるだけでぞっとする……忘れたいのに、いまだに夢に出てくるんだよ」 「え……あいつとなんかあったの?」 「あいつのせいで登校拒否になるところだった」 「まじで? 俺らの知らないところで何かされてたのか?」  タカシがまさかという声で訊ねると、レイは心配させないためか、やや表情の強張りを解いた。   「そういったヤバいことをされていたわけじゃないんだけど、僕は乳糖不耐症ってやつで、牛乳を飲めなかったんだ。それなのに、無理やり飲まされてさ」 「にゅうとう……なに?」 「乳糖不耐症は、牛乳なんかに含まれる乳糖を消化できない症状のことだよ。簡単に言えば、乳製品を取るとお腹を壊してしまう。避ける以外に治療法はないし、事情を説明すれば免除されることだと思うけど」  神室のした説明に、レイは「そう、それ」と頷いた。 「二年までは免除されてたんだよ。それなのに、あいつはアレルギーってわけじゃないんだからって、飲まない限り昼休みなしとか言ってさ。お腹壊しちゃうから毎日憂うつで、飲むにもすごく時間がかかって、僕だけ昼休みがつぶれたりしてたし」  昼休みがつぶれたと聞いて、海莉は首を傾げた。当時は朝から晩までレイとは常に一緒にいた。昼休みも当然遊んでいたはずで、待っていたような覚えはない。   「でも、昼休みはいつも一緒に遊んでたじゃん」 「うん。それは海莉が助けてくれたから……」  言いながらレイはさらに身を寄せてきた。海莉がレイのほうを見ると、レイはぽっと顔を赤らめ、どきりとした海莉も同じように顔が熱くなった。 「俺が……なんかしたっけ?」 「隣の席になった日から、海莉が毎日飲んでくれるようになって、あの地獄から解放されたんだよ」  「じゃあ、南沢の魔の手だけじゃなく嫌がらせからも海莉が守ってたんだ?」  タカシの揶揄するような言葉に、レイは「そうだよ」と真面目な顔で答えて、「海莉は僕のヒーローなんだから」と小さくつぶやいた。  ヒーローとは大げさなと思いつつも、いまだ頬を赤くしているレイを見て、彼のためならなんでもしてやりたい気持ちになった。  レイのためなら、ヒーローにでもなんでもなる。なりたい、と思った。 「今のレイを見たら下手な真似をしようなんてやつはいないだろうけどな」  ユウトがおかしげに笑い、タカシもつられて声をあげた。 「おまえらずっと連絡取り合ってたんだろ? 日本へ帰ってきたっていうのに新潟じゃなくて海莉と同じ高校へ行くなんて、仲良すぎだろ」 「レイが本当に女子だったら、付き合うことになってたかもな」 「少女漫画とかでよくあるパターン」  海莉は笑みを返しながら、しかし口の端はひきつり始めていた。  事実そのつもりでレイの帰国を待ち望んでいた。再会できたら恋人同士になりたいと、願い続けていた。  しかし、同性だったのだ。  レイのヒーローになれたとしても、恋人同士になれるわけではない。それは海莉の一方的な願いであって、レイにとっては行き過ぎた感情だ。そのことに改めて気がついて、海莉は急に腹の底が抉られるような気持ちになった。  親友だと思っている相手に、しかも異性ではなく同性から、恋愛感情にも似た目で見られていると知ったら、嫌な気持ちになるだろう。  日々募りゆくこの感情は、抑えつけるたけではなく、消してしまわなければならない。そうしなければ、レイとの友情を続けていくことができなくなる。  タカシが中学時代の同級生たちの近況を話し始め、海莉も東京での話などをしているうちに話題は逸れていき、懐かしくも楽しい時間はあっという間に過ぎた。  夕方になり、また時間が合ったらと挨拶を交わして、海莉は友人たちを見送った。 「海莉、あのさ」  タカシたちとは逆方向だったレイが、一人戻ってきた。 「忘れ物?」 「じゃなくて、明日僕お墓参りに行かなきゃなんだけど、そのあとにまた来てもいい?」 「あー、どうだろ。今はちょっとわかんない。予定を聞いてみるよ。レイはいつまでいるんだっけ?」 「海莉たちと一緒に帰りたいって言ったんだけど、だめだった。帰国するとき一緒に東京へ行くことになっちゃって」 「そうなの? じゃあ、いつ東京に帰るの?」 「予定では、夏休みの終わる日に帰国するんだけど、そんなに海莉と会えないのは耐えられないよ」  レイの返答を聞いて、海莉は残念に思うよりもほっとしていた。   「……けど、ナナやお父さんたちとはまたしばらく会えなくなるわけだし」 「そうだけど……」 「俺とは嫌っていうほど会えんじゃん。親孝行したほうがいいよ」  レイは家族よりも海莉を優先してくれている。今まではそのことを嬉しいと思っていた。六年も離れていたから、友情を大事にしようとしてくれている。そんなレイの気持ちを、自分は特別なんだと解釈して喜んでいた。  しかし、友情以上の感情を覚え始めているいま、嬉々として受け入れてはいけない。  レイと離れる機会をつくるべきだ。感情が暴走してしまうまえに、少し距離を置くべきだと、海莉は冷静になろうとした。 「うん。でも、毎日電話とかメールはしてもいい?」 「そんなの……いつもしてるじゃん。改めて確認しなくても、いつもみたいに、好きなときにしていいよ」  ありがと、と力なく答えて、レイは去っていった。  レイは何かを感じ取ったのだろうか。許可を得ようとしたのは初めてだ。いつも一方的とも言える頻度でメールや電話をしてきたというのに。  距離を置こうとしたことに気がついたのかもしれない。  だとしても、どうしようもない。嫌われるよりはマシなのだから。  海莉は去り行くレイの背中を見ながら、今にも追いかけたい衝動を抑えつけ、玄関へと踵を返した。

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