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第34話 伝えきれない想い

 走り出した海莉は、勢いそのままに公園を出て歩道沿いに進路を変えた。しかし、突然現れた陰に気づくことができず、海莉は衝突してしまった。 「すみません」  全速力だったせいで、かなりの勢いでぶつかってしまった。そのはずが、なんの衝撃もなかったばかりか、まるで抱きとめられたかのように体勢も崩れなかった。 「海莉……」  抱きとめられたかのように、ではない。事実抱きとめられていた。 「突然飛び出すと危ないよ」  しかも、海莉を抱きとめたのは、二度と味わえないと諦めていた腕だった。信じられない思いで顔を上げて見えたのは、愛する人の困ったような表情だった。  想いを馳せていた匂いに包まれている。  どきどきと心臓が早鐘を打ち始めたものの、嬉しさを実感する間もなく、腕は離れてしまった。 「レイ、行かないで」  離れて欲しくない。考えるより先に身体が動いて、海莉のほうから抱きついた。  嫌がられるかもしれない。だとしても構わない。何度願ったか、もう一度この腕の中に抱きしめられたいと、どれほど想いを馳せたかわからない。 「……だめだよ」 「ごめん、少しだけだから」 「でも……」 「レイのことが好きなんだ」  気持ちを伝えたところでなんにもならない。それはわかってる。身勝手との自覚はあれど、溢れんばかりのこの想いを知って欲しかった。 「ありがとう……」 「だから、少しだけこうしていて欲しい」 「嬉しいよ。でも、こんなことをしちゃだめなんだ」  やんわりと身体を離され、やはりだめかと肩を落とす。  レイが優しく諭すようにしてくれたのは、おそらく友情がまだ残っているからだ。同じ好きという感情でも、愛情と友情ではまるで違う。神室から向けられている想いを、海莉はそのまま返すことができない。レイのようにはっきりとだめと言えなかったのは、神室と離れたくなくて、つらさを知りながら甘えていたからだ。 「天王寺さんとの関係を邪魔したいわけじゃない」 「えっ?」 「恋人との間に割って入りたいわけじゃないんだ」 「恋人って……侑李が? そんなんじゃないよ。ただの友達だよ」 「ただの友達?」  どこがだろう。常に一緒にいて、帰りは天王寺の車で帰っていく。休みの日はどこそこへ行ったなどの噂はひっきりなしに聞こえてくるし、あれでただの友達というにはさすがに苦しいと思う。   「隠さなくていいって。みんな知ってることなんだから」 「知ってるって言われても、違うんだよ。一人だと退屈だから遊んでるだけで、よく誤解されるけど、なんでみんな恋人だと思うのか全然わかんなくて」  本気らしいレイの表情を見て、海莉はもう一度考えてみた。  レイは神室と海莉を恋人同士だと思い込んでいた。しかし、実際の関係は兄弟でしかない。常に一緒にいて、二人で帰るし、休みの日も遊んだりもするが、と日々の生活を辿り直して、レイと天王寺の二人となんら変わりないことに気がついた。  気がついて、レイと互いに勘違いをし合っていたのではと思いついた。 「もしかしてだけど、レイが俺と隆司のことを誤解していたように、周りはレイと天王寺さんのことを誤解していたのかな。特別な感情があるわけじゃないのに、一緒にいるから恋人同士に見えていたのかもしれない」  丸い目をしていたレイは、途端に気がついたようにはっとした。   「レイ、俺がレイのことを好きなのは、友達としてじゃなくて……キスをしたいとか、二人だけでいたいとか、恋人になりたいって意味なんだ」  レイの肩がびくと震えた。瞳が揺れ、心もとないほどの街灯の光を反射させているそれが、じわりと大きくなった。 「うそ……」 「本当だよ。隆司のことを勘違いしていたみたいだけど、俺はレイが好きなんだ」 「じゃあ、神室は本当に……」  ぽつりと言ったレイの瞳から、ほろりと涙がこぼれた。  伝わっているだろうか。涙のように溢れ出るこの想いが、レイに届いているだろうか。   「そうだよ。隆司はただ兄弟ってだけで、レイみたいに抱き合ったり、キスしたいなんて思わ」  言い終えぬうちにレイから突然抱き寄せられた。 「じゃあ僕は海莉にキスしていいの?」    おそるおそるといった声を聞いて、初めてされたときのことを思い出す。  帰国した日にレイからキスをされたとき、日本では挨拶代わりにするものじゃないと言って突っぱねた。それ以降、レイはふざけ半分でも一度だってしようとしなかった。  つまり今レイの言ったキスとは、挨拶代わりでも、友情でもない、これまでとは違う意味が込められている。 「……うん」    海莉は答えながらも、自らキスをした。レイの頬に手を添え、唇に自分のを重ねた。触れた瞬間、レイの腕が背中に回り、ぐっとさらに抱き寄せられた。  あのときとは違う。カフェテリアでされたファーストキス。ついばむようにしてすぐに離れていったキスとはまるで違う。  こんなのを友人とはするはずがない。イギリスの文化を知らない海莉にもわかる。  友人や家族ではない、恋人にするようなキスだ。  レイは、海莉のことを好きでいてくれた。天王寺はただの友達で、神室との仲を思い違えていて、それで離れていただけだった。  願望ではない。こんなキスをされて、そこに愛がないなんて思えない。  触れたところからレイの愛が注がれてくるかのようだ。もっと伝えたい、知って欲しいという想いが、海莉の中へと深く、奥へと注がれていく。 「海莉」  離れたくない。もう一度、いやずっと強く抱きしめていて欲しい。レイからの愛をずっと感じていたい。   「……なに?」 「愛してるよ」  耳元でささやかれた瞬間に、海莉は身体を震わせた。久しぶりに聞いたその言葉も、以前とはまるで違って聞こえた。そこに愛があると知ったあとでは、こんなにも心を震わせるものなのかと驚く。 「俺も……愛してるよ」  なぜこの言葉なのか。  好きなんて言葉では伝えきれないからだ。友情とは違う。もっと深く、痛みすら伴う想いを表現するなら、この言葉しかないのだ。  レイから何度となく向けられていた気持ちは、友情なんかじゃなかった。一万キロ離れた先から愛を伝えるために、何度も言葉で表現してくれていた。何度も何度も、レイから愛を注がれていたのに、気づくことができなかった。   「ごめん、レイ」  知ったいま、なぜ気づいてやれなかったのだろうと申し訳ない気持ちになる。これほどの想いを、レイはずっと向けてくれていた。今では海莉も同じ気持ちだが、気づいたのは今さらというほど遅かった。  電話やメールで時間を共有しても足りない。触れてももっとと欲するほどの、溶け合って一つになりたいと強く求めるくらいの想い。   「なんで謝るの? 幸せすぎて死にそうだよ」 「ずっと気づかなかった。勘違いもしてたし、本当にごめん」 「うん。でも、僕も神室のこと勝手に思い込んでいたから、おあいこだよ」  ふふと笑って、レイは愛おしげに抱きしめてくれた。   「ごめん。レイ、愛してるよ」  これほどの想いを伝え続けてくれていたレイに、同じだけの愛を返したい。  言葉で伝えても、伝えかた一つで解釈を歪めてしまう。二度と絡まらないようにするには、何度でもわかってくれるまで伝え続けるしかない。  もう二度と、勘違いをしたり思い込んだりしないように。

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