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第15話 家事対決
久世を引き連れてマンションへと帰ってきた生田は、荷物置き場と化している一室に彼を招き入れ、簡単に片付けをして来客用の布団を出した。
彼をその部屋に置いたままみどりの様子を覗きに行くと、起きて待っていたらしく、顔を合わせるなり怒涛のお叱りを受けてしまう。
この様子では、おとなしく隣で寝たほうがよさそうだ。
なだめつつも再び彼の元へ行き、着替えを手渡しておやすみの挨拶をしたあと、寝室へと戻ってみどりの隣に潜り込んだ。
まだ彼と過ごせると思ったのに糠喜びになってしまった。
みどりの隣にいるよりも彼の元にいたかったという不埒な本音を抱きつつも、深夜に三時間も身体を動かしてきたからかさすがに疲労していたらしく、お小言をBGMに眠ってしまった。
翌朝目覚めたときは既に10時を過ぎていた。
みどりは出勤しているはずだが、彼は大丈夫だろうか。
そうぼんやり考えながらリビングへと至るドアを開けたら、驚きの余り立ちすくんでしまった。
まったく片付けることのできないカップルの荒れ果てていた部屋が、モデルルームのように見違えているのである。
あり得ない。魔法か?
口をあんぐりと開けたままきょろきょろとして、はっと気づく。
そうだ。魔法に違いない。現在家には魔法使いがいる。魔法使いというより異世界人だが、彼ならやりかねない、いや彼以外に考えられない。
しかし当の久世の姿を探しても、どこにも見当たらない。
起こすのは気が引けると考えて黙って帰ったのだろうかと考えるも、LINEも入っていないし置き手紙のような古風なメッセージもないようだ。
そのとき玄関のドアの開く音が聞こえてきたため、急いで迎えに出る。
「あ……おはよう」
相変わらず眩しいほどの美貌を隠すかのようにうつむきながら、微笑をたたえた彼が弱々しい声で言った。
昨日着ていたのとは違うスーツを着ている。
また買いに出たのかと呆れつつよく見ると、青森の田舎街でブランド物など入手できなかったのか、量販店っぽいスーツで、異世界人レベルが明後日の方向へ向かっている。
「透がやったわけ?」
おかしさを堪えるのに口元を隠しながら聞く。
「なに? ああ、でも家主に許可はとったぞ」
「え? どういうこと?」
靴を脱いで迷いなく廊下を進む久世を追いながら問いかけた。
「川谷さんに挨拶して、そのときお礼に片付けてもいいですかって」
凄い度胸だ。普通じゃない。気弱なくせによくそんなことを。
彼は手に持っていた紙袋をリビングのローテーブルの上に置き、何を取り出すのだろうかと見ていると、ハンディモップや床用の洗剤などの掃除用品をテーブルに並べ始めた。
「なにする気だよ」
「……掃除を」
「は?」
「雅紀は……シャワーでも浴びてきたら?」
「なにそれ。邪魔ってことかよ」
久世は「違う」と言いつつも早速とばかりになにやら作業を始めたので、呆れた生田は確かに身体をさっぱりさせたいと考えてバスルームへと向かった。
これは性癖などというレベルを超えている。おそらく病気だと思う。
生田がシャワーを浴びて戻ってきたら、彼はジャージに着替えて袖まくりをし、リビングを隅々磨き上げていた。
キッチンもいつの間にやらピカピカで、生田がこの部屋に来て以来見たことのない部分さえも輝いている。
「信じられないんだけど」
「わるい。整っていないと落ち着かなくて」
「だとしても、御曹司のやることじゃないだろ?」
「……もう少しで終わるから」
そう言いながらも終わる気などない様子で、掃除の手を隅のほうにまで伸ばしている。
許可をしたとは言え、みどりもまさかここまで磨き上げられているとは思うまい。
生田は唖然としつつ感心ながら部屋を見渡した。
あれだけごちゃついていた物はどこへ消えたのだろう。
ふと頭に浮かんだ疑問の答えを求めてうろうろとしてみると、ソファの裏にどこかからもらってきたらしい段ボールがあり、種類別に分別されていた。
書籍類やプラスチック小物、化粧品や衣類などがまとめられてそれぞれ別の箱に入っている。
作業の徹底っぷりに舌を巻きつつ、中身をごそごそとやると、コンドームの箱を発見した。
こんなものまで手にとって分類したのかよ。
封を切っていない新品だがまごうことなく自分の購入したものである。
いつ誘われるかわからない日常を送っていたときは切らさないようにしていたため、そのときの残りがどこかに紛れていたのだろう。
おそらく久世はみどりとのために用意したものだと思ったに違いない。
くそ。そんなことないのに。
とはいえ結婚相手との情事など、こんなものを見られずとも当然のことだ。
しかし実際のところ、マンションへ来てから、というか結婚式の日以来彼女とはキスすらしていない。
なぜなら、なんだかんだ言いながら律とよりを戻すのだろうと考えているからだ。
みどりからも求められるようなことはないから、彼女も同じように、律が現れることを期待しているのだと思う。
それに、久世と出会ってから、なぜか以前のように誰彼構わずといった真似をする気がなくなってもいた。
今や誘うような視線をもらっても、声をかけられたとしてもあしらうようになっている。
それはみどりにプロポーズする前からで、気が引けるからでもなく、単にその気が起きないからだ。
とりあえず、こいつの出番はないのだからとそれをポケットに入れて寝室へと戻り、バッグの奥にしまい込んだ。
ほっとした途端に空腹を覚えた生田は、久世への返礼に料理の腕を奮ってやろうかと思いつく。
キッチンへ向かい、今度は水回りを掃除しているらしい久世の掃除音をBGMに冷蔵庫を物色する。
ひじきの煮物の残りがある。ほうれん草もあるから、茹でておひたしにして、きゅうりとかぶの浅漬けも作ろう。せっかくだから新米を炊いて、鮭もあるから焼き立ての炊きたてで出してあげよう。味噌汁はシンプルにわかめと豆腐にして、あとはだし巻き玉子でいいかと献立を決めた。
早速とばかりに調理に取り掛かかったとき、掃除を終えたらしい久世がキッチンへとやってきた。
「何か手伝おうか」
「透、料理もできるの?」
「いや……何もできないが」
「じゃあいいよ。掃除ありがとう。疲れたでしょ、座って待ってて」
しかし久世は座らず、御曹司のくせに主人の命令を待つ使用人のような立ち姿でキッチンの隅にたたずんでいる。
「どうしたの?」
「いや……」
もじもじとする久世を可愛らしいと思いつつ、おかしくてにやけてしまう。
世話好きのようだから、誰かが作業しているのに自分だけ休んでいるのは忍びないと考えているのかもしれない。
「じゃあさ、買い物行ける?」
「……行く」
散歩へ行くことを伝えたときの愛犬はこんなふうに顔を輝かせるのだろうかと思うような笑みを見て、それならば遠慮はすまいと思いつくかぎりを頼むことに決める。
「味噌と絹豆腐とネギ買ってきて。味噌汁は二人分しか作れないと思ったけど、行ってくれるなら多めに作るよ。あ、味噌は白味噌でネギは普通のネギだよ。豆腐は木綿じゃなくて絹だからね。あと飲み物も少ないから、適当に飲みたいやつ買ってきて。……それと帰り道にコンビニ寄って煙草も。マルボロメンソール」
「……ちょっと待て、もう一回」
長い指をスマホのうえで不器用に這わせながら必死な様子の彼を見て、もう一度繰り返した。
すると、「わるい。ありがとう」と嬉しげな笑みを見せて、足早に部屋を出て行った。
誰もが振り向く美貌を持つ御曹司のくせに、嬉々としてパシリのような真似をするとは、またも驚かされる。
スーパーで買い物なんてできるのだろうか?
掃除用品を買っていたくらいだからレジの使い方は知っているようだけど、絹と木綿の違いはわかるだろうか。
心配半分、おかしさ半分で料理の手を進めながら彼の戻りを待っていると、買い物袋を二つ抱えた久世が帰ってきた。
「あの、味噌ってこれでいいかな?」
おずおずと例の上目で見てきた久世の姿は、今回ばかりは射抜かれるよりもおかしさがこみ上げてきて、生田は吹き出した。
「ネギがはみ出してるけど」
ジャージ姿でビニール袋を両手に、しかもネギが飛び出た状態で立ちすくむ久世を見たら笑いが堪えきれない。
「長細い袋がないようだったから仕方がない」
「そういうことじゃない」
何言ってんだろう。腹がよじれて死にそう。
「……煙草はこれでいい?」
「その姿で煙草買ったの?」
無理だ。涙が出るほどおかしい。
涙を浮かべながら笑い続ける生田を横目に、久世は袋の中身をダイニングテーブルに並べ始めた。
「あり……ありがとう」
もう昼になっているため、さっさと作り終えてしまいたいところだが、彼を見るだけで吹き出してしまうし、姿が見えなくても思い出し笑いをしてしまって手際が悪くなってしまった。
そうこうしてなんとか完成させたころ、ちょうど白米も炊けて鮭も焼き上がったようなので、テーブルへ運ぶことにした。
すると、ソファで待機していた久世が近づいてきて、手伝ってくれるのか皿を手に持った。
「美味そう」
しかし、運ぶというよりもしげしげと料理を眺め回している。
「見るよりも食べなよ」
「ああ」
声をかけるとはっとした様子を見せ、テキパキと運び終えたあと、いそいそと椅子に腰かけて深々と頭を下げた。
「いただきます」
品の良い所作はいつ見ても惚れ惚れとする。
「舌の肥えた透に食べてもらうのは気が引けるけど、そんなに悪くないでしょう」
「悪くないどころか、こんなに美味いもの食べたことない」
「何言ってんの? そんなわけないだろ」
嘘をつけと思いながらも、今度は嬉しさで口元が緩んでしまう。
彼は料理を次から次へと口へ運び、隙あらばいつでも繰り出してくる映画の話さえも持ち出す暇がないようだった。
本気で美味しいと感じているのか、それとも単に空腹だったのかはわからないけど、がっついて食べてくれるのは作り手冥利に尽きるというものだ。
「ごちそうさまでした」
久世は両手を合わせて再び頭を下げた。
するとぱっと立ち上がり、何ごとかと思ったら生田の分の皿も重ねてシンクへと運び始めた。
そして、水切りに干してあった食器類や調理道具を拭き上げてテーブルに乗せ、洗い物を始めた。
おいおい、どこまで隙がない男なんだろう。
後片付けまで自ら進んでやる御曹司がいるか?
自炊をする友人どころか彼女でさえしないのに。
「食器も片付いてないと落ち着かないわけ?」
生田もキッチンへ来て、彼が拭き上げてくれた食器類を片付けながら軽口を叩いた。
「いや、自分のことはなるべく自分でするように躾られたから、その、料理と洗濯以外はやるようにしている」
「まじ? 躾かよ。それはそれは」
「祖父の父はゼロから成り上がった人だから。そういうところに厳しい人だったらしい」
なるほど、新札になった渋沢栄一みたいな感じだろうか。
「それより、そろそろお暇させてもらう」
洗い物を終えてシンク周りも綺麗に拭き上げた久世が言う。
「ああ、うん。掃除してくれてありがとう」
「いや、こちらこそご馳走してくれて……嬉しかった。ありがとう」
言いながらうつむいた姿は、まるで永遠の別れのような悲壮感を漂わせた。
昨夜、遠回しに距離を置くようなことを言ったから、その意を汲んだがゆえに悲しんでいるのかもしれない。
胸がちくりと痛むも、こればかりは仕方がないことなのである。
またも彼の新たな魅力を知って、さらに好きになってしまった。
会うたびに彼との距離を縮めたくなってしまう。
そんな想いを抱えていては、まともな結婚生活を送ることができなくなる。
歯止めが利かなくなる前に距離を置かなければならない。
だからどんなにつらくとも、彼とこんなふうに楽しい時間を過ごすのは、最後にしなければならない。
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