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第3話 青龍門派のボス

 噛めば噛む程に、じんわりと滲み出る強烈な甘みと、舌に纏わりつくような濃厚で甘美な風味……!   思わず天国が見えた気がした。蕩けた声で叫ばずにはいられない! 「う、うんまぁ~い! 何これ? 何これ?」  オレが伏竜を見つめると、アイツの手には精巧な硝子細工の皿いっぱいに茶色い塊が山盛り積まれていた。  アレを口に放り込まれたのだと察した。 「それくれ! もっとくれ!」  オレが大喜びしているのを見た伏竜は茶色いのを一つ手に取って告げた。 「月餅だ。これが欲しいか」 「欲しい! もっとくれ! もっとくれ!」  口を開けると、伏竜が放り投げてきた。  月餅は的確にオレの唇に、すっぽりと挟まった。嬉しくて思いっきり噛みしめる。  二個目も美味い!脳みそが蕩けそうなくらいに美味いぃい~! 「モグモグ、ニンゲンの国って、こんなに美味いモノがあるのかぁモグモグ! いいなあ~! 海の国はモグ、甘い物が無いからなぁ~! モググ!」 「食うか喋るかどっちかにしやがれ。しかも食べかすを水槽に落としやがって……」  伏竜は呆れていたけど、あの鉄面皮な口角が少しだけ上がっている気がした。  まぁ、それはどうでもいいとして、オレを解放してほしいんだけど、今は月餅が美味しいから仕方ない……仕方ないんだ……と貪っている姿に観客達はドン引きしていた。 「人魚って神秘的な生き物だと思ったのに、そこらへんの池の鯉と同じだな……」 「あんなに美しいのに、意地汚いわ……」 「甘い物を体内で消化しているメカニズムを解剖で調べてみたいな!」 「浅ましいけど、でも顔はやはり可愛い……」  そうして観客が別の『商品』を見に行って、少し人気が無くなった時に伏竜が見張りの男達を裏拳で殴りつけた。  うわっ、痛そう! と月餅を食べながら見ていたオレの目の前で、伏竜は部下達を罵る。 「|你真是太无能了!《お前は本当に無能だな!》 突っ立ってるだけなら木偶でも出来るが、無駄話しないだけ、木偶の方が有能だろうが!」  伏竜の怒りっぷりに部下は平謝りだった。 「伏哥! 申し訳ありません!」  部下の人は口の端が切れて血が出てるのに謝罪を優先している。  確かに仕事をサボってたのはオレもムカついたけど、別に血が出るまで殴らなくてもいいんじゃないか?  それを見て、オレは理不尽に思えて口を挟んでいた。 「何キレてんだよ、伏竜。オマエだって仕事中にウロチョロどっかに行ってただろ?」 「呼び捨てにすんなっつっただろうが!」  威嚇してきたが、オレは月餅をムシャムシャ食べながら伏竜に恨み言をついでにぶつける。 「仕事中にサボって、部下の教育もほったらかして、月餅とかいう美味しいモノを一人で食べてるなんて、なんて悪いヤツなんだ! 罰として、もっとオレに月餅を持ってこい!」  食い意地が先走って暴れると、水槽が揺れて伏竜に水がかかった。それはもう見事に。 「あっ……、し、しまっ……」  思わず心配してしまう程、伏竜の体を濡らした水はアイツの体にスーツやシャツを張りつけさせ、浮き上がる腹筋や胸筋に会場の女の子達から黄色い悲鳴が上がる。  ぽた……と、伏竜の髪から水滴が落ち、オレは謝ろうとした。 「ご、ごごご、ごめ……」  しかし、言い切る前に伏竜は口から水をベッと吐き捨てると、水槽を蹴ってくる。 「わあ!」  衝撃に悲鳴を上げると、伏竜が髪をかき上げつつ怒鳴った。 「クソガキが! 何しやがる!」 「ガキじゃない! 墨星だって言ってんだろ! あと、水かけてゴメンな!」 「ついでみてぇに謝るんじゃねぇ! そもそも、俺が席を外してたのは菓子を食ってたからじゃない! そもそも俺達、修仙者は五穀断ち中だ!」  シュウセンシャ? ゴコクダチ? さっきも霊力とかワケわかんないこと言ってたし……と考えていると、周囲の空気がヒリついた気がした。 「老大!」 「老大だ! 並べ! 整列しろ!」  騒ぐ声が聞こえる。  オレが顔を上げるのと、伏竜達が敬礼するのは同時だった。  伏竜らが礼を尽くす構えの先に居たのは、上品そうな初老の紳士で、顔に刻まれたシワの一つ一つにすら威厳の深みを感じるような男だ。 (誰だこいつ……?)  オレがボーッと見ていると、紳士は片手を差し出すように伸ばし、伏竜らにラクにするように無言で伝える。  紳士の動作一つで伏竜らは一糸乱れぬ統率を見せていた。どんな魚の群れでもここまでの纏まりは見せない。だから、純粋に凄いと思ったのだ。  もしかして、こいつが伏竜らの上司かな?  そのオレの想像は当たっていたらしく、紳士が伏竜に声をかけた。 「|竜仔《ロンザイ》(竜の坊や)、ヤンチャしたようだな」 「……!」  伏竜が体を強張らせた。  けど、老紳士は茶目っ気のある笑みを浮かべ、伏竜の肩を優しく叩く。 「良い良い。お前は普段から私と組織に忠実すぎるあまり、真面目が過ぎる所がある。たまに悪さくらいしてくれんと、組織を収める身としては心配でならん。あまり老骨に心労をかけんでくれよ」  こいつが『老大』ってヤツか~と見ていると、伏竜は顔を上げ、老大に進言した。 「……老大、私は貴方に返しきれない恩義があります……。だからこそ、貴方には……」  伏竜の瞳には、親を案じる子供みたいな色があった。  しかし老大は伏竜の台詞を手で制す。 「また私に楽隠居をすすめる話か? お前の心配性は私譲りのようだなァ! それよりも、今宵は宴だ。警備が終わるまで飲み食いは許可出来んが、これが終わった暁には肉でも五穀でも好きに食って……」  言いかけた老大が、伏竜の傍らに置いてあった月餅に表情を変えた。  そしてドスの利いた声へと変わる。 「……伏竜、警備中に五穀断ちを破る等という真似はしておらぬだろうな……?」  その問いかけに伏竜は即座に床に片膝をつき、手を合わせた。 「|是的《シーダ》(はい)! |王老大《ワンランバン》! 勿論です! 我ら魔道に堕ち、裏社会を生きる身となった修仙者といえど、敬愛申し上げる師の掟を破るなど、|以《も》って有り得ぬ事……!」  最敬礼でもって応えているらしい伏竜の傍でオレが月餅をモグモグしていると、王老大は何かを察したように首を振った。 「……人魚の餌やりか……。可愛がるのは構わんが、値が下がる真似はするなよ……」 「……|是《シー》……」  何故か疲れ切ってるように見える老大と伏竜。  そして当のオレ本人の意思に構わず、裏オークションとやらが始まってしまった。  成す術もないオレの目の前で、ライトが明度を落としてゆく。  歓談していた客達は、それで進行を察したのか、押し黙る。  静寂の薄闇の中で明瞭に見えるのは、それぞれの客のテーブルの上に置かれたランプの灯のみだ。  それは闇の海で見上げた灯台の明かりみたいなのに、似て非なるものだった。  この会場に居る人間達が誰かの海旅の安全を願う存在とは真逆で、自己の欲望の為に他の命を踏みにじる事に罪悪感を抱かないヤツらばかりだからかもしれない。  司会の男がオーバーリアクションで宴を盛り上げようとしているのを聞きながら、オレは、いよいよ自分が海に還るどころか、姉ちゃんの行方すらわからないまま、人生をぐちゃぐちゃにされようとしている事に気づく。  客の群れからは幾つもの白い札が掲げられ、そこには数字が書かれていた。 「正に人外の美だ! こんなに美しい青年なら是非、欲しい! 人間と具合がどう違うのか試してみたいしな!」 「フン! 人魚はワシのモノだ! 人間の女と魚と、両方と交配させてみて、成功すれば増やして、新たなビジネスになるかもしれん!」 「違うわ! 私のよ! そいつの生き胆を食べて不老になるの!」  どいつもこいつも、オレを同じ『傷つく心をもってる命』ではなく、珍しい生物としか見ていなかった。 「……」  押し黙るオレに、水槽の傍に居た警備役の伏竜が視線を客に向けたまま、誰にも聞こえないくらいの声量で唇の動きを最小限にしながら問いかけてきた。 「人間の醜さ、思い知っただろ」 「……」  伏竜の問いかけに『そんなしょうもない質問するヒマあるなら助けろ』と噛みつく元気もなく、項垂れるオレにアイツは続けた。 「……人魚は本来、人間嫌いなハズだ。なのに、どうして手前は何度も溺れた人間を助けた? 今の事態も、手前が乞食のガキを助けなけりゃ陥らなかった危機のはずだ」 「……」 「おい」  うるさいなと思って顔を上げる。  すると、客席を見ていたはずの伏竜の片目が、いつの間にかオレだけを見ていた。 「……」  無言で見つめる瞳には切実な色が浮かんでいて、伏竜が何をそんなに感情を揺さぶられているのかわからない。  だからオレは、ただ有りのままに答えるだけだった。 「そんなの……人魚とかニンゲンとか関係なく、誰かが苦しんで泣いて助けを求めてたら、声かけて手を差し伸べるのは当たり前の事だろ?」 「……は?」  意外そうに片眉を上げる伏竜に、オレの方が不思議でならなかった。  誰だって、自分一人じゃどうにもならない状態に陥った時、助けてもらえたなら嬉しいはずだ。  でも、逆に自分がどれだけ一人で悩み苦しんでいる時に、差し伸べられる手が存在しなかったなら……きっとそれは凄く痛くて、今を生きてる時間すら不安で怖くて辛いんじゃないかと思う。 「オレ、孤児なんだ。両親は、人食いザメからオレを守って、その時のケガが原因で命を……。でも兄ちゃんや姉ちゃんに助けてもらえて、それが嬉しかった。だから、オレが大人になった時、どうしようもない状況で泣いてる人がいたら、助けようって、そう思ったんだよ」  兄ちゃんにはニンゲンと関わるのは危ないから止めろって再三、止められていたけど、海に落ちて静かに沈んでく子供と、その子供を陸で捜し回ってる親の悲痛な姿を見て、オレの両親の姿とカブって、助けずにはいられなかった。  それを伏竜に話すと、アイツは唇を震わせた。 「……なら、誰が溺れていようが、手前は助けるっていうのか……?」  頷いて見せると、伏竜は片目を伏せた。  それは何かを深く悔いている姿のように見えた。  でも、その感情の色を問う前に、会場から一際大きな歓声が上がる。  そちらを見てみると、さっきオレを触ろうとしたオッサンが札を高らかと掲げていた。 「ワシは人魚に三億ロン出すぞ!」

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