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第30話 一瞬の隙

 それから数日が経った。  まだまだきつい残暑は続き、一見以前と何ら変わらない日々が続いている。  でも、少しだけ涼しくなった朝と晩、千歳は言われた通り毎日優に送り迎えをしてもらっているし、累と湊はたまに学校を休む。何か調べ物をしているらしい。  そこまでは教えてくれたのに、じゃあ何をしているのかと聞いても、「大丈夫だから」とか、「俺たちに任せて」とか、「心配しなくていいよ」とか言われるだけ。  おそらく動画の関係で何か良からぬことが起こっていて、累と湊は千歳をその『何か』から守るために動いているのだと、頭では理解している。  でも、どうしても「守って欲しいなんて言ってない!」という叫びがこみ上げてくる。  もし、何か困ったことがあるなら、一緒に考えさせてほしい。もし、危険なことがあるなら、一緒に戦わせてほしい。  そんな千歳の想いはαたちには届かないままだ。  今日は湊が学校を休んでいた。累は登校しているから昼は二人で食べることになっている。  累は最近、学校外だと一緒にいられないからと、強引に昼休みに割り込んでくるようになった。  校内ならいいのかと聞いてみたら、あの動画に写っていたのが千歳だと学校の人たちはすでに知っているから、問題ないのだという。  これまで昼食は教室で湊と二人で食べていたのだけれど。そこに累が加わると他のクラスメイトがチラチラとこちらをうかがってくるから落ち着けず、累がいる時は新聞部の部室を使わせてもらうことにした。  本当は二人っきりは避けたいのだが、食堂へ行った時の周囲からの視線がすさまじく、そちらもやむなく断念。  部活はすでに引退しているのに、快く場所を貸してくれた後輩には感謝しかない。 「で、調べ物は順調なの?」 「う~ん、いまいちだね。もっと簡単かと思ってたんだけど、後手に回ってるって感じ」  だから「何が」と言いたくなるが、聞いてもどうせ答えてくれないのだ。  拗ねた気持ちを全面に出し、「ふ~ん」とだけつぶやいておにぎりを口に運んだ。すると、正面に座っている累から苦笑を漏らす声が聞こえた。 「ごめんね、もう少しだけ待っててね」  まるで愚図る子供をなだめるように優しい声でそう言った累の表情は「千歳の不満はちゃんとわかってるよ」と言わんばかりだ。 「……それは何に謝ってんの?」 「俺たちが送り迎えできないこと」  累の答えに千歳の額の血管がぴきっと音を立てた。思わず箸を握る手にも力が入る。  この宇宙人は本当に、全く、一切、これっぽちも千歳の気持ちをわかっていない。  そもそも、だ。累と湊と一緒に登下校をしていたことだって、千歳は致し方なしに譲歩していただけで、歓迎はしていない。  いや、千歳だって「こいつ、わかってないんだろうな」と思っていた。  それでも、いざ突きつけられるとめちゃくちゃ腹が立つ。  どうしてこんなやつに――。いや、いったん落ち着こうと、千歳は大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。話を変えよう。 「明日の検診はどうするの?」  明日は二次性外来の定期検診がある。  別に千歳だけ行けばいいのだが、担当医の高坂からはできる限り三人で来るように言われていた。  高坂の意図は分からないが、医学的な理由半分、好奇心半分なんじゃないかなと思っている。 「ちゃんと行くよ。湊さんも。病院で集合にはなっちゃうけど……」  だから、こちらの機嫌をうかがうような顔をするな、と言いたくなる。  千歳は苛立ちでぴくぴくと痙攣する目元はそのままに、無理やり口角を上げた。 「忙しいなら来なくてもいいですけど?」 「いや、行くし。ふふっ」 「……? 何?」 「拗ねてる千歳さんもかわいいなって」  手の中にある箸からバキっと音が聞こえた気がする。もし使い物にならなくなっていたら累に弁償させよう。いや、でも、買ってきてと言うとめちゃくちゃ嬉々として選んできそう。  自分で買って後から費用を請求したほうがいいか? そんなことを考えながら、いい加減、言い返してやろうと口を開いた時、ちょうど累のスマホが震えた。 「あっ、湊さんだ。ちょっと、電話してくるね」  そう言って累はそそくさと部室を出て行ってしまった。  はいはい、また内密のお話ですね。千歳はお弁当のおかずを箸でつつく。  千歳は確かに拗ねていた。でも、それは別に二人と一緒にいられる時間が減ったからではない。千歳に関わる何かがあるはずなのに、自分だけ蚊帳の外に置かれてることが、悔しくて、寂しいからだ。  ぽつんと一人だけ残ってしまった部室の中で、別に折れてはいなかった箸を動かす。いつもおいしい卵焼きが、何となく味気ない。  もそもそと緩慢に口を動かしていると、突然、部室のドアが開いた。  累がもう帰ってきたのかと思い、顔を上げると、そこには男子生徒が立っていた。  知らない顔だが、新聞部の部員だろうか。 「新聞部の人かな? ごめんね、お昼に使わせてもらってて」 「いえ、大丈夫です」  にっこりと笑いながら部室に入ってきた男子生徒は、累や湊と同じくらい背が高く、体格がいい。でも、目は落ちくぼみ、頬はこけ、どこか不健康そうに見える。その様子が少し不気味で、千歳は何となく身構えた。  でも、千歳は弁当を食べている途中だし、累の荷物もそのままだ。突然、出ていくわけにもいかず、どうしようと考えているうちに、その男子生徒は扉を閉めてしまった。 「七海 千歳さんですよね?」  男は笑みを浮かべていた。でも、その地を這うような低い声に背筋にゾクリと悪寒が走る。千歳は男の問いに答えないまま、咄嗟に席を立った。  なぜだかすごく嫌な感じがしたのだ。 「男だけど美人だな。さすが、あの佐久間 累が選んだだけある」  その言葉に千歳ははっとした。もしかして、この男は今、累と湊が調べていることに関係があるのではないだろうか。  もしそうであれば、この男と二人でいるのは、危険かもしれない。  でも、扉の前には男がいる。部室は二階だから窓からも逃げられない。スマホは椅子に置いた鞄の中にあるから、助けを呼ぶことも難しい。  なすすべがない。せめて距離を取ろうと千歳が後ずさると、男は平然とした顔でドアの鍵を閉めた。  ――逃げられない。  部屋の中は十分に冷房が効いているはずなのに、千歳の背中に汗が一筋流れ落ちた。

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