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第1話

『愛の対義語は憎しみではなく無関心だ。』 さっきまで目を通していた台本に書かれたセリフが頭の中でリフレインした。 エリ・ヴィーゼルが残したとされるこの言葉は、琉生(るい)の胸にある見えない古傷をいともたやすく抉った。 好意も嫌悪も論理的に言えば、心を揺さぶられているという意味では同じ。 無関心は心を動かされる事がない。 自分が読み上げる事になっているセリフを復唱しながら、昔の人は上手く言葉を残すと感心すると同時に疑問が湧いた。 それならば。 ――無関心でありたいと思うのに、どうしても心を揺さぶられる事を、彼は何と残すのだろうと思った。 ♢♢♢ 「しゅり、やってよぉ」 「もう、しょうがないなぁ」 意識しないようにと意識すればするほど、五感が酷く敏感になるらしい。 彼らの一挙手一投足を捉えるのだからやってられない。 メンバーの中で一番華奢な柊里(しゅうり)律夏(りつか)が、最年少でありながら一番背の高い優杏(ゆうり)にじゃれつかれて笑い声をあげた。 琉生はその声のトーンだけで、律夏が可愛い弟分を甘やかしたくて仕方ないのだとわかる自分に嫌気がさした。 部屋の隅、台本を胸に抱いて眠ったふりをしていた琉生は、薄目を開けて楽屋の中央を窺う。 ソファーに横並びになった二つの背中が、やけに近い。 ――近すぎでしょ。 そんな、嫉妬に似た言葉を声に出す勇気はなかった。 「ほら、できたよ……つーか、なんで俺がお前のコートのボタン付けさせられてんの?」 体に染みついた感覚だけが律夏の機嫌を拾ってしまう。 それ以上みていられなくて、琉生は硬く目を閉じて彼らを視界から追い出した。 だけど結局、閉じられない耳は仲睦まじい会話を拾ってしまうのだから意味はない。 ――昔は、自分にもあの顔を向けてくれていた。 目を閉じているからか、そんなことを思い出しかけて、琉生は自分の中でその記憶に蓋をするしかなかった。 「おはよ……お前ら朝からいちゃいちゃしてんの」 「おはよぉ、晴翔」 「おはよ晴翔。ボタン付けてやってただけだって」 最年長の晴翔が、からかうように律夏の髪をくしゃっとかき混ぜる。 新緑みたいな緑の目を細めて、律夏が笑う。 その仕草も笑い方も、昔から変わらない。 変わったのは、琉生の方だけだ。 律夏は鏡だと琉生は思う。 好きを伝えれば好きを返し、距離をとれば彼は追わない。 だからこれは琉生の罪だった。 自分の心を守る事を優先して無関心であろうと振舞い、律夏を傷つけた。 言葉を交わす事も、視線を合わす事も、酷い時には存在すらも無視した。 その結果からくる律夏の態度を、琉生は責める事は出来ない。 今更心を入れ替えて願った所で、 彼の一等美しい目に琉生がうつることはない。 ――思えば初めから分不相応だった。 琉生が事務所に所属した時には既に律夏は子役としてテレビに出て、数々のイメージモデルとして活躍していた。 3年前にグループを結成する事になった時もそうだ。 事務所を知ってくれている人達からは認知をされていても、世間から見れば琉生は『柊里律夏が所属するNexusの1人』でしかなかった。 それは3年経った今でも変わらない。 相変わらず律夏は全国を飛び回って仕事をしている中、琉生はグループ活動と名前がついてるだけの脇役と雑誌の仕事がいくつかあるだけの生活で燻ぶっていた。 琉生の勘違いから始まったとはいえ、いざ律夏から距離を取ってしまえば、琉生と律夏の間には大きく口を開けた崖が出来てどうしようもなくなっていた。 今日は3週間ぶりに音楽番組に出演する日だった。 それは即ち、琉生の仕事仲間であり、Nexusメンバー5人が久し振りに顔を合わせる日でもあった。 琉生が準備を終えて楽屋に戻ると、既に律夏を覗いた3人は待機しているようだった。 「お疲れ」 「琉生久しぶりー!」 「おはおは」 「お疲れさん!」 琉生が声をかけると、お菓子を物色する優杏、式次第を読み込んでいる友哉、準備体操中の晴翔が各々作業をしながら返事を返した。 その姿に、息が合っているようで別々の方角を向いている自分達らしいと琉生は小さく笑った。 お互いに距離を取ってスペースを使っている輪から遠い端の方に置きっぱなしにしていた荷物から琉生はスマホを取り出した。 時間をみると集合時間まで後30分を切った所だった。 さっきスマホと一緒に取り出していたイヤホンをつけて、琉生は目を閉じた。 大きく息を吸い込んでゆっくり吐き出す。 それからまた一気に空気を取り入れて琉生は喉を震わせた。 普段の柔らかな声とは違う、スピーカーのウーファーが震えるような重低音。 そこから少しずつ音を上げて限界までの高音を出す。 それで今日の喉の調子を計ると、今度は準備体操をしながら頭の中で、今日披露するイントロを反響させながら琉生は歌いだし自分のパートを響かせた。 「ごめん皆、練習始めてた?」 全ての音を遮断して本番までの気持ちを高めていた琉生の耳は突然役目を思い出したように音を拾い上げた。 琉生は今まで集中していたのが嘘のように動きを止めると、鏡越しに律夏を一瞥してしまった。 普段は短めに整えられただけの地毛のプラチナブロンドが大きくカールを巻かれ、胸にかかる長さにまで伸ばされた髪。 その髪を指先で毛先を弄びながら律夏は申し訳なさそうな表情で周りを見渡した。 「しゅり!遅いかったねぇ」 「入りは一番早かったのになんでだろうなぁ?」 「エクステがー衣装がーってスタッフが盛り上がっちゃってさぁ」 さっきまで、自分の世界にいた3人が律夏に群がる。 ――俺の時と反応違いすぎない? そんな、いつもなら出るヤジもかける相手に律夏が含まれるとなると舌は結ばれてしまったように動かなかった。 「琉生」 再び、自分の世界に入ろうとした琉生の意識を律夏はすくいあげた。 まるで屋台で泳ぐ金魚がポイの上で跳ねるみたいに琉生の心臓が音を立てる。 「なに」 下を向いて手持ち無沙汰に指を遊ばせながら、一拍置いて琉生は短く尋ねた。 自分でも驚くほど冷たく固い一言に、律夏が固まった気配がした。 「スタッフが、呼んでた」 何を言われるのかと身構えた琉生は身構えた自分が恥ずかしくなった。 こちらを見ることもなければ、笑うこともなく。 固い口調で返されたのはただの義務報告だった。 そういえばと、楽屋に戻る前に律夏の後に髪型を変更するかもと言われていた琉生は、立ち上がった。 「本番前にごめんなさい!」 廊下に出ると申し訳なさそうな顔をしたメイクスタッフが楽屋の近くに立っていた。 「いえ、えっと髪ですか?」 「はい!皆さんのヘアメを終えて、やっぱり一ノ瀬さんにもつけたいと思いまして!」 自分の仕事を誇りにしているのだろう熱意ある言葉に琉生は腰をかがめた。 慌ただしく数名の番組スタッフが駆け抜けていく中、メイクスタッフに廊下の脇で髪を触られる。 その間なんとなしに視線を送ると彼女は見覚えのあるエクステを持っていた。 「それ」 「はい!柊里さんのエクステです!一ノ瀬さんの準備の時足りるかわからなくてつけられなかったんですけど、数本あまって。ほかのメンバーにもつけたいねっとは話してたんですけど」 くるくるとよく動く口から放たれた矢のせいで琉生の思考も円を書き始めた。 要はメンバーに律夏のカラーを身につけさせたいが、数が足りないので琉生だけにつけることになった。 ――どうして自分なのか。 日頃の様子を知っているのになぜと素朴な疑問が巡る。 「やっぱり、話題になるのがいいなと思いまして」 考えに陥っている間も話は続いていたらしい。 よく動く口と比例して指もよく動く彼女から落とされたのは、琉生の最も触れてほしくない部分だった。 「事務所公認不仲がお互いの色とかエモいよねってなりました!ってことで終わりです。きゃー!やっぱりよくお似合いです!ありがとうございました!」 「……ありがとうございます」 自分たちの間にある空気の、何がそんなに面白いのか。 口にしたスタッフは、今日の新曲楽しみですと言いおいていなくなった。 ――公認の不仲、ね。 その一言を繰り返してから琉生は視界にちらつくようになったプラチナブロンドに手を伸ばした。 記憶の中にある律夏の髪はこんな手触りのいい髪ではなかった。 剛毛に近くて表面がごつごつしていた。 なんて。 思い出にした事ばかりが思考を埋め尽くす。 「しょうがないじゃん!俺昨日まで沖縄いたんだから」 微調整という名の、髪型をいじられた琉生が楽屋のドアを握ると、律夏達はドア付近でまだ話を続けていたらしく声が聞こえた。 名画から飛び出してきた天使の風貌に変身させられた律夏は、見た目に似合わない表情を浮かべてぷんすこしているらしい。 声だけで機嫌が悪い事がわかった。 入るか入らないか。 逡巡しながらも琉生は結局扉を開けた。 「ごめんね、しゅり。髪、くるんくるんになって羊みたいでかぁいいねぇ」 扉を開くと丁度、大型わんこ宜しく後ろから優杏が抱き着くところが目に入り彼とばっちり目が合った。 弓なりに湾曲した目が琉生をみて弧を描く。 その意味ありげな視線が煩わしい。 「邪魔」 自分でも驚くほど低く尖った声がまろびでた。 言ってしまってから、やらかしたと思ってももう遅い。 楽屋の空気が止まる。 全員から凝視されて、琉生は気まずい事を誤魔化す代わりに顔を顰めて脇を開けた律夏の隣を通りぬけた。 「……ごめん」 背中にかかった律夏の声は小さかった。 いつもの、誰に対しても揺らがないはずの透明感のある声は硬く氷のようでそれにまた苛立ちが増す。 「おい、琉生そんな言い方すんなって!」 「そーだよ、悪いのは俺らなのにぃ」 「扉付近で固まってた俺らがワリィんよ。ごめんな琉生」 律夏を庇う声に紛れて晴翔は苦笑いを零した。 いつもなら晴翔の全体を見渡して手を差し伸べるがありがたいと思うのだろうが、今は琉生の疎外感を更に増やすだけに過ぎなかった。 視線をやると、律夏は優杏の腕の中で気まずそうに唇を内側にしまっている。 そんな彼の姿に何か言い返す気にもなれず、琉生は椅子に腰を掛けた。 ――事務所公認不仲。 先ほど落とされた一言が、また胸の底に重く沈む。 本当は、律夏の目を見て「大丈夫」のひとことでも返せばよかったのかもしれない。 けれど彼の目を見た瞬間、自分の中に押し込めてきたものが決壊してしまいそうで怖かった。 だから琉生はただ目を逸らすしか出来ない。 「エクステめちゃくちゃ馴染んでて可愛いやん!一層伸ばしちゃえば?」 「えー長いと手入れとかめんどい」 「短かったらやってるみたいに言うなよ」 場の空気を変えようとした友哉の言葉が楽屋に響いた。 そんな彼の一言で雰囲気と会話は琉生が現れる前に戻る。 くるくると、長くなった襟足を指に巻きつける律夏を友哉は小突いた。 そうやって盛り上がる4人を琉生は一枚ガラスを隔てた場所で見ているしかなかった。 ――見なきゃいいのに。 仲間に囲まれ、嬉しそうな彼を見て落胆する自分に琉生は胸中でひとりごちた。 彼の気配を見つけるたび無意識で目が動くのをやめられない。 無意識であろうとしていつも失敗する。

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