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1 重き伝統(3)

 ロレンツォ・カセッラは、エドアルドの右腕にあたる当家の家令である。  家令は主人一家の財産や家計の管理のみならず、土地や建物といった資産管理から従業員の監督までを行う、使用人の中で最上級の地位である。  エドアルドに劣らぬほどの長身に、厳つい体格、ダンヒルのブリティッシュ・スーツをピシッと着こなす、ダンディを絵に描いたような男だ。  その表情はめったに感情を出さず、三十代後半とは思えぬ徹底した落ち着きのある佇まいを見せる。加えて、底抜けに仕事ができるわりにそれをひけらかさない思慮深さをも併せ持っていた。 「オリンピックに挑戦したらいかがですかな。しかしいま私が敵ならば、あなたは後ろから殺されていましたよ、エドアルド様」  腹に響くような重低音の声は、いつも通り穏やかだったが、内容には隠しきれない棘があった。ドアの鍵を掛けずに射撃に夢中になっていたエドアルドへの痛烈な皮肉である。 「三色旗(トリコローレ)を振って愛嬌を振りまく気はないな」  グロックの弾倉を外し、新しいのと取り替えようとしたところで、ロレンツォがしかつめらしく続けた。   「猛練習のところ恐縮ですが、バルトロ司祭がお越しになっています。例の礼拝堂の壁画について、話に進展があったと。至急、お伝えしたいことがあるとのことです。突然の訪問で申し訳ない、ともおっしゃっておられました。とり急ぎ、青の間でお待ち頂いています」  もう少し撃ちこみたかったが、そういう話ならしかたがない。良心の権化であるようなバルトロ司祭には、頭のあがらないエドアルドであった。 「わかった。かまわない、すぐに行こう」  ロレンツォが一礼をもって退室する。けして余分に留まりはせず、用が済めば引きさがる。それは一種、彼の美学でもあった。  二挺の銃をしまいにかかる。  どんなに忙しくても、使ったあとの銃の手入れだけは充分にして戻す。それがいざというときに役立ってくれる銃への最低限の礼儀だと、幼い頃に教わった。エドアルドに射撃を教えたのはロレンツォだった。  しまいながら、深く溜め息を吐く。  エドアルドにとって礼拝堂の壁画ほどどうでも良いものはない。  なぜ領地内に教会という面倒なものがあって、その面倒を大昔ならいざ知らず、現代に至ってもジブリオ家が見続けなくてはならないのか、いっそ、自分の代で縁切りしてしまいたい代物であった。  彼にとって今の関心事は、彼の隠れ家であるマンハッタンのペントハウスに戻り、夜も昼もなくガナー・ブラウンと愛し合うことだった。  さっきもシェスタで夢を見た気がした。  整った美貌を包む美しい金髪も、細身で感じやすい体躯も、喘ぐ声すら見事な、彼の陰影を。  忘れかけていた情欲に、再度、身体が痺れるように疼く。  ひとつしたたかにかぶりを振って、エドアルドはその情動を吹き飛ばそうと試みた。けれど、ぽかりと空いたような胸の冷たい痛みは、すでに凍傷となっていてなかなか癒えない。  そのやるせなさに、再び吐息する。  抱こうと思えば、誰だって抱ける。  地位と財産、高級車にハイブランドの服、宝石や最高級ホテルでの食事。  そんなものを目前にちらつかせて誘えば、たいていの女も男も、エドアルドの前で喜んで足を開いてみせる。もっともそこまでしなくとも、エドアルドの精悍な体つきと端正な相貌だけでも、ことは簡単だった。しかし、その後に残るものは、さらに深まる孤独と虚しさだけだ。  有り余る金も人を幸せにはできない。  それに気付いたのはそう最近のことではなく、逆に思いだせないくらい昔のことだった。  

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