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今世こそ平穏に生きる!
──今日もいつもと変わらない日常が訪れるのだろう。
数分前まで、放課後の空き教室の床に痛む身体を転がしながら、|蓮斗《れんと》はたしかにそう感じていた。けれど、目の前に差し出された骨ばった男らしい大きな手と、灰色がかった青い瞳に視線が絡みとられた瞬間、自分の日常のなにもかもが変化する予兆がした。
「大丈夫かい?」
角度を変えれば金色にも見える薄茶色の髪を揺らしながら、蓮斗の目の前に屈んだ青年。彼は|安藤輝《あんどうこう》。蓮斗が在学している|三美《みよし》学園の生徒会長。
地味で目立たない蓮斗にとっては関わることなど一生ない、雲の上のような存在だ。実際に遠目からしか姿を見たことはなかった。
全身が震えている。尋常ではない冷汗が背を流れていた。
「っ、ほっといてよ!」
動揺してしまい、差し出された手を勢い良く振り払い立ち上がる。蓮斗は今ものすごく混乱していた。なぜなら輝の顔を直視した瞬間、自身の前世がアリステラ・ローゼンバーグという公爵令息であったことを思い出したからだ。
「見た目よりも元気そうでよかった。学園内の見回りついでに空き教室を覗いていたら君が倒れていたからとても驚いたんだよ」
蓮斗の態度を咎めることもなく、輝は安心したように柔和な笑みを向けてくる。その笑みすら今は見たくもない。
「……あの、もう帰るから。気にしないで」
三美学園は四年制で、輝は蓮斗より一個上の学年だ。本来敬語を使わなければならないが、現状を呑み込めていない蓮斗にはそんな余裕すらない。
それなのに輝はふわりと笑みを浮かべながら「送っていこうか?」と提案してくれる。
「いい!大丈夫!一人で帰れる!!」
無駄に大きな声で断りを入れて、蓮斗は床に転がっている鞄を手に持つ。そのまま逃げるように輝の横を通り過ぎて、空き教室を出た。
少し離れた位置にある寮の自室へと転がり込む。同室の|都城隆也《とぎたかや》が話しかけてきたのを無視して、そのまま部屋にこもる。それから、着替えもしないままベッドへとうつ伏せになり足をばたつかせた。
蓮斗は非常に困惑している。恐怖や戸惑いの感情に押しつぶされてしまいそうだ。その原因はやはり、前世の自分であるアリステラの存在。
(なんで生徒会長がシリルと同じ顔をしてるんだよ!)
シリルはアリステラの幼馴染であり、一国の王太子だった。そして、アリステラの思い人でもある。しかしアリステラの思いは叶わなかっただけでなく、シリルの婚約者を殺そうとした罪で平民落ちしたうえ、一人惨めに飢えて亡くなってしまう。
前世での苦しみが一気に頭の中に流れ込んできて、吐き気までしてきた。
(最悪だ……なんで今更前世の記憶なんて思い出すんだ……。あんな苦しい思いはもう一生したくない!そ、そうだっ!あいつとは関わらなければいいんだ。平穏に……平穏に生きていこう)
そう考えた蓮斗だったけれど、ふと思い出してしまう。自分の状況は平穏とはかけ離れているのだと。
(今のままじゃ静かに学校生活を過ごすこともできないな……)
起き上がると、痛む身体を伸ばす。蓮斗は二年生の頃からいじめを受けている。今は三年生。つまり一年程その状態ということだ。理由はわからないけれど、もしかしたら地味で目立たないため、憂さ晴らしをするには丁度いいと思われたのかもしれない。今日も暴力を振るわれて力尽きていたところを輝に見つかったのだ。
(平穏に暮らすためにはいじめられないようにしないと)
前世ではいじめとは無縁の生活をしていた。むしろ、アリステラの方がいじめをしているのではないかと思われることも多々あり、その度にシリルに怒られることもあったほどだ。
(いじめたかったわけじゃないんだけど……)
アリステラはシリルに近づく者を牽制しては、礼儀やマナーを指摘して泣かせたりしていた。それを悪いことだとは思っていなかったし、アリステラ自身は気が強いだけで礼儀作法も完璧だった。そのため周りもなにも言えなかったのを思い出す。なにより権力があり、男とは思えないほどの美貌を兼ね備えていたから、ご機嫌を伺う人間は多かった。
(そうだ!綺麗になればいいんだ!!)
舞い降りてきた妙案に蓮斗は顔を綻ばせる。鏡を見ると、ボサボサで目を覆い隠すほど長い黒髪の自分の姿が映った。顔を左右に動かして全体を確認した蓮斗は、うぇ~っと声を出しながら苦い表情を浮かべる。今の蓮斗はお世辞にも綺麗とは程遠い見た目をしている。清潔感もあまりない。
確認を終え自室を飛び出すと、共用リビングでテレビを見ていた都城に話しかけた。
「ねえ、髪を切るためのハサミ持ってない?」
「はあ?そんなの持ってないけど。てか、そのうざったい髪ようやく切る気になったのかよ。それだったら美容室が敷地内にあるからそこ行ったほうがよくね」
「たしかにそうだね!君もたまには役に立つじゃないか!」
「さり気なくディスるのやめてくんない?」
前世の記憶を思い出す前、蓮斗は引っ込みじあんで人とあまり深く関わることができない質だった。けれど、都城とだけは同室なこともありそれなりに話をする仲だ。ただ、クラスが違うためイジメのことについて都城は知らない。それにいじめのことを知られたくはなかった。
蓮斗にとって自室で都城と話すときだけが、友達と過ごす安心できる時間だからだ。いじめのことを知られてしまえば、その時間はなくなってしまうかもしれない。それは絶対に嫌だ。
「髪を切りたいのはわかったから、とりあえず冷蔵庫にある飯食っちまえよ」
「そうだね。いつもありがとう」
満面の笑みでお礼を伝えてから、冷蔵庫の中にあったおかずをレンジで温める。そんな蓮斗のことを都城がいぶかしげな表情で見つめてきた。
「お前なんか変だぞ」
「ん?どこが??」
「どこって……性格だよ。いつもはもっと、なんていうか暗……いや、物静かだろう」
一生懸命オーブラートに包んで聞いてくる都城。蓮斗はレンチンの終わったおかずを取り出して、テーブルに置きながら言い訳を考える。
素直に前世のことを伝えるわけにもいかない。信じてももらえないだろう。
「平穏に暮らすために変わることにしたんだ」
「平穏?なんだそりゃ」
「とーにーかーく、僕はこれから新たな|香波蓮斗《かなみれんと》に生まれ変わるんだ!」
ほかほかのオムライスを頬張りながら高らかに宣言をする。そんな蓮斗に都城は若干珍生物でも見るような視線を向けてくるのだった。
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