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第1話 親友

スマホから垂れ流されている動画の音声。 ずっと繰り返し流れているショート動画はこれで何度目だろうか。 ぼんやりした頭で思う。 背中にソファの背もたれの柔らかさを感じつつ、ふわふわとした思考が自分の体勢まで忘れさせる。 「……ぎどぅ……っ、集中しろって……」 「ぅっ……、」 耳元に聞こえる親友――|直哉《なおや》の声。 そう、親友だ。 だが、二人は今、|義道《よしみち》の部屋でズボンの前を寛げて、そこへお互いに触れている。 義道の膝の上に直哉が乗り上げて、向かい合った状態で。 どちらのものか分からないカウパーが潤滑剤の代わりを果たし、上下に扱く直哉の手の温度が気持ちいい。 下半身に溜まる熱がこれ以上ないほどに高まり、義道が直哉に縋るように抱き締める。 直哉も限界だというように義道の肩に痛いほど額を押し付け――ほぼ同時に果てた。 しばらく、部屋には動画の音声と二人の息遣いだけが響く。 「……重い」 「ひ弱め」 サイドボードからティッシュを数枚取り、直哉が自分の手とべたべたと汚れたところを拭っていく。 そうして、自分の身支度が終わるとゴロン、と転がるように義道の上からソファへと移動した。 良い体格した成人男性がやめてくんねぇかな。ソファのスプリングが壊れる。 義道も手と汚れを拭きとって、服装を正し、手を洗いに洗面所へと向かおうとすれば、直哉が手を伸ばして、自分も連れて行けと訴えている。 「自分で立てよ……」 そう言いながらも立たせてやれば、お礼も何もなく、さささ~と一人で洗面所へと行ってしまった。 なんなんだあいつは。 直哉と入れ違いで手を洗い、部屋へと戻れば、直哉は再び酒を飲みながら動画を見ていた。 「……てかさ、俺ら何の話してたっけ?」 直哉がこちらに視線を向けないまま、そう言った。 義道は記憶を掘り起こしながら、自分の酒に口を付ける。 飲み残しの缶チューハイはぬるくなっており、僅かに炭酸も抜けているような気がした。 「覚えてない。どうせ、ナオが彼女ができなぁ~いって言ってたんじゃないか?」 「なんだよ、どうせって! 由々しき事態だろ。半年いない!」 「一年経ってから言えよな」 「独り身歴三か月のギドーに言われたくないんだけど?」 本気で不服です、というような表情の直哉がやけくそだ、と酒をあおった。 「ま、プロポーズ考えてた彼女に逃げられたんだし、独り身体感一年ってこと?」 「マジでくたばれ」 義道は三か月前に一年付き合った彼女にフラれた。 そろそろ、マンションの契約更新ということもあり、同棲して結婚しようと考えていた矢先だった。 「ヨシって、私との未来考えてる? ナオ、ナオ、ナオってさ。……週末は絶対にそいつと飲むし、連休あっても私とそいつに半分ずつ。意味わかんないんだけど。親友を一番にしていいのは、子供のころまででしょ。いつまで子供気分なの?」 というのが、別れた彼女の最後の言葉だった。 義道は本当はいろいろ考えていた。 結婚資金だと思ってお金も貯めていたし、将来彼女が専業主婦したい言ってもいいようにと思って、給料を上げるために勉強もしたし、務めている会社では出世頭と呼ばれてはいる。 けれど、それを言ってなんになるんだろう。 それで引き留めて何になるんだろう。かっこ悪くないか? 自分の功績をつらつら並べて彼女を引き留めるなんて、かっこ悪すぎないか? そう思うと何も言えなかった。 その結果、義道は彼女と別れることになり、その時の心の傷は未だに癒えてない。多分。 「ま、飲んで忘れよ~。あと、二ヶ月も飲んでりゃ、忘れるって」 「……指輪買ってなくてよかったって思うことにしてる」 傷心の義道の傷を癒しているのか抉っているのか分からない直哉がつまみとして置いてあったポテトフライをつまんで義道の口元へと差し出してくる。 ため息を吐きつつ、差し出されたものを食べれば、にひひ、と笑った。 「美味いか?」 「冷めてる」 「盛ったお前が悪いなぁ」 「いや、どっちかって言うとお前」 「いやいや、ギドーですよ」 「ナオだって」 どっちもどっちである。 何年も続くやり取りは今日も交わされる。 金曜の夜。 明日は休みだという認識が二人を少しだけ子供に戻す。 翌日に二日酔いで痛い目を見るところまで、何も変わらないのである。 ◇◆◇◆ 桜の季節だった。 今まで過ごしてきた校舎とはまるで違う建物と敷地。 大学に入学して一週間、吉田義道(よしだよしみち)は高校とはまるで違う授業システムに頭をパンクさせながらラウンジでぼんやりと周囲を眺めていた。 春の浮かれた穏やかな空気は少しだけソワソワして、何かしないといけないような、そんな気にさせる。 ここに来る前に、敷地内にあるカフェで買ったカフェラテに口を付けながら、少し離れたところにいる女子グループの声に戯れに耳を傾けた。 「めっちゃイケメンいるよ」 「知ってる知ってる! 豊水高の縁元くん。地元でもすっごいイケメンで有名だったよ」 なんだ、イケメンの話か。くそ。 別に僻んでないし、俺だって普通よりは少しイケメンって言われてたし。 誰も話しかけてこない、話しかけても逃げるのはイケメンじゃないからじゃないし。 ささくれた気分で、女子グループの視線の先を辿る。 ラウンジの入り口で、どこに座ろうかとキョロキョロしている男が一人。 ……マジもんのイケメンだった。いや、あれだ。芸能人に劣等感を抱かないのと一緒で、あれは素直に賞賛に値するイケメンだ。 明るく染められた髪は綺麗にセットされ、手には義道と同じようにコーヒーのカップが握られている。 しばらく、そのイケメンの動向を見つめていると、バチリ、と目が合い、にぱぁという効果音がつきそうな笑顔を浮かべて、こちらへと真っ直ぐ歩いてくる。 え、怖いんだけど。 そして、義道の隣にどかりと腰を下ろして、 「なぁなぁ、さっきさ、自動ドアに頭ぶつけてたろ? すっげぇ、面白かった」 そう言ってきた。 それが、縁元直哉(えんもとなおや)との出会いだった。 初めは気取ったイケメンだと思い、警戒していたが一時間も話せば、それは幻想だと分かる。 縁元直哉という男は、見た目の華やかさとは裏腹に考えなしの馬鹿だった。 いや、この大学にいるということは頭はいいのだろう。 授業で分からないところがあれば、教えてくれるし、義道が教えてもすぐ理解する。そういう頭はいい。 けれど、馬鹿だな、という印象が消えない男だ。 名前のことだってそうだ。 「おれ、縁元直哉。ナオでいいよ。お前は……吉田……ぎどう? 珍しいな」 「よしみち、だ。よしみち」 「割とフツー……」 「失礼」 「じゃあ、おれはギドーって呼ぶから。よろしく~」 「え、そこはギドウじゃないか?」 「うーより、おーって伸ばしたほうが楽じゃん」 「まぁ、好きにして」 よく分からない理由で「ギドー」になった。 読み方で言ったら「ギドウ」なのに。 その日から、なぜか二人は一緒にいることが当たり前になった。 四年間、ほとんど毎日一緒にいた。 自他ともに認める親友となり、大学を卒業し、就職した今も週一は必ず会う仲である。 あの第一印象からよくここまで友情が続いているものだと自分でも意外に思う。 「ギドーとおれはきっと、生き別れた双子なんだよ。気が合うっていうより、阿吽の呼吸?」 「なんか違う」 週の半ばの水曜日、あと二日あるという、おかしな現実を忘れるべく二人は義道の家の近所の居酒屋で飲んでいた。 完全個室で、飲み放題で、魚が美味いくて、安い店。 義道と直哉は月に三回は通うほど、この店を気に入っていた。 「あ、ギドー」 「ん?」 「それ飾り」 その忠告とほぼ同時に義道の口の中にただ硬い緑の飾りが入る。 「…………」 義道は静かにそれを吐き出し、何もなかった顔で食事を続け、酒をあおる。 対面に座る直哉がにやにやとその大きな瞳を半月型に緩めているのは無視だ。 「なぁ、ギドー」 「…………」 「お前に、あんまり人が寄り付かない理由教えてやろうか?」 「口閉じとけ。わさびつっこむぞ」 「いやん、怖い」 わざと高めの声を出し、肩を縮こまらせる直哉にイラっとする。 ふん、と鼻を鳴らし、義道は更に残っていた刺身をすべて箸で取り、口に運んだ。 「あ! なんてことすんだ!」 「馬鹿にされた仕返し」 「してない! 事実だし! なんなら、親切だし! お前が天然ドジなくせにかっこつけて、クール気取ってるから、周りもどう反応してやったらいいか分かんなくて人が寄ってこないんだし!」 「……ぬぁにが、親切だ! お前の口にわさびとからしつっこんでやる!」 「うわっ!? やめろ!」 義道が直哉の隣に回り込み、顔面をひっつかんでわさびの山をどうにかこうにか直哉の口に入れようと押し問答していると、座敷の入り口が開いた。 「……えっと、ラストオーダーです」 若いアルバイトの給仕が困惑したようにこちらを見ている。 義道は居住まいを正し、 「コークハイ二つ、お願いします」 そう言って、元の位置に戻る。 座敷の引き戸が閉まり、隣の座敷から聞こえる何を言っているか分からないくらいの話し声や、渋い歌謡曲が二人の間に流れる。 コークハイが来る前にグラスの中を空にしておこうと思い、傾ければ、向かい側からぽつり。 「そういう所だって」 ナオ、許すまじ。 「あ、今日も泊っていいだろ?」 「……泊らなかった日なんてあった?」 「ふはっ、ない!」 けど、一応な、と直哉が酒に口を付けながら笑う。 図々しいのに律儀なのだ。 「はぁ~あ、……何で明日仕事なんだろう」 直哉が冷えた煮つけをつつきながらぼやく。 分かる分かる、と頷きながら義道もぼやく。 「月曜と火曜と水曜と木曜が一番やる気出ないよな」 「金曜は?」 「昼の三時くらいから元気になる」 「分かる! おう、兄弟」 「それで兄弟なら、何人兄弟になるんだろうな……」 「人類みな兄弟」 なんて、どうでもいい会話が続く。 きっと、どうでも良すぎて明日は何を二人で話したのか覚えてないだろう。 「あっ! そうだった! 今日はさ、こんなどうでもいいことを話そうと思ってたわけじゃないんだった!」 酒の入った直哉は騒がしい。 コンコン、と戸がノックされ、最後のコークハイが二人の前に置かれる。 空になった器を下げられ、再び戸が閉まった途端、何かを思い出したらしい直哉が喋り出す。 「ギドーって、部屋の更新した?」 「……んだよ、また傷を抉る気かよ」 「違うって。更新いつ?」 「再来月。この前、はがきが来たから、どうしようか迷ってる。なんか、もうさ……心機一転、引っ越した方が気が楽かも、とか」 結婚資金として貯めてた金もあるし、昇給したし、もっと会社に近いところに部屋を借りてもいいかもしれない。 転職するにしても、中心地に近い方が通勤時間も短縮されるし。 そう思って、最近は寝る前に軽く部屋を探したりしている。 今度の休日にでも不動産屋に行って、いい物件がないか見に行こうと思っていた。 見つからなかったら、更新してもいいし。 「おれもさ、ちょうど更新時期なんだよ」 「へ~、そうだっけ? 次の休みに一緒に不動産行く?」 「あ、そうなんだけど、そうじゃない」 直哉の不思議な言葉に、義道は首を傾げる。 一緒に行くけど、そうじゃない? どういうことだろうか。 「もう、いっそのこと一緒に住まないか? って話がしたかった」 ようやく思い出せてすっきりした、と言わんばかりの表情。 「だってさ、最低週一、お前と会って、お前んちに泊ってるんだ。もうさ、おれの家って、おれの物置じゃん? お互いに彼女がいないと、週四くらいで会ってるし、泊ってるし、もういっそのこと一緒に住んだほうが楽じゃん?」 はて、そうだっただろうか。 週四も会っていたか? 義道は先週を思い出す。 月曜日、ハンバーグが食べたいという直哉が材料を買って押しかけてきた。 水曜日、上司とケンカしたという直哉が酒を買って押しかけてきた。 金曜日、週末だからと宅飲みをした。 土曜日、昼過ぎに二人で起きて、放映されているアクション映画を見に行った。 そして、今週月曜日も直哉は泊った。 「ほんとだ……。お前、泊りすぎ。生活費寄越せよ」 「そう思ったから、一緒に住まないかっていう提案。どう? おれとお前の給料なら、ちょっといいところに住めると思うんだけど」 「よし、のった」 最早、反射だった。 だが、にんまりと笑う直哉はそう言うと思っていましたとばかりにご機嫌だ。 「あ、ついでに、付き合う?」 あぁ、いいぞ、そう口から出かけて、義道は止まる。 直哉は何を言ったか? 追加注文する? くらいの軽さで何を言い出したか? 「え、無理そう?」 「……逆に、何で即決してもらえると思った。お前、やっぱりバカ」 「おれより、お前の方が失礼だ。失礼って言葉はお前にやるよ」 「いらない。お前の方がイケメンだから似合ってるよ」 「イケメン関係ないよな? まぁ、おれはカッコいいけどさ」 「調子にのるなよ。お前なんてせいぜい、上の中だ」 「カッコいいじゃん~」 「あ、間違えた。上の下」 「……なんか嫌なんだけど」 ぶすくれた直哉に義道がグラスの結露をおしぼりで拭きながら問う。 「なんで、そんな考えに至ったのか聞いてやろう。どうせ、俺のことが好きで~とかじゃないだろ」 義道の言葉に直哉がふん、と鼻で笑う。 コークハイを飲み干して、愉快そうに答えた。 「当たり前だろ~。……おれ、ギドーのこと好きって気付いて……って、告白してほしかったか? はははっ!」 イラつきながら義道もコークハイを一気にあおり、馬鹿にしたように笑ってやる。 「はんっ! お前のバカに付き合ってやってるんだ。感謝しろ! で?」 「天然ドジが何言ってんだか~。はぁ~あ。……ほら、おれらって、キスしてないだけじゃん? まぁ、抜き合いを性行為にカウントするのか分かんないけど」 「……挿れてないし、抜いてるだけだから、性行為じゃない……で、良いと思うけど」 「だろ? けど、まぁ、そこまで出来るなら、一緒に住んで、どういう関係か聞かれたら、恋人です、で良くね? って思ったんだよなあ」 「それって、他人への説明用? それとも、名実ともにそうなる予定?」 「彼女作りたいって思ったら浮気なぁ〜」 つまり、名実ともに「恋人」になるということだ。 グラスを傾けるが、氷が唇に当たるだけで酒は口に入ってこない。 さっき、全部飲んだんだった。 義道は立ち上がり、伝票をつかむ。 「とりあえず、帰ってから話そ。喉渇いた」 「帰りに酒買う?」 「お茶買う」 もうこれ以上飲んだら明日、仕事にならない。 よっこらしょ、と直哉が立ち上がり、財布から五千円を抜いてよこす。 「今日はおれの奢りな」 そう言って、スタスタと個室を出て行く。 「……いや、足りねぇよ」 親友とのいつも通りに、いつもの温度じゃない会話が混じった。 けれど、二人は考えないし、気にしない。 それが楽だし、楽しいし、なんとかなるからだ。

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