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第一章 高校最後の夏休み②

茹だるような炎天下を抜けて、ようやく安全地帯に辿り着く。 その間も太陽は「青春」と「彼女」とうるさく、腕を引かなければ歩きもしなかった。 腕を引くために掴んでいる手のひらは手汗がびっしょりだ。 まったく何もしない幼馴染みの鞄を漁り、カギを取り、家に入る。 三階建てのマンション。比較的新しいそこは、太陽が小学一年生の時に越してきた分譲マンションだった。 あの頃のことを思い出すと今でも笑えるが、引っ越すと聞いた太陽は大泣きで幸弘と離れたくないと泣いていた。 ただ、元の家とここは徒歩数分であり、幸弘の家とはだいぶ近くなったのだ。 「太陽、着いたから自分で歩けよ」 「うぅ……。ユキ、帰らないよな? 昼飯は食ってくだろ?」 昔から何も変わっていない。 帰らないよな、そう言っているのに、その瞳には縋るような色がある。 「何のためにスーパー寄ったんだよ。一人で食べるより、二人で食べたほうが楽しいじゃん」 「……へへ」 フラれたばかりの太陽に上田の惚気はきつかったらしい。 いつだって、太陽の恋は短命だが毎回全力なのだ。フラれるまでどれだけ彼女を放っておこうと、その子のことが大好きなのだ。 そして、なぜか「青春」にこだわっている。 彼女が出来たら、青春が出来ると思い込んでいるし、彼女と過ごすことが太陽の中では青春らしい。 幸弘は勝手知ったるなんたらで、リビングに入り、キッチンに買ってきた弁当を温め、手を洗う。 洗面所で手を洗ってきた太陽が、リビングのエアコンをつけ、キッチンに入ってきた。 「ユキはさっき、お茶買ってたよな? コップいる? 氷入れようか?」 「いる」 「……本当は、母ちゃんがユキもどうせ来るんだから昼飯作ろうか? って言ってくれたんだ。けど、せっかくの終業式じゃん? 昼に終わるじゃん? ファミレスにでも行こうかなって思ったから断ったんだ」 なんてことだ。 太陽母の料理はとても美味しいのだ。毎日食べられるこいつは、それがどれ程幸せなことかを理解していない。 毎日の弁当ですら羨ましいのに。 「けどよぉ、ファミレスの気分じゃなくなった……」 お茶を淹れたコップを両手に持ちながら、太陽がしゅん、としたように言う。 耳の垂れた犬のようだ。 「……食べたかった」 「ユキは母ちゃんの料理好きだもんな」 「流石に、作ってほしいなんて図々しいから、お前が覚えれば万事解決なんだけどな。食材買って、お前に作らせる。片付けは俺がする。完璧」 「……めんどいよ」 そうこうしているうちに二つの弁当が温まり、二人はリビングに移動して手を合わせる。 幸弘も太陽の家も共働きで、小学生に上がってからはこうしてお互いの家で過ごすことが多かった。 お互いの家は徒歩五分圏内にあり、仲のいいママ友同士だった二人の母親は持ちつ持たれつと言って、今の今まで続いている。 「で、青春、青春ってずっと言ってるけど?」 スーパーの大盛り唐揚げ弁当を食べながら、太陽に問えば、焼き鳥丼を頬張っていた太陽が思い出したと言わんばかりにお茶で口の中を流し込む。 「……むぐ。……、そう! ほら、おれたちさ高校三年じゃん? 子供でいられる最後の年じゃん?」 「責任なく過ごせる最後の年だな」 「そう! しかも、ほとんどの青春物語は高校生が主人公だよ! おれたちは主人公になれる三年間を主人公になれずに過ごしてきたんだ!」 「……なんか、すっげぇ、バカ丸出しな願望」 「はぁ!? ユキはこれがどれ程重大なことか分かってないよ! 青春したい! できるならした方が絶対楽しいじゃん!」 「てか、太陽の言う青春って何。彼女作って、彼女と遊ぶこと?」 彼女が出来るたびに青春だなぁ~、といってたことを今更思い出し、太陽の中の青春の定義があまりにも太陽だなと呆れてしまう。 「遊ぶことじゃなくてさぁ……。こう、青春マンガとかこれぞ青春って言ってる小説って、大概部活とか恋愛じゃん? おれは部活にそこまで思い入れないし、なら残るは恋愛だろ? つまり、彼女!」 太陽は運動神経はいいのだが、飽き性だった。 小学生のころから習い事をしては一年でやめるを繰り返し、なんでもこなせる器用貧乏になってしまった。 ただ一つだけ、続けていることがあるとすれば、いまも半月に一回ある地域の将棋教室だけだ。 しかも、これは続けているというより幸弘が行っているから行くと言うだけなような気がする。 それでも、楽しそうだし、下手なりに毎回通っているので太陽的には合っていたのだろう。 当の幸弘も運動は出来る方だが、インドアなため運動は続かないのだ。 「ほら、好きになったらドキドキするし、毎日楽しいし、女の子は可愛いし」 「青春したいから彼女作ってたわけ?」 「う~ん、それもあるけど、やっぱり可愛いもんなぁ」 たしかに、太陽の歴代の彼女は可愛かった。最長三カ月しか続いていない子を彼女と呼んでいいのか疑問だが。 「青春したかったぁ……」 めしょ、と再び落ち込んでしまった太陽に冷えたお茶を勧め、幸弘は考える。 青春とは果たしてなんだろうか、と。 本当に、部活、恋愛だけが青春なのだろうか。 「ユキも彼女出来ても続かないしなぁ……。おれたち似た者同士だな!」 一緒にしないでほしい。 幸弘は彼女が出来ても最長半年は続いている。 その間、穏やかに進んでいるのかと言われればだいぶ違うが。 「だってさ、高校三年間で三人と付き合っただろ? けど、み~んな、ユキの連絡無精さに呆れて、好きなの! って怒って、泣いて、ユキが困って、フラれるじゃん。同じだなぁ~」 いや、違う。 連絡や彼女に使う時間でフラれるところは同じだが、太陽はできないわけではない。付き合う前はきちんとその子に対して向き合っている。 幸弘はそれが出来ないのだ。告白されるから付き合って、可愛いな、好きだな、と思った頃にフラれる。 「あ、おれ知ってるんだ。おれのクラスの飯田さんがな、お前のことカッコいいって言ってた。目つきわるいけど、笑ったところがカッコいいって。ダメだかんな! フラれたばっかのおれを差し置いて、彼女作るとか許さないからな!」 「自分勝手すぎ」 「おれはユキには自分勝手でいーの!」 溜息を吐かずにはいられないが、いいことを教えてもらった。 飯田さんね、と心の奥に留めておくことにする。 唐揚げ弁当を平らげて、太陽が食べ終わるのを待つ。 「なぁ、ユキぃ~。青春したかった……。おれの青春って本当に終わっちゃったのかな」 「まだ、卒業してないから大丈夫じゃね?」 「けどさ、二学期からは本格的に受験の準備しないといけないだろ?」 二人とも、進学することは決めていた。 けれど、本格的にどこに進学するのかはまだ決めていない。 「オープンキャンパスも彼女と行きたかったのに……」 「いや、親と行けよ」 「親とは入口で別れて、中では彼女と回りたい……」 「絶対やめた方がいい。浮かれてんの丸わかりで、要注意人物になる」 「そんなことないだろ~」 そもそも、親といるところを彼女に見られても構わないのか。 そこの羞恥はどうなっている。 「しょうがないから、夏休みにあるオープンキャンパスは全部ユキと行くだろ……」 「しょうがないってなんだよ」 ごちそうさまでした、と手を合わせる太陽の弁当の容器を回収し、ビニール袋に入れて口を縛る。 当たり前のように差し出される太陽の手に、それを渡し、太陽の部屋に行く。 家の一番奥にある六畳の部屋。 脱ぎ散らかされた服と、学校からもらったプリントが散乱した汚部屋はほぼ毎日見ている光景だ。 足の踏み場もないそこを遠慮なくものを踏みながら進み、ベッドに腰を下ろして、エアコンをつける。 サウナのようだった部屋にエアコンの稼働音が響く。 その音と共に、太陽がゴミを捨てて部屋へと遅れて入ってきた。 「小学生のころさ、自由研究があったじゃん? 今ならいいの思いつくのになぁ」 何の脈絡もなくそんなことを言う。 「聞いてやる」 「おれの部屋がどのくらいの期間で汚くなるのか。どうやって汚くなるのか、何から散らかって、おれが綺麗にしようと自然に思うまでどれくらいの期間が必要なのか」 「おっ、いいな。楽しそう」 「おれに子供が出来たら、小学生の自由研究にしてもらお」 「子供に託すのか?」 「おれは、もう自由研究をしなくていい身分だからな」 幸弘としては、その自由研究の結果を見てみたいのだが、太陽はそんなことをする気はもうないのだという。 意味のない会話だ。 「……おれさ、考えたんだ。どうすれば、青春を取り戻せるのかって」 「取り戻すって、終わってないのに」 「おれの青春は三日前に終わったんだ!」 昨日の失敗はなかったことにされたらしい。 「幸弘くんに宿題です」 「…………」 「明日までに青春の定義を考えてきてください」 「へ?」 「この夏の宿題はおれの青春を取り戻すことです」 「……俺は?」 「ユキは別に青春しなくたっていいんだろ~」 なんて自分勝手なんだ。 ベッドに陣取る幸弘の隣に腰を下ろし、そのまま寝転がりながら言う。 食べてよく寝る。太陽がここまで成長した理由だろうか。 百七十六センチと百七十八センチ、たった二センチが恨めしい。 「な、青春するために頑張るのも楽しそうだろ?」 「……アイス」 「よし、お高いアイスを買ってやろう。明後日、バイト代入るし」 どうせ、幸弘のバイト代だって、スマホ代と太陽との遊びで消えるのだ。 青春をしたいと言うなら、きっと金が必要になる。 夏休みのために貯めたバイト代が飛んでいく様子が脳裏に浮かんだ。 「明日、楽しみにしてるな!」 「お前の青春なんだから、お前も考えろよ?」 「分かってるって!」 夏休みの課題は全く頑張らないくせに、こういうことだけは楽しんで企画し、やり遂げてしまうのが太陽だ。 きっと、夏休みが終わる頃には、太陽の言う「青春」がなんなのか分かっているだろう。 冷房の利き始めた汚い部屋で、満足げに笑う太陽が脳裏に浮かぶ。 未だ隣の太陽は、不服そうだが、幸弘はいつものことだと受け流す。 高校最後の夏休み。 それは、太陽と過ごす最後の夏休みになるかもしれないと幸弘は知っているからだ。

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