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第三章 彼女じゃないけど①

真っ青な空がどこまでも高くて、地平線に浮かぶような大きな入道雲が真夏を感じさせる。 本日の気温は三十六度だそうだ。 暑すぎてどこにも出かけたくない幸弘は課題を持って太陽の家に来ていた。 たった五分の道のりで、着ていたTシャツは汗で湿り、太陽の家に着くなりシャワーを貸してもらったところだ。 こういう時のために置いてある着替え一式はとても役に立つ。 「太陽、上がったぞ。お茶ちょうだい」 「机の上の飲んでいーよー」 自作の夏休みのしおりの項目をじっと見ながら、こちらには視線も向けずに言う。 ベッドに寝転がり、う~ん、う~ん、とたいして難しいことを考えていないだろうに、眉間にしわを寄せた太陽を背に、コップに入っている麦茶を一気飲みし、結露して簡易テーブルを水浸しにしている麦茶のポットから新たに注ぐ。 「なぁ、ユキ?」 「ん?」 「一緒に宿題して、海行って、夏祭りも行ったし、オープンキャンパスも行ったろ?」 「うん、行った」 「おれ、思ったんだ。……いつも通りじゃね?」 今世紀の大発見、とでも言うかのような太陽の反応に、幸弘は呆れたように返す。 「今更?」 「え、おれの彼女としたかったことリストを青春アレンジしたのに、ユキとすると全部いつも通りになる!」 まるで、相手が幸弘では青春が成り立たないと言っているかのようだ。 失礼な奴だ。 「青春ってなんだろう……。もしかして、おれって、青春してる? え、青春って、すっげぇ楽しいわけじゃない? え、おれの知ってる青春じゃない」 「お前、俺に失礼。本当に失礼。謝れよ。そして、最初の約束のアイスを早く用意しろよ」 ムッとしてそう言えば、太陽がだってぇ、と情けない声を上げる。 ベッドを背もたれに座ったまま、その辺にあるマンガを手に取り、パラパラとめくっていると、うぅ、と泣きまねした太陽がベッドの上から幸弘の首に巻き付いてきた。 「おれの青春……」 ぐりぐりと首筋に押し付けられる頭。痛い。 「俺のアイス」 「ユキはおれの青春なんてどうでもいいんだ!」 「そりゃ、お前の青春だからな。俺は付き合ってやるくらいしかできないだろ? 俺が楽しいと思ったところで、お前がすっげぇ楽しいって思ってないなら意味ないし、思えって言われて思えるもんでもないし?」 少し意地悪く言えば、耳元で「酷い!」と騒ぎだした。 「酷いのはどっちだろーなー」 棒読みでそう言えば、何も言えなくなった太陽が最終手段だとばかりに噛んでくる。 「い゛っ!? おまっ、まじで、その噛み癖どうにかしろよ!」 「ユキが悪い! ふん!」 ひりひりと痛む肩口を押さえて、太陽から距離を取る。 本気で不貞腐れたような表情をしている太陽が唇を尖らせ、小さな声で、 「アイス買いに行ってくる」 そう言った。 「は? まず、ごめんだろ」 「アイス買ってくる!」 そう言って、その辺にあったトートバッグをひったくるように持って、部屋を出て行った。 痛む肩を押さえたままの幸弘は太陽の汚い部屋に一人残された。 「なんなのあいつ」 そうぼやきながら、シャツの襟首を引っ張って、噛まれたところを見ると、歯形とうっすら血が出ているように見えた。 「……はぁ」 保育園児かよ。 本当に、太陽は何も変わっていない。 見た目が大人に近づいていくだけで、中身は四歳くらいで止まっているのかもしれない。 幸弘と離れたくないと泣いていた、あの頃の太陽が思い出され、何とも言えない気持ちになった。 きっと、子供でいられるのは高校までなのに。 太陽は変わらないままで大丈夫なのだろうか。 大人になった太陽を想像してみようとするが、どうしても幸弘には出来なかった。 所有者の消えたベッドに寝転び、天井を見つめる。 シン、と静まり返る部屋に外からは小さく蝉の鳴き声が聞こえ、冷房の涼しさと、外は暑いだろうな、なんていう想像でじんわりと眠気が目元を覆った。 肩は未だにジンジンと痛み、太陽に帰ってきたら手当でもさせようと小さくなる意識の中で思った。 ◇◆ ダダダダダ、という騒がしい足音で眠りの縁から引き上げられる。 けれど、どうしたってこの足音は太陽のもので、幸弘はそれに対して起きようなんて言う気持ちが湧かない。 その辺にあったタオルケットを体に巻き付けて、再び眠気の中に飛び込む。 だが、ドフッ! バンッ! という勢いよく扉が開けられ、閉められる音が続く。 そうして、ボフンッとベッドが沈んだかと思うと、思いっきり抱きしめられた。 流石に、何かあったかとしか思えず霞む目を開いて、抱き枕とでも思っているのではないかと勘違いするほどにしがみついてきている太陽を見る。 「なにがあった……」 眠くて掠れる声。 そして、太陽がゆっくりと顔を上げた。 その表情はどこか嬉しそうだった。 「……で、アイスは?」 緊急性がないと判断した幸弘は一番大事なことを聞く。 「あのな、沙耶ちゃん覚えてる?」 「……お前の元カノ」 「そう。コンビニで、沙耶ちゃんに会ったんだ!」 太陽の元カノの中でもだいぶ気性が荒く、よく太陽は彼女に怒られ、しょぼんとしていたのを覚えている。 大体は連絡を帰さない、デートを断る太陽が悪いのだが、言い方ってもんがあるだろうと思わず太陽を庇いたくなってしまった過去を思い出す。 「でな、沙耶ちゃんにこんなところで何してんの? って声かけたんだ」 「尊敬するわ」 「沙耶ちゃん、友達と一緒で、どっか行くのかなぁって思って、それなら参考にしようかなって思ったんだ」 「で? ……あ、ちょっと待って、お前、汗だくじゃん。風呂入って着替えて来いよ。きったねぇ」 太陽の頭に置いた手が汗で濡れたことでようやく、眠気が冷めた。 抱きついてきている太陽をはがし、上体を起こす。そうして、太陽に視線を向ければ、出て行った時の不機嫌さはどこへやら、いつものニコニコ太陽だ。 「後で入るから、とりあえず聞いてくれ! でな、沙耶ちゃん、ゲーセン行くって言ってて、ゲーセンもいいなぁって思ったら、おれに太陽は何してんの? って」 要点だけ話せ。 そう言いたいが、あまりにも太陽が嬉しそうに話すもんだから口をはさめない。 「ユキと一緒に宿題してるって言ったら、沙耶ちゃん怒り出して」 「……岡田さん、情緒不安定だな」 「まぁ、いつもだし? で、沙耶ちゃんが言ったんだ。ユキユキユキユキユキユキユキ、うっせぇわ! そんなにユキユキ言ってんなら中村と付き合え! って言われたんだ。てか、沙耶ちゃん凄いね。これ、沙耶ちゃん、一気に言ってたんだよ。息継ぎなし! おれ疲れた」 「……で?」 「あとは、お前はもう二度と彼女を作るな、とか」 「呪詛じゃん」 まぁ、太陽が付き合ってからの態度を改めない限り、彼女を作らないほうがいいというのは同意できるが、そんなの別れてしばらくたっている他人には関係ない。 太陽だって、彼女を大事にしていないわけではなかったはずだ。 連絡を返さないと言ったって、付き合うまでのアプローチ期間ほどすぐに返さないだけという話で、何時間後かには返していたし、三週に一度の土曜にはデートしていたはずだ。 その時だって、幸弘を家に呼んでは、次の日に着て行く服をこれでいいかな、と選んでいたのだ。 「ははっ、ユキっておれの彼女の中で沙耶ちゃんだけは苦手だなぁ」 「俺、気性の荒いの無理。もっと、穏やかな子がいい」 「飯田さんとか?」 幸弘を気になっているらしい太陽のクラスの女子。 ただ、幸弘は三年間一度も、その女子生徒とは同じクラスになったことがないため、何も分からない。顔すら分からない。 「おれさ、ユキと付き合えって言われて、目からうろこだった!」 「だろうな。流石女子って感じの目の付け所」 でな、とトートバッグから一冊の本を取り出して幸弘に見せてくる。 それは、マンガで、よく分からないが、男っぽいタッチのイラストの人物が絡み合っている表紙だった。 「おれ、女の子と付き合うことしか頭になかったから調べたんだ。そしたら、BLって出てきたから、近くの本屋に行ってきた!」 壁にかかった時計を見ると、太陽が出て行って一時間半経過していたらしい。 そりゃ、この汗の量である。 「で、店員さんに一番売れてるもの聞いて、買ってきた! 休憩がてらにコーヒー飲みながら、これ読んで勉強してきた」 こんなもん外で読むなよ。 見たことはないが、上田が良く愚痴をこぼしていた。 姉がBLを好むらしく、部屋はそういうマンガで溢れていて、中身はエロ本と大差ない、と。けれど、それを言ったら冒涜だと言って殴られた、と。 「でな、おれ、考えたんだ。最近さ、同性でも別にいいじゃん、とか言われてるだろ? なんか、性別にこだわるのがダサいみたいな?」 「いや、ダサくはないだろ。人間だって生き物だし、本能的なもんで相手を選ぶし、世の中が寛容になったからといって、異性が好きだったやつが同性を好きにはならんだろ」 「もぉ~、そこは今どうでもいいんだって」 いいのか? いや、よくない。 最近は、太陽がクラスに来るたびに、女子がうるさいのだ。 付き合ってるの、だのなんだの。 先ほど、太陽に言ったのはクラスの女子に言ったことだ。 自分の恋愛対象は女だと答えたら、太陽の言う通り「こだわるのはダサい」と言われた。 腹が立ってしょうがなかったのだ。 ダサいとは何だ。同性を否定しているわけじゃないのに、異性愛をダサいで否定するなよ。 「でな、でな、おれ思ったんだ。ユキならおれのこと幸せにしてくれるって」 思い出して腹が立っていた幸弘に太陽がそんなことを言う。 その瞬間、苛立ちが飛んで行ってしまった。 「は?」 「ユキ、付き合おう。ユキならおれのこと幸せにしてくれる!」 「いや、付き合おうって言ってんのお前なのに、俺が幸せにする方なのか?」 「うん! おれ、幸せになりたい! な、いいだろ?」 コンビニに付き合ってくれないか、くらいの軽さで太陽が言う。 「いいだろって……、お前、付き合うの意味分かってる?」 「ユキより付き合った回数多い」 「三か月が最長なくせに……。はぁ~、お前ってほんとバカ」 「なぁ~、いいだろ? おれ、ユキのこと好きだよ? そういう意味で好きなのかは知らないけど」 それが一番大事じゃないだろうか。 太陽が小さくくしゃみをする。汗が冷房で冷えたのだろう。 「とりあえず、風呂入って来いよ。風邪ひくぞ」 「後ででいいよ。ユキは? おれのことどう思う? 付き合わない? なんで?」 断られる発想がない表情の太陽が幸弘の顔を覗き込んでくる。 「俺の幸せは?」 「ユキはおれが幸せだと幸せだろ? ユキはおれのこと好きだもん。好きなら、相手が幸せなら、自分も幸せ。つまり、おれの幸せがユキの幸せで、その幸せで幸せになってるユキを見ておれも幸せ」 「……好きだけどさ、そういう意味じゃないと思うぞ、きっと」 「けど、好きじゃん」 一歩も引かない太陽にだんだんと幸弘は疲れてきた。 ベッドを降りて、ぬるくなった麦茶を飲む。 「お前の恋愛には、そういうのは含まれてないのか? その……、俺、お前に勃つか知らんぞ」 「……うわ、生々しいこと言われた」 「大事だろ」 「大事だけどさぁ……。ならさ、試せばよくないか? ほら、付き合って三カ月は手を出しませんってあるじゃん。決まりが」 「それは知らないけど」 「だから、まず付き合ってみて、やっぱり違うなぁって思ったら普通に幼馴染み兼親友に戻ればよくない?」 太陽は戻ればいいと簡単に言うが、それは太陽が別れた元カノ相手にも普通に話しかけに行ける人間だからだ。 幸弘はわざわざ話しかけに行かないし、親し気に「沙耶ちゃん」なんて呼ばないだろう。 「なぁ、ユキ。ダメ?」 「…………具体的には?」 「今までと一緒! 彼氏かのじ……? 彼氏彼氏? う~ん、なんか変。恋人? として、この青春探しリストやろ!」 床に落ちていた太陽の「夏休みのしおり」を指さして笑う。 「たぶん、やっても今とおんなじだと思うけどな。俺とは青春にならないんだろ? なら、恋人になった俺としても一緒だと思うけど。お前がしたいのは、可愛い彼女との青春なんだろうし」 「言い方は悪かったとは思うけど、おれ別にユキと遊んでて、面白くないって思ってたわけじゃないぞ? いつも通りだなって思っただけで、いつもユキといて楽しいから」 幸弘の不機嫌さを拾って、太陽が反省したように言う。 ベッドの上から、少し離れた位置に座る幸弘を引っ張り、ぬるい麦茶を取り上げて、トートバッグの中から水滴まみれのウーロン茶を渡してくる。 「だからってわけじゃないけど、ユキとなら色々試してみたいと思って。なぁ、本当にダメ?」 しゅん、と耳を垂れさせた犬みたいな太陽に幸弘は大きくため息を吐く。 両手を上げて降参だ。 「太陽は俺が自分を幸せにしてくれるから付き合う。なら、俺は?」 「……分かんない! けど、おれだってユキのこと幸せにできると思うんだ! ほら、おれって尽くしたがりだし」 「付き合うまでな?」 「うぐぅ……」 「ま、いいや。お前のやりたいようにやればいいよ」 「……そんな、なげやりな」 傷付いたような太陽に、幸弘は続ける。 「俺もお前もお互いが好き。ある意味、両想いだから、やってみる価値はある。……俺がお前に無理って言い続ける方が無理なんだ。それを知ってるのに、こんなこと言いだすってことは、それなりに本気だろうし」 「ユキぃ~」 背後から太陽が首に巻き付いてくる。 汗に濡れた髪が首筋に張り付いて、思わず引き画がしてしまうが幸弘は悪くない。 「風呂入ってこい。汗臭い」 「ひどいぃ~」 「何が酷いんだ。お前だって、俺が汗だくで抱きついたら嫌だろうが」 「嫌だけどさぁ」 そう言って、その辺に落ちていた服を拾い上げて、部屋を出て行った。 太陽の汗で湿った手や、首筋を太陽のタオルケットで拭きながら考える。 安易とは思わないが、付き合おうという太陽の提案を受け入れた。 これから、何か変わるのだろうか。 変わらなくていいような、変わってほしいような不思議な気持ちだった。 ただ、これから太陽を恋人扱いすればいいのか、太陽扱いすればいいのか、それくらいは聞いておこうと、幸弘は太陽の買ってきたマンガをぱらぱらとめくりながら部屋の主の帰還を待つ。 噛まれた肩はやっぱりまだ痛んだ。

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