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ep.15 万バズ
楠原高校の一年生である佐伯結菜は、友人たちと駅前のファストフード店に立ち寄っていた。期末テストが明けてから、初めての集まりだった。
体育祭の思い出話や、夏休みの予定、他愛のない噂話。
ポテトをつまみながらすっかり話し込んでしまい、店を出る頃には、空は鮮やかな茜色から深い藍色へと色を変えつつあった。
友人たちと別れ、一人になった帰り道。結菜は母親への言い訳を頭の中でこねくり回しながら、鞄からスマートフォンを取り出した。
「あれ?」
メッセージを送ろうと画面に触れるが、うんともすんとも言わない。
真っ黒な画面のスマートフォンは、ただの金属板と化していた。
「なんで!? ママに連絡できないじゃん~~」
案の定、家に帰ると母親にこっぴどく叱られる。結菜はしょんぼりと自室へ向かい、スマートフォンの充電ケーブルを差し込んだ。
そのまま夕食を済ませてから再び部屋に戻ると、机の上でスマートフォンが、まるで生き物のように、ヴヴッ、ヴヴッと揺れ続けていた。
「え……、何これ」
手に取ると、画面には無数の通知が滝のように流れ落ちていく。
慌てて動画投稿アプリを立ち上げると、数時間前に教室で投稿した体育祭の動画の数字が、信じられない桁に跳ね上がっている。再生数は数十万。ハートの数は数万。フキダシのアイコンの横には四桁の数字が並んでいた。
「やばいやばい」
次から次へとポップアップする通知のせいで、まともに画面の操作すらできない。そうして固まっている間にも、再生数はみるみるうちに桁を繰り上げていく。
「どうしよ……」
結菜は呆然と、熱狂する画面を見つめることしかできなかった。
手のひらを痺れさせるほど鳴り止まないバイブレーションに耐えかねて、その夜はスマートフォンの電源を完全に落としてベッドに潜り込んだ。
翌朝。
窓から差し込む朝日の中で電源を入れると、一気に受信された通知の波に再び端末が熱を持つ。動画投稿アプリの反応に紛れて、友人たちからのメッセージも大量に溜まっていた。
『体育祭のやつ、やばいことになってる!』
『ゆなー、通知流れちゃってる?』
結菜は、一晩明けてわずかに勢いの落ち着いた通知の隙を縫うようにして設定画面を開き、アプリからの通知をすべてオフにした。ようやく沈黙を取り戻した端末を操作し、改めてSNSのアプリを立ち上げる。
「……ひゃ、百万……?」
声はカラカラに乾いていた。
昨日投稿した体育祭の思い出動画の再生数が、見たこともない七桁の数字を叩き出している。普段の投稿なら、五百回も再生されれば御の字だったはず。コメント数は数千をゆうに越え、再生数とともに今もなお増え続けている。
画面をスクロールさせ、結菜は溢れ返る文字の束に目をこらした。
『待って、0:15に一瞬映る黒髪の女子? 男子? 何者!?』
『AIでしょ』
『透明感』
『楠原高校? 地元ワロタ』
『この子知ってる。学校でも有名』
コメントの大半は、スライドショーのムービーに一瞬流れる、クラスの遠野雪の写真についてだ。カメラマンが撮影した写真の中で見つけて、モデルみたいだと思って思わず買い物カゴに放った一枚だった。
「さすが遠野君……」
アプリを切り替え、クラスのメッセージグループを開いた。
そこには「ゆなの動画、めっちゃバズってんじゃん!」と、興奮気味な賞賛の言葉がいくつも並んでいる。
「万バズ……どころじゃない感じ?」
結菜はベッドの上に座り直し、手のひらの中でじんわりと熱を帯びる端末を見つめた。
自分の周囲では誰も叩き出したことのない、圧倒的な数字の羅列。
そして友人たちからの羨望のメッセージ。
それらは結菜に不思議な高揚感と、言いようのない優越感を与えていた。
自然と口角が吊り上がり、液晶をなぞる指先が微かに震える。
結菜は短く息を吸い込み、弾むような手つきで友人たちへの返信を打ち始めた。
*
朝の各駅停車に揺られて数駅。
目的の楠原駅が近づくにつれて、冷房の効いた車内は少しずつ夏服の高校生たちの割合を増していく。
雪はいつも通り、最後尾の車両の、さらに一番隅のドア横のスペースに身を寄せていた。十数分の短い乗車時間中、吊り革には捕まらず、両手で文庫本を開いて視界を塞ぐのが毎朝の習慣だった。
今読んでいるのは、『多肉植物の世界』。春希から借りたものである。
「……?」
ページとページの隙間に、ちりちりとした微かな熱を感じて、雪はふと顔を上げた。
通勤ラッシュが始まりかけた車内は、足を広げれば誰かの足にぶつかる程度の混雑具合だ。いくつかの人影の頭が、雪が視線を上げた瞬間に動いた気配があった。
他人が遠慮のない視線を向けてくることには慣れている。だからこそ、電車の中では本を開き、空間から自分を切り離していた。
今日はなぜか、いつもよりもひどく気が散る。
やがて、電車は楠原高校の最寄り駅のホームへと滑り込んだ。
この時間帯の降車客の九割以上が楠原高生だ。行列ができている自動改札機へと向かう。ICカードをかざす電子音が連続して鳴る中、車内よりも強く多く、視線を感じられた。
体育祭の前、上級生からの応援合戦のスカウトを断ったことが良くなかったのか。
そう考えながら、雪は鞄の持ち手をきつく握り直す。
登校列の最後尾から距離を置いて、朝の強い陽射しが落ちる通学路を歩き出した。
一方――水泳部の朝練を終え、湿った髪のまま更衣室を出た春希は、正門から校舎へと続く歩道を歩いてくる雪の姿を見つけた。
「雪」
「!」
俯いていた首を持ち上げ、春希の姿を視界に収めた雪が小走りで駆け寄ってくる。雪の周囲を歩いていた生徒たちの視線が、春希の声に反応して一斉に雪へと向けられるのが見えた。
校内で雪と並んで歩いているときに視線を集めるのは、今に始まったことではない。けれども、何だか今朝は視線の質が違っていた。
「おはよう、春希。……どうしたの?」
顔を覗き込んでくる雪に、春希は伊達メガネの黒フレームを指で押し上げた。
「いや。行こ」
二人並んで後部扉から入った教室は、普段の朝にはない歪な騒がしさに包まれていた。
教卓の前あたりに数人の女子生徒が固まり、スマートフォンを囲んで低い声を交わしている。「やばい」という言葉が何度も繰り返されていた。
「てか、これ、さすがにヤバくない?」
「学校名出てるし、名前とか、特定されかかってるし」
「消した方がいいって」
「――あ」
誰かが息を呑む音を立て、教室内のざわめきが、潮が引くように引いた。
教室中の視線が、入口に立つ雪へ一斉に集中する。
「え……な、何……?」
視線の圧に身を縮め、雪が庇護を求めるように春希の腕へ体を寄せてきた。
「遠野君、クラスのメッセージグループ、見た?」
廊下側の席にいた真面目そうな男子生徒が、気まずそうに声をかけてくる。
「僕、スマホ持ってないから……」
七月の時点でもまだ、雪はクラスにスマホの所持を隠し続けていた。
「クラスのグループ?」
雪の代わりに、春希はポケットからスマートフォンを取り出した。
親と雪以外の通知はすべてオフにしていたため、メッセージアプリを開くまで何も気づいていなかった。
四月以降ほとんど動きのなかった、クラスのグループトークを開く。
死んでいたはずのタイムラインに、昨日の夕方から今朝にかけて送信されたメッセージのフキダシが、隙間なく連なっていた。
『体育祭の、おすすめに出てきてビビったんだけど』
『再生数えぐくない? もう百万超えてる』
『コメントさあ、遠野君のことばっかりだよ。まずくない?』
『写真って勝手に載せて大丈夫?』
『学校名出てるしマジでヤバいって』
「え……」
春希の指先が画面の上で止まった。
タイムラインの途中に貼られていたURLをタップすると、外部の動画投稿アプリが立ち上がる。再生されたのは、ノスタルジックな音楽に合わせて切り替わる、体育祭の思い出ムービーだった。
動画の中盤、メロディが盛り上がるさなかに、雪の写真が大写しになる。
春希も販売サイトで見た、プロのカメラマンが撮影した中の一枚だ。
再生数は七桁を超え、コメント欄には雪の容姿を称賛する言葉と、特定を煽る書き込みが激しい勢いで流れ続けていた。
「な……何、何……っ」
画面を凝視する春希の横で、密着した腕を通して、雪の身体が浅く細かく震え始めているのが伝わってきた。
「消せよ」
春希は自身のスマートフォンを握りしめ、教室の前方へと半歩踏み出した。
固まっている女子グループの中心に、動画を投稿した佐伯結菜がいる。
「投稿、今すぐ消せ」
教室の空気を凍らせるような、ひどく低く、淡々とした声だった。
「え、な、何いきなり。怖いんだけど」
いつもは波風を立てず、大人しいはずの「牧野君」の凄みに気圧されつつも、結菜の隣にいた女子が反抗的な声を上げた。
「いいから。消せ」
春希は歩みを止めない。ますます低く、感情のない声が、有無を言わさずに繰り返される。
「は、春希……!」
背後から、雪が春希の腕を強く掴んだ。
動画を投稿した張本人である結菜は、春希と目を合わせることもできず、顔を青くして俯いている。その隣で、反論した女子生徒が自身のスマートフォンの画面をちらりと見た。
「うわ、再生数、もうすぐ二百万いきそう。……っていうか、今さら消しても意味なくない?」
「そうだよ。知らん人たちが勝手に転載して騒いでるだけだから、うちらには関係ないんだけど?」
罪悪感を誤魔化すような苦し紛れの言葉に、春希の肩がかすかに震えた。
「お前ら――」
一歩踏み込もうとした体を、背後から回された細い両腕が必死に抱きしめて止めた。
「待って……!」
「雪」
「行こう、春希」
背中に押し当てられた雪の胸の動きが、ひどく浅く、不規則なリズムになっているのが伝わってくる。
「……お願い……」
掠れた声が震えていた。春希は強く奥歯を噛み締め、喉元までせり上がっていた怒りを腹の底へ飲み込む。
「行くぞ」
春希は教室中の突き刺さるような好奇の視線から雪を隠すように、集団に背を向けた。背中にすがる雪と共に、教室を出ていく。
「や、やだな……大袈裟じゃん……」
二人の姿が廊下に消えた後、結菜は誰に言うでもなく、そう小さく呟いた。
大きくなりすぎた数字への恐怖と、それを上回る得体の知れない高揚感。
いい子ぶって正論をぶつけてきた春希への苛立ち。
様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い、結菜はその処理に追われるだけで精一杯だった。
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