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第2話 2人きりの保健室

 それから藍は心做しか上機嫌だった。それと相反して俺は寝不足が続いていた。   あまり運動が得意ではない方だったが、それにしたって今日の体育は散々だった。   走れば足をくじくし、飛んできたサッカーボールは見事に頭にあたっておでこが真っ赤になるし、チームの足を引っ張っていることを確信し即見学の道を選んだ。  球技大会が近い事もあって皆熱心に取り組んでいて、見学者は俺しかいない。喋り相手もおらず暇でぼんやりグラウンドを見ているつもりでも、つい、藍に視線がいってしまう。藍の腹チラに違う球技をしている女子達の授業そっちのけの黄色い歓声やざわめきを何気なく耳で拾いながら、どうせ体操着をズボンにピッタリしまった所でそれはそれで様になってしまうんだろうな、なんてどうでもいい事を考えた。  俺のぼやっとした視線に気づいたのか、藍はコートの外でボールを蹴るのをやめてこちらに近寄ってくる。 「おでこ、痛い?」 「第一声がそれかよ~バカにしに来た?」 「フツーに心配しに来た」  藍はそう言って体育座りをする俺の前に立ち、腰をかがめて顔を覗き込んでくる。前髪を指ですくわれて赤くアザになっているであろう額が晒されて俺は不機嫌そうに顔を顰めた。 「はぁ、ほんとダサすぎる」 「元気そうで良かったよ」  ぽんぽんとあやす様に頭を撫で、藍は水道の方へと踵を返し、程なくしてこちらへ戻ってきた。 「これでおでこ冷やして」 「ありがと」  俺のためにびしょびしょに濡らしてくれたのだろう、雑に折りたたまれた藍のタオルを受け取った。 「痕にならないと良いけど」 「治ったところで、本番また怪我する未来が見えるけどな」 「詩、球技壊滅的だもんな」 「球技大会って球技縛りなのほんと許せない」 「はは、意味わかるけど意味わかんね~」 「久遠くーん!」  遠くから藍を呼ぶ女子の声が聞こえた。 「保健室行きたいんでしょ?私鍵持ってきたよ!早く行こ~」  保健委員の女子が藍に声をかける。 「ちょっとまってて」 「藍も怪我したの?」 「俺?してないけど。ちょっとサボってくる」  藍は行ってくんね、と宮崎さんの後ろに着いて教室棟の方へと消えていった。  手元に残ったタオルを額に当てると心地よい冷たさがじんわりと身体中に広がっていく感じがした。頭がスッキリと冴え渡るような感覚だ。   藍が女子と2人きりで保健室……?  遅れてやってきたその疑問に胸がざわついた。いや、今迄だったら疑問にも思わなかっただろう。しかしこの前、藍が俺に「彼女を作ってもいいか」なんて突然聞いてきたものだから些細な行動の裏を変に勘ぐってしまうのだ。  兎に角藍はモテる。今だって俺は振り返って藍が宮崎さんと歩いているのを見送っている訳だが、30cmはありそうな身長差を埋めるように彼女が上を向いて喋ると藍は上半身を傾けて応えている。こういう些細な仕草に女子は沼るんだろうな、と考察とかしてみる。いつもは遠くからしか見ることがない何処か次元の違う王子様みたいな綺麗な顔が突然近づいてきたら、誰だってときめいてしまうだろう。  だから、藍がその気になれば──彼女を作りたいと願えば、きっと三秒あれば作れてしまう。  何故今まで彼女を作らなかったのかとか、何故急に彼女を作ろうと思ったのかとか、聞きたいことは沢山あるけどどこから突っ込んだら良いのか俺には分からない。   何故、藍が保健室に用があるのかも分かっていないのが現状なのだ。  落ち着いて、話を戻そう。自分に言い聞かせて大きく息を吸い込んだ。  わかっているのは、藍はサボりを兼ねて保健室に行ったこと。保健委員の女の子、宮崎さんと。鍵を持ってきたと言うことは養護教諭は不在という事だ。  藍が保健室から戻ってきて宮崎さんと手を繋いでいたら?保健室の中でそれ以上のことをしていたら?そもそも藍ってああいう大人しめな女の子が好きなのかな。  あぁ、思考が暴走して何も分からない。額と掌の熱で温くなったタオルを握りしめた所でもう15分が経っていることに気づいた。藍は戻ってこないし、授業はあと5分で終わる。授業が終わったら、昼休みだ。  あぁ、あぁ、なんだかすごくモヤモヤしていても立っても居られなくなる。別に藍が彼女を作ったって俺に関係ある訳じゃない。  ただ、藍が俺を置いて女の子と保健室に行ったことにモヤモヤしているのだ。    そこに気づいたのならば話は早い。すぐ怒鳴る怖い体育教師にボールが当たって頭が痛いから保健室に行ってくると一応伝えて(藍は多分無断だが、俺は怒られたくないから)小走りで、挫いた足の事など忘れて走った。  チャイムが鳴り渡る数分前、静かでひんやりとした薄暗い廊下に上靴の滑る音を響きわたらせて走る。そして、保健室の文字を見て急停止した。  ふと我に返った。ここで扉を開けて藍と宮崎さんのいい感じの雰囲気を壊してしまったら?藍に「邪魔すんな」とか言われたら?立ち直れない。でも変な胸騒ぎが止まらなくて、藍を自分以外に取られたくなくて、チャイムが流れる前の、カチ、とスイッチが入る音ような音と同時に扉を勢いよく開いた。  扉を開いたはずなのに、目の前には壁があって、俺はその壁に勢い良く頭からぶつかった。 「うお、危ねー」  聞き慣れた低い声が、やたら上から聞こえる。  それから背中に腕が回ってきて、全身を藍に受け止められていることに気づく。藍ってこんなに背が高かったっけ?歩いてる時も座ってる時もずっと顔が近くにあるから気づかなかった。  廊下を全速力で走ってきたから息が上がって呼吸が整わない。冷静になろうと意識すればするほど鼓動は大きくなるし、湯気が出そうなほど顔が赤くなるのが分かる。 「お前、球技大会の前に俺にデコぶつけてどうすんの?つか保健室来るとかどうした?」 「どうもしてない」  強がりじゃなく、本心だ。今はどうだっていい。 「そんな事よりみ、宮崎さんは?」 「宮崎サン?あー鍵開けてもらってすぐグラウンド戻ってったけど、見なかった?女子はハンド学年優勝したら担任がアイス買ってくれるんだって。男子はねーのかな」  藍の言葉に緊張が解けるような安堵が広がった。代わりに羞恥心が全身を襲ってきて藍の顔を見れない。見せられない。 「ふーん。へぇー」 「なに、お前から聞いてきたのに。詩、二回も頭ぶつけてんだから一回おでこ見せてくんない?」 「やだ。帰る。教室戻る」 「だめ」  ぎゅ、と先程まで片手しか背中に回ってなかった腕が二本に増える感覚と、背後で扉の鍵が閉まる音に体をさらに固めた。  藍の胸に顔を埋めたままだし、この腕の中から抜け出せそうにないし、そもそもこんなに真っ赤になってしまった顔を絶対に見せたくない。百パーセント藍は俺をバカにする。 「詩さ、もしかしてだけど俺が女の子と保健室に二人きりになるのが気になってここまで来たでしょ」  ほら、図星だ。藍は鋭いというか、目敏い。一番バレたくない、隠している事をスパッと言い当ててくるのだ。昔から。 「俺が宮崎サンと何してるか気になっちゃったんだ?」 「お、お前が!俺に!変な事言ってきたからだろ!」  揶揄うように囁いてくる藍に反抗するように子どもみたいに拗ねて、少し声を荒げて言い返す。それだけでは足りなくて、見上げるように睨みつけてやれば藍は目をまん丸くして俺を見た。それから猫のように目を細めて少し笑う。 「意識してくれた?」 「はぁ?」 「詩、やっぱりちゃんと冷やした方が良いよ。耳まで真っ赤だから」 「ほんと、お前うるさい」  依然藍の両腕は背中に回ったままで、振りほどく気力もなくそのままにしていたら、俺の肩に藍が顔を擦り寄せる。 「これは俺の独り言だし、勝手な願い事だけどさ。詩は彼女とか作らないで。よそ見しないで」  本当に勝手でびっくりした。「彼女作っていい?」なんて藍は言うのに、俺には「作るな」なんて自分勝手過ぎやしないだろうか。でも続きの言葉の意味がわからなくて、返事をすることが出来なかった。  何から何まで見透かされているようで、それでいて俺はこいつが何を考えているのかさっぱり分からなくて悔しくてちょっと泣きそうになる。力が込められる腕に応えるように藍の背中をトントンと、優しく叩いた。 「俺はただ、詩の頭冷やすモノ無いか探しに来ただけだよ。氷嚢か冷えピタか湿布かどれがいい?」  程なくしてあっけらかんとした藍に藍による拘束を解かれ、椅子に座りなよ、なんて養護教諭でも保健委員でもないのに指図をされては言われるがまま腰を下ろして、ため息を吐く。 「藍のタオルがいい。もう一回、濡らして使う」 「わかった」  握り過ぎてぐしゃぐしゃになったタオルを渡せば藍は受け取ってもう一度濡らして冷やしてくれる。 「お腹すいたね。藍なんか買ってよ」 「財布更衣室なんだけど」藍は少し面倒くさそうに言う。 「俺スマホ持ってるから購買行こ。早くしないと売り切れちゃうよ」 「詩さ」 「なに?」 「二人っきりの保健室なのに俺となにもしなくていいの?」  こんな少女漫画であっても歯が浮くような台詞を言ってのける藍に感心に似た念を抱くが、それでも様になっているし、それだけじゃなくて何かしたいという気にまでさせられてしまう。 「も、もうたくさんしたよ……つうか、俺がこういうの耐性ないからってからかい過ぎ。早く鍵返さないと藍、怪しまれるよ?」 「えー宮崎サンに詩も一緒に返しに行こうよ」 「絶対やだ。けど、今から購買付き合ってくれたら良いよ」  元を言えば俺が怪我をしたのが発端だし、藍が俺に甘いように俺も随分と藍に甘いのだ。  

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