3 / 4
第一章 2、一番一緒にいたい人
大学に到着してからも、蒼の様子はどこまでも『いつも通り』の親友だった。
対する遥陽だけが、蒼のちょっとした仕草や触れ合いそうになる距離感に、過剰なほど胸を跳ねさせて意識し続けていた。
昼前。講義終了のチャイムが鳴り、二人は教科書を抱えて廊下へ出た。
「蒼、今日昼飯どうする? いつもの――」
「あ、一ノ瀬!」
遥陽の声を遮るようにして、後方から明るい声が飛んできた。
振り返れば、そこにいたのは昨夜の飲み会で蒼の隣に座っていた男――藤原悠真だった。
みるみるうちに遥陽の表情がひきつる。昨夜、蒼のスマホ画面に表示されたメッセージが鮮明に脳裏によみがえった。
『一ノ瀬に好きな人がいないなら、俺にもチャンスあるって思っていいかな?』
悠真はまっすぐな足取りで蒼の目の前まで歩み寄ってきた。
「一ノ瀬、ちょっといい?」
「僕?」
「うん」
そして悠真は、隣に立つ遥陽へと視線を向けた。
「悪い、高橋。少しだけ一ノ瀬借りてもいいか?」
「…………」
遥陽の唇が固く結ばれた。
蒼へと視線を送る。
(行くな)
喉まで出かかった言葉。引き止めて、自分の胸の中に隠してしまいたいという歪んだ独占欲。
けれど、ただの『親友』でしかない自分にそれを口にする権利などない。
「……蒼が良いなら、俺は別に」
低く掠れた声でそれだけを告げるのが、今の遥陽には精一杯だった。
大学棟の裏手。日陰になっていて人通りの少ない自動販売機の前に、遥陽は一人で立っていた。
ガタン、と音を立てて落ちてきた缶コーヒーを取り出す。
別に待っているわけではない。盗み聞きをするつもりなんて、毛頭ない。……そう自分に言い聞かせながらも、足は地面に縫い付けられたように一歩も動こうとしなかった。
「……俺、マジで何やってんだか」
あまりにも滑稽な自分自身に対して自嘲的に笑いを漏らし、缶のプルタブに指をかけた、その時だった。
少し離れた曲がり角の向こうから声が聞こえた。
「一ノ瀬」
悠真の声だ。遥陽の指がピタリと止まる。
「昨日、LINEで中途半端なメッセージ送ってごめんな。驚かせただろ」
(聞いちゃダメだ……立ち去れよ、俺)
頭ではそう分かっているのに、身体が石のように固まって動かない。
「でも、どうしても直接ちゃんと言いたくてさ」
続く言葉に、遥陽の背筋が凍りついた。
「俺、一ノ瀬のことが好きだ」
「…………」
静かな空間に、その言葉はあまりにもハッキリと、隠しようもなく響き渡った。
「初めてキャンパスで見かけた時から、ずっと気になってたんだ」
悠真の声には、一切のおちゃらけも、軽さもなかった。本気の、熱のこもった男の告白だった。
「男からいきなりこんなこと言われても、困るかもしれないけどさ、それでも言わせてくれ」
一拍の間。
「俺と、付き合ってほしい」
自動販売機の陰で、遥陽は呼吸することすら忘れて硬直していた。
(……マジか……)
昨日までは、まだどこかで余裕をぶっこいていた。
遥陽は蒼のことを高校一年の時からずっと知っている。昨夜だって、蒼は『一番一緒にいたいのは遥陽』だと言ってくれた。だから誰が来ようと負ける気はしない、と。
けれど——。
悠真は、遥陽がこの六年間のあいだ居続けた『親友』という殻を、たった一日で破ってみせた。
好きだと伝えた。恋人になりたいと、男として正面から向き合った。
遥陽が握りしめたコーヒーの缶が、ミシリと歪む。
遥陽は蒼を失う事を恐れて殻に閉じこもっていた。
けれど、自分がそうやって臆病に閉じこもっている間に、誰かが蒼の魅力に気づき、本気で好きになる。誰かがなりふり構わず想いを伝える。
そしていつか——蒼が自分以外の誰かを男として意識し、好きになる日だって、絶対に来ないとは言えないのだ。もしそうなった時、自分は親友の顔をして『おめでとう』なんて笑って言えるのか?
「……無理に決まってんだろ……っ!」
絞り出すような呟きが、ポロリとこぼれ落ちた。
遥陽はぎゅっと目を閉じ、ゆっくりと顔を上げた。
遥陽の瞳に新たな光が宿る。もう、自分の感情から逃げたくなかった。
それでも——今、あの曲がり角を曲がって告白を邪魔する権利など、臆病だった自分にはないこともわかっている。
遥陽はただ冷たい自販機に背を預けたまま、六年間親友という場所に甘んじてきた自分自身と蒼への抑えきれない愛情へ、素直に向き合っていた。
『俺と付き合ってほしい』
悠真のまっすぐな言葉のあと、重い沈黙が落ちた。
蒼はすぐには答えられなかった。
昨日まで、ただのゼミ生として接していただけの相手。それなのに今、一人の男としてまっすぐな好意を向けられている。
「……悠真、くん」
「うん」
「ちょっとごめん……考えさせてもらってもいい?」
悠真が一瞬だけ残念そうに目を伏せる。それでも、すぐに大人びた微笑みを浮かべた。
「もちろん」
「僕、こういうの……あんまりよく分からなくて」
「うん。直接伝えたくて我慢出来なくなっただけで、今すぐ答えを出して欲しい訳じゃないからさ」
「ありがとう」
「ただ」
悠真は少し照れくさそうにしながらも、蒼を見つめる瞳から決して目を逸らさなかった。
「俺は本気だから。それだけは覚えておいてくれな」
少し離れた自動販売機の前。
「…………」
遥陽は、そのやり取りをすべて陰から聞き届けていた。
——考えさせて。
つまり。
蒼にとって、悠真と付き合う可能性は決してゼロではないということだ。
昨日の自分なら……
『まあ、蒼が決めることだからな』
なんて、どこか物分りの良いフリをして引きつった笑顔を作っただろう。そしてまた、親友というぬるま湯へ逃げ込んでいたはずだ。
でも。
(……ずっとそれやってたら)
握りしめた缶コーヒーが、ペキッと嫌な音を立てて歪む。
(本当に、蒼が誰かのものになっちまう)
恐ろしいイメージが、脳裏を駆け巡る。
蒼の隣に悠真がいる。
二人で笑い合いながら大学の門をくぐる。
二人で楽しそうに昼飯を食う。
自分の前では絶対に見せない顔で、蒼が悠真を見て甘く微笑む。
自分の知らない蒼が、日ごとに増えていく。
そしていつか。
『遥陽、僕、悠真と付き合うことになったんだ』
なんて報告を、親友の顔をして聞かされたら。
「…………無理」
今度ははっきり、言葉にして口から漏れ出た。
六年も片思いして。
毎日毎日、胸を焦がして愛おしさを募らせてきて。
何もしないまま、勝手に諦めて終わるなんて。
「……無理に決まってんだろ、クソが……っ」
その日の午後。
遥陽の様子は、誰がどう見ても明らかに変だった。
「蒼、次の講義どこ?」
「四号館だよ」
「俺も行く」
「え? 遥陽、次空きコマじゃなかった?」
「……四号館まで送るんだよ」
「なんで?」
「暇だから」
講義が終了した夕方。
「蒼、このあとすぐ帰る?」
「ちょっと図書館寄って本返そうと思って」
「俺も行く」
「遥陽、図書館嫌いじゃん。活字見ると眠くなるって」
「今日から急に好きになった」
「……?」
明らかにおかしい。
そして、空が茜色に染まり始めた頃。
図書館を出ると、遥陽はどこか緊張した手つきでスマホを操作しながら言った。
「蒼」
「ん?」
「今日、このあと予定入ってる?」
「特にないよ」
「じゃあ……飯行こ」
「いいよ。学食? それとも他のとこ?」
「大学の近くじゃなくてさ」
遥陽は一瞬だけ言葉を詰まらせ、覚悟を決めるように息を吸った。
「……ちょっと、行きたい店がある」
蒼が連れてこられたのは、借りているアパートの最寄りの駅からほど近く、静かな街並みの中にある小さな隠れ家風イタリアンだった。
いつも行く騒がしい学生向けの居酒屋とはまるで違う。店内は暖色の照明が少し落とされていて、窓際の席からは綺麗に点灯し始めた街の明かりが見渡せた。
蒼が少し目を丸くして店内を見回す。
「遥陽、こういうお店来るんだ」
「……いや……うん、まあな」
「誰かと来たことあるの?」
「ない」
間髪入れずに即答。
「今日、昼休みに調べた」
「今日?」
「うん」
蒼がますます不思議そうに首をかしげる。
遥陽は視線を泳がせ、手に取ったメニュー表で慌てて口元を覆い隠した。
「……そんな変な顔で見んなって」
「だって遥陽、今日ずっとおかしいよ」
「わかってるよ……っ」
「なにかあったの?」
「…………」
遥陽はゆっくりとメニュー表を下ろした。
「蒼」
今度は逃げない。チャラいお調子者の仮面も、親友という卑怯な防波堤も捨て去った。
「今日、藤原に告白されたろ」
蒼の瞳が、少しだけ見開かれる。
「……知ってるの?」
「自販機の裏にいたら……聞こえた」
「そっか」
「返事、考えるって言ったよな」
「うん」
胸の奥がぎゅっと痛む。それでも遥陽は、前を見据えて言葉を紡ぎ続ける。
「俺さ」
一度、深く息を吐き出した。
「それ聞いて初めて、めちゃくちゃ焦った」
まっすぐに、蒼の瞳を見つめる。
「今まで、俺はずっと勝手に安心しきってた。俺は蒼と六年一緒にいるし、蒼のことを一番知ってるし……昨日だって、一番一緒にいたいって言ってくれたから」
「うん」
「でも、それとこれとは別だろ」
遥陽の大きな指が、テーブルの下で痛いほど強く組まれる。
「俺が何もしねえで踏み出さなかったら……蒼がいつか誰かを好きになって、俺から離れて遠くに行っちまうことだってあるんだって」
そして。
「……だから、今日は」
緊張して言葉に詰まる。
普段ならどんな女子相手でもすらすら軽口が出る男が、たったこれだけの言葉に心臓を破裂させそうなほど緊張している。
「藤原より先に、蒼と二人でいたかった」
遥陽の頬から耳まで、隠しようもないほど真っ赤に染まっていく。
「……ただの親友としてじゃなくて」
静寂が二人を包み込む。
「今日だけ」
少し困ったように、けれど愛おしさを込めて口元を歪める。
「俺にも……藤原と同じ土俵に立たせてくれ」
まだ、面と向かって『好きだ』とは口にしていない。
けれど——。
六年間で初めて、遥陽は自らの足で、親友という境界線を明確に踏み越える。
「だから今日はさ」
蒼へ向けて、照れくさそうに笑いかける。
緊張を隠しきれない、けれど男らしくて不器用な笑顔。
「俺と、デートしてよ。蒼」
遥陽が心臓をバクバクさせながら言い切った直後。
蒼は細いフレームの眼鏡の奥で、アイスブルーの瞳をパチパチと瞬かせた。
「これって……デートなの?」
「…………」
遥陽の表情が引きつる。
「そこから!?」
「だって、二人でご飯食べるなら高校のときからいつも行ってるし」
「いや、今日の店は俺が昼休みに調べて、わざわざ予約までして二人で来てんだぞ!?」
「うん」
「しかも俺、今めちゃくちゃ勇気振り絞って『ただの親友としてじゃなくて』って言ったじゃん! 聞いてた!?」
「言ってたね」
「蒼さんっ!?」
当事者である蒼は、心底不思議そうに首をかしげてから、困ったように笑った。
遥陽はガクッとテーブルに突っ伏す勢いで項垂れた。
「……藤原、前言撤回だ。こいつ攻略すんの相当大変だぞ……」
「攻略?」
「何でもないです……」
その時だった。
「あれ? もしかして高橋?」
少し低めの、大人びた女性の声が頭上から降ってきた。
遥陽が顔を上げる。
「…………げ」
「『げ』って何よ」
二人のテーブルの脇に、同年代くらいの女性が立っていた。
緩く巻いた長い茶髪に、落ち着いた大人っぽいメイク。彼女は呆れたように遥陽を見下ろしている。
「久しぶりね」
「……久しぶり、渡 辺 」
遥陽の態度が、明らかに気まずそうだ。蒼は不思議そうに二人を交互に見比べた。
渡辺と呼ばれた女性が蒼へと視線を滑らせる。
「友達?」
「まあ……うん」
遥陽が妙に言葉を濁した。すると渡辺は、何かに気づいたように蒼の可憐な顔立ちをじっと凝視し始めた。
「…………あれ?」
「何だよ、じろじろ見て」
「ねえ」
渡辺の表情が、驚きと納得が混ざり合ったものに変わる。
「あなた、一ノ瀬さん?」
今度は蒼が驚いて目を丸くした。
「僕のこと、知ってるんですか?」
「やっぱり!」
遥陽が慌てて立ち上がりかけた。
「おい、ちょ、待て——」
「高橋の高校からの親友で同じ大学よね?」
「なんで知って……」
蒼が不思議そうに遥陽を見上げる。渡辺は楽しそうにクスクスと笑った。
「私、学校は違ったけど高校一年のときに高橋と付き合ってたの」
「…………え?」
遥陽が片手で額を押さえた。
「頼むから余計なこと言わないでくれ……っ」
「何よ。別に今さら隠すことでもないでしょ。たった二ヶ月だったし」
「期間まで言わなくていい!!」
「それに高橋、付き合ってる間もぜんぜん私のこと見てくれなかったし」
「…………」
遥陽がぐうの音も出ず黙り込む。
渡辺はそんな遥陽の気まずそうな顔を見つめ、もう一度、蒼の可憐な顔立ちと透き通るアイスブルーの瞳を見つめた。
そして——。
「ああ」
ポン、と手を叩き、すべての謎が解けたような顔をした。
「て事は……高橋、アンタまだ片思い中?」
「―――はい?」
遥陽の顔から、一瞬で血の気が引いた。
蒼を見る。
「…………」
渡辺を見る。
「…………」
もう一度、蒼を見る。
「…………待って、待て待て待て」
「何?」
「それは——ちが、待てって!」
「だって高橋、付き合ったとき私に言ったじゃん? 『好きな奴がいるけどそれでもいいか』って」
遥陽が勢いよく立ち上がった。
「ストップ!!!!! 喋るな!!!」
静かな店内に遥陽の大声が響き渡り、周囲の客や店員が何事かと振り返った。
「声大きい、高橋」
「誰のせいだと思ってんだよ!!」
渡辺はまったく悪びれる様子もなく、肩をすくめる。
「『やっぱりあいつのこと忘れられない』『お前とちゃんと付き合えない』って言われて別れたんでしょ」
「…………」
遥陽は完全にフリーズし、石像のように固まった。
逃げ道が。
言い訳の余地が。
完全に消滅した。
「それ、高一の終わりくらいだったよね?」
渡辺が蒼へ向けて優しく微笑みかける。
「一回だけ、高橋が口滑らして『男だけどすごく綺麗な奴』って言ったのは聞いたけど……見てみたら納得いったわ」
「…………」
蒼の綺麗なアイスブルーの瞳が、吸い込まれるように遥陽へと向けられる。
遥陽は諦めたように力の抜けた動作で座席へ座り直した。その顔は頬どころか耳まで、爆発したように真っ赤に染まっている。
「……お願いだからもう帰ってくれない?」
「はいはい」
渡辺は心底楽しそうに笑った。
「邪魔してごめんね、一ノ瀬さん。高橋と仲良くね」
そして去り際、遥陽の肩をぽんと叩く。
「今度こそ、逃げないでちゃんと言いなよ」
「うるせえ……早く行け……」
「じゃあね」
渡辺はヒールを鳴らして去っていった。
残された、二人。
「…………」
「…………」
重苦しい沈黙の中、遥陽はグラスの中の冷たい水を一口飲んだ。
さらにもう一口。
グラスが空になるまで飲み干した。
「……遥陽」
「待って」
「でもさ」
「三十秒……いや、一分だけ待ってくれ」
遥陽は両手で顔を丸ごと覆い隠した。指の隙間から、消え入りそうな声が漏れ出す。
「……今日、絶対にこうなる予定じゃなかったんだって……っ」
六年間。
『親友』という立場を守るために、必死で隠し通してきた恋心。
今日ようやく、ほんの数センチだけ一歩を踏み出そうとしたはずだった。
それなのに。
高校一年の時点で既に好きな相手がいて、そのせいで彼女と別れていたことまで、完全に蒼にバレてしまった。
ガバッと手を下ろすと、遥陽はまるで釈迦の掌の孫悟空のような顔で蒼を見つめた。
「……何から聞きたい?」
こうなったらもう、どんな言い訳も、お調子者のフリも通用しない。
短い静寂があり、蒼がぽつりと口を開く。
「……高一の時好きだった人って、誰?」
「…………」
遥陽の喉仏が、ゴクリと大きく動いた。
「それ……マジで聞く?」
「気になるから」
「……そっか」
遥陽は小さく笑った。
いつものチャラいお調子者の笑い方とは違う。
自分の心と真剣に向き合い、緊張で肩に力が入り、指先まで固くなっていた。
「じゃあさ。答える前に……先に一個だけ訂正させて」
「なに?」
「『高一の時に好きだった人』じゃない」
遥陽はテーブルの上で痛いほど固く組んでいた手を、ゆっくりとほどいた。
「高一の、入学式からずっとだ」
「入学式……?」
「うん」
遥陽の脳裏に、鮮明な映像が蘇る。
体育館に満ちていた、独特の緊張感と春の匂い。
新入生として集められた、知らない顔ばかりがずらりと並んでいたあの日。
その中でただ一人、眩しいほどの光を放つプラチナブロンドの髪が目に入った。
「……なんかさ、めちゃくちゃ綺麗な奴がいるなって思って」
遥陽が耳まで赤くしながら、照れ臭そうに笑い、蒼の瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
「気づいた時にはもう、無意識にずっと目で追ってた」
「…………」
「一年のときはクラスも離れてたし、接点もなくてさ」
「うん」
「二年になってクラス発表の掲示見たとき、同じクラスんとこに名前見つけて」
遥陽の口元が、懐かしそうに緩んだ。
「跳び上がるくらいめちゃくちゃ嬉しかった」
蒼にとっては。
高校二年で偶然同じクラスになって、気付けば意気投合していた親友。
でも、遥陽にとっては違った。
入学式の時から一年間、遠くからずっと見つめ続けていた、憧れの人だったのだ。
「実際に話してみたらさ、見た目の印象よりずっと普通で」
「普通ってなに」
「褒めてる、めちゃくちゃ褒めてるから」
ほんの少しだけ、いつもの軽妙な空気が戻る。
けれど遥陽の顔は、すぐに今までに見たこともないほど真剣なものに変わった。
「優しくて。天然で素直で。頭いいくせに、変なとこ抜けてて」
「……それ本当に褒めてる?」
「めちゃくちゃ褒めてんだよ」
そして。
「知れば知るほど、ますます好きになっていった」
蒼が目をパチパチと瞬かせる。
遥陽はもう、一度たりとも目を逸らそうとはしなかった。
「……その人って、誰?」
蒼がもう一度、確信を求めるように問いかけた。
今度こそ、遥陽は一切の誤魔化しを捨てて答えた。
「お前」
短い、けれど重い一言。
「…………」
「蒼だよ」
遥陽の声が、微かに震えていた。
「俺が高校の入学式から六年間、ずっと好きなのは……一ノ瀬蒼。お前だけだ」
ついに、言ってしまった。
「高校二年で親友になれてさ」
遥陽は切なさの混ざった笑みを浮かべた。
「最高に嬉しかった。その代わり……簡単に『好きだ』なんて言えなくなった」
「どうして?」
「失いたくなかったから」
間髪いれずに答えた。
「下手に告って気まずくなって、お前が俺から離れていくくらいなら……親友のままがいいって思った」
「…………」
「大学も同じになって、毎日一緒にいれて」
遥陽は一度だけ、苦しそうに目を伏せる。
「これで十分幸せなんだって。これ以上望んじゃダメなんだって、何千回も自分に言い聞かせた」
それから、決意を秘めた顔を上げた。
「でも……無理だった」
昼間、自販機の裏で聞いた悠真の真剣な告白が脳裏を駆け巡る。
「藤原に告られて、お前が『考える』って言ったの聞いた瞬間……」
遥陽は自嘲気味に笑った。
「無理だって思い知った」
六年間、親友というポジションで満足していた自分の甘さも。
「だから……もう逃げんのやめる」
遥陽は蒼の綺麗な瞳をまっすぐに見つめた。
「蒼」
今度は『親友の遥陽』としてではない。一人の男として。
「好きだ」
静かに、けれど揺るぎない確信を込めて。
「ずっと、お前が好きだった」
そして——どこか照れくさそうに、困ったように笑った。
「……ごめん。今日いきなり答えを出せとは言わねえから」
悠真の告白にすら答えを出せていない蒼へ、さらに自分まで答えを迫って追い詰めるつもりは毛頭ない。
「ただ」
遥陽の表情が、少しだけ愛おしそうに切なくなる。
「もう俺のこと、『ただの親友』だと思わないでくれ」
「…………」
「俺は蒼と手え繋ぎたいし、デートしたいし」
顔を真っ赤にして本気で照れる。
「……いつか、本当の恋人になりたいって思ってる」
『親友』という名前の防波堤の裏側に隠し続けていたすべてを、蒼の目の前で綺麗に晒し切った。
遥陽はもう一度、深く深く息を吐き出す。
「……以上!」
そして、テーブルの上の空のグラスを掴んだ。
「やっべ……」
グラスを持つ手が震えている。
「人生で、一番緊張した……」
強がってハハッと笑ってみせる。
しかし、蒼の口からどんな返事が飛び出してくるのか、怖くて怖くてたまらないことだけは——隠しようもなく全身から溢れ出ていた。
ともだちにシェアしよう!

