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第8話 青い花

 朝食は、柔らかく焼いた卵と、野菜のスープだった。  王子が林檎の次に好きだと言った蜂蜜も、焼きたてのパンへ添えられている。  食べられる量は、まだ多くない。  それでも七日前よりは、少しずつ増えていた。  ヨシュアは向かいに座り、王子が食べる様子を眺めている。 「今日は、よい天気ですね」  窓の外へ目を向けた。  青い空が広がっている。  数日前まで汚れで曇っていた窓は、今では庭の奥まで見渡せるほど透き通っていた。  王子の部屋は、城の東側にある。  窓の下には、長く手入れされていない庭園が広がっていた。  生垣は形を失い、雑草が石畳を覆っている。水の止まった噴水には枯れ葉が積もり、蔓草が白い像へ絡みついていた。  それでも、荒れた庭の向こうには森が見える。  さらに遠くには、低い山々。  王子は窓から外を見るのが好きだった。  誰もこちらを見ていないときに限る。 「庭へ行きませんか?」  ヨシュアが言った。  王子の手から、パンが落ちた。  皿の上へ転がる。 「外へ?」 「はい」 「どうして」 「よい天気ですから」  理由になっていないと思った。  晴れた日は、これまでにも何度もあった。空が青いからといって、外へ出なければならないわけではない。 「行きません」 「そうですか」  ヨシュアはあっさり頷いた。  それ以上、何も言わない。  王子は落としたパンを拾った。  蜂蜜が指につく。 「怒らないのですか」 「なぜです?」 「せっかく、誘ったのに」 「嫌なことをさせるために誘ったのではありませんよ」 「でも」 「行きたくなったら、行きましょう」  ヨシュアは布巾を取り、王子の指についた蜂蜜を拭いた。  責める様子はない。  王子は窓の外へ目を向けた。  庭へ出たのは、いつが最後だっただろう。  この離宮へ送られたばかりの頃、一度だけ部屋から逃げ出したことがある。  父が迎えに来たと思ったのだ。  城の前に見慣れない馬車が停まり、王都の紋章が見えた。  裸足のまま廊下を走り、階段を降りた。  庭まで出たところで、衛兵に見つかった。  その男は剣を抜いた。  六歳の子供に向かって。  悪魔の子が逃げた、と叫びながら。  父の馬車ではなかった。  食料を運んできただけだった。  王子は庭で捕まり、部屋へ戻された。  それから、外へ出ていない。 「人が、います」  王子は言った。 「庭に?」 「廊下にも、階段にも」 「使用人のことですか」  頷く。 「皆、僕を怖がります」 「気にしなくてよいのですよ」 「気になります」 「そうですか」  ヨシュアは少し考えた。 「では、誰にも会わない道を通りましょう」 「そんな道はありません」 「作ればよいのです」 「魔法で?」 「はい」  王子は黙った。  ヨシュアの魔法は、少しずつ日常の一部になっていた。  火をつける。  部屋を掃除する。  湯を温める。  新しい衣服を、王子の身体へぴったり合う大きさに直す。  どれも禁じられた力とは思えないほど、優しかった。  けれど、魔法という言葉を聞くたび、母の倒れた姿を思い出す。 「魔法は使わなくていいです」 「承知しました」 「それでも、庭には行けません」 「わかりました」  ヨシュアは微笑んだ。  何も強要しない。  そのことに安堵して、同時に少し落胆している自分がいた。  本当は、行ってみたかったのかもしれない。  一人ではなく。  ヨシュアと一緒なら。      *  昼を過ぎる頃、ヨシュアは窓辺へ鉢を置いた。  土だけが入っている、小さな鉢だった。 「何ですか、これは」 「庭です」 「土しかありません」 「小さな庭ですよ」  ヨシュアは土の上へ種を置いた。  王子にも一粒を渡す。  黒く、小さな種だった。 「埋めてください」 「僕が?」 「ええ」  王子は人差し指で土へ穴を作った。  種を入れ、上からそっと土をかぶせる。 「水を?」 「必要ありません」  ヨシュアは鉢へ手をかざした。  指先から淡い光が落ちる。  土の中で、何かが動いた。  小さな芽が顔を出す。  芽は王子の目の前で茎を伸ばし、二枚の葉を開いた。  さらに蔓が伸び、窓枠へ巻きつく。  白い蕾が一つ、二つ、三つと膨らみ、次々に花開いた。  星の形をした、小さな青い花だった。  王子は息を呑んだ。 「きれい……」 「庭には、もっとたくさん咲いていますよ」  ヨシュアは窓の外を見た。  王子も目を向ける。  荒れた庭の片隅に、同じ色の花が見えた。  生い茂った雑草の間で、小さく揺れている。 「あれも、魔法ですか」 「いいえ。あちらは自分で咲いた花です」 「誰も世話をしていないのに?」 「だからこそ、咲いたのでしょう」  王子は窓辺の花へ触れた。  薄い花びらが指先に震える。 「触ってみたいですか?」 「触っています」 「外の花を」  王子は答えなかった。  ヨシュアも、それ以上は尋ねない。  ただ隣に立ち、同じ庭を眺めていた。

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