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Shanghai Underworld
1930年上海。
租界の周辺は、次の年に国のあり方まで変わるような出来事が起こることなどは思いもしないように、色々軋轢はあるものの、表社会ではそれなりに平穏な日々が続いていた。
表社会では…だ。
閉店した店の陰だった。
少年たちは、一人の男を囲んで
「ありったけ出せって言っただろ」
「まだ持ってるみたいじゃん。ケツのポケットにさ」
と蹴り倒して、金をせびっていた。
見ればまだ子供で、大きく見積もっても18歳には満たないように見える。
「この金はだめだ!これを渡したらお前らもただじゃ…っくぅっ」
すべて言い終わらない間に顔を蹴られ、それでも尻ポケットから出した封筒を自らの上着の陰に仕舞い込み、脇腹を抱えるように守り始める。
「ただじゃ済まねえってか?みんなそう言うな。結構な大金じゃないか。よこせよ」
「ダメだ」
頑なに身を縮まらせる男に苛立った少年の一人がナイフを取り出し、
「命と金とどっちが大事かなあ」
などと屈んで男の顔へナイフを当てた。
「俺は人を殺すのなんか怖くねえんだぞ?金渡したほうが、また稼げるってもんじゃねえのかな」
刃先が、頬から顎を彷徨い喉元までいくと男の喉から小さく
「ヒイィ…」
という声が漏れる。
「悲鳴が小せえなあ」
立って囲んでいる一人が嘲笑うかのように脇腹を抱える腕を踏みつけ
「俺らの前でそんな大金見せる方が悪いだろ…出せよ」
足で踏まれながら揺すられると、ナイフが喉に刺さってチクチクする。それすら恐怖で男の喉からは声すら出なくて、掠れた息がコォォと漏れるだけに至る。
「おい、そこの熊孩子 その辺にしとけよ」
不意に声がして少年たちが一斉に振り向くと、通りの真ん中で青いチャンパオにクーズー(足首までの布のズボン)を履いた男がこちらを見ていた。
「もう21時だぞ。ガキは家帰って寝る時間だ」
タバコを吸いながらの男は、そう言って歩いて行ってしまう。
「誰だあいつ うるせーぞじじ…」
「泰然 だ」
ナイフを持って脅していた龍霄 が食い気味に言ってきた。
「え、あれが?」
足で小突き回していた夜曜 も、ジジイと言いかけて泰然を二度見した。
煙をたなびかせて歩いてゆく後ろ姿しか見えなかったが、裏の世界を少しでも覗けば聞こえてくる名前である。
「初めて見た…ってか顔見えねえけど」
「俺らの歳じゃ、なかなかお目にかかれねえ人だな」
泰然 に気を取られている間に逃げようとしていた金蔓を抑えながら、沈墨 が冷静に言うが、次には
「よそ見してる間に逃げようとしてたぜこいつ。どうすんだ」
捕まえられた男も泰然の名前くらいは知っていたのか、泰然 が来るのはたまらん、と逃げ出そうとしていたが、泰然がそのまま素通りしたことにあからさまにホッとしていた。
「安心しろよ。泰然がこんなチンケなカツアゲに来るわけないから」
一転嫌な笑みを浮かべて龍霄 が捕まえている男のところへ寄ってきて
「でも俺たちあんたに顔見られてんだよなあ…」
笑ったまま前髪を掴んで顔を近づけてくる龍霄に、男は顔を背け
「黙って帰してくれりゃ、お前らのことなんか誰にも言わねえよ。ただし俺がこの金持って行かなかったら、お前らの命もないんだ。行かせろよ。自分らのためにも」
そんな男の髪を掴んでいた龍霄 は引き倒して地面に顔面を叩きつけ
「お前殺っちゃえば、俺らのことなんか誰にも伝わらねえだろ」
そう言って頭を踏みつけた。
男は流石に腹に据えかねて顔をあげ
「青幇だぞ!お前らになんか手に負えないだろ!俺をやったって、あいつらはどんな手を使ってでもお前ら探し当てるぞ」
青幇と聞いて、意地で表情は変えなかったが多少の動揺が口の端に出ていた。
「青幇は金にうるさいからな。自分らの取り分を取られたら取った相手を探し出すし、盗んだ奴を容赦しない。わかってるだろ」
それでもこの場で引くことはできなかった。
若さゆえの意地と、そして自分たちで持っていると思っている胆力で強がることしかできない。
「怖くねえわ。取り敢えずお前は消しとけばいいんだろ」
龍霄がもう一度ナイフを出すと、膝をついている男の顎を蹴り上げて吹っ飛ばし、そこへ歩み寄って行き
「再見」
と呟いて、心臓へナイフを突き立てた。
「師傳 」※師匠とか先生のような感じの意
飲み屋…といっても、屋台のような店の前に椅子とテーブルが出されているような場所で飲んでいた泰然 は、そう声をかけられて振り向いた。
「なんだ、まだ帰んなかったのか熊孩子 。つーか、師傳はやめろ。何も教えてねえ」
龍霄 も言われ慣れていて、そう言われても怒る素振りもない。
「やっぱりさっき声かけてくれたの師傳なんだ。あれからちゃんと落とし前つけたよ」
そう聞いて、口につけようとしたグラスを外して左肩越しに龍霄へ目を向けた。
「落とし前?」
「ああ、きちんと始末つけてきた。ほらみてこんなに…」
ポケットから何やら出そうとする龍霄 の手を止めて、泰然は
「ちょっと来い」
と、龍霄を引っ張って連れ出した。
「おいおい泰然、お前は攻め手じゃねえだろ〜」
「うるせえな酔っ払い、奢らねえぞ!」
何やら泰然の奢りで話し合いが行われていたようだったが、その合間に龍霄 は連れ出されたようだ。
龍霄の後ろには夜曜 も沈墨 もちゃんと付き従っていた。泰然を初めて間近で見た緊張感はあるようだ。
「落とし前ってなんだ?」
路地裏に3人を引き込んで、泰然は壁に寄りかかりタバコに火をつけた。
「俺らちゃんとやり遂げたってことだよ。あいつ始末して、金ぶん取ってきた。なあ泰然、これ渡すから俺たちをチームに入れてくれよ。ダメなら弟子でもいいんだし」
龍霄は以前から泰然に憧れ、弟子にして欲しいだのチームに入れてくれだのと喧 しい子供だった。
「弟子は取らねえし、チームは間に合ってると何度も言ってる。そんなことより落とし前の中身だ。始末ってことは殺っちまったってことでいいんだな」
「ああ、俺らにだってできるってとこを師傳 にも見せたくて」
ニコニコとしながら、まだあどけなさの残る笑みを見ると、泰然はあの時に声をかけたのを後悔した。
まさかこんなことまでやらかすとは思っていなかったのだが、若い子は怖い。
「あいつが何者か知ってんのか?」
「あいつって、さっき殺った男っすか?いや?なんか金持ってそうだったから…」
その言葉尻をとって、夜曜 が
「あ、なんか青幇に金が行かなくなれば俺らの命も危ないって言われましたけど…どうせふかしでしょ」
泰然は大袈裟に煙を吐き出した。
「それを聞いて殺ったのか」
「「はい」」
二つの声がハモって聞こえた。もう1人、ボーッと立っているように見えるが、沈墨 だけは浮ついてはおらず、少々何か考えているような目をしていた。
「お前は?」
その沈墨 に目を向けると、
「ふかしとは思ってないすけど、でも本当に命狙われるのかというのは半々す。俺らの顔ってそんな簡単にバレないでしょ」
冷静な顔をしていたから違う見解かとも期待したが、ガキはガキだった。
「あいつは、アヘンの売人だ。しかもアヘン売買を仕切る青幇の下部組織では、かなり重宝されてる売人だぞ。そいつ殺っちまったってことは…わかってるか?」
相当数売り上げる売人は、組織でもかなり便宜を図る存在だ。
3人はその時初めて息を飲んだ。
あいつがそんな…
「あの男は月に3000元はあげてんだ、そりゃ青幇も血眼になって犯人探すだろうなあ」
「さんぜ…」
言葉を失う金額だ。
泰然 はあーあ、とでも言った顔でタバコを吸い、
「知らねえからな。取り敢えず上海から出ていくのを勧めるよ」
と、壁から背を離す。
龍霄 が手にしている封筒には、少なく見積もっても500元は入っていそうだ。それを見つめて、初めて3人は震えた。
「裏に憧れるのは結構だけどな。そこにはそこのルールがある。それもわからないで踏み込むからこういうことになるんだぞ」
さて飲み直しだ、といいながら
「ご無事でな」
と3人の頭を順に撫でて、泰然は通りへ出て元いた店へ向かっていった。
青幇の怖さは、3人もわかっている。
だがまさかあの男がそんな立場なんて知らなかった。
「どうする龍霄 。泰然の言うとおりすぐにでも上海を…」
夜曜 が龍霄の腕に縋って震えている。
「俺もすぐに発つべきだと思う。その金があればどこにでもいけるだろ」
沈墨 も冷静に言ってくる。
3人は身よりもない孤児の集まりなのでそれは自由なのだが、龍霄は逃げ出すことをよしとしない。
だがこればかりは…
「金の絡んだマフィアは怖いぞ。俺らやばいところに手ぇだしたんだ」
|沈墨《シェンモー》は、龍霄が手にしている封筒を取り上げて、高身長を利用して高く掲げた。
「それともこれを返して、平身低頭謝ってくるとか…2択かもしれん…」
「それは聞いてあげらんないねえ…」
沈墨が掲げた手から封筒が取り上げられ、そう声がすると3人は身構えて振り向いた。
沈墨 よりも身長のある男が、ニヤニヤと佇み、その一瞬後には夜曜 と龍霄 も後ろ手に捕まった。
声を出す隙もないほどだ。
夜だと言うのにマフィアグラスをかけ、ハットを被った男は楽しそうに笑って封筒をスーツの胸ポケットへとしまった。
男たちは4人。
ハットの男は、捕まえられている龍霄の顎を掴んで強引に引き上げると
「最近頑張っている子達だね。噂はきいてるよ」
真っ白にすら見える顔に、紅を差したような唇がにんまり笑う。
「うちの手下が世話になったようで」
胸にしまった封筒の場所をポンポンと叩いてから、顎を持った手で龍霄の頬を軽く数回叩いた。
「彼ね、今瀕死」
そう聞いて3人は顔を見合わせる。心臓を突いて息の根は止めたはずだ。
「心臓ね…刺すの難しいって知らなかったみたいだね」
素人だものね。などとことさら強調してハットの男は言い、龍霄はそれにカッとなって
「それだってどうせふかしだろ!」
間近な赤い唇が結ばれて、軽かった頬を打つ手が一度強く音を立てた。
「君たちに嘘をついて自分らを大きく見せる必要は、私にはないんでね。ほんとのことだよ。彼が瀕死で仲間のところへ戻って知らせてくれた。君らの名前をね」
にんまりした笑いが邪悪な微笑みになり、龍霄 達3人は凍りついた。
格が違った。
悪 の格が段違いだ。しかもやり損ねていたとは…
「もうちょっと奥に行こうかな」
男の一声で、3人をがっちりと締め上げている男達が奥へと連れてゆく
「どうする気だ…」
龍霄の声は、強気な言葉とは裏腹に少し震えている。
その声音に男はまた最初の笑みを浮かべ、
「怖がらなくてもいいよ。金も戻ったし、あの男も瀕死ではあるが今は我々の医師に見せている…きっと大丈夫。だから、命までは取らないよ」
横一列に並ばされて、いまだに後ろからはがいじめにされている3人を眺めると、押さえている男達に目配せをした。
男たちは頷いて一度手を離すと、何秒もかけない間に龍霄は右の太ももを、夜曜は膝を、沈墨はアキレス腱をそれぞれ後ろから銃で撃ち抜かれた。
ぎゃあだのぐうっだのの声がそれぞれから上がり、3人は膝から崩れ落ち、膝を打たれた夜曜は、横坐りで手を地面についている。
「まずは逃げられても困るんでね」
ニヤニヤした笑みはそのままで、ハットの男は腕を組んだ。
「じゃあ、本番のお仕置きにいこうかな。まず君、龍霄くん?リーダーっぽいね、じゃ最初は君からかな」
赤い唇が白い歯を見せて微笑み、龍霄の後ろに控えた男が両手で頭を掴んできた。
4本の指が左右から顔にかかり、親指は後頭部を押さえている。
「右と左どっちがいいかな?選ばせてあげるけど」
言われている意味がわからず一瞬「え?」と声をあげた途端に、その声は悲鳴になった。
「ぎいあああいてえ!ああああ」
龍霄が悲鳴を上げるのと、夜曜と沈墨が
「「龍霄 っ!」」
と声をあげるのはほぼ同時で、夜曜などは2秒後には顔を背けていた。
「答えるの遅いから〜〜」
赤い唇と歯が笑っていた。
龍霄 の左目から夥しい血液が流れ出し、本人の目の前…膝をついている前に潰れた眼球が置かれたのは数秒してからだ。
「足と、目だけで許してあげよう。生活してゆくギリギリの身体にはしておいてあげる」
近寄ってきて眼球を取り上げると、苦しそうな龍霄の前にそれを突きつけてやり
「ここまで潰れちゃうと、名医でも元には戻せないね」
などと笑っている間に、他の2人に向き直り、
「君たちからは何を半分貰おうかな」
と言っては見ているが、もう決まっているかのように、夜曜は後ろから股間を掴まれて陰嚢を握られるとその片方を強く握られた。
「いってえ!なにすっ!」
まさか!と思う前に一つの塊は男の手の中で握りつぶされる。
「うぎゃああああああっ!!」
激しい悲鳴をあげた夜曜はその場で泡を吹いて失神してしまう。
「おや、かわいそうにね。じゃあ君は…」
と沈墨に向き直ったハット男は目で合図をして、それを見た後ろの男は沈墨の右手を地面に着かせ、指の横にナイフを立てるとギロチンのように順に指を落としていった。
こちらも激しい悲鳴が響き、沈墨 は足の痛みも手伝って転げ回ろうにも転げられず、うずくまって指を切られた方の手首を握って嗚咽する。
その時だった。
銃声が3回鳴り響き、3人の後ろにいた男達が音を立てて倒れ込む音がした。
ハットの男は身じろぎもせずに背後に気配を感じ、
「お前が邪魔するのかい?」
とその気配に声をかけた。
「殺す気はないよ?」
「だろうな、その気ならもうやってるだろうしな」
ハット男の後ろは暗闇すぎて誰がいるのかは見当もつかない。
片目になった龍霄が、強気にも目を凝らしても誰なのかはわからないが、声には聞き覚えがあった。
「邪魔しにきたんじゃねえけど…まあ…後ろの男どもは、俺の尺度ではやりすぎだなということで」
ハットの男も振り返って
「まあ、私の仕事は終わっていたからね。さすがだね、ちゃんと見てから助けに来るとは」
「助けにきたわけじゃねえ。そいつらは、そんな目にでも合わねえとわからなかったらしいからな」
敵とか味方ではなく、見えはしないが2人が重なって立っているだろう構図は、この社会 の構図を物語っているようだった。
イキがってここまできたが、何もわかっていなかったことを思い知らされ、龍霄 は項垂れた。
足も痛えし目も痛え…友人だった2人にも痛い目を見せてしまった。
「じゃあ私は引き上げるとするか。お前のせいで運転しなきゃならなくなったぞ、泰然 」
やっぱりそうか…泰然だったんだ…龍霄はそれで確信を得た。
「そのくらい自分でやれ」
そして青幇ともこんな軽口でやり合える…自分らはイキがるだけの小僧だったと本当に思い知らされた。
「逃げるより先に来られちまったな。これでわかったか?お前らの浅さが」
血生臭い現場で、3人は…1人は失神しているが、言葉もなかった。
小便を漏らさなかっただけ、自分を褒めよう。それくらいしかなかった。
泰然は助けにきたわけじゃない。これ以上のことはされないと踏んでから、自分らに実行してきた人間だけをやってくれたにすぎない。
これ自体が自分達への見せしめだった。
すぐにでも後ろの男達みたいにできるからな、というメッセージでもあった。
泰然 はその場をそのまま黙って離れ、取り残された少年たちは取り敢えず医者に…とは思うが失神してしまっている夜曜 を自分達ではどうにもできず、動けないまま夜明けを待つこととなった。
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