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第二章 第1話

 それは四月も終わりに差し掛かった、とある日。 「明日葉さん」  唐突に呼ばれて振り返ると、そこには至極真面目な顔をした新入社員がいた。  癖毛の自分には羨ましい限りの指通りの良さそうな亜麻色の髪。同じ色の瞳は、くっきり二重にきれいなアーモンド形。すっきりと通った鼻筋、薄い唇。冷ややかな表情しか見せないその顔は、世間でいわゆる「美形」に分類されている。  すらりとした痩身に、お前はどこのモデルだと問いただしたくなるような長い脚。Yシャツの上から作業着を羽織ったスタイルなのに、それすらも完璧に似合っていた。  一般的に神は二物を与えずと言われているが、あれは嘘だ。絶対に、嘘だ。  なぜかは知らないが、この男を筆頭に自分の周りには二物どころか軽く四、五物くらい享受している人間がうようよしているし、自分には二物どころか一物すら与えられていない。  神様はいつだって信じられないほど不公平だ。が、そんなこと言っても仕方がない。  そんな、自分としては非っっっ常に可愛くない新人――――亜笠誠一郎は、非常に真剣な顔をして、とんでもないことをのたまった。 「僕がどれだけ明日葉さんを好きで明日葉さんのどんなところを愛しているかを社内メールでうっかり一斉送信されたくなかったら、5月5日、僕に付き合って下さい」  その言葉に、チベット高原に生息するキツネのような顔になる。断れる人間がいたら、今すぐ会って欧米人顔負けの熱い抱擁を交わしたい。  そう思いながら、明日葉護は黙って首を縦に振った。  ちなみに現在の時刻は午前八時半。  朝礼が終わった直後の、オフィスど真ん中での出来事だった。 「で、何?」  一階倉庫の片隅。作業用手袋を嵌めながら、明日葉は低い声で問いかけた。  向かいには亜笠が伝票の束を持って立っていた。その顔は、不機嫌そうに眉を寄せている。 「何、じゃありませんよ。明日葉さんこそこんな人気のない所に連れ込んでどういうつもりですか」  まるで自分こそが被害者だと言わんばかりの口調に、明日葉は額の血管が切れそうになった。 「みんなが仕事してる目の! 前で! お前が堂々と脅すからだよ! っていうかここ倉庫だよ、おれたち在庫管理部の主たる仕事場だよぉおお!」 「脅してません、お願いです」 「『お願い』の意味を辞書で調べ直して来い!」  周囲の「ああまたやってるよお幸せに……」みたいな聖母並みに優しい眼差しがトラウマになりそうだった。  ひとまず腰のホルダーにセットしていたハンディスキャナーを取り出し、目の前に積まれた段ボール箱のバーコードを読み込んでいく。午前便の入荷処理の時間だ。  とりあえず落ち着け、落ち着け自分。そうだ、深呼吸しよう……と、思いながらも、呼吸は盛大なため息となってしまった。  3月に長年勤めていた先輩社員が辞めてからというもの、明日葉は連日連夜に及ぶ在庫管理と年度末の総決算に追われてた。仕事が落ち着かない中での、4月頭からの新人指導。しかもその新人がモンスター……いろいろな意味で。泣きそうだった。というか実際に泣いた。  モンスター新人、亜笠は平然と明日葉の隣に立っていた。彼は午後の配送分の伝票の束をめくり、伝票に記載された医薬品類を折りコンに詰めていた。  明日葉は積み上げられた段ボールのデータを読み込みつつ、口を開いた。 「あのね、何回も言うけど、情けないのもわかってるけど! おれ今抱えてる仕事でいっぱいいっぱいなんだよ。お前は新人だけど仕事覚えるの早いし、っていうか教えなくても出来てるし、自分で判断してやってけるだろ? 実際、お前のフォローでおれも助かってるし」 「ええ、それは言われなくてもわかります」  当然のように肯定され、明日葉は続けようとしていた言葉を一旦切った。こいつはどうしてこう自信満々なんだ……謙遜って言葉知らんのか今時の若者は。 「いや、うん……まあ、とりあえず……だからさ、おれにいちいちくっついて歩かなくてもいいって。もうすぐひと月も過ぎるし、教育係いなくても大丈夫だろ?」 「大丈夫じゃありません」  おっ、ここで謙遜が? と淡い期待が芽生えて、思わず亜笠の横顔を見た。 「明日葉さんが」 「…………」  30秒ほど沈黙した後、明日葉は持っていたハンディスキャナーを乱暴に腰のホルダーにしまった。段ボール箱へ手をかけ、どかどかと床へ広げて開梱を始める。  真剣な眼差しで、どうしてこうも人を無下にできるのだろうかと、倉庫の片隅で小一時間ほど尋問したい。そんなことしてもこっちがズタズタにされるだけだろうが。  とりあえず仕事、まずは仕事! えーっとコレ棚入れしたら今日の午後分をピッキングして、返品処理は亜笠にやってもらうとして、おれは発注を―――― 「明日葉さん」  呼ばれるが、無視した。無性にタバコが吸いたかった。 「明日葉さん」  もう一度呼ばれる。無視。  亜笠が手を止めて明日葉に向き直った。 「僕はやると言ったら本気でやる男ですよ」 「はいはいはい、話ね! 5月5日ね! 忘れてないけど今仕事中だし忙しいから、休憩時間に聞くね!」 「手を動かしながらでも口は動かせるでしょう」 「ごめんねそんな器用なマネ出来なくて! お前は出来るかもしれないけどおれは出来なくって! 悪かったね木偶の坊で!」  生意気が行き過ぎる新人に向かって叫ぶ。  明日葉が亜笠と出会ったのは、今月初め、4月1日のことだ。  一年の本決算直後でとんでもなく忙しい時期に、よりにもよってそいつはやってきた。3月末は本決算――――棚卸月だった。その上社員が一人減ったために、明日葉はひと月ほど残業休日出勤の連続で目の血走る日々を送っていた。  そんな中の新人指導。しかも聞かされたのが当日の朝で、明日葉はポンコツ上司に対する殺意を抑えるのに必死だった。  その上、初対面の新人には―――― 『明日葉さんは童貞ですよね。処女ですか?』  と、人生で忘れられない暴言を浴びせられる始末。  そんなモンスター新人、亜笠誠一郎は、度肝を抜くような登場ではあったが、非常にありがたいことに仕事は出来た。明日葉が感動するほどによく出来た。悔しいが、明日葉は亜笠が入社して良かったと思った。美形だし腰の位置高いし嫌味なことは言うし謎にお弁当やらおにぎりやら作ってくるけど、気遣い上手で相手のしてほしいことを察して動いてくれる。言動はともかく、上手くやっていけるかもしれないと思っていた。  最初の3日間だけは。  3日目の夜、徹夜を続けて作業する自分に亜笠がブチ切れた。てっきり自分のことを毛嫌いしているから怒っているのだと勘違いした明日葉は、言った。 『おれのこと嫌いならさっさと帰ればいいだろ!』  と。それを受けて、亜笠が言った。 『僕はあなたのことが好きなんですよ!』  聞き間違いかと思った。3日間徹夜してたし、疲労も限界だったし。なのに亜笠は、続けて言った。 『初めて会った時から、ずっと好きでした』  混乱する明日葉に、彼はきっぱりと恋愛対象として好きだといった。抱きたいとまで言われた。一年前に会っているとも言われた。明日葉にはさっぱり覚えがなかった。  パニックで泣きながら、それでも明日葉は棚卸のデータをまとめることを優先した。簡単に言えば、逃げた。  亜笠はご機嫌に棚卸のデータまとめに協力してくれた。おかげでデータは完成した。それはすごく感謝している。  が、さらなる問題は翌日に起きた。  あろうことかこの新人は、翌朝の朝礼時に全社員の前で宣言したのだ。 『明日葉護さんと結婚を前提にお付き合いする予定となりました』  と。明日葉はその場で意識を失った。徹夜4日目だったので、もう全部どうでもよくなって睡魔に身を任せた。  気が付くと応接室のソファに寝かされていた。やけに優しいキラキラとした眼差しを向けてくる社員たちを尻目に倉庫を降りていくと、亜笠は平然と日常業務をこなしていた。  翌日も、翌々日も。相変わらず彼は明日葉にお弁当を作ってきた。毎朝おにぎりもくれた。悔しいが、美味しかった。明日葉が無茶な残業をすれば30分は説教してきた。  そんな日々が続き――――今に至る。  亜笠は医薬品がパンパンに入った折りコンを台車で運びながら、口を開いた。 「5月5日、一緒に出掛けますよ」  命令形で来やがった。思いながら明日葉は医薬品を棚に並べていく。 「つーかGWド真ん中じゃん!」 「行きたいところがあります」 「友達と行けよ」  言うなり、亜笠の顔が能面のように凍った。隣で見ていた明日葉の心臓も凍った。どす黒いオーラが亜笠の背後から漂っていた。亜笠はキンキンに冷えた声で言った。 「9時に、立川北口待ち合わせで。1秒でも遅刻したら社内メール一斉送信しますよ」 「はい……すみませんでした……」  悪くもないのに謝ってしまった。こいつは何をそんなにキレているんだろう、明日葉は首を傾げながら医薬品を棚にしまった。

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