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どうしてフルネーム……?

 なんだろう、温かい。  ゆらゆら揺れていて、すごく心地いい……。  まるでずっと昔に、お父さんのおんぶで眠ってしまった遊園地の帰り道みたいだ。 「もうついて来るな」  男の低い声がすぐ近くで聞こえて、僕は夢現の状態から急速に意識を取り戻した。  な、なんだろう、不機嫌そうな声だったけど……。 「ガウッ」と子竜の鳴き声のようなものが聞こえる。 「この人間は私が保護すると言っているではないか。お前は己の成すべき事を成せ」 「グルルッ」 「己の試練と、見知らぬ人間のどちらが大事なのか、わかるだろう?」 「ガウワゥ、ウウ、ガウガウ、ガルル」 「……なんだと……?」  男がヒヤリと冷たい声を漏らすと、僕の揺れがピタリと止まった。  え、待って?  これってもしかして、僕この男の人におんぶ……いや、この感じからするとお姫様抱っこ……を……されているのでは……?  僕はこわごわ、そろりと目を開いてみる。  ハッと男が小さく息を呑む気配がする。  そちらを見上げると、ひとつだけの金色の瞳が僕をじっと見つめていた。 「モリカワリョクト……」  え……?  な、なんで俺の名前……。  ジョシュア様にもちゃんと呼ばれた事はなかったのに。  しかも、どうしてフルネーム……?  あ、契約書に書いたからかな……?  僕が驚きに瞬いていると、彼は辺りを見回して、お日様に温められた岩の上に僕をそっと下ろすと、僕の前に膝をついた。  え? え? なんで?  この人って昨日僕を守ってくれてた男の人だよね?  うん。右目に大きな傷があるこの人の顔は、間違いようがない。  彼は僕の前でやたらと紳士的に胸に手を当てて言った。 「私の名はオーロアデル……とだけ、今は名乗らせてくれ。オーロと呼んでもらえたら嬉しい」 「ガウガウッ、ワウン」  赤竜もパタパタと小走りでやってくると、僕の前にちょこんと座る。 「こちらはヴェルデリド、とだけお前も名乗っておくんだ」 「グルル……」  不服そうに男……オーロを睨む赤竜に、オーロは窘めるように言う。 「それがモリカワリョクトのためだ」  また僕の名前……。 「キュウン……。ガウ、ガウゥ」 「なんだと?」 「グルル……ガゥ」 「はぁ……。こいつはヴェルデと呼んで欲しいらしいが、別に呼ばなくて構わない」 「ガウッ!?」 「伝えただけで十分だろう、感謝して欲しいものだ」  まるで子竜と会話でもしているような男の言葉に、僕はなんだかおかしくなってしまう。  だって、こんなふざけたことをしそうにない、気難しそうな顔をした大の大人が、こんな……。  声は出ないけど、肩を揺らしてクスクス笑うと、オーロとヴェルデは同じように一瞬驚いたように目を丸くして、それから全く違う表情に変わった。  ヴェルデは嬉しそうな顔に。  オーロは、苦しくてたまらないみたい顔に……。  どうしてそんな顔……?  ああそっか、オーロはこれから僕の事をあの恰幅の良い男のところに連れて行かないといけないから……かな?  いいんだよ、そういう契約だったんだから。  オーロが僕に何かしたわけではないんだし、気にする事なんて何もないよ。  僕は諦めを纏いながら、オーロを慰めるように微笑んだ。  ***  三日経っても七日経っても、オーロが僕をあの恰幅の良い男のところに連れて行くことはなかった。  なんでかな……?  あの人達は大怪我してたし、骨も折れてたみたいだからかな。  ああいうのって治るのに三か月とか半年とかかかるんだっけ?  もしかして、今って、元気なオーロが一人で僕を目的地に届けに行ってくれてるのかな?  僕の体力が回復するまで、と、最初の一日は宿に泊まったけど、それ以降は僕達は毎日少しずつ徒歩でどこかへと移動している。  オーロは僕に少しずつ文字も教えてくれた。  この世界の色々なことも、僕が拙いジェスチャーで尋ねるとオーロは一つずつ丁寧に教えてくれる。  僕の食事は、町や村で買う以外だとオーロが鳥とか魚とかを獲ってきてくれた。  それを見て、赤竜までもが子兎を獲ってきてくれて、僕は驚いた。 「わぁ、ヴェルデはすごいね!」  ヴェルデがえへんと小さな胸を張って「ガウッ!」と答える。  こんな小さな竜でも狩りができるのに、僕ってなんにも出来ないなぁ……。  オーロは「自分の獲ってきた獲物は自分で捌け」と小さな子竜に真顔で無茶なことを言っていたけど、結局ヴェルデの獲ってきた分も全部オーロが捌いていた。  オーロは傷のせいか野生み溢れた外見で、一見粗雑そうに見えるのに、よく見ていると所作の端々がとても綺麗で洗練されていて、どこかの貴族みたいな貫禄がある。  それなのに、狩りから料理から、野宿の支度まで全部ひとりでできるのがすごい。  僕もなんでもひとりでできるようにならなきゃなぁ。  この先いつどこでひとり放り出されるか分からないんだし……。  僕が火の起こし方を手振りで尋ねると、オーロは「ヴェルデが火種にもならん役立たずだからな……」と何やら文句を言いながらも丁寧に教えてくれた。  けど僕の力じゃなかなか最初の火が付かない。  ガックリ項垂れていると、オーロは僕の肩をそっと支えて言った。 「リョクトにはリョクトの良いところがある。リョクトにしか出来ないこともある。人と同じことができなくても大丈夫だ」  モリカワリョクト、モリカワリョクトと連呼していたオーロに、僕は地面に字数分の丸を書いて二つに区切って……、と悪戦苦闘しつつも、苗字と名前を分離してもらうことに成功した。  リョクトとだけ呼んでもらうように頼んだら、オーロはすごく喜んでいた。 「ガウガウッ! ガウガウガウッ!」  僕の周りをぐるぐる走って何かを訴えるヴェルデ。  オーロに視線で翻訳を頼むと、オーロは嫌そうな顔で言った。 「……ヴェルデは……、自分もリョクトと呼びたいと言っているが、呼ばせてやる必要はない」  え、そんなの、いくらでも呼んでくれていいよ?  僕はにっこり微笑んで頷く。 「ガウッ! ガウウ~~!」  まあ、ヴェルデに呼んでもらっても、ガウガウじゃわからないんだけどね。  キューンキューンとヴェルデが甘えた声を出して僕の手に頭を擦り付けてくる。  ああ、お腹が空いたのかな?  僕がヴェルデに魔力を食べさせていると、オーロがいつものようにそれをじっと見つめてくる。  オーロは何故か、僕の見ている前で何も食べない。  僕にはご飯を作ってくれるのに、味見をしているところすら見たことがない。 「人間社会……特に貴族社会では、上下関係のある者同士が食事を共にすることはない」って前にオーロが教えてくれたけど、これもそういう事なんだろうか。  僕はただの荷物で、オーロと同じ人間ではないって事……なのかな……。  しょんぼりした僕の気持ちが魔力に現れてしまったのか、僕の手の中の魔力は途端に減ってしまった。  ヴェルデはパッと顔を上げると、僕とオーロの顔を交互に見て、それからオーロにガウガウと文句を言った。 「……っ、そんな、事は……」  ヴェルデの言葉に、珍しくオーロが狼狽えている。  大きな手で口元を隠すようにしたオーロの頬が、じわりと赤く染まって、僕はオーロが恥ずかしがっているのだと気づいた。  えっなんで!?  ヴェルデはなんて言ったの!?  今まで見たことのないオーロの、あまりに新鮮な表情に僕は釘付けになる。  ヴェルデはなおもガウガウとオーロに何か言っている。 「しかし……リョクトが嫌がるだろう……?」  え、何? 僕のこと!?  なんだろう、できる事ならなんでも言ってほしいのに。  僕は足元から木の棒を拾い上げると、地面に覚えたばかりの単語を並べる。 『何でも』と、……えっと『言って』は分からないので『言う』でいいかな……?  オーロはそれを見てさらに顔を赤くした。  ダメかなぁ……。  僕が縋るような思いで首を傾げて瞳で懇願すると、オーロはギュッと強く目を閉じてから、両手をあげて「分かった……。降参だ。私の負けだ」と負けを認めた。  うん……?  別に勝負はしてなかったよね……?  不意に、ずっと昔のクロとのやりとりが蘇る。  僕が調子に乗って「僕のこと好き……?」って聞いた時の。  めちゃくちゃ悩んで、恥ずかしそうにしてたあの時のクロの様子がなんだか今のオーロそっくりに思えた。  そういえば、あの時森の上を飛んでいた黒竜はどこに行ったのかな。  もうこの辺にはいないんだろうか。  また会いたいなぁ。  ……クロは今頃どこで何をしてるんだろう。  こんな風に旅をしていたら、偶然会えることもあるだろうか。  ぼんやりと空を見上げた僕に、オーロは言った。

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