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おかしいと思わなきゃいけなかったんだ

 ……暗い……。  どこだ、ここ……。  ん……あれ……?  ダメだ、目が開かない。  体も……指一本動かない……。  僕は……どうしたんだっけ?  オーロとエトさんと一緒に馬車に乗って……、ええと、それから……。  ダメだ、乗って移動していた事までは覚えているのに、降りた記憶がない。  そうだ、確かオーロが寝てしまって。  そういえば、僕はオーロの寝顔を今まで見たことがなかったなと思ったんだ。  オーロはいつも僕より早く起きて、僕より遅くに眠っていたから。  ……そんなオーロが、いくら夜戦明けとはいえ、僕に何も言わずに眠ってしまうなんて。  おかしいと思わなきゃいけなかったんだ。  何か聞こえる。  何かの鳴き声。  苦しげな……痛みに喘ぐような、そんな声だ。  ああ、また……。  痛そうな声が耳に届く。  これは竜の声だろうか。  子竜よりもずっと大きな……大人の竜……。  まさか、オーロ!?  ハッと意識は覚醒したのに、体はまるで動かせない。 「ハハハハハ! 惨めなものだな!? まだまだ終わらんぞ? さっきの礼をたっぷりしてやるから、覚悟しておけ!」 「ビリデクト様、それ以上なさっては翼が使い物になりません。騎竜として使い物にならなくなってしまいます」 「ハッ、構うものか! 解体して材料だけ取れば良いだろう!」 「でしたら尚のこと、傷を増やすのはお控えください。価値が下がってしまいます……」 「お前、この私に指図する気か!?」  バシンッと聞き覚えのある炸裂音がして、声の主がハッキリする。 「ヒィッ」 「そもそもあの時に、さっさと殺しておけばよかったのだ! そうすればこんな目には……っ! くそっ忌々しい! 弓隊、射掛けろ!」  ビリデクトの声に「はっ」と答えた声は少なくとも五つはあった。  ヒュンヒュンと風切り音がして、竜の悲痛な叫びが響く。  オーロに……矢を放ってるのか……!?  なんてことを……っっ!!  沸々と沸き上がる怒りに真っ暗だった視界が赤黒く染まる。  こんな奴……、あの時殺しておけばよかったんだ!  オーロを止めなきゃよかった!  僕のミスだ……!! 「ジョシュアがまだ子竜だからと! 私の専用騎乗竜にすれば恰好が付くとか言うから訓練に回したせいで逃げられたんだ!!」  え……?  子竜って……。  いつ……?  それはいつの話なんだ!?  オーロが何かを叫ぶように鳴いた。  それはどこか悲しい、後悔を滲ませた声だった。 「くそっ、思い出したら腹が立ってきた。ジョシュアを連れてこい!」 「しかしジョシュア様はまだ意識が……」 「水をかけて叩き起こせ! あいつが助けた竜が無残に殺される所を見せてやらんことには腹の虫が収まらん!! ジョシュアが哀れに泣きわめき私の足元に縋りつけば、少しは溜飲も下がるというものだ。……早く行け!」 「か、かしこまりました」  ああ、どうしよう……ジョシュア様にも迷惑をかけてしまう。  僕のせいで……。  僕と一緒だったエトさんは今頃どうなってるんだろう。  無事だといいんだけど……。  しばらくグチグチと悪態をつき続けるビリデクトを侍従さんらしき人達が必死で宥め続けるうち、よいせよいせと掛け声と共に足音が近づいて、僕から少し離れたところにドサッと何かが投げ捨てられた。 「……ぅ……」  今にも消えてしまいそうなか細い呻き。  声のした方向から僕のところにまで届いたのは、血の匂いだった。 「やっと来たか! 待たせおって!」  バチィッ! と音がして、小さくくぐもった声が漏れる。  今の音はこれまで床を叩いていた音とは違った。  オーロが吠える。  まるで、やめろと叫ぶように。 「ジョシュアよく見ておけ、お前が助けた竜が無惨に息絶えるところをな……?」 「……な……何故……ここに……」  震えて掠れたその声は、確かにジョシュア様の声だった。 「ジョシュアを支えておけ」  ジョシュア様は一人では起き上がれない状態のようだ。 「竜を解体しろ! 生きたままだ!」  ビリデクトの無茶な指示に、騒然とする。  そこからは阿鼻叫喚だった。  無理だと叫ぶ兵達に、ビリデクトは契約不履行の者は即死だと告げる。  オーロが暴れているんだろう。  太そうな鎖がジャジャラとなる音や、打撃音や人々の悲鳴が続く。  僕の手は相変わらず指一本動かせない。  意識はこんなにもハッキリしているのに。  何か僕にできることはないのか……!  ぐぐぐと力を込めた指先から魔力が漏れる。  すると、カクッと指が動いた。  え……?  僕は慎重に両手を包むように魔力を薄く広げる。  すると両手がしっかり動くようになった。  どうやら何かの魔法で動きを封じられているみたいだけど、魔力を流すことで打ち消せるみたいだ。  僕は人々やオーロの悲鳴に気を散らさないように注意しながら、慎重に硬化を解いてゆく。  腕と、足まではなんとか動くようになったけど、体は……魔力を出すのが難しいな……。  おそらく今はこの場の全員が竜と人との対決に気を取られているはずだ。  今のうちに、せめて動けるようになっておかないと……。 「しっかりしろ! それでもアンデクトス家の兵か!!」  バシンバシンと苛立ちと共に床を叩く音が響く。 「ビリデクト様、もうおやめください!」 「これ以上私兵を失っては、お父様が黙っていらっしゃいません!」  そういえば、長男はあくまで長男なんだよな。  侯爵様は今もバリバリ現役らしいし。  王城勤めでなかなか領地には帰ってこないらしいけど、この兄弟の事をどう思ってるんだろう。  そんな話も、もっとジョシュア様に聞いておけばよかったんだよな。  五年も一緒に暮らしていたのに、もっと何でも遠慮しないで聞いておけばよかった。 「くそっ! 仕方ない、リィヨを出せ!」  相変わらず名前が違うなと思いつつ、僕は全身の力を必死で抜いた。  動けないフリをする僕を、侍従さんらしき人が引きずって移動する。  イタタタタ、もうちょっと丁寧に扱ってもらえませんか?  地面に近いところで息を呑んだのはジョシュア様だろうな。  ジョシュア様、ごめんなさい……。  ジョシュア様が命懸けで逃がしてくれたはずの僕が、こんなところにいて。  今のジョシュア様の気持ちを考えてしまうと、胸が張り裂けそうなほど辛い。 「足だけ残して……、いや、足と左腕を残して麻痺を解け」  麻痺……。これ麻痺だったんだ?  利き腕を使えるようにしたのは、もしかしてあれかな。  僕はいかにも今目が覚めましたみたいな感じで現状に驚いてみせる。  演技力には自信がないので、驚いて言葉が出ないみたいな方向で……。  と、思ったんだけど……、本当に言葉が何も出なくなるほどに、オーロもジョシュア様もズタズタになっていて、あまりの光景に喉の奥が引き攣る。 「オーロ……、ジョシュア様……。ごめんなさい……」  思わず口から謝罪が漏れる。  それと同時に涙が零れた。 「お……おやめ、ください……彼の心が、痛んでは、魔力が……」 「もうその手には乗らんぞ!」  縋るようなジョシュア様の言葉に、容赦なく鞭が飛ぶ。  耳を塞ぎたくなるような音に、思わず左手まで上がりそうになってグッと堪える。 「魔力が取れずとも、竜を呼ぶ力があれば十分だ!」  その竜を呼ぶ力って、僕に本当にそんなものがあるんだろうか。  クロの時は偶然だけど、ヴェルデの時は僕の方から会いに行っただけなのに。  そんな事を思いつつ、僕は状況を確認する。  僕達が今いるのは、敷地の奥側にある外壁の上のようだ。  ロの字型に敷地を囲む壁のちょうど角の部分。  この壁の向こうには森が続くだけで、民家は無い。  だから少々騒いでも大丈夫ってことか。  オーロは奥側の壁から生えるたくさんの鎖に身体中を拘束されている。  壁は大きなオーロの背よりも高い。  壁の上を行けば、オーロのそばまで行けそうではある。  しかし手すりも段差も何もないな。  これだけ高さがあると、落ちたら即死だろう。  足を踏み外さないように気をつけないとな……。  うん?  でもあんなに大きな鎖なら、逆に人間サイズに戻れば抜け出せるんじゃないか?  ふと、オーロの首元に見慣れない紋が浮かんでいることに気づく。  ああそうか、僕を人質にしてオーロに何か契約をさせたんだな……。  相変わらずゲスい事ばっかりする男だ。 「これにサインしろ」  僕の前にずいと書類とペンが差し出される。 「僕は書類の内容が読めません」 「つべこべ言わずにサインをしろ!」  バシンッ! と僕のすぐ横に鞭が落ちる。  あー。これはあんまり文句言ってると当てられるな。  ひ弱な僕の体で、鞭を受けた上で走れるかというと難しそうだし、ここはあの手を使ってみるか。  僕はオーロをじっと見つめる。  気づいてくれるかな。  僕が喋れなかった時、オーロは僕の視線や表情からずいぶんと僕の意思を拾ってくれていた。  お願い、手伝って欲しいんだ。  オーロなら多分近いことができるんじゃないかと思うんだけど……。  あ、でも魔法が使えなくされてるとか、そういう可能性もあるか……。  打ち合わせができない以上ぶっつけ本番しかないんだし、もうここは賭けるしかない。 「わかりました」  僕はペンを手にサインをする。  既にビリデクトのサインが入っていた書類から、するりと荊棘のようなものが出てきて僕の首に触れて消える。  途端にビリデクトが高らかに笑い出した。 「ハハハハハハ! これでお前は私の命令無しでは動くことも叶わん! 私の操り人形だ!!」  おいおい……なんて一方的な契約をさせるんだよ。  人としてやって良い事と悪い事の区別がないよな、この男には。 「……そん、な……リヨ……」  ジョシュア様の声が涙に濡れている。  だけど僕はそちらを見る事もできない。  だって、ビリデクトの命令がないと動けないんだから。  ああ、ジョシュア様、そんなに悲しまないでください。  僕なら大丈夫です。  それよりも、ジョシュア様の怪我の方が心配です……。 「……もう、限界です……」  え、ジョシュア様……?  今の小さな声はジョシュア様の声だった……?  こんな暗く澱んだジョシュア様の声は、今まで聞いたことがなかった。 「ハハハハハ! 次はお前の番だ黒竜! 大事な番を殺されたくなければ抵抗しないことだな!」  言って、ビリデクトが壁際まで行ってオーロを見下ろす。  楽しくて仕方ない様子で高笑いをするのが視界の端にチラと見えている。 「……こんな事はもう、終わりにしましょう、兄上……」  ジョシュア様……? 「なんだ、何をぶつぶつ言って――……」  視界の端で振り返りかけたビリデクトの声が不意に途切れて、何かがぶつかるような音が……。  僕が思わずそちらを見てしまった時には、ジョシュア様がビリデクトと一緒に壁から飛び出したところだった。  次の瞬間、ジョシュア様はビリデクトごと僕の前から消えた。  ジョシュア様の背から飛び散った血飛沫だけが、空中に小さく舞っていた。

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