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第一話 婚約破棄のその後

自分がBLゲームの中に転生したのだと、リオネル・エルヴェインが気づいたのは五歳の頃だった。 きっかけは、ひどく些細なものだった。 春の王宮。まだ肌寒さの残る庭園で、ひとつ年上の従兄と並んで菓子を食べていた時、侍女が彼の名を呼んだ。 「ジュリアン殿下」 その名前を耳にした瞬間、何かが頭の奥で弾けた。 見知らぬはずのヴィジョンが、次々と記憶へ流れ込んでくる。 今とは全く異なる街。大学の講義室。姉の声。自分の部屋。事故の瞬間。 断片だった記憶が、洪水のように押し寄せてくる。 そしてその中で、リオネルは気付いてしまった。 この世界が前世で遊んだBLゲームの世界だということに。 いや、遊んだというのは語弊があるかもしれない。確か、姉に攻略を押しつけられてプレイしたのだ。 美麗なスチル、豪華な声優陣、そして新進気鋭の作家によるシナリオ。 そんな謳い文句だったように思う。 レイゼン王国を舞台に、複数のαとΩの恋愛を描いた作品。 その攻略対象の一人が、目の前で焼き菓子を齧っているジュリアン王子だった。 そしてジュリアンには、幼い頃から決められた婚約者がいる。 銀糸のような髪に、深い海を思わせる蒼い瞳──美貌だけは申し分ないものの、嫉妬深く、傲慢で、ジュリアンへ近づく相手を片っ端から敵視するΩ令息。 リオネル・エルヴェイン──つまり、自分だ。 幼い身体でそこまで理解した時、リオネルは本気で泣いた。 泣いた理由を尋ねられても説明できるはずがなく、隣にいたジュリアンには「菓子がまずかったのか」と心配され、侍女には熱でも出たのかと額を触られた。 だが、そんな周囲の心配など耳に入らなかった。 だって、このままでは破滅する。 何せリオネルの立ち位置ときたら、由緒正しい悪役令息だ。 ゲームのリオネルはジュリアンへ異様なほど執着していた。 まあ、恋愛ゲームの悪役なのだから、そこは仕方がない。 彼が他のΩと話せば癇癪を起こし、恋人候補には陰湿な嫌がらせを繰り返す。噂を流し、衣装を傷つけ、場合によっては階段から突き落とすし、暴漢を雇ったりなんかもする。 当然、最後にはお約束のようにすべて露見する。 大勢の貴族が集まる場で婚約を破棄され、家名にも傷をつけ、社交界から追放される。 ルートによって細部は違ったものの、少なくとも幸せな末路は一つもなかった。 ゲーム主人公への嫌がらせが露見して婚約を破棄され、そのまま侯爵家から勘当。地方の修道院へ送られるのが、まだ一番まともな方だ。 別のルートでは、六十を越えた地方領主の後妻に押し込まれる。成人した子どもまでいる男のもとへ嫁がされ、Ωとしてとにかく性的搾取される。 攻略対象を害そうとすれば王族への反逆に準ずる罪へ問われ、生涯を離宮の奥で終えるルートに繋がる。 外交問題にまで発展すれば身分を剥奪されて国外追放、そのまま「消息不明」の一文で片づけられてしまう結末も待っていた。 ジュリアンを取り戻そうと抑制剤を止め、夜会でヒートを起こした挙げ句に本人から拒絶され、Ωとしての評判まで失うルートもある。 極めつけは、ジュリアンの恋人を殺そうとして逆に追い詰められ、逃走中の馬車ごと崖から転落するエンドだ。遺体すら見つからず、最後に映るのは崖下に落ちたリオネルの指輪だけ。 (えぇ……いや、悪役令息一人にどれだけ恨みがあるんだ、このゲーム) 当時、隣で見ていた姉ですら引いていた。 だからリオネルは、子どもながらに決意した。 何もしない。これに尽きる。 誰にも嫌がらせをしない。ジュリアンが誰と親しくしようと口を出さない。婚約者として必要な教育だけ真面目に受け、他人を見下すこともやめる。 幸い、家族は優しかった。 エルヴェイン侯爵家は王家とも血の近い名門であり、Ωであるリオネルは幼い頃から大切に育てられた。 父も母も、兄たちも、第二性を理由に彼を疎んだことはない。 むしろ多少過保護なくらいだった。 前世の記憶を取り戻してから急に大人しくなったリオネルを、家族は不思議には思ったらしい。それでも無理に理由を尋ねず、彼が穏やかに暮らしているならそれでいいと受け入れてくれた。 ジュリアンとの関係も悪くはなかった。 恋愛感情があったかと言われれば、たぶん違う。 二人の婚約は恋から始まったものではなく、王家から持ち込まれた話だった。 王家に近い血を持つ侯爵家のΩと、王子であるα。家格も血統も申し分なく、王家からすれば都合のいい組み合わせだったのだろう。 正式な婚約が結ばれた時も、リオネルに拒否するという発想はなかった。 原作通りではある。 だが、悪事さえ働かなければ破滅する理由もなくなる。 ジュリアン自身も、決して悪い男ではなかった。 子どもの頃から穏やかで、王族らしい教育を受けながらも尊大ではない。従兄として接している分には気安く、リオネルが困っていれば手を貸してくれることもあった。 ただ、婚約者として距離が近くなると、時折妙な顔をした。 理由もなく苛立っているような、どこか居心地が悪そうな顔。 けれど、リオネルは深く考えなかった。 政略結婚なのだから、そんなものだろう。 自分だってジュリアンに恋をしているわけではない。 結婚後に互いを尊重し、穏やかに暮らせれば十分だと思っていた。 主人公が現れたなら、身を引けばいい。 何より、自分はゲームのリオネルとは違う。 誰も傷つけていない。 誰も陥れていない。 これなら、あの婚約破棄イベントは起こらない。 十八歳になったその日まで、リオネルは本気でそう信じていた。 なので。 「リオネル。君との婚約を解消したい」 王宮の小広間でそう告げられた時、意味を理解するまでに数秒かかった。 窓の外では初夏の日差しが庭園を白く照らしている。卓上の茶はまだ温かく、王妃が先ほど口をつけたカップから細い湯気が昇っていた。 そんな穏やかな昼下がりに、ジュリアンは人生をひっくり返すようなことを言った。 リオネルは向かいに座る従兄を見つめた。 冗談を言っている顔ではない。 金色の髪を整え、淡い青の瞳を伏せたジュリアンは、むしろひどく居心地が悪そうだった。 その両脇には国王と王妃まで座っている。 逃げ場のない配置だ。 嫌な既視感が背筋を走った。 この台詞を、知っている。 場所は違う。 ゲームではもっと華やかな夜会の最中だった。大勢の人間が見守る中、ジュリアンが悪役令息リオネルを断罪する。 だが、今のリオネルには断罪されるような罪がない。 無意識に、膝の上で組んだ指へ目が落ちた。 何もしていない。 本当に、何一つ。 ジュリアンが親しくするΩを虐めてもいなければ、衣装を裂いたことも、噂を流したこともない。階段から人を落としたことなど当然ない。 むしろ、誰かと親しくしているのを見かければ、ありがたいとばかりにその場を離れていた。 無論、あとから妙な疑いを持たれないよう、人目のある場所で過ごすことも忘れない。アリバイだ。 ──それなのに。 「……理由を、お聞きしても?」 ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど平静だった。 ジュリアンの眉間に皺が寄る。 「……君に落ち度があるとは思っていない」 「では、なぜです?」 「それは……」 ジュリアンは口ごもった。 リオネルは国王へ視線を移したが、陛下も困り切った顔をするばかりだった。王妃も同じだ。 ますます意味がわからない。 「あの……僕が何か、王家の名誉を傷つけるようなことをしましたか?」 「していない」 「では、婚約者としての務めを怠りましたか?」 「いや」 「じゃあ、他に何が?」 ジュリアンは黙り込んだ。 やがて、諦めたように長く息を吐く。 「……君のそばにいると、落ち着かないんだ」 「はい?」 リオネルは思わず聞き返した。 (なんだそれ……) まるで意味がわからない。理由を聞いたはずなのに、返ってきた言葉で疑問が増えた。 そんなリオネルの困惑をよそに、ジュリアンは続ける。 「幼い頃から、ずっとそうだった。君を嫌っているわけではない。従兄弟としてなら、私は君のことを好ましく思っている」 「はあ……」 「けれど、婚約者として近くにいると、どうしても駄目なんだ。理由は私にも説明できない。ただ、君を伴侶として迎える未来を考えると……息が詰まる」 そこまで聞いて、リオネルは言葉を失った。 嫌がらせをしたなら、謝ることもできる。 性格が悪いなら、改めることもできる。 婚約者として何か不足があるというのなら、努力のしようもある。 だが。 ――何となく、嫌。 そんなもの、どうしろというのだ。 「……つまり……僕には特に落ち度はないけれど、何となく嫌だから婚約を解消したい、と?」 ジュリアンが露骨に顔を歪める。 「言い方は悪いが……そうなる」 「最低ですね」 思わず漏れた言葉に、リオネルは慌てて口元を手で覆った。 けれど、目の前の誰も咎めない。 それどころか。 「分かっている」 あまりにも素直に項垂れられて、怒鳴る気まで削がれた。 ジュリアン自身、ずっと悩んでいたのだろう。 それは、まあ……分かる。 分かるが、納得できるかは別問題だった。 リオネルはあの思い出した瞬間から、破滅しないため真面目に生きてきた。 原作の悪役令息が踏んだ地雷は、一つ残らず避けたはずだ。 それなのに、ゲームの筋書きは罪状だけ失ったまま婚約破棄という結果だけを律儀に運んできた。 何なのだ、それは。さすがに理不尽すぎる。 それでも、リオネルは深く息を吸った。 今の状態で、これ以上この婚約を続けても意味がないことくらい、さすがに理解できる。 ジュリアンが自分を伴侶として受け入れられないのであれば、結婚する前に終わらせる方が互いのためだ。 今回は何の不祥事も起こしていない。 家族とも良好だ。 原作のように家から断罪される理由も、この調子なら多分ない。 となれば―― (まあ……悪くはない、か? 悪役ルートの条件は満たしていないわけだし、おかしなルートに行くことはないだろう。……多分) なんて納得しかけていると、 「それでね、リオネル」 王妃が遠慮がちに口を開いた。 「あなたの今後についてなのだけれど」 胸の奥に、また嫌な感覚が落ちた。 「……今後?」 「すでに、別のお話が決まっているの」 しばらく言葉が出なかった。 リオネルは数度瞬きをして、首を傾げる。 「別の、お話?」 王妃が申し訳なさそうに頷いた。 つい今しがたまで話していたのは、自分とジュリアンの縁談についてだ。 その流れで「別のお話」と言われれば――。 意味を理解した途端、頭が痛くなった。 「まさか、あの……婚姻ですか?」 答えの代わりに、三人の沈黙が落ちた。 リオネルは深く息をつき、天井を仰ぐ。 しばらくそうしてから、ようやく顔を戻した。 「待ってください。僕は今、婚約を解消されたばかりですよね?」 「そうなのだけれど」 「なのに、次の婚姻がもう決まっているんですか?」 「先方から、非常に強い申し出があって……」 非常に、の部分に妙な力が込められていた。 「……どなたです?」 そう問うと、今度は国王まで視線を逸らした。 何なのだ。さっきから。 「北方に領地を持つ方だ」 重い沈黙のあと、ジュリアンが観念したように口を開く。 北方。王都から数日はかかる、寒冷な辺境。 寂れているという噂こそないものの、リオネル自身は一度も足を運んだことがない。 いくつかの家紋が脳裏をよぎったが、当然ながら、それだけで相手を特定できるはずもない。 それにしても、なぜ名前を言わないのか。 婚姻相手を尋ねているのに、返ってきたのは領地の場所だけ。家名すら伏せる理由が分からない。 (……なんで隠すんだ?) 不審に思いながらも、リオネルはひとまず相手を絞れそうなところから尋ねることにした。 「家格は?」 「それについては、問題ない」 家格が分かれば、もう少し見当もつくと思ったのだが、それすら具体的には答えない。 ますます怪しい。 「年齢は?」 ジュリアンが黙る。 リオネルの頬が引きつった。 「……僕より、かなり年上とか?」 「まあ」 「どのくらいですか?」 「……それは先方に会ってからでも」 「なぜ隠すんです?」 誰も答えない。 嫌な想像だけが膨らんでいく。 破滅ルートのひとつ――六十を越えた地方領主の後妻にされる結末が、頭の隅をちらついた。 非がないとは言われたものの、婚約を破棄されたΩなど、王都に置いておけば扱いに困るのだろうか。 それなら、どこかへ嫁がせてしまえばいい。 まさか。 ……いや、いくら何でも。 「あの……父上は、この話を?」 「了承している」 今度こそ、リオネルは目を見開いた。 父が? あの父が――リオネルが一人で外へ出ようものなら、仕事さえ放り出してついてくるような父が、自分を辺境の誰とも知れない貴族へ嫁がせることを了承した? 「母上もですか?」 「もちろん」 リオネルは息を呑んだ。 母は、ジュリアンであろうと他のアルファであろうと、リオネルに近づけば睨みを利かせて間に入るような人だ。 その母が。 「兄上たちは?」 「詳しくは聞いていないが、家として話はついている」 ありえない。 兄二人に至っては、発情の兆しがあればリオネルを部屋へ押し込み、交代で扉の前に立って夜通し見張るような人たちだ。 その兄たちまでもが! ありえない。 少なくとも、何か事情がある。 でなければ、リオネルを溺愛しているこの家族が、本人へ何の相談もなく婚姻を決めるはずがない。 「……でしたら、一度家へ戻って父上から――」 「それが」 国王が咳払いをした。 「迎えが、もう来ている」 「……迎え?」 「今日中に出立するよう、先方から強い希望があってな」 「は? え? 今日?」 「うむ」 「今からですか?」 「そうだ」 ありえない。 そんなバカな話があってたまるものか。リオネルはしばらく国王の顔を見つめた。 しかし、冗談ではないらしい。 「いや、ええと……荷物は?」 「すでに用意されている」 「用意? 誰がです?」 わずかな間があった。 「先方が」 国王がそう答える。 ぞわり、と背筋を冷たいものが走った。 ――待て。 婚約破棄を告げられたのは、つい先ほどだ。 それなのに迎えが来ており、荷物まで準備されている。 つまり先方は、少なくとも今日この場で婚約が解消されることを、事前に知っていたことになる。 リオネルは膝の上で指を握った。 いや、それだけではない。 今日中に自分を連れ出せるよう、すべて準備して待っていたのだ。 リオネルは膝の上で指を握った。 「……僕に拒否権は?」 誰も答えなかった。国王はあからさまに目を逸らし、王妃とジュリアンは下を向いている。 どうやら、リオネルに拒否権なんてものはないらしい。 リオネルは言葉を失ったまま、もう一度天井を仰いだ。 (神様、僕が何をしたっていうんだ……) ◇ こうしてリオネルは、何一つ悪いことをしていないにもかかわらず王子との婚約を解消され、その日のうちに王都を離れることになった。 家族に会う暇さえ与えられなかった。 何も持たぬまま、誰にも会えぬまま、用意されているという馬車へ向かう。 歩き慣れたはずの王宮の廊下に、今日は妙に冷たく自分の足音が響いた。 馬車は王宮の正面ではなく、人目につかない裏手に待っている。 みすぼらしいものではなく、むしろ立派な馬車だった。そこだけは少し安堵する。 御者も護衛も、エルヴェイン侯爵家の者ではない。 それでも身なりを見る限り、相当な家の人間であることだけは分かる。 馬車に乗り込む際、護衛騎士の一人が丁寧に手を差し出した。 扱い自体は、決して粗雑ではない。むしろ丁重すぎるくらいだ。 それが余計に不気味だった。 馬車が動き出し、城壁が次第に遠ざかっていく。 リオネルは窓から王都を眺めながら、小さく息を吐いた。 「……僕、売られたんでしょうか」 向かいに座る護衛騎士が激しく咳き込んだ。 「い、いえいえ! 決して、そのようなことは!」 「じゃあ、どなたのところへ行くんです?」 「それは……到着すればお分かりになります」 「名前くらい教えていただいても?」 「今は、申し上げられません」 「なぜ?」 騎士は口を閉ざした。そのまま、会話は途切れた。 馬車は数時間ほど走り続け、日が傾く頃には一日目の宿へ辿り着いた。 そこは、リオネルが想像していたよりもずっと上等な宿だった。 夕食にはリオネルが好む白身魚の香草焼きが出され、食後には、普段からよく口にする苦味の少ない茶まで用意された。 (んん……?) 偶然にしては、妙に引っかかる。けれど、誰かに尋ねたところで答えてくれそうにもない。仕方なく、その疑問はいったん胸の内へしまった。 二日目。寝台に横たわった時には、枕の硬さまで自宅で使っていたものとほとんど同じだと気づく。 三日目。朝食に、幼い頃から好んでいる蜂蜜入りの薄焼き菓子が出てきた。 そこでさすがに、偶然ではないと理解した。 「……これは誰の指示です?」 護衛騎士は少しだけ困った顔をした。 「すべて、主様から細かな指示を受けております」 「僕の好物まで?」 「はい」 「えっと、寝具も……ですか?」 「はい」 「宿泊する部屋の温度まで?」 「……はい」 リオネルは黙った。 会ったことのないはずの相手が、自分の好みを異様なほど詳しく知っている。 その事実に、胸の奥がざわついた。正直言って気味が悪い。 何者なのだ。 本当に、知らない相手なのか。 そんな疑問を抱えたまま、四日目の夕暮れに目的地へ辿り着いた。 北方は、リオネルにとって完全な未知の土地だ。 馬車がくぐったのは、領都を囲む巨大な城門だった。 厚い石壁の向こうには、王都とは趣の異なる街並みが広がっている。尖った屋根を連ねた建物はどれも整然と並び、寒冷な土地らしい重厚さがありながら、不思議と陰気さはない。 大通りを進むにつれ、人家や商店の密度が少しずつ薄れ、その先に広大な庭園が現れた。夕暮れの薄闇の中でも、よく手入れされていることが分かる。 そして、そのさらに奥。 小高い場所に、屋敷というより城と呼んだ方が近い館が建っていた。 老貴族の隠居先どころではない。 明らかに、王国内でも指折りの大貴族の邸宅だ。 馬車が正面玄関へ止まった。 扉が開き、冷えた北方の空気が入り込む。 護衛騎士の手を借りて地面へ降りると、長旅で固まっていた脚が僅かに震えた。 玄関前には使用人たちが整然と並んでいる。 誰も好奇の目を向けてこない。むしろ、どこか好意的にさえ見えた。 まるで、リオネルが今日ここへ来ることなど、ずっと以前から決まっていたように。 重厚な大扉が、音もなく開いていく。 玄関ホールの中央に、一人の男が立っていた。 リオネルは顔を上げ――息を止めた。 男はリオネルを視界に収めると、鮮やかに微笑んだ。 「ようこそ、リオ。我が屋敷へ」 マティアス・エーレンベルクが、そこに立っていた。

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