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本編

 思ったより時間がかかってしまった。貞操の危機からはじまる凄惨な未来を回避する為、遅刻なんて凡ミスで機会を失うわけにはいかない。  俺は目当てのグレン商会にたどり着くと、裏手の門から出てきた前掛けをした下働きの女性に手を振って呼び止めた。 「ご婦人、お願いがあります」  女性は立ち止まると俺を見て、不審な目を向けた。 「本日グレン会長とお約束をいただいたシロと申します。大変恐縮ではございますが、お取り次ぎいただけないでしょうか」  少し目元に皺のある女性はさらに、警戒するように顎を引いた。  俺は人好きのする笑みを見せて、両手で手紙を差し出す。年齢より幼く見えるため、女性であっても警戒心は解かれやすい。可愛くみえるのは不本意だが、使える武器は使わせてもらう。 「怪しいものではありません。グレン会長は今、私をお待ちになっているかと思います」  つけ足した言葉に女は嘆息した。 「しかたないね。誰だか知らないが、執事長に伝えるくらいならしてあげるよ。名前は?何て言うんだい」 「ランツ商会のシロ、と申します」 「商会の人間がなんでこんな裏口から⋯⋯って私が言っても仕方がないね。少し待ってな」  人気のなくなった裏口でポツンと静かに立ち尽くした。まかない飯の旨そうな匂いがかすかに漂っている。お使いを急いで終わらせてつくった貴重な時間、俺は一発で話をつけてやると、闘志を燃やして女性が出てくるのを待ち構えた。 「グレン会長がお待ちです」  商会の二階に通された俺は、大きな机の向こう側に座る金髪を撫でつけた粋な男を目にして、胸に手を当て深々とお辞儀をした。 「ランツ商会のシロと申します。ご多忙なグレン会長にあっては私のようなものに時間を取っていただき、感謝に堪えません」 「あ、そういうのいい。俺は長い挨拶は好かん。それとお前のよこした封書、褒められたもんじゃないぞ。主人を裏切るとはなかなかいい性格をしている」  嫌悪をみせるグレンに、俺は唾を飲み込み唇を湿らせた。ここで断られるわけにはいかない。 「ランツ様は、私に非常に良くしてくださる優しい主人です。ですから私も裏切るようなことはしたくありません。私はただ、私を自由にするためのお金を貸していただきたく参ったのです」  俺は首に巻いていたスカーフをはずした。周りの皮膚がひきつれ、黒い痣のような紋が現れる。買われたときにつけられた、逃亡防止の個体識別紋だ。 「⋯⋯奴隷紋か。珍しくはないな」 「あと二年ほどで、自分の身請けが可能になります。主人も承知しております。ただ最近どうしても早くに身請けをしたい切実な問題が生じてしまいまして」 「なんだ」 「私の貞操の危機でございます」  グレンは目を眇めた。 「まさかランツの若旦那が?⋯⋯そういう癖があったとは。本当か?」  俺は視線を下げた。驚くのも無理はない。温厚で品格のある大商人だからな。だが悲しい真実だ。 「繊細なことですのでご内密に願います。旦那様は素晴らしい方ですが、私はそのような関係は望んでおりません。ですので身請け金をお借りし奴隷の身分を早く返上したいのです。グレン会長には、この身をもってご恩をお返ししたいと考えております」 グレンは腕を組んで目を閉じた。 「貸すのはいいが。ランツから余計な恨みは買いたくないんだよな」  俺は柔らかな笑顔を浮かべた。 「ランツ様には、グレン会長が私に破格の準備金を用意してくださったと伝えておきます。ランツ様が育てた使用人が、高く評価されるのです。名声はさらに高まることでしょう」  グレンは俺を疑いつつも、頭の中で勘定をはじいているようだった。  この商会が帳簿係を欲しがっていることは、同僚から聞いている。俺はアイドル顔だから客受けもいい。何よりライバルのランツの目にかなった優秀な奴隷だ。買いだ、買い。商人なら目の前の優良物件を嗅ぎ分けてくれ。 「帳簿付け以外に、お前は何ができる?」 ぐ、と俺は拳を握りしめた。 「ランツ家の料理人から料理の腕は絶品だと言われています。ご婦人方が喜ぶデザートをつくるのは得意ですよ」 「他には?」 「私が掃除した後は、清められた聖堂のようだとの評価を旦那様から頂いております」 「掃除はいいな⋯⋯だが皆言うんだよな。私はすごく出来るって」  じゃあ、聞くなよ!  心の叫びを封じ込め、俺は仕方なく自分の切り札を出すことにした。 「私は『落人』です。髪を目立たぬよう染めておりますが、本来は目と同じ黒色です」  俺は自分の髪を一本引き抜き、グレンに渡した。薄い茶色の髪はよく見ると根元が黒くなっている。この世界には存在しない黒い髪。希少な落人の証拠だった。グレンは眉を寄せ、指でつまんだ髪とシロを見比べた。 「本当に落人か?はじめて見るが」 「私をランツ様に売った奴隷商に聞かれてはいかがです。『落人』は真面目で従順で使い勝手がよいとの噂は、ご存じですよね」 「自分で言うか」  胡散臭いものを見るようなグレンに、俺は悲しそうな顔をしてみせた。 「納得できないなら残念です。他の方を当たるしかありません」  しばし値踏みをするグレンの様子を、俺は息をつめて注視した。落人であることを売りにしたくはないが、受けはいい。 「まあ、損はないか⋯⋯お前を買っても」  頭の中で天を仰ぎ、両手でガッツポーズを決めた。 「ありがとうございます!グレン会長!」  グレンはやれやれといった表情で、席を立った。 「どうする?金はすぐ用意できるが」 「ぜひ!速やかに!お願いしたいです」 「フレデリク、悪いが店のものに契約書と手形を用意させて、ここへ呼んでくれ」  グレンが後ろに控えていた男に声をかけ、俺はそこで初めて男の存在に気がついた。短髪で肩幅のある男は何も言わず、隣の部屋に通じる扉の向こうに静かに姿を消した。でかいくせに足音が無い。 「気になるか?あれは護衛だ。ランツに話をつけに行くときには、連れていっていいぞ。いるだけで意外に役に立つ」  商人に護衛がつくのかよ。グレンの言葉に俺は少し考えてから笑みを返した。 「ランツ様を驚かせてしまいそうです。お気持ちだけ有難くいただいておきます」 「それはそうと、あの封書の中身はどうするつもりだ」 「あ。あれは」  少し困って頭を掻いた。 「ランツ商会の帳簿の写しとそれに基づき私が作った分析表です。いくつかの販売手法とその利益を算出してみました。ランツ様に損害が出るようなものは一切ございません」  グレンはあきれたように嘆息した。 「あれで俺を呼びつけたのか。食えない奴だな」 「『落人』ですから。値切りと交渉事は血が沸き立つのです」  ということにしておこう。 「聞いたことないが。お前が変な噂を広めてるんじゃないだろうな」 「まさかあ」 へへ、と笑って、俺は用意された契約書に目を通すのだった。  この世界では『落人』と言われる俺の話をしよう。  俺こと、幸村史郎は六年前にこの世界に転生した。名前から分かる通り日本人、当時十七歳だった俺は、よくある普通の家庭環境で、普通に青春を謳歌する少年だった。将来は人好きのする見た目とコミュ力でコンサル業なんかをしつつ旅行三昧もいいかもなどと考えていたが、なんの因果かお約束通りの交通事故にあい、気づいたときには、異世界の浜辺に放り出されていた。プラゴミ一つ無い延々と続く無人の砂浜である。建物も船も飛行機も見えない海辺は波音しか聞こえず、自分のいた文明とは明らかに異質な場所だった。  俺が一体何をしたっていうんだ。俺を放り出すなんて、世界の損失を考えろってんだくそったれ。  砂と海水にまみれた体で人を探して歩き続け、運よく食べ物を配給している場所に行き着いた。腹がすいて、喉もからからに渇いていたから、つんとした酸っぱい匂いを放つ痩せた人達の列に自分も加わり、炊き出しにありついた。と、思ったら全員まとめて檻の中に追いやられた。  嘘だろ。ありえねえ。白昼堂々と拉致監禁て、どれだけ無法地帯なんだよ。臓器売買とか詐欺団地とかダークなビジネスが頭の中をかけめぐった。やばい。このままじゃひょっとしなくても搾取されつくされてポイだ。  俺は檻の中を見回した。暗い顔の老若男女がすし詰めにされるなか、母親くらいの歳の女性に話しかけた。言葉は通じなくても、ジェスチャーと表情で、俺達がどうなるのか聞いてみる。答えが知りたいわけじゃない。とにかく反応がある奴に喋りまくって言葉を必死に覚えた。  俺と捕まった連中は、拘束されて乗り物酔いを起こして吐きそうになりながら荷馬車で運ばれ、奴隷商と呼ばれる男の店に陳列されることになった。見目のいい俺は目玉商品で一番目立つ場所に陳列された。最悪だ。俺がイケてるせいでこれじゃ真っ先に売れてしまう。俺は片言の現地語で、値段を釣り上げてくれと懇願した。 「お前は弱そうだが『落人』だから、十分高いぞ」  奴隷商の腹のつきでた男が、意味不明な言葉を言った。 「オチウド、何ですか、ワカラナイ」 「ごくたまに浜辺に打ち上げられてる、知らない場所から来た奴らだよ」  外から流れてきたお宝ってところかな。だがそれだけじゃどういう奴が俺を欲しがるのかわからない。 「私、言葉話せる、好きです、数字好きです、覚える、好きです、私は、高いです」  頭脳労働だ。せめて頭脳労働にしてくれ。ここにいる奴らはでかい。高身長だった俺はここでは女性と同じくらいしかなく、男は俺より頭一つぶん高い。しかも筋肉の瘤が普通にある。暑苦しい。そんな奴らと同じようにこき使われたら、俺は一日ともたないだろう。  かくして俺はランツという身なりの良い優男の商人に、雑用係として買われることになった。優男といっても、勿論でかいし、腕も太い。そいつの血を染み込ませた怪しげな図形に、俺の指から採った血をたらした紙をべたりと首に貼り付けられ、転写よろしく奴隷紋とやらをつけられた。意識が飛ぶほど激しい痛みを伴う魔法だった。離れていても、この紋を通して苦痛と死を与えられると説明された。そこで俺はようやくこの世界がとんでもなく野蛮な異世界だと認識した。  最初は使いっ走りをさせられていたが、そこは要領のいい俺のこと、帳簿付けを率先して手伝い、昼時には料理を手伝い、皆に可愛がられるポジションを維持しつつ、大事な帳簿を預かる使用人に昇格した。  どうやら俺は、十二、三歳程度の子供の奴隷だと思われていたらしい。たまに同僚が甘いお菓子をくれたりするので、それは有難く受け取っていた。本当は塩辛とかが好みなんだが、この世界に烏賊はいないかもしれないしな。 「シロ、今日も数字の間違いがなかったぞ。えらいな」 『史郎』はこちらでは『シロ』呼びとなり、ランツの旦那は、そう言ってよく俺の頭をぽんぽんと叩く。いやあ、子供はかわいいもんな。くりくりの目は、可愛がられるためにあるもんな。俺は切れ長の目をした美青年だが、子供というくくりで愛玩対象にされた。多少のミスも見逃されるってことだ。安泰安泰。  それが変わったのは、俺が二十二歳を超えたあたりからだった。胸板が厚くなり、腰にも固い筋肉がついてしばらくたった頃から、ランツの旦那の目つきが怪しくなってきた。  挨拶代わりに尻を叩くなんて、いつの時代のエロ親父だよ。最近じゃ俺の手を取り、地方での買い付けのついでに温泉に行かないかいと誘ってくる始末。  待てよお前、妻帯者だろ。女につっ込んだ後で俺の尻につっこむのかよ、節操がねえな。せめて入れる穴の種類は統一しとけ。  恐妻家のランツの嫁は、赤い口紅に胸まで開いた上等のドレスが似合う美人だが、俺は密かに網タイツと鞭とヒールもハマると思っている。  俺が掘られたのがバレたら、彼女はランツに制裁を加え、俺ごとき奴隷は、彼女の命で使用人達に暴行され、文字通り馬小屋に入れられて獣姦⋯⋯いや、それ以上は想像したくない。  ランツはいい。惚れた女にされるのだから。Mだから。俺はどうだ。買われた旦那に強姦され、嫉妬に狂った嫁に凄惨な制裁を課され、不慮の事故で処理される。 『あの子、奥様の悋気を買って、⋯⋯だそうよ』 『まぁ、ひどい話ね、馬なんて⋯⋯怖いわ』 『あら、あの旦那様に気に入られていたのだもの、いつかはこうなるわよ』 『かわいそうね。綺麗でいい子だったのに、残念だわ』  俺は恐怖のあまり絶叫した。ここは異世界という名のスナッフフィルムの世界なのか。  一体何のために生まれてきたんだ。尻から裂かれる為じゃない。あと少しで自分を身請けする金がたまるが、待っていられない。俺は逃げるぜ。長らく居心地のいい職場だったが、ランツの旦那も美人の嫁も、もう俺には必要ない。  恐怖に突き動かされた後の、俺の動きは驚くほど早かった。  そんなわけで今に至るわけだが、グレンの旦那はその場で借用書をつくり、さくさくと身請けに必要な不足分の手形を用意して持たせてくれた。護衛のフレデリクとやらに。  あれだね。ご遠慮頂いたつもりだったが、俺が手形持って逃げないようにする為だね。コワモテの男にべったり張り付かれて手ぶらで歩く俺に、通りの皆はすいすいときれいに道を譲ってくれる。たしかにいるだけで意外に役に立つ荷物持ちですな。  俺はランツの旦那に|斯々然々《かくかくしかじか》で用意した手形とランツ預かりの身請け金をもとに、身請け受領書をつくってもらった。 「私が立て替えてあげてもよかったのに。長年一緒に連れ添ってきたのに、つれないな」  俺は引退を決意したアイドルさながらに感極まった表情でランツ様を見つめる。 「長年私を育てて下さったランツ様には、出来る限りのご用意をしたかったのです。グレン会長は、あのランツ様が育てたのであればと、私に多く貸付してくださいましたので、これだけの身請け金を用意できました。これもすべてランツ様に拾われたからこそ。本当に心から感謝しております」 「シロ⋯⋯私は君のことを⋯⋯」 「それに奥様にも、とても良い話だと何故か強く勧められまして」  びくぅとランツの旦那は、跳ね上がった。面白いな。手を出せないままでこれだから、可愛いんだよな。いや。それだけレディが苛烈なのかもしれん。 「そうか、ティナが⋯⋯。だったら早めに身分を戻したほうがよさそうだ。シロ、この身請け受領書を神殿に持っていけば、奴隷紋を外してもらえる。私はついていけないけど⋯⋯一人で大丈夫かい」  少し顔が青くなった旦那に俺はきらりと歯を見せて微笑んだ。 「大丈夫です、奴隷の私にお気遣いありがとうございます。ランツ様」 「ああ可愛いシロ、抱きしめさせてくれ」 「旦那様⋯⋯!」  ファンは大切に。俺は旦那とがっつりハグして、互いの頬に親愛を示すキスをした。旦那様のキスを受ける為に顔を横に向けた瞬間、固まった。フレデリクが無表情でこちらをガン見していた。瞬きをする俺と目が合うと、奴は眉をあげて驚いてみせた。  いいけどさあ。もうちょっと目をそらしてくれよ恥ずかしいだろ気が利かないな。まあ、いいか。旦那の手が尻を揉み始めたのを止める口実になりそうだ。俺は手首をがしりと掴み、ひきはがした。 「恥ずかしいです。旦那様?」 「フレデリク様。このままお帰りになられてはいかがです?」  旦那の許可を得て神殿に向かう俺は、グレンからの貸付金も使ったことだし、手ぶらの用済みに帰宅を勧めてみた。用済みはひやりとする目を俺に向けた。 「帰れるわけがない。会長はお前が自由民になってはじめて契約が有効になり、貸付金の取り立てが可能になる。しばらく我慢しろ」 「やだなあ、逃げたりしませんよ。グレン会長の護衛の方を、私などにつきあわせるのは申し訳なくてですね」 「会長の護衛は一人ではない」  はあ。こんなのがもう一人いるのか。ランツの旦那に護衛はいなかったぞ。 「グレン会長は、少々危ない商売をなさっているのですか?」 「だったらどうする」 んなこと聞かれても、借りた金を返すまではどうしようもないからな。っていうか、危ないの?どうなの?答えてないだろ。  用済みが少し興味を惹かれたように俺の顔を見た。 「知りたいわりには、どうでもよさそうだ」 「そんなことありませんよ。できれば道理に外れたことはしたくありませんしね。黒いお金には関わりたくないです。怖いから」 「会長は色事が好きだから、出入りする場所が少々危なくてな。それで護衛をつけるだけだ」 「えーと。グレン会長はご婦人方が、お好きなのですか」 「そういうことだ」  俺はぽんと手を打った。 「それは素晴らしい」 「お前の道理も、たいがい素晴らしいぞ」  呆れているようだが、知ったことか。どうせついてくるなら、機嫌よくいてほしいものだ。俺はへへっと笑って、教会への階段を登った。  「解呪料として、銀貨十枚です」 「へ」  なんだそのぼったくり金額は。  教会ともあろう慈悲をほどこす団体が、奴隷から搾取するとは。抜かった。  俺はこの世界の身請制度によりランツから月に銀貨二枚を貰って積み立てていたが、それ以外は無給だ。へそくりも使い果たした。そんな大金あるわけがない。銀貨十枚。誰から借りる。ランツの旦那は調子に乗るから駄目だ。奥様は怖い。  隣にことりと貨幣が置かれる音がした。 「これで、足りるか」  なんと、用済みが不足分を用意していた?神官は金色に光る一枚の貨幣を手に取り、受付の机に置かれた天秤で重さを計って、本物であることを確認した。  うわあ本物?本物のゴールドですか? 「グレン会長が用意してくださったので?」 「いや。俺の貸しだ。お前が解放された後が見たくなった」  おっと。意外にいい奴だったのか。護衛ごときが金貨を普通に持っているのが気になるが、気にしたって金は要る。   俺は有難く受け取り、神官に連れられて、悪魔召喚用の魔法陣みたいな模様が床に刻まれた部屋に案内された。  「奴隷紋の解呪を行います」  模様の真ん中に胡座をかいて座ったら、立ってくださいと注意された。知っているのと違うみたい。神官たちが何かを唱え始めると光の柱が模様の上に立ち上がり、俺の方に収束して体の中に何かが流れ込んできた。水が汚れを洗い流すように、首筋の紋もはがれ落ちて、足元から模様に吸い込まれてゆく。高速で体の中を流れてゆくそれは例えようもなく気持ちよくて、もう一回お願いしたいくらいだった。 「⋯⋯ほんとに剥がれてる。一瞬かよ。すげえな」  首筋に手をやると、すべすべして、かさぶたのような引っかかりが全くなくなっていた。すうすうして、心もとないくらいだった。長い付き合いだったものな。少し寂しい。  俺は神官達に礼をいい、解呪料を立て替えてくれたフレデリクにも礼を言った。 「これから、お前はどうする」 「グレン会長に解呪したことを報告して、できれば早めに住み込みをさせてもらおうかと」  とにかく金がない。まだ引き継ぎの仕事があるからランツの旦那のところでもいいんだが、なるべく早く離れたい。  フレデリクは少し考えて、口を開いた。 「会長はそこまで甘くない。今夜だけなら俺が宿代を出してやる」 「え、いいんすか。兄さん」 「なんだ急に」 「だってもう俺奴隷じゃないですもん。同じ奉公先になる仲じゃないっすか」  俺は広い背中をバンバンと叩いた。ほんと強面なのに人のいい兄ちゃんだ。持って生まれた人徳のおかげか俺は人との巡り合わせに恵まれてるね。  そう思っていた時期が俺にもありました。  なんてよくある台詞を、まさか俺が使うことになるとは思わなかった。  目の前に突きつけられた光景を、誰が予想できただろうか。 「さっきの貸し。忘れないうちに返してもらおう」  そう言って案内された宿でフレデリクはズボンのベルトを緩め、自身のイチモツをぼろりと取り出した。いやなんで。見せあいっこしようってヤツか?嫌だよ、中学生じゃあるまいし。体格に負けない凶悪なカタチをしたソレに、俺の頭は現実を直視せずに逃げ始めた。 「兄さん出てます。しまってください」 「咥えろ」  なんて野郎だ。自分の台詞に興奮してるのか。勃ち上がりかけてるぞ。ど変態が。 「ちょっとばかし大きすぎて俺の小さな顎じゃ無理みたいです。てか近づいてくんな!でかいんだよ!顎はずれるだろ!適切なサイズってのをわかってねえ奴は人前で晒すんじゃねえ!」  誰かこれを萎えさせる方法を教えてくれ。目の前で何故か戦闘体勢を整えたそれに後じさりながら、頭の中でアラートが鳴り響く。 『敵影確認!総員撤退!即時撤退せよ!』  できねえよ!こうなりゃガブっといくしかないのか。噛みたくねえな!  ぐ、と顎を掴まれ口の中に男の親指が食い込んだ。 「噛んだら終わりだぞ。何、俺の暇つぶしに少し付き合ってくれればいい」 「何言ってんですか兄さん⋯⋯少しとか言う奴は信用できねえ」  男は愉快そうにきれいに並んだ歯列を見せた。 「お前次第だ。シロ」  俺は究極の選択をした。  金貨一枚の対価がこれなら実は破格の激安大特価だ。それほど金貨の価値は重い。だが俺の尊厳が削り取られる。こいつは俺の屈辱的な姿を見て嘲笑う。それは許せなかった。ならば俺の取るべき道は一つ。 「お前も咥えろ」 フレデリクは意外そうな顔をした。 「俺が?」 「俺は借りを返さなくちゃならないが、俺だけをオナホ扱いするのは許せねえ。お前も俺を気持ちよくしろ」  フレデリクがしなければならない理由はない。だがゲイならばこの理不尽な提案にのる可能性がある。俺はそれに賭けた。  フレデリクが面白そうに笑みを浮かべた。 「そんなことくらい。お安い御用だ」  かくして俺はフレデリクの顔の上にまたがり奴の口に俺様のヴィーナスもかくやという美珍をぶっ込んだ。喉の奥をずぶずぶと突いてやる。熱い喉の粘膜に包まれて腰がブルリと震えた。気持ちいい。あろうことか俺も一瞬のうちに準備ができてしまった。不本意だ。だがそんなことはどうでもいい。俺は奴の常軌を逸したそれにかぶりつき、口をすぼめて吸ってやった。覚悟するがいい。俺は一方的にやられるという屈辱を退け、|漢《おとこ》のプライドを守り抜いたのだ。苦しくてもやり通す。これは戦いだ。|聖戦《ジハード》だ。 だが俺は生粋のゲイというものを舐めていた。奴は俺の玉筋から戸渡を通って尻の穴までねっとりと大きな口で舐めた。さすが同性、敵もポイントを恐ろしくわかっている。そして迷いがない上に、手練れだった。 「あ⋯⋯っ」  奴が躊躇いなく尻に舌をめり込ませたとき、俺は敗北を悟った。  ————くそ気持ちいい。これは、まずい。相手が悪い。  奴は手加減というものを知らない。  フレデリクという名の変態による総攻撃が開始され、俺は時間をおかず陥落した。  ランツ商会で引き継ぎを終わらせ、俺は鞄一つで、六年間過ごした商館を引き払うことになった。  「今まで有難うございました。ランツ様の優しさが骨の髄まで身に沁みます。本当に」  見送りに来てくれたランツに俺は心からの感謝を込めて別れの挨拶をした。ランツ様は目を潤ませて、買った奴隷の独り立ちを喜んでくれる。  本当に可愛いなこの人。どこぞの凶悪な変態に比べたら、なんだよこのフレンチキス、恥じらう姿は乙女だよこの人。髭剃り跡は濃いめだけどな。自由に尻を揉ませていると、後ろからべりりと大きな力で引き剥がされた。例の変態護衛だった。 「奥様が見てらっしゃるぞ」  ちっ。最後くらいいいだろうがと思ったが、尻を掴んだランツの手を腕組みをして冷ややかに見つめるご婦人を前に、俺は背筋を伸ばし早々と商館を去った。やっぱり出るのは正解だったね。 「フレド。勘違いしないように言っておく」  お前はもうフレデリク様でも兄サンでもない。長ったらしい名前なので、省略して呼びつけた。 「俺はそもそもノーマルだ。ランツの旦那があれだから誤解したのかもしれないが、お前とどうこうなるつもりはない。お前とのあれは解呪料と引き換えだ。間違えるなよ。俺の尻を狙うなと言っている」  俺の鞄を肩から掛けたフレデリクは、俺の言うことに耳を傾けていたが、ふいと興味を失ったように前を歩き出した。 「お前の言い分は理解した。だが、俺は俺の好きにする」  は、あ~~?人の話を聞かないやつだな。 「俺は二度としないからな!二度とだ」  奴は馬鹿にしたように俺を嗤った。 「かまわない。だが俺の行動を制限したかったら、それなりのものを用意するんだな」  何で、俺が貢ぐ側なんだ。俺はいつでも貢がれる側だぞ。勝手にしろ。もう借りは返した。お前には何も用はない。  グレンが経営する商会は、老舗のランツ商会よりも慌ただしかった。旬のものを取り扱うせいで、お得意様も変わるし、商品の配置も変わる。今だと外国の生活の様子を織り込んだ敷物が流行中らしく、店員は商品運びに忙しいが、グレンは買い占めて莫大な利益を得ていた。 「博打打ちですねえ。グレン会長って」  俺は先輩のロッドに、グレン商会の帳簿を付けながら自分の雇い主について聞いてみた。 「特殊な染料に特殊な織物、ランツ商会じゃ扱ったことのない品が多いです」 「老舗が取り扱う手堅い分野は、入り込めなくてね。つい流行りものにいっちゃうんだよねえ」  控えめに言っちゃって。入り込めなかった結果、トレンドにのって一気にシェアをとりましたってことですよね?やり手だね。店でも見たけど素朴な図柄の入った地味な敷物、よく売れるよな。どんな客が買うんだよ。売り上げをなんとなく見ていると、ウォルシュという奴が二百枚も爆買いしている。嫌な感じがした。流行りに乗って大量買いして、破産する系じゃないか?そうなったらグレン商会ひいては俺のお給金に影響が出るかもと思い、ロッド先輩に言ってみたら、一笑された。貴族相手の店を経営している堅実な優良顧客らしい。富裕層相手かあ。平民の俺にはわからない世界だね。 「そういえば護衛のフレデリクさんは最近見ませんねえ」  俺は奴の動きを把握する為に話を振った。 「ああ、あの人はグレン会長が危ない場所に出入りするとき専用だね。とっつきにくいでしょ。普段はもう一人のほうが護衛をすることが多いよ」 「危ない場所って?」 「遊郭。とかそのあたりかな。グレン会長は遊びも仕事のうちって方だから。いろいろなところに行くんだ」  それ危なくないだろ。むしろ羨ましすぎる。それについていくのが仕事か。それだけが仕事なのか。あいつは遊郭の価値を知らないぞ。 「まさか」  俺ははっとした。ランツ様と同類か。 「なんだ。その目は」 「お前に確認しなければならないことができた」  関わるまいと決めたが、これは俺の沽券に関わる問題だ。商会の反対側にある宿部屋の廊下で、俺はフレデリクを呼び出し、問い詰めた。奴が仮住まいをしているという宿だ。 「お前、両刀か」  フレデリクはしばらく口を馬鹿みたいに空けて突っ立っていたが、ため息をついた。 「どうだっていいだろう」 「大問題だ!お前まさか、そこに穴があるからとかそんな理由で俺の尻を使ったんじゃないだろうな⁉」 「大きな声を出すな」  口と鼻を塞がれ、奴の宿部屋に引きずり込まれた。俺は奴の手を払いのけ、眉間に指を突き付けた。 「ゲイは許す。だが両刀は駄目だ」 「お前の言うことがさっぱりわからないんだが」 「生粋のゲイのお前が、俺様の隠しきれない色香に血迷ったのはわからないでもない。俺は男の中の男だからな。だが遊郭の女にだらしなく鼻の下をのばして、でかすぎて断られて俺で間に合わせたのならマジで許せねえ」  フレデリクは首をかしげ、聞いている。俺の言うことを受け止めているように見えた。そこは殊勝である。そこだけは。 「シロが複雑なのはわかった」 「そういう話じゃない!」 「シロが嫉妬しているのもわかった」 「ああ?湧いてんのか、てめえ」  がっと奴が俺の尻を両手で掴んだ。 「お前は面白いな。シロ。二度抱きたくなったのはお前がはじめてだ」  機嫌良さそうに言うが、聞いてることに全然答えてないだろ。 「お前だけだ。これでいいか?」 「これで満足したかみたいな上から目線で俺が喜ぶとでも思ってんのか。俺が望むのはお前が俺を崇めたてまつ⋯⋯」 「じゃあ、もう一回満足させないとな」  俺の言葉は途中で遮られた。そのまま壁にべたりと押しつけられ、押しつぶされながらがっつり口を合わせてディープなキスをされた。おまけに布の上から尻穴をつつかれ、前から玉ごと竿を揉まれる波状攻撃だ。 「う⋯⋯っ」  思い出される自分の痴態に涙が滲んだところに、耳から恐ろしい告白が響いてきた。 「気持ちいいの思い出したか?お前の涙目、癖になりそうだ」  くそ。泣きてえ。泣けねえ。ど変態は泣き顔で盛るのか。恐ろしい性癖だぜ。気持ちいいし。  俺は無理矢理二戦目に引きずり込まれ、泣かせて興奮した変態の暴走により灰になった。  えらい目にあった。  話が通じないやつは恐ろしい。俺は現地語をマスターしたが、体で会話しようとする奴を前にして、ときに言葉はなんと無力なのだろう。くそ気持ちよかったが。あれは反則だ。  どうしてああなったのかよくわからない。理解不能だ。あいつはあからさまに俺の排泄器官を開発しようとした。滅茶苦茶すっきりして体が気持ちいいのは確かだが、危険すぎる。  そんなこともあったが、俺はプライベートを仕事に持ち込まない。プロの帳簿係として、尻に何かが挟まった感覚が抜けなくても顔に出さずに、グレン会長に目の前の懸念を伝えた。 「グレン会長、本っ当にこんな敷物でよろしいのですか?」  さすがにこれ売れないんじゃないかと思ったのだ。流行りものとはいえ、品性に欠けると判断されそうなものを卸せば、商会の悪評にも繋がりかねない。 「いいの、いいの。ウォルシュ殿はとにかく数を揃えたいとのご要望だから。気にするな」  ウォルシュとやらもいい加減だな。 「ウォルシュ様は、本当にこんなのを売るんですかね?」 「固定の買い手がいるらしいぞ。事情はあまり深入りしたくないがな。俺らは黙って卸せるときに卸すだけだ」  俺もあまり深入りしたくない。これなんか丸と線で可愛く描かれてるけど、人間同士がまぐわってるように見えんだけど。日々の生活を織り込んだって聞こえはいいけど、これ敷くの?どこに需要があるんだろうな。買い手は少しおかしな奴かもしれない。  俺は店員達と一緒にウォルシュの買い付けを確認しながら梱包していった。 「倉庫にいるなんて珍しいな」  はーっ。出たよ出たよ、変態護衛さまが。しかも夕暮れ時、店仕舞い後のこの時間にご出勤ということは、グレン会長の情報収集の時間がはじまるわけだ。 「遊郭専門の護衛係殿は、今夜も接待のおこぼれですかあ?」 「誤解があるな。今夜は違う」 「どこ行くんだよ」 「遊戯場だ」 「遊びじゃねえかよ!」 「流行りの敷物と⋯⋯染料を梱包しているのか」  フレデリクは俺の憤りを素通りして、並べられた敷物を見て関心がわいたようだった。 「まさかと思うがフレド」 「なんだ」 「この敷物がほしいのか?これは、お前から見て美しいのか?」 「そうは思わないが」  俺は少し安心した。俺を良いという奴の審美眼はまっとうなはずだからな。⋯⋯少し焦った。  フレデリクは壁にピンで留められた梱包リストを見て、顔をしかめた。 「誰がこんなものを大量に買っているんだ?」 「ウォルシュ様だよ。支払いもきっちりしてるし我儘じゃない素晴らしいお方だからいいんだけどな。ちょっと個性的というか前衛的というか百年先の流行を先取りしてるっていうか、俺は理解したくない」 暫くメモを眺めていたフレデリクは、ボソリと呟いた。 「これだな」 「なにが」 「これを探してた」  恐ろしいことをいうな。 「お前がこの手のいかがわしい敷物を買うことは許さん」 「シロ。時間ができたらあの宿を出て、住むところを探す。入用のものを揃えるときは手伝ってくれないか」 「お、おう?俺のセンスを頼るとは賢明な判断だな」 俺は奴が独り身の生活空間にまぐわいの絨毯を敷く暴挙を阻止した。と、その時は思っていた。  暫くして、ウォルシュが警備兵に捕まった。グレン商会が仕入れた敷物と染料の瓶が荷馬車に積まれ、ウォルシュ自身は手首を縛られて大通りを城に向かって歩かされている。血の気のない顔が晒された状態で野次馬たちに見守られて歩かされるなんて、この世界は容赦ない。  店の中から通りの光景を見ながら、グレンに、こっそり声をかける。 「罪名はわいせつ物陳列罪でしょうか」 「バカ言うな!あれは芸術品だ!縁起でもないことをいうな!」  小さい声で反論するグレンの人さし指は、トトトと、モールス信号みたいに小刻みにテーブルを叩いている。うちの商会は、アレを海外から輸入してウォルシュに卸した大元になる。もしかしてここもやばいの? 「領主直属の監察部が動いたらしいですよ。黒い制服が外にたくさんいます」  外の様子を見てきたロッド先輩が辺りを見回しながら声を落として言った。 「監察部ってなんですか?」 「主に貴族を取り締まっている部署だよ」 「あそこは駄目だ。袖の下が効かないんだ⋯⋯っ」  それ重要なの?ロッド先輩までもが沈痛な面持ちをしている。ここでは重要らしい。終わってる。 「会長、監察部の方が話がしたいと」  店番が青い顔をして、店の入り口の扉を開けた。張り詰めた空気の中、黒い制服を着込んだ数人の男と警備兵が店の中にはいってきて、先頭の長髪男がグレンの前で、銀縁眼鏡をくいと持ち上げた。 「お前がグレン・クルーゼルか」 「そ、そうでございます」 「ウォルシュはルムエ粉を密輸入し横流しした疑いで取り調べ中だ。お前がウォルシュに売った織物と染料の記録を見せるように」  見かけどおりの高圧的な態度だ。俺は知らない言葉が出てきて首をひねる。 「は⋯⋯あの、ルムエ粉はうちは取り扱っておりませんが」 「それをこれから調べる。それからあれらは、押収する。在庫もだ」  売り物なのに!  グレン商会の面々は俺も含めて蒼白になった。俺のお給金はどこから回収すればいいんだよ。俺はここに来てから尻も奪われてる。転職先、ここにしたのは早まったか。  結論から言うと、グレンは早々に戻ってきた。商品は戻ってこなかったけれど、旦那が戻ってきてくれて皆喜んだ。番頭とロッド先輩は目に涙をためていた。ロッド先輩は子供が生まれたばかりだしな。  グレン会長は、皆にウォルシュが捕まった理由を説明してくれた。 「ウォルシュはルムエ粉の混じった染料と敷物を、世話になっている貴族の指示で貿易商に横流ししていたらしい」 「ルムエ粉って、何ですか?」  尋ねるとグレンはちらりと俺を見た。 「ルムエ粉ってのは、解呪したり、奴隷紋をつけるときに使われる特殊な鉱物の粉だ。人を隷属させることができるから、厳重に管理されている」  んん? 「俺にも使われたヤツですか?」 「そうだ、高価な代物だ」  貿易商は、奴隷に商品からルムエ粉を取り出す作業をさせて、奴隷ごと国外へ売り飛ばしていたらしい。グレンが連行されたのは、それに関わっていないかの確認とのことだった。  そんなとこに売られていたらと思うと、笑えない。六年前に俺と言葉を交わした檻の中の奴らは大丈夫だったんだろうか。 「監察部が動いたから心配しましたよ。あそこの尋問は容赦ないと聞きますからね」 「全くだ。寿命が縮んだぞ。下調べでわかっていたそうだから免れたが、戻ってこれないかと思った」  グレンは、寿命が縮んだから生気を養いに行くと言ったが、番頭とロッド先輩が強力に引き留めて、損失穴埋めのための話し合いが行われることになった。俺は下っ端なので、そのまま帰宅だ。グレン会長はなかなか面白い。尋問がなくてよかったね。  そんなことがあったが、大事には至らず、俺は順調に会長への借金を毎月返済している。グレンは相変わらず仕事と同じ分だけ遊びにも忙しくして、新しいことをはじめたがっては、番頭と言い合いをしていた。  変わったのはフレデリクが、グレンの護衛をやめたことだった。 「あいつは、前から掛け持ちしてたからな。本業の方が忙しくなったんだと。なんだシロ、お前フレデリクと付き合ってるんじゃないのか」  聞き捨てならないことを言われた。 「なんですかそれ」 「なんでって。なあ」  会長がロッド先輩を見た。 「本人の前で野暮ですよ、会長」  ロッド先輩が計算する手をとめずに答えた。どういうことだ?なんで俺がフレドと付き合ってるなんて話になってるんだ。 「ふられたのか?」 「ふられてもつきあってもいませんよ。男同士ですよ。どうしてそんな話が広がってるんです」 「新居のものを二人で揃えたんだろう」 「言い方に語弊はありますが、あいつの入用のものは頼まれたから選んでやりましたよ。つきあってはいません」  はっきり言ってやった。事故はあったが、事故に過ぎない。実はあれからなんとなく体の関係は続いているが、甘ったるい何かは存在しない。あいつは時々ふらりと現れて、近くの宿部屋で俺と寝たがる。仕事が早いのか朝にはいない。部活みたいなもんだ。  会長はロッド先輩と顔を見合わせた。そして二人とも頭の痛そうな顔をした。 「シロ、お前は分かっていないようだが、監察部の人間は基本粘着質だ。あいつを甘く見るな」 「会長、偏見が入ってますよ。全員がそうではありません」  ロッド先輩が訂正を入れる。 「誰が粘着質ですか、会長」  聞き馴染みのある無機質な声に振り返ると、店の扉の前に黒い制服を着たフレデリクが立っていた。 「⋯⋯お前何コスプレしてんの?」 言葉がわからなかったのか、フレデリクが顔を傾けた。まあいいわ。 「フレド、お前からも言ってやってくれ。俺達は付き合っていないってな。そんな甘い関係じゃないよな」 「そうだな。甘くはないな」  ほらな。わけのわからない勘違いをした二人にそれ見たことかと、肩をすくめてみせたが、何故か二人とも砂を噛んだような顔をした。 「何しにきたんだ、フレデリクさんは」  グレン会長はふてくされながら腰をあげて応対した。 「シロを迎えに来た。仕事が終わる頃だろう?」 そういって、フレデリクは数枚の金貨をテーブルの上に置いた。 「お前、これはシロの残りの⋯⋯」  フレデリクが静かに自分の口に人さし指をあてた。会長は、ひくりと頬をひきつらせた。 「シロ、帰るぞ」 「まだ仕事があんだけど」 「今、会長の許可をもらった」  その金貨ですか?あと少しでどうせ仕事終わったのに、待つのがそんなに嫌なのか?こいつの金銭感覚は、奴隷じゃなくなった今でもようわからんな。俺は二人に挨拶をしてからフレデリクと店を出た。 「新しい寝床が整った。お前が選んだものを運び入れたから、見に来てくれ」 「おう。運び入れただけじゃだめだぞ。配置が大事なんだから、チェックしてやる」 「ところでシロ、コスプレってなんだ」 「ああ、なり切りみたいなもん」 「面白いな。今日はこれでしてみるか」 「ああ?ったくお前はど変態を極めてるよな。嫌だよ。俺がその服着ていいなら付き合ってやる」 「面白い。乗った」  フレデリクが俺の肩に手を置き、笑った。こいつの笑顔は嫌いじゃない。俺と違って、本当に機嫌のいい時しか笑わないからな。  この世界の広い空が赤く焼けて、街も俺もフレドの笑顔も同じ色に染まりながら歩いた。悪くなかった。  馬鹿話をしながら帰る俺は、フレドが俺の借金を肩代わりして、一週間生意気な監察官を調教するプレイに勤しむことを、まだ知らなかった。

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