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【R18】エピローグ -その後の二人-

 その夜、ノックの音に応えてリュシアンは寝室の鍵を内側から開けた。  我ながらずいぶんと馬鹿げた行動だと思ったが、扉の向こうにいる男を招き入れる以上、それは必要な行為だ。 「入ったら鍵は閉めてくださいよ」  監禁されている人間が、監禁している人間にわざわざ逃げ道を塞ぐよう指示をする。これもまた馬鹿馬鹿しいが、使用人がうっかり踏み込んでくる可能性だけは潰しておきたかった。  もっとも、この屋敷に使用人らしい使用人はほとんどいない。フェリクスが雇っているのは、必要な時間に必要な仕事だけを済ませ、主人とその飼い犬の事情には決して触れない、口の堅い人間ばかりだった。  その選び方からして、自分が何を隠したがる質なのか最初から理解されているようで気に食わない。  リュシアンは扉から離れながら、自分の首元へ指を差し入れた。  革の首輪は、既に身体の一部に近い。指二本が入る程度の余裕があり、長く着けていても肌を傷つけないよう内側には柔らかな布が張られている。金具は頑丈だが重すぎず、眠る時にも邪魔にならない。  腹立たしいほど、よくできていた。  ベッド脇の金具へ繋がれた鎖を持ち上げる。金属の触れ合う乾いた音が、妙に静かな部屋へ響いた。 「どうぞ」  もう一度声をかけると、ほとんど間を置かずに扉が開いた。  フェリクスは寝間着ではなかった。上着こそ脱いでいるが、シャツは襟元まできちんと留められ、黒いズボンにも乱れはない。書斎で書類を読んでいたところを呼びつけられ、そのまま来たのだろう。 「呼んだか」 「呼びましたよ。随分と早いですね」 「鎖を呼び鈴代わりに使えと言った覚えはないんだが」 「でも、鳴らせばあんたは来た」 「……そうだな」  フェリクスは室内へ入り、後ろ手に扉を閉めた。鍵をかける音が、また響く。  それから寝台の前に立つリュシアンを、頭の先から足元までゆっくりと見た。  その視線が嫌だった。  何を考えているか分からないからではない。  分かってしまうからだ。  髪がまだ少し湿っていること。いつもより薄い寝間着を選んだこと。普段は厭うばかりの首輪から伸びる鎖を、片手でいじり続けていること。湯浴みを済ませた時刻が普段より遅かったこと。  そして恐らくは、その際に何を準備したかまで彼は全て理解している。  アイスブルーの瞳が、ほんのわずかに細くなった。 「何です、その顔」 「何も」 「嘘が下手だな、あんた」 「お前ほどではない」  それには答えず、リュシアンはベッドの端へ腰を下ろした。  足を組み、わざとゆったりと背後へ片手をつく。薄い布越しに脚の線が浮き、胸元も普段着より大きく開いている。  安っぽい誘惑だ。  自覚はある。  だが、こういう手段を使うことに抵抗を覚えるような人生でもなかった。 「——契約をしませんか、ハルトマン」  フェリクスは表情を変えない。 「要求は」 「今夜だけ、俺の命令に従う」 「対価」 「俺」 「不明確だな」 「この状況で、いちいち説明が必要ですか?」 「契約条件は明確にするべきだと、最初に教えたのはお前だ」  まったく、面倒な男だった。  リュシアンは組んでいた脚を解き、膝を開く。その間へ立つ男を見上げ、自らの首元から垂れ下がる鎖を掴んだ手を軽く引いた。  首輪が喉へ食い込み、顎がわずかに持ち上がる。 「今夜、俺を抱いて構わない」 「それでは取引にならない」 「なるさ。抱いてもいいが、主導は俺だ。それが取引の要求」 「……」 「断るか?」 「いいや」  フェリクスは本当に交渉でもするような顔で言った。 「ただ……俺が触れることを、お前は望んでいるのか」  リュシアンは笑った。 「まさか。だけど、対価に望むのなら許可する」 「……断る。契約は不履行だ」  あっさりと言い切り、フェリクスが踵を返す。  本当に扉へ向かおうとした背中に、リュシアンは思わず立ち上がった。  鎖が鳴る。 「待て」  フェリクスの足が止まった。  肩越しに振り返る。 「何だ」 「……触れていいと言っただろう」 「許可と希望は違う」 「面倒くさい男だな、本当に!」 「知っている」  いつもの返事だった。  リュシアンは数秒、その背中を睨んだ。  今夜は、この男の余裕を崩すつもりだった。  捕まえられ、首輪を着けられ、生活のすべてを把握されている。食事も、眠る時間も、読む本も、湯浴みの温度すら、気づけばフェリクスの手によって最適なものへ整えられていた。  だから、せめて今夜のベッドの上では引っくり返してやろうと思ったのだ。  フェリクス・ハルトマンという男が、欲に乱れ、命令へ従い、余裕を失うところを見てやる。  そのはずだった。  まだ何も始まっていないというのに、既にこちらが言葉を引き出されている。 「……望んでいますよ」 「何を」 「俺に言わせるのが、そんなに楽しいですか」 「かなり」  迷いのない返答に腹が立つ。  だが同時に、胸の奥が奇妙にざわついた。  リュシアンは長く息を吐いた。 「俺に触れろ、フェリクス」  名を呼んだ瞬間、男の目が変わった。  ほんのわずかだった。呼吸の間がずれ、扉へ向いていた身体が完全にこちらへ戻る。軍にいた頃なら決して見せなかった、冷たい愉悦が瞳の奥へ灯る。  効いた。  そう思った時には、もう遅かった。  数歩の距離を一息に詰められ、腰を抱かれる。そのまま押され、膝裏がベッドへ触れた。  倒れ込む直前、リュシアンはフェリクスのシャツを掴んだ。 「待て。契約は」 「今夜はお前の命令に従う」 「本当に理解しているんでしょうね」 「ああ」  身体が寝具へ沈む。  覆い被さってきた男の胸を片手で押し返し、リュシアンは眉を上げた。 「なら、脱げ」  フェリクスは素直に身体を起こした。  襟元へ指をかけ、上から順にボタンを外していく。  急ぐ様子はない。  一つずつ、あまりにも平静に。  現れた喉元から胸へ視線を滑らせながら、リュシアンは無意識に唇を舐めた。  軍服の上からでも鍛えていることは分かっていた。実際に押さえ込まれた経験も幾度もあるから、その腕力も体重も嫌というほど理解している。  それでも、衣服に隠されていた身体を明かりの下で目にするのは初めてだった。  厚い胸板。無駄なく締まった腹部。腕や脇腹にはいくつか古い傷がある。どれも既に白く薄れているが、軍人として過ごした年月が綺麗に消えてしまったわけではない。  フェリクスがシャツを椅子の背へ掛ける。 「下も」 「命令か」 「そうだよ」  ベルトが外される。  ズボンが床へ落ち、下着へ手がかかったところで、リュシアンは上体を起こした。 「待った」  今度は止まる。  本当に、今夜に限っては従順らしい。  その事実に気分を良くしながら、リュシアンは寝台の端へ寄り、目の前に立つ男の腰へ手を伸ばした。 「俺がやる」  布地の中には、既に熱があった。  指先で輪郭をなぞると、フェリクスの腹部へ薄く力が入る。顔を見上げても表情はほとんど変わらないが、完全に無反応というわけではない。  これなら崩せる。  リュシアンは下着をゆっくりと引き下ろした。  解放されたものが、目の前で重く持ち上がる。 「……随分と自信満々ですね」 「何の話だ」 「こっちの話ですよ」  平然としているのが腹立たしくて、根元を片手で握り込む。  フェリクスの呼吸が僅かに深くなった。  その変化を見逃さず、手首を返してゆっくり擦り上げる。先端まで指を滑らせ、滲んだ液を親指で広げながら同じ動きを繰り返した。 「どうです、長官殿」 「悪くない」 「それだけ?」 「他に何を期待している」  リュシアンは目を細めた。  まだ余裕がある。  なら、余裕がなくなるまで続けるだけだ。  顔を寄せ、先端へ舌を這わせる。塩気を含んだ液を掬い取り、括れに沿って舌先を滑らせると、頭上で息を吐く音がした。  唇を開き、先端からゆっくりと咥え込む。  太さに顎が押し開かれた。  口内へ収められるだけ呑み込み、舌の表面で裏側をなぞりながら頭を引く。再び深く咥え、今度は頬を窄めて吸い上げた。  フェリクスの指が髪へ触れる。  押さえつけるわけでも、動きを導くわけでもない。  ただ、そこにいることを確かめるように撫でられる。  それが妙に癪だった。  リュシアンは喉の奥まで一気に呑み込んだ。 「っ、ぐ……!」  反射で喉が狭まり、目尻に涙が滲む。  それでも逃げず、口内の熱へ舌を絡ませる。呼吸ができない苦しさすら、目の前の男を崩すための材料だと思えば耐えられた。  髪に触れていた手へ、初めて力が入る。 「——リュシアン」  低い声だった。  普段と同じ呼び方なのに、音の底に熱がある。  リュシアンは目だけで見上げた。  フェリクスの眉間には薄く皺が寄り、呼吸も先ほどより明らかに深い。  ようやく得た変化に満足し、わざとゆっくり唇を離す。唾液が細く糸を引き、顎へ垂れた。 「何です」 「続けろ」 「命令するのは俺だ」 「では、続けさせろと言え」 「……本当に性格が悪いな」  フェリクスの口元がわずかに緩む。  余裕を崩すつもりが、むしろこちらの意地を楽しませてしまっている。  リュシアンは手の甲で口元を拭い、寝台の奥へ下がった。 「ベッドに上がれ」  フェリクスが従う。 「仰向けに」  寝具が大きく沈み、長い身体が横たわる。  その腰を跨ぎ、リュシアンは腹の上へ座った。自分の寝間着を頭から脱ぎ捨て、床へ放る。  フェリクスの視線が、首輪から胸、腹、下腹部へと降りていく。  その目には隠す気のない欲があった。  だが、手は出してこない。  リュシアンが触れろと言うまで待つつもりなのだろう。 「律儀ですね」 「契約だからな」 「では、触っていい」 「どこに」 「好きなところに」 「お前はそれを望んでいるのか」  まただ。  リュシアンは苛立ちのままフェリクスの両手を掴み、自分の腰へ置いた。 「触れ」  硬い掌が、裸の腰を包む。  指が脇腹から背へ回り、骨格を確かめるようにゆっくり撫で上げる。肩甲骨の間を通り、首の後ろへ触れ、そこから再び胸元へ降りてきた。  親指の腹が胸の先端を掠める。 「っ、ぁ……」  予想していたより鋭い刺激に、声が漏れた。  フェリクスの目が細くなる。 「お前はここが好きだな」 「違う」 「嘘だ」 「命令に従え。余計なことを言うな」 「……分かった」  返事は素直だったが、指先はまったく可愛げがない。  片方を摘み、ゆっくりと捏ねられる。逃げるように腰を浮かせれば、腰へ回った腕に引き戻された。  もう片方も指の腹で押し潰され、背筋へ痺れが走る。 「っ、や……待て」  フェリクスの手が止まる。  本当に止まられると、それはそれで困った。 「本当に待つやつがあるかよ……」 「命令されたからな」 「少し弱くしろという意味だ、クソ」 「そう言えばいい」 「……少し、弱く」  指が再び動く。  先ほどより緩やかに、固くなった箇所の輪郭をなぞられる。焦らすような刺激に呼吸が乱れ、リュシアンは唇を噛んだ。  この男は、命令へ従っている。  確かに従っているのに、どうして自分の方が動かされているのだろう。  腹立たしさを紛らわせるように、リュシアンは背後へ片手を伸ばした。  フェリクスの腿の上へ腰を移し、硬く屹立したものを掴む。  湯浴みの際に時間をかけて準備した身体は、もう十分に受け入れられる状態になっている。  それを見抜かれたくなかった。  ……いや、まあ、恐らくとっくに見抜かれているのだが。  それでも何も言わせまいと、先端を自分の後ろへ導き、狭い入口へ押し当てた。 「リュシアン」 「黙って、いろ……」  腰を沈める。  先端が窄まりを押し開き、熱が身体の中へ入ってくる。 「っ、ぁ……!」  想像していたより太い。  時間をかけて解したはずの肉が、侵入する質量へ抵抗してきつく締まる。  急げば無様になる。  リュシアンは両手をフェリクスの胸へつき、呼吸を整えながら少しずつ腰を下ろした。  内壁を擦り、押し広げながら、硬い熱が深く進んでくる。  半ばまで呑み込んだところで腹の奥が引き攣り、腕が震えた。 「手伝うか?」 「いらな、い……」 「そうか」 「余裕ぶるな……っ」 「余裕はない」  言葉とは裏腹に、声は落ち着いている。  だが胸へついた手の下で、フェリクスの心臓は普段より速く脈打っていた。  リュシアンはそれを感じ取り、口元を上げる。 「……嘘が、下手……」 「お前ほどではない」  ——残りを一息に呑み込んだ。 「ひ、ぁ……ッ!」  最奥へ先端が触れ、視界が白く揺れる。  身体が逃げようと浮きかけたところを、腰に置かれた両手が支えた。それ以上押し込むでもなく、抜けることだけを防がれる。  深く繋がったまま、リュシアンは何度も浅い呼吸を繰り返した。  腹の内側が異物の形へ押し広げられている。少し動くだけで、奥に触れた先端が弱い場所を擦った。 「大丈夫か」 「誰に、聞いてるっ……」 「お前に」 「……見れ、ば……分かる、だろっ……!」 「言葉でないと分からない」  リュシアンは睨みつけた。  だがフェリクスは急かさない。  腰を掴み、震えが収まるまで待っている。  その静かな手つきが、かえって逃げ道を塞いでいるように思えた。 「……大丈夫、だ」 「続けられるか」 「あんたは……黙って、俺に、使われていれば……いい、っ」 「分かった」  リュシアンはゆっくり腰を持ち上げた。  内側を擦りながら熱が抜けていく。先端だけを残し、今度は自分から深く呑み込む。  水音が小さく響いた。  また持ち上げ、下ろす。  最初は慎重に。角度を探り、どこへ当てれば快感へ変わってしまうのかを確かめる。  フェリクスは動かない。  命じられた通り、仰向けになり、リュシアンの好きなように使われている。  なのに、腰を支える掌の熱も、こちらを見上げる瞳も、まるで獲物が自分から罠の中心へ入ってくるのを眺めているようだった。 「……その目を、やめろっ……」 「どの目だ」 「全部、分かってる……みたいな、顔……!」 「分かっているさ」  即答だった。 「お前は俺を乱したかった」 「……っ」 「自分から跨がり、俺を使えば、主導権を奪えると思った」 「黙れ……!」 「俺に命令し、余裕を失わせ、捕まえられた借りを返すつもりだった」 「黙れと言った……っ、うぁ……!」  腹立ちのまま勢いよく腰を落とす。  奥を強く抉られ、言葉の代わりに息が弾けた。 「ぁ、あ……っ!」  身体が反射的に跳ねる。  フェリクスの手が腰を掴み、転げ落ちないよう支えた。 「——それで」  低い声が続く。 「実際に俺を受け入れてみて、どうだ」 「……最悪、だよ……」 「そうか」 「大きすぎるし、っ、痛いし……あんたの、顔は……気に食わな、い」 「やめるか?」  リュシアンは答えなかった。  代わりに腰を持ち上げ、また落とす。  奥へ触れる刺激に喉が震えた。動くたびに痛みは薄れ、代わりに腹の奥から甘い痺れが広がっていく。  やめるつもりはない。  それを言えば、またこの男が満足そうに笑う。  だから何も言わず、動きを速めた。  濡れた肉が硬いものを擦り、次第に粘ついた音が大きくなる。自分の下腹部もすっかり硬くなり、上下するたびフェリクスの腹へ触れていた。  腰を支えていた片手が離れ、そこへ触れる。 「っ、触っていいとは言ったが、勝手に──」  先端を親指で撫でられ、言葉が途切れた。 「っ、ひ……!」 「やめるか」 「……やめ、るな……!」  反射で答えてから、しまったと思った。  フェリクスの目が細くなる。 「そうか」 「……笑うな、クソ……」 「笑っていない」 「目が笑ってるんだよ、あんたは……!」  握られ、ゆっくりと擦られる。  下から突き上げるものと、前を扱く手。二つの刺激に呼吸が続かなくなり、リュシアンはフェリクスの胸へ爪を立てた。  このままでは、先に自分が限界を迎える。  それだけは癪だった。 「動、け」 「命令か」 「そうだ……っ、俺が、楽になるように、動け……!」 「分かった」  次の瞬間、腰が下から突き上げられた。 「ひぁっ!?」  奥へ深く食い込み、身体が大きく跳ねる。  フェリクスは片腕を背へ回し、リュシアンの上体を抱き留めた。もう片方の手で腰を掴み、逃げる間もなくもう一度突き上げる。 「っ、ぁ、待──!」 「楽になるように動け、と命じられた」 「限度ってものが、あるだろ……!」 「具体的に言え」  言えるはずがない。  浅くしてほしいのか、遅くしてほしいのか。  そんなものは、自分でも分からなかった。  強く貫かれるたびに腹の内側が擦られ、背筋を快感が駆け上がる。苦しいほど深いのに、抜かれそうになると無意識に腰が追い縋った。  その動きを、フェリクスが見逃すはずもない。 「もっと深くか」 「違、」 「速く」 「違う……っ」 「では、何だ」  腰を強く掴まれ、動きが止まる。  奥まで呑み込んだまま、先端だけが内壁へ押しつけられている。  リュシアンは浅い呼吸を繰り返した。  身体が続きを待っている。  内側が収縮し、硬いものへ吸いつく。腰を動かそうとしても、フェリクスの手に固定されて僅かにも揺らせない。 「……性悪、っ……!」 「知っている」 「俺を、よくする……契約、だろ……!」 「お前の命令に従う契約だ」 「——なら、動け……!」 「どう動けばいい」 「分かって、る……くせに、!」 「——言え、リュシアン」  また名前を呼ばれる。  他の誰に呼ばれても何の意味もない、昔の偽名。  この男だけが、自分を示す唯一の名前として使い続ける音。  リュシアンは目を閉じた。 「……もっと」 「何だ」 「もっと、奥まで……速く」  フェリクスの手が腰を撫でた。  褒めるような、妙に優しい手つきだった。 「……分かった」  直後、身体が寝具へ沈んだ。  いつの間にか体勢を入れ替えられていた。  仰向けに押し倒され、両脚を抱え上げられる。首輪から伸びる鎖が寝台の縁を擦り、短く鳴った。  腰を引かれ、深く繋がったまま角度が変わる。 「待て、俺が上で──」 「もっと奥まで、速く動けとの命令だ」 「体勢を変えろとは言ってない……!」 「禁止もされていない」 「屁理屈を……ッ、ぁ!」  一気に腰を打ち込まれた。  先ほどとは比べものにならない深さで、腹の奥を抉られる。  フェリクスは持ち上げた脚を肩へ掛け、逃げられないよう身体を折り曲げた。そのまま遠慮なく腰を前後させる。 「ぁ、あっ、ひ……ッ!」  短い声が、勝手に喉から零れる。  リュシアンは咄嗟に口元を腕で覆った。  その手首を掴まれ、頭上へ押しつけられる。 「隠すな」 「命令、するな……っ」 「では、頼む。聞かせろ」  こんな時だけ妙に素直な言い方をする。  拒む理由を削るのが上手すぎる。  リュシアンは唇を噛んだが、次に奥へ突き上げられた瞬間には耐えられず、喉を反らして声を漏らした。 「ぁ、や……ッ、そこ、ひぁ……!」 「ここか」  同じ場所を狙い、先端が何度も擦り上げる。  腹の奥で快感が膨れ、逃げ場を失って全身へ散っていく。足先が震え、フェリクスの肩へ掛けた脚に力が入った。  押さえられた手首の傍で鎖が鳴る。  自分を繋ぐ音。  本来なら腹立たしいはずなのに、今はその音を聞くたび、逃げられないという感覚が快感を深くした。 「リュシアン」 「呼ぶな……っ」 「何故」 「その名前で、呼ばれると……」  言葉が続かない。  フェリクスは動きを緩めなかった。 「どうなる」 「分かってる、だろ……!」 「言え」 「嫌だ……!」 「そうか」  腰が一度、深く押し込まれた。  そのまま止まり、奥へ強く押しつけられる。逃れようと身を捩るほど、内部で硬いものが擦れた。 「~~ッ……!」  声にならない悲鳴が漏れる。  フェリクスはようやく僅かに腰を引き、再び深く貫いた。 「名前を呼ばれると、どうなる」  ……答えるまで許さないのだろう、よく分かった。 「っ、ぁ……気持ち、いい……」 「誰に、呼ばれると?」 「——フェリクスに……呼ばれると、気持ちいい……!」  答えた瞬間、男の表情から最後の余裕が消えた。  押さえていた手首へ力が入り、腰を打ちつける速度が上がる。  ……ようやく。  ようやく、この男を崩した。  そう思ったのに、喜ぶ余裕はなかった。  深く、速く、容赦なく身体を使われる。寝台が軋み、鎖が鳴り、湿った音が絶え間なく響いた。  リュシアンは何度も首を振り、声を堪えようとした。  だがフェリクスはそのたびに名前を呼ぶ。 「リュシアン」 「ぁ、あ……!」 「リュー」 「や、ぁ……それ、は……っ」 「何だ」 「ずるい……!」 「契約違反か」 「知らな、い……っ、もう……!」  限界が近い。  前へ触れられていないのに、腹の奥を責められるだけで下腹部が痛いほど張り詰めている。  フェリクスの手を振りほどこうとしたが、指先に力が入らない。 「リュシアン」 「何だよ……!」 「今夜の命令は、まだ有効か」  わざわざ確認する意図が分からず、リュシアンは睨みつけた。 「有効、だ……」 「なら、命じろ」 「……何を、っ」 「——お前が欲しいものを」  答えは分かっているくせに。  ここまで追い詰めて、それでも自分の口から言わせたいのだ。  性格が悪い。  執念深い。  気味が悪いほど自分のことを見ている。  けれど、そんな男だからこそ、今だけは他の誰にも見せられない姿を晒している。  リュシアンは押さえられた手を返し、フェリクスの指へ自分の指を絡めた。 「……俺を」  息を吸う。 「——俺を、あんたの好きなようにしろ」  フェリクスの瞳が細くなる。 「それは命令か」 「契約、だよ……」 「対価は」 「俺が、あんたのそばにいる」 「期間は」  本当に、最後まで細かい男だ。  リュシアンは笑おうとした。  けれど出てきたのは、掠れた吐息だけだった。 「……俺が逃げるまで」 「なら、終身契約だな」 「馬鹿を、言え」 「——俺から逃げられると思っているのか」  腹が立つ。  その自信も、確信も、全部まとめて噛み砕いてやりたい。  リュシアンは繋いだ指へ力を込め、フェリクスの身体を引き寄せた。  首筋へ顔を寄せ、皮膚へ思い切り歯を立てる。  血の味がした。  フェリクスの呼吸が初めて明確に乱れる。  同時に、一際深く腰が押し込まれた。 「ぁ、あっ、フェリクス……!」  名前を叫んだ瞬間、張り詰めていたものが弾けた。  全身が震え、腹の内側が何度も強く収縮する。フェリクスを締めつけ、逃がすまいと絡みつく。  下腹部から熱が迸り、腹の上へ散った。  視界が白く霞む。  噛みついた首筋を離せないまま、リュシアンは浅い呼吸を繰り返した。  フェリクスもまた数度深く腰を打ちつけ、最奥へ押し込んだまま動きを止める。  体内へ熱が吐き出される感覚に、終わったはずの身体がまた震えた。 「っ、ぁ……」  力が抜ける。  フェリクスの肩から脚が滑り落ち、寝具へ沈んだ。  押さえられていた手首が解放される。  けれど指だけは、まだ繋がったままだった。  乱れた呼吸と、暖炉で薪が爆ぜる音だけが寝室に残る。  やがてフェリクスがゆっくりと身体を起こした。  繋がった箇所が離れ、リュシアンは眉を寄せる。腹の奥に残る鈍い感覚と、溢れ出す熱が妙に生々しかった。  フェリクスは寝台脇に用意されていた布を手に取る。 「準備がいいですね」 「お前が用意したものだ」 「……そうでした」  どうやら頭がまだ正常に働いていない。  フェリクスは濡らした布でリュシアンの腹を拭い、脚の間も丁寧に清めた。首輪の下へ指を差し入れ、擦れた箇所がないか確かめる。  その手つきがあまりにも普段通りで、リュシアンは急速に腹が立ってきた。 「何であんたは、もう平然としてるんだ……」 「そう見えるか」 「見えますよ」  フェリクスは答えず、濡れた布を畳んだ。  その首筋には、赤い歯形が残っている。  少し血も滲んでいた。  明日の朝になっても、恐らく消えない。  リュシアンはそれを見て、ようやく少しだけ気分を良くした。 「痕、残りましたね」 「ああ」 「隠さないとだ」 「何故」 「元長官殿が男に噛まれた痕を堂々と晒すのは、あまり外聞が良くないでしょう」 「お前がつけたものだ」 「だから何だよ」 「残しておく」  当然のように言われる。  リュシアンは顔をしかめた。  本当に、こういうところだ。  こちらが一矢報いたつもりで残した傷まで、所有物のように受け取ってしまう。 「……気持ち悪いな、あんた」 「知っている」 「少しは傷つけ」 「無理だな」  フェリクスが寝具へ入り、リュシアンの隣へ横たわる。  首輪の鎖を手繰り寄せ、余った分をベッド脇へ落とした。それから逃げ道を塞ぐように腰へ腕を回す。 「契約は成立した」 「今夜だけだ」 「俺の好きなようにしていいと言った」 「今夜だけ」 「お前がそばにいることが対価だった」 「逃げるまで、と言っただろ」 「同じことだ」 「全然違う」 「俺にとっては同じだ」  言い返そうとして、やめた。  今は疲れている。  頭も身体もまともに動かない状態で、この男と契約の解釈を争うべきではない。翌朝、コーヒーを飲んでから改めて穴を探せばいい。  リュシアンはフェリクスの胸へ額を押しつけた。  逃げないためではない。  少し寒かっただけだ。  首輪の金具へ、フェリクスの指が触れる。  そこにいることを確認する、いつもの癖。 「リュシアン」 「何です」 「悪くない噛みつき方だ」 「……そうでしょう」  満足げに返し、リュシアンは目を閉じた。  フェリクスの首には、自分が残した歯形がある。  自分の首には、フェリクスが着けた首輪がある。  どちらが勝ったのかは、まだ決まっていない。  少なくとも、今夜は。  そう思った直後、腰へ回る腕が僅かに強まり、耳元へ低い声が落ちた。 「次は俺の命令に従え」  リュシアンは目を開いた。 「次があると思ってるんですか」 「ああ」 「随分と自信満々だな」 「今夜、お前が証明した」 「何を」  フェリクスの親指が首輪の縁をなぞる。 「鎖を引かなくても、お前は自分から俺の上へ来る」  数秒の沈黙。  リュシアンはフェリクスの胸元へ顔を伏せたまま、もう一度その首筋へ噛みついた。  先ほどよりずっと軽く。  それでも男の喉から、微かな笑いが伝わってくる。  噛み返したつもりの牙まで、やはり愛でられている。  心底、気に食わなかった。

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