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第1話 妻との離婚、そして義理の弟

「これで本当に終わりだね」  区役所の自動ドアを抜けたところで美緒が言った。  晩秋の風が、薄い雲の下を吹き抜けていた。たった今受理された離婚届の控えは、俺の鞄の中に、仕事の書類と共にしまってある。 「…ああ」  それしか俺は答えられなかった。  美緒は笑いも泣きもせず、ベージュのコートのポケットから、小さな鍵を取り出した。緑のイルカのキーホルダーがついている。新居を借りた日に、駅前の雑貨屋で美緒が選んだものだった。 「これ、返すね」  俺の前に鍵を差し出してきた。 「まだ持ってていいって言っただろ。荷物が残ってたら――」 「もう全部運んだよ。あなたが会社に泊まった日にね。わかってたと思うけど」  責める調子ではなかった。だから余計に、何も言えなくなった。  俺はIT企業でSEとして働いていた。そして妻との初めての結婚記念日に障害対応で朝まで帰れなかった。さらに美緒の誕生日に予約していた店も、直前で取り消した。日付が変わってから、コンビニのケーキを提げて帰った俺に、美緒は「お疲れさま」と言った。怒鳴りもしなかった。でもそれ以降、俺に対して何か期待するようなことはなくなった。 「ちゃんと食べてね。放っておくと、直人、コーヒーだけで済ませるから」 「美緒」 「嫌いになったわけじゃないよ」  先に言われた。  美緒は俺を見た。大学の講義室で初めて会った頃から変わらない、少しだけ目尻の下がった目だった。 「好きなままじゃ、待ち続けて疲れちゃうから。これでいいの」  信号が青になる。美緒は一度だけ頭を下げ、横断歩道を渡っていった。  追えばよかったのかもしれない。仕事を辞めるとでも、今度こそ変わるとでも言えばよかったのかもしれない。  けれど俺は、動かなかった。  掌の鍵を握りしめているうちに、美緒の背中は人波へ紛れた。  それから六週間、俺は一人になった部屋で暮らしていた。  ダイニングのカーテンも、ソファのクッションも、美緒が選んだものだった。洗面所から化粧品が消え、玄関から細い靴が消えても、俺が選んでないものが部屋にいっぱい残っていた。  仕事から帰って電気をつけるたび、誰もいないことを確かめてしまう。  冷蔵庫の中身はビールと水とコンビニ弁当になった。  美緒に言われたとおり、休日にはコーヒーだけで夕方まで過ごす日もあった。  土曜の午後、スマートフォンに見慣れた名前が浮かんだ。   『お義兄さん、久しぶりです』  朝倉透。  美緒の弟だった。  正確には、もう義弟ではない。離婚届を出した時点で、俺と朝倉家をつないでいたものは切れている。それでも、画面に表示された「お義兄さん」の文字に少し泣きそうになってしまう。 『進路のことで相談があります。姉さんには少し言いづらくて』  ポンポンと続けてメッセージがアプリに送られてくる。 『今日、そっちに行ってもいいですか』  美緒へ連絡するべきか迷った。弟が元夫の家へ来る。もう親戚ではないが、何か問題が発生するわけでもない。連絡したほうが気を使わせるかもしれない。ということで俺は美緒には伝えず了承することにした。 『今日は一日家にいる。駅に着いたら連絡してくれ』  送信すると、一分もしないうちに『ありがとうございます』と返ってきた。  透の実家は、ここから私鉄の特急と地下鉄を乗り継いで八十分ほどの隣接市にある。美緒と一緒に何度かこの部屋へ来たことがあるから、道を教える必要もない。夕方に来て、夜十一時台の最終接続までに駅へ戻れば、その日のうちに実家へ帰れる距離だった。  俺は慌てて、テーブルの上の空き缶を片づけた。  透が来たのは、日が落ちて間もない頃だった。  インターホンが鳴り、玄関を開ける。 「お久しぶりです、お義兄さん」  高く澄んだ声が、冷たい外気と一緒に入ってきた。  淡い水色のシャツに、薄いグレーのカーディガン。黒い細身のパンツを穿いている。制服でないせいか、最後に会った夏より大人びて見えた。それでも、華奢な肩や白い頬には、俺が長く知っている透の面影が残っている。  そして、姉弟なのだから当然だが、美緒によく似ていた。  目元も、鼻筋も、薄い唇の形も。髪が短く、化粧をしていないのに、ふとした角度では美緒が十八歳だった頃の写真を見ているようだった。 「寒かっただろ。入れ」 「はい。お邪魔します」  透は靴を揃えてから顔を上げ、廊下の奥を見た。 「姉さんの物、本当になくなったんですね」 「ああ」 「……変なこと言って、すみません」 「いや、大丈夫だ」  リビングへ通し、湯を沸かした。透はソファの端へ腰を下ろし、膝の上に鞄を置いていた。背筋を伸ばしすぎている。進路相談に来た高校生というより、面接を待つ受験生のようだった。 「紅茶でいいか」 「はい。お義兄さんが淹れてくれるなら、何でも」 「じゃあいつもので」  声変わりをほとんど感じさせない声だった。小さい頃から高かったが、十八になった今も、電話口なら少女と間違われそうな響きを残している。美緒はよく、透の声を羨ましがっていた。  向かいへ座ると、透は鞄から大学案内と推薦入試の要項を出した。 「この大学か」 「情報デザイン学科です。学校推薦の枠が一つ空いてて、先生には出してみないかって言われました」  大学は、この部屋の最寄り駅から地下鉄で四駅、十五分ほどの場所にあった。俺も名前は知っている。学費は安くないが、設備と就職率には定評がある。透の実家から通えば乗り換えを含めて90分近くかかる。 「興味はあるのか」 「あります。オープンキャンパスも行きました。制作室も面白かったし、先輩の作品も……僕も、ああいうのを作れたらって」  透の指が、パンフレットの作品写真をなぞった。  話しているうちに、張りつめていた肩が少し下がった。授業内容、奨学金、自宅から通う場合の時間。俺が一つずつ聞くと、透はきちんと調べてきたことを答えた。相談そのものは口実ではないらしい。 「だったら、受ければいい。推薦なら早く決まるし、やりたいこともあるんだろ」 「でも、母は地元の大学のほうが安心だって。姉さんは好きにすればって言うけど……」 「美緒らしいな」  名前を口にした途端、透の睫毛が伏せられた。 「この街に来たら、一人暮らしになるのか」 「たぶん。学生寮に入るつもりです。実家から毎日通うより、そのほうがいいって先生にも言われました」 「金のことは家族と話さないと駄目だ。俺から言えるのは、大学の名前より、四年間そこで何をするかで選べってことくらいだ」 「人で選ぶのは、駄目ですか」 「人?」  透の指が、パンフレットの角を折りそうなほど強く摘まんだ。 「この街に来たら、また会えますか」  俺は答えられなかった。  透がこちらを見上げる。美緒に似た目が、まっすぐ俺だけを見ていた。 「姉さんと離婚したら、僕とも終わりですか」 「終わりって……こうして家に上げて相談に乗ってるじゃないか」 「じゃあ、会ってくれますか。今日みたいに、二人で」 「進路の相談ならな」 「進路の相談じゃなかったら?」  紅茶から上がっていた湯気は、いつの間にか消えていた。  透が立ち上がった。低いテーブルを回り込み、俺の隣へ座る。ソファがわずかに沈み、細い膝が俺の脚へ触れた。 「透」 「僕、お義兄さんが好きなんです」  高い声が震えた。 「姉さんの夫だからじゃなくて、一人の男の人として、ずっと好きでした」  理解するまでに、数秒かかった。  透とは、美緒と付き合い始めた頃からの付き合いだった。実家へ招かれるたび、少し離れた場所から俺たちを見ていた。宿題を教えたこともある。高校の合格祝いを渡したこともある。  どの記憶の中でも、透は美緒の弟だった。 「それは、勘違いだ」  口にすると、透の顔が強張った。 「俺が美緒と別れたから、混乱してるだけだ。家族が一人減ったみたいで――」 「違います」 「透」 「違います。離婚する前から、ずっとでした」  俺のシャツの袖を、透が掴んだ。 「姉さんと結婚した日も、おめでとうって言いながら、僕……帰ってから泣きました。こんなの駄目だって分かってたから、言わなかった。でも、もう家族じゃないなら、言ってもいいと思って」 「よくない」  思ったより強い声が出た。  透の指が離れる。 「俺は美緒と別れたばかりだ。お前は美緒の弟で、俺にとっても弟みたいなもので――それに、お前は男だ」  透の顔が、はっきりと強張った。 「俺は男を好きになったことがない。男に触られたり、男とキスしたりするのは、正直、嫌だ。男同士なんて、俺には無理だ」  一息に言い切った。  透は俯いた。短い髪が頬へ落ち、その向こうから透明な雫が一つ、黒いパンツへ落ちた。 「……分かっています」 「悪い」 「謝らないでください。僕が勝手に好きだっただけだから」  もう一粒、涙が落ちた。  手を伸ばしかけて、止めた。頭を撫でるのも、肩を抱くのも、今の透には残酷だ。 「大学は、僕が決めます」 「ああ。そのほうがいい」 「お義兄さんのことと、分けて考えます」  透はそう言ったのに、立ち上がらなかった。  膝の上で両手を握り、浅く息をしている。やがて唇を噛み、何かを飲み込んでから、また俺を見た。 「一つだけ、お願いしてもいいですか」 「何だ」 「思い出をください」  嫌な予感がした。 「 僕に、一度だけ恋人として接してくれませんか」 「透」 「抱いてほしいなんて言いません。キスだけでも……何でもいいです。何もないまま、もう会えなくなるのは嫌なんです」 「そうは言ってもな」  透は泣いたまま、かすかに笑った。 「もうこれ以上わがままは言いません。お義兄さん…お願いします」  拒むべきだった。  帰れと言って、玄関まで送るべきだった。透がどれだけ泣いても、ここで線を引くのが、年上の俺の役目だった。  それなのに、細い肩が震えるのを見ていると、胸の奥で別の痛みが膨らんだ。  でも男とキスをするのも、抱き合うのも、俺の身体へ触れさせるのも無理だった。  とはいえ、俺が手でしてあげるだけなら。透の願いを一方的に処理し、俺は何もされずに終わるなら、それは男同士の性行為とは違うのだと、どうにか切り分けられる気がした。 「……手だけなら」  透が瞬きをした。 「え」 「抱かない。キスもしない。お前には俺を触らせない。俺が手で出してやるだけだ。それで終わりにできるなら」  口にした瞬間、透の思い詰めていた表情が少し柔らかくなった。 「はい」  透は何度も頷いた。 「それでいいです。お願いします」  俺は立ち上がった。  寝室へ向かう俺のあとを、透が黙ってついてくる。閉めていなかったドアを押すと、夫婦二人で使っていたベッドが見えた。美緒がいなくなってからも、なんとなく片側に寄って使ってしまっていたベッドが。  透が寝室の入口で足を止めた。 「怖いなら、やめるぞ」 「怖くないです」  声は震えていた。それでも透は自分から入ってきて、ドアを閉めた。  ベッドの端へ並んで座る。肩が触れそうな距離で、透は膝を揃えていた。 「ズボン、下ろせるか」 「……はい」  ベルトへかけた指が、うまく動いていなかった。金具が二度、乾いた音を立てる。俺が代わろうとすると、透は首を振り、ようやくベルトを外した。 腰を浮かせ、パンツごと腿まで下ろす。  白い下腹の下で、若いペニスが硬く立っていた。  透が男であることなど、初めから知っていた。温泉へ連れていったこともある。だが、あの頃の記憶と、欲情して勃起した十八歳の身体は、まるで別のものだった。  細身の体に似合う、すらりとした形だった。張った皮膚の下を血管が薄く走り、露出した亀頭は熱を集めて赤い。先端には透明な液が滲んでいる。  自分にもついているものを、欲情の対象として眺めている。その生々しさに抵抗が走った。手で終わらせるだけだ、と胸の内で繰り返す。  見てはいけないものを見たように、喉が鳴った。 「恥ずかしい……」  透が両腿を閉じて勃起したペニスを両手で隠す。  ベッド脇の引き出しから、手荒れに使っている白色ワセリンを出す。蓋を開け、指先で掬った。体温で柔らかくなった油分を掌へ広げる。  その一部始終を見ていた透は、ワセリンの油で光っている俺の掌に釘付けになっていた。 「触るぞ」  返事を待つより先に、根元へ指を回した。 「あっ……」  甲高い声が弾けた。  掌の中で、透のペニスが脈打った。細い腰が浮き、俺の手を追いかけるように前へ出る。ワセリンを軸へ馴染ませ、ゆっくり上へ滑らせた。包皮が亀頭の縁を越え、濡れた先端が掌へ擦れる。 「ぁ、あ……お義兄、さん……」 「力を抜け」 「む、無理……手、熱い……」  女のように高い声だが、作られた声ではなかった。息を飲もうとするたび細く裏返り、喉の奥で甘く震える。聞くほどに、俺の腹の底が熱くなった。  これは透のためだ。  一度だけの思い出を与えて、終わらせるためだ。  そう言い聞かせ、一定の速さで手を上下させた。  ぬる、と油を含んだ皮膚が滑る。根元まで下ろし、亀頭を包み、親指の腹で先端を擦る。透はそのたびに脚を震わせ、シーツを掴んだ。 「こんな……すぐ、変になっちゃう……」 「普段、自分でしてるだろ」 「お義兄さんの手は、違うよ…だから、もっと……」  最後の言葉は息に消えた。  透が着ている薄いシャツの襟元から、鎖骨が覗いている。白い肌にうっすら汗が浮かび、首筋へ細い髪が汗で貼りついていた。近づくと、石鹸とも香水とも違う、甘い匂いがした。  美緒と同じ家で育った匂いなのかと思った。  違う。  美緒は柑橘の香水を使っていた。透から漂うのは、熱を持った肌そのものの匂いだった。 「はぁ…はぁ…」  透は俺の手と、握られている自分のペニスを見ながらさらに興奮を高めていた。  濡れた瞳、細い鼻筋、熱に開いた唇。  美緒に似ていた。  似すぎていた。  その顔が俺の手で余裕が無くなっていくのをみていると、ぞっとするほど興奮した。  手の速度を上げる。 「あっ、あ、ぁっ……お義兄さん、早い、です……っ」 「出そうか」 「まだ……でも、もう、きそう……」  亀頭のすぐ下を指で締め、短く擦り上げる。ワセリンと先走りが混ざり、くちゅ、くちゅ、と小さな水音が立った。  透の背が反る。シャツ越しに胸が上下し、鎖骨の窪みへ汗が溜まっていた。  気づいたときには、その顎へ空いた手を添えていた。 「お義兄――」  呼び終える前に、唇を塞いだ。  透の唇は熱く、柔らかかった。驚いて開いた隙間へ舌を差し入れる。透の喉から、くぐもった声が漏れた。  男とキスをしている。  ついさっき、嫌だと言い切ったことを、自分からしていた。そう気づいても、舌を引き抜くどころか、もっと深く透の口内を探っていた。 「んっ……んぅ……」  逃げる舌を追い、絡める。唾液が混ざり、息が鼻へかかる。透は戸惑うように俺の胸を押した。  手淫をしている右手を止めた。 「嫌か」  透は首を振った。押していた手で、今度は俺のシャツを掴む。細い指が皺を作った。  透が引き寄せてくるのを確かめ、右手をまた動かした。  口づけながら、濡れたペニスを根元から先まで扱く。唇の中で上がる声が、舌を震わせて直接伝わってくる。   「ん、んんっ……ふ、ぁ……っ」  息を継ぐために離れると、透明な糸が二人の唇の間で伸びた。 「キス、しないって……」  透が潤んだ目で言った。 「黙れ」  もう一度、深く口づけた。  握る力を強め、亀頭を掌の窪みへ擦りつける。透の腰が細かく跳ねた。俺の口の中へ、声にならない息が次々と流れ込む。 「んっ、ぅ……あ、くる……お義兄さん、僕、出ます……っ」  唇を離し、透の顔を見た。 「出せ」 「あっ、ああっ……!」  透の身体が弓なりに反った。  掌の中でペニスが強く脈打ち、俺は精液で服やベッドが汚れないように亀頭を掌で覆っていた。精液が俺の掌にビュルビュルと発射されている。二度、三度と亀頭から噴き出し、俺の手を汚していく。 「ぁ、あっ……ひぁ……っ」  少女のような高い声を上げながら、透は射精した。激しい射精が終わってからは、精液にまみれた手で、最後の一滴まで搾るようにペニスをしごくと、透の細い腿が痙攣し、俺の腕へ縋りついてきた。  呼吸が落ち着くまで、俺はペニスを握ったままだった。  ワセリンと精液に濡れた亀頭が、掌の中で少しずつ柔らかくなる。  ここで終わるはずだった。 「……ありがとう、ございます」 透は息を乱したまま、泣き笑いのような顔をした。 「これで、僕――」  その先を言わせたくなかった。  腹に散った白い精液。乱れた服。俺にだけ見せた、射精直後の緩んだ顔。  胸の奥から湧いた感情の醜さに、考えるより先に手が動いた。  汚れていない手で透のカーディガンを肩から落とし、シャツの前を掴む。上から二つ目のボタンが弾け、床へ転がった。 「お義兄さん?」  開いた襟をさらに広げた。  薄い胸が露わになる。肋骨の線がかすかに浮き、その上に、小さな淡い色の乳首が立っていた。  俺は透をベッドへ押し倒し、その片方へ吸いついた。 「ああっ……! な、なんで……」  透の腰が跳ねた。射精を終えたばかりのペニスが、俺の手首へ触れる。  舌先で乳首を転がし、歯を立てないように甘噛みする。透の胸は大きく上下し、また高い声がこぼれ始めた。 「なんで、止めないんですか……僕、もう出たのに……」  答えられなかった。  代わりに反対側の乳首を指で摘まむ。 「ひっ……ぁ、そこ……」 「嫌か」 「違う……嬉しくて……」  透の目から、また涙が溢れた。 「お義兄さんが、僕の身体で、そんなになってるの……嬉しい……」  視線が俺の腰へ落ちる。  スラックスの前は、隠しようもなく膨らんでいた。手を貸すだけだったはずの俺が、透の声と射精を見て、痛いほど勃起している。  透の顔が赤くなった。 「僕にも、させてください」 「何を」 「お義兄さんにも、気持ちよくなってほしいです」  透が起き上がり、ベルトの上から俺へ触れた。  薄い布越しに、細い指の形が分かる。  お前には俺を触らせない。そう言っていたはずなのに、俺は無抵抗だった。  今は嫌悪なんて感じない。勃起したままズボンから解放されないペニスをいち早くこの肉欲にまみれた行為のために解放したい。それしか考えられなかった。 「もうどうなっても知らないぞ」  透は一瞬目を見開き、それから小さく頷いた。 「はい」  透は俺のベルトを外し、スラックスと下着をずらす。抑え込まれていたペニスが跳ね上がり、腹へ当たった。  透が息を飲む。 「大きい……」 「…」 (誰と比べているんだろう) 透はベッドを降り、俺の脚の間へ膝をついた。  見上げる顔は美緒に似ている。それなのに、開いたシャツの下には平らな胸があり、その先では、さっき射精したばかりの精液に濡れた男のペニスが再び硬さを取り戻しかけている。  透は恐る恐る俺のペニスへ手を添えた。指が一周しきらず、握り直す。先端へ顔を近づけ、唇を開いた。 舌が亀頭の先へ触れた。  柔らかな舌先が、滲んでいた先走りを舐め取る。ちゅ、と小さな音を立て、透は先端を口へ含んだ。 「っ……」  熱い。  濡れた口内が亀頭を包み、舌が裏側を探る。透は慣れない様子で何度も浅く咥え直した。そのたび唇が縁へ引っかかり、唾液が軸を伝っていく。 「そう……舌を、下に」 「ん……」  言われたとおりに舌を沿わせ、少しずつ深く含む。  高い鼻から苦しげな息が漏れた。喉まで押し込もうとして咳き込み、すぐに口を離す。 「無茶するな」 「もっと、してあげたいんです」  濡れた唇でそう言い、また咥えた。  今度は手で根元を握り、口へ入らない部分を同時に擦る。ぎこちない。速さも一定ではない。だが、透が俺のために必死で口を動かしている。その事実だけで、腰が勝手に前へ出た。 「んぅっ……!」 「悪い」  透は首を振った。口を塞がれたまま、上目で俺を見る。 頬が内側から膨らみ、唇の端から唾液が垂れていた。瞳は涙で濡れている。それでも逃げずに、舌を動かし続ける。  俺は透の髪へ指を差し入れた。 「透」 「ん……んっ……」 「一度、離せ」  透は従わなかった。  聞こえなかったのではない。俺の腿へ置いた手に力を込め、さらに深く咥え込んだ。  喉の入口が亀頭へ触れる。 「っ、出る……」  透の睫毛が震えた。  それでも口は離れなかった。  俺は髪を掴んだまま、腰を浮かせた。  射精の瞬間、視界が白く弾けた。 「うっ……!」  ペニスが透の口内で脈打ち、精液を吐き出す。一度目の濃い塊が舌の上へ落ち、続けて喉の奥へ飛ぶ。 「んぐっ……ん、ぅ……」  透の喉が上下した。  飲みきれなかった白い液が、唇の端から細く垂れる。それでも透は最後まで亀頭を含み、弱くなっていく脈動を舌で受け止めた。  俺が力を抜くと、ようやく口を離した。  濡れた音がして、赤くなった唇から俺のペニスが抜ける。 「透、大丈夫か」  透は何度か咳き込み、手の甲で口元を拭った。 「苦かったです」 「吐いていい」 「もう飲みました」  掠れた高い声で答え、透は恥ずかしそうに笑った。  その笑顔を見た途端、急に部屋の中が見えるようになった。   それは、射精によって性的興奮が一時的に下がったからでもある。だが、俺はこの状況をまずいと思っていた。  何がまずいか。つい最近まで義弟だった透が犯罪的に可愛いからだ。その魅力に、俺の心臓は思春期の頃のように激しく脈打っていた。  男相手にこのような反応をしてしまうとは思わなかった。これ以上はもう未知の領域であり、かつ止まれる保証はない。早く透を家に帰すべきだ。透のためにも家に帰し、今夜のことは思い出として終わらせるべきだ。  自分のペニスはまだ透の唾液に濡れ、射精の余韻で脈打っていた。  手だけなら、と言った。  俺からキスをした。射精した透を押し倒し、シャツを開き、乳首へ吸いついた。そのうえ、俺のものを口に含ませ、喉の奥へ精液を吐き出した。  透が望んだから、だけでは説明がつかなかった。 「……もういい」  透の髪から手を離した。 「え」 「立てるか」 「はい」  透が膝へ手をつき、ゆっくり立ち上がる。俺は顔を背けて下着とスラックスを引き上げ、ベルトを締めた。金具の音が、熱のこもった寝室にひどく冷たく響いた。  洗面所へ行き、濡らしたタオルを持って戻る。 「これで拭け」  透は受け取ったタオルを見つめた。 「お義兄さんが、拭いてくれないんですか」 「自分でできるだろ」  透の顔から、先ほどまでの笑みが消えた。  ベッドへ腰を下ろし、下腹の精液とワセリンを拭う。射精を終えたペニスへ布が触れると、細い肩がわずかに震えた。  俺は見ないふりをした。 「これで約束は果たした」  透の手が止まる。 「服を着ろ。駅まで送る」 「帰すんですか」 「最初から、そのつもりだ」  嘘ではない。  ただ、そのつもりだった俺が何をしたかを、今さらなかったことにはできなかった。  透は黙ってパンツとズボンを戻した。開いたシャツのボタンを下から留めていき、途中で一つ足りないことに気づく。 俺は床へ目を走らせた。外れたボタンは、ベッドの脚のそばに落ちていた。拾い、透の掌へ置く。 「悪かった。カーディガンを着て今日はごまかしてくれ」  透は小さなボタンを握り込んだ。 「僕は、約束を果たしてもらっただけですか」 「そう言っただろ」 「でも、お義兄さんだって僕に興奮したじゃないですか」  まっすぐな声だった。  高く掠れてはいても、さっきまでの喘ぎとは違う。泣いて頼んでいたときとも違う。俺が逃げようとしているのを逃さないような、透の真剣な声だった。 「男だから無理だって言ったのに、お義兄さんからキスした」 「透」 「僕が出したあとも止めなかった。シャツを開けて、胸を舐めて……男の僕の口で、気持ちよくなっていたじゃないか!」 唇の端へ残っていた唾液を、透が親指で拭った。 「僕の口で気持ちよくなったのに、約束を果たしただけなんて言うんですか」 「そうだ」  即答した。  透は首を振った。 「男が嫌なら、自分からあんなキスはしません」  あの瞬間が蘇った。  美緒に似た顔が、俺の手で淫れていくのをみて、無意識に彼の顎を掴んでしまった。柔らかな唇を開かせ、舌を差し入れた。頼まれてはいない。キスは約束に含まれていなかった。 「僕じゃなきゃ、あんなキス、しなかったでしょう」 「分かったようなことを言うな」 「分かります。ずっと、お義兄さんを見てたから」  透は涙を拭かなかった。 「姉さんに似てたからですか」  胸の奥を、細い針で刺されたようだった。  似ていた。  それは否定できない。けれど俺の精液を飲んだあとの透の声も、汗の匂いも、平らな胸も、美緒のものではなかった。  違う、と言えば、何かを認めることになる。  そうだ、と言えば、今夜の透を踏みにじる。  俺は答えなかった。  沈黙をどう受け取ったのか、透の濡れた目から怯えが少しだけ消えた。 「お義兄さんは、僕に興奮したんです」 「とりあえず今日はおしまいだ」  話を切るように言った。  透は瞬きをした。それから、わずかに首を傾げる。 「今日は、ですか」 「言葉尻を取るな」 「だって、一度きりなら、そう言えばいいでしょう」 「透」 「分かりました。今日は、帰ります」  念を押すように「今日は」と言い、透はカーディガンのボタンを上まで留めた。乱れた胸元も、俺がつけた赤い跡も、柔らかな布の下へ隠れる。  玄関で靴を履くまで、俺たちは話さなかった。  時計は夜十時半を少し回ったところだった。ここから駅までは歩いて十分。十一時台の最終接続には、まだ余裕がある。 「駅まで送る」 「一人で帰れます」 「もう遅いから。送っていくから」 「わかりました」  透がドアノブへ手をかける。 「大学のことは、ちゃんと自分で決めます」 「そうしろ」 「決めたら連絡します」  進路の報告なら拒む理由はない。だが、今の透がそれだけを意味していないことも分かっていた。  返事をしない俺へ、透は小さく笑った。 「お義兄さん、顔、赤いままです」 「早く行くぞ」 「はい」  ドアが開き、冷たい夜気が火照った肌へ触れた。  これで約束は果たした。  とりあえず今日はおしまいだ。  透を帰すために口にしたはずの言葉を、俺は駅へ向かうあいだ、何度も自分へ言い聞かせていた。

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