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エピローグ②
右手でサングラスを外し、着ているストライプのシャツの胸ポケットに押し込んだ。それから顔を上げようと思っていたのに、克巳さんの顔色を窺うのがどうしても怖くて、俯いたままでいるのが精一杯の状態。
重たい空気をひしひしと肌で感じていたら左手を掴まれ、ぎゅっと両手を使って握りしめてきた。
「克巳、さん?」
包み込まれているというのに、温かみが感じられない克巳さんの両手――普段しない行動のせいで否応なしに、心臓が早鐘のように高鳴る。
「君の姿をテレビで見て、戻るべき場所に戻ったんだなと、肩の荷が下りた。心の底から、やっと安心出来たというか……」
安心出来たと言ってるくせに、淡々とした口調のせいで、その感じが全然伝わってこない。まるで俺の不安感を、わざと煽っているようにしか思えないよ。
「克巳さんってば冒頭しか見ていないのに、安心し過ぎじゃないの? やりすぎだっていうせいで、暫く仕事がこない可能性だってあるのにさ」
「そんなことはない。稜の持つ華やかな存在感は、誰もが持ち合わせているものじゃないから。番組を作る側としては、喉から手が出るほど欲しいものだろうし」
「……克巳さんは俺のこと、欲しくはないの?」
取り巻く重たい空気を払拭しようと、叫ぶような声で告げてしまった。いつもの俺なら、顔を上げて言えるはずなのに、声を出すのがいっぱいいっぱい。
視線の先にあるのは自分が履いてるスニーカーと、克巳さんの皮靴の先っぽだけ。
「欲しくはない。君と逢えなくなってから、自分の気持ちが日を追うごとに、現実に引き戻された。そうだな……夢から醒めたという感じに、近いかもしれない」
抑揚のない口調で告げられたセリフは、最初からそれを言おうと狙っていたのかな。
「な、何それ?」
わなわなと震えてしまった自分の声――克巳さんの言葉に知らず知らずのうちに、躰が竦んでしまう。
(どんな顔をして、今のセリフを言ったんだろう)
俺を掴んでいる手は痛いくらいに握り締められていて、言葉と裏腹な様子に、尚更ワケが分からなくなった。
だって克巳さんの両手、最初は冷たかったのに、今はすごく熱いから。その熱に当てられて、俺の躰が疼いてることなんか、全然知らないだろうね。
足元から握られている手へ、そしてゆっくりと首を動かして、大好きな彼の顔を仰ぎ見た。
無表情な面差しからは、何も感じ取ることが出来ないけれど、熱を帯びた視線でじっと、俺を見つめてくる。それが何の意味を表すのか、まったく分からなくて、ただ黙って視線を合わせてみた。
そんな分からないだらけの自分に呆れたのか、克巳さんは小さなため息をつき、ふっと視線を逸らす。
「克巳さん、俺と別れ……たいの?」
唇が動いた一瞬の隙をついて、先に口を開いた。別れるという言葉を、彼の口から聞きたくなかったから、思いきって告げてしまったのに。
自分でそれを言ったら、アイスピックで心臓を貫かれたような痛みが襲ってきて、苦痛に顔を歪ませるしかない。
「稜……」
「あ、そうか。別れるなんていうのは、実際おかしいのかな。だって俺たち、付き合ってるっていうより躰だけの関係……だから」
「そうだね」
俺の言葉を、克巳さんに否定してほしかった。彼の気持ちを聞きたかったのに、あっさりと肯定されたせいで、涙が出そうになる。
鼻の奥がツンとして涙腺が緩みそうになるのを、奥歯を噛みしめて我慢する。病院で克巳さんに抱きつき、涙を流す無様な姿を晒した情けない自分を、もう見せたくないと思ったんだ。
「克巳さん俺は……俺はアナタのことを」
「これで、終わりにしないか」
自分の気持ちを、告げようとした矢先だった。
一重瞼を細めながら低い声で発したセリフは、耳に聞こえたんじゃなく、キズついた胸の内に響いてしまって。
「絶対に嫌だ!」という言葉が、頭の中で浮かんでいるのに喉が一気に干上がって、そんな短いセリフすら、口から出そうにない――
「これからの君のためにも、終わりにした方がいいと思うんだ」
「ぉ……俺のため、って?」
――まさか克巳さん、俺のために身を引こうとしているのか!?
握り締められている自分の左手が、そっと外されそうになり、慌てて彼の右手を掴んでやる。
(逃がさないよ、これは俺のモノだからね――)
掴んだ克巳さんの右手の指先を、力を入れて握ってみた。握り締めながら真意を確かめようと、その顔色を仰ぎ見る。
「克巳さん、俺のために別れようなんて考えるとか、間違っているよ」
「いいや、間違ってはいない。君がこれから活躍するのに、俺は足枷にしかならない存在だ。だから――」
「そんなことを言うなら俺、芸能界を辞める。一般人になって働く」
「ダメだ、そんなの! 復帰するまでの今までの苦労を、無にする気なのか!?」
珍しく声を荒げる克巳さんに、満面の笑みを見せつけた。強がりなんかじゃない、素直な俺の気持ちで笑ったんだ。
「稜……」
「ボロボロだった俺を救ってくれたのは克巳さん、アナタだけだ。そのアナタが応援してるってメールをくれたから、ここまで頑張れたんだよ。それなのに終わりにしたいなんて言われたら、これからどうすればいいのか、全然……っ、分からないんだ、からっ」
笑ってる傍から止めどなく溢れる涙で、目の前にある克巳さんの顔が、どんどん歪んでいく。
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