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第44話 いないのに
翌朝も、一階のモニターに澄川律がいた。
全国ツアーの映像ではなく、海外で撮った短いインタビューだった。音声は絞られている。
真壁修司は画面の前を通り過ぎ、そのまま警備室へ入った。
「おはようございます」
神谷俊が端末から顔を上げる。
「おはようございます」
「今日、午後から外部三組です。五階に撮影一件。相沢さんは昼過ぎに戻る予定」
「凪さんは?」
「午前は外です。戻り時間はまだ確定してません」
神谷が別の画面を開く。
「一階、今のところ問題なしです」
「分かりました」
真壁は予定表を見る。
凪と相沢の時間は空いている。ただ、予定が空いているからアトラボにいないとは限らない。
最近は、そういう見方をするようになっていた。
*
昼を過ぎた頃、相沢が裏口から戻り、その十分ほどあとに凪も入った。
神谷からインカムが入る。
『二人とも入りました』
「了解です」
『今日は外部対応ないみたいです』
「予定では」
『ですよね』
通信が切れる。
最近は、予定表どおりに人が動くとは限らないという意味で、「予定では」と返すことが増えていた。
真壁が三階へ上がると、廊下の先で相沢が誰かと話していた。こちらに気づき、片手を上げる。
「真壁さん」
「お疲れさまです」
「今日、地下行ける?」
「護身術ですか」
「うん」
「時間が取れれば」
「取れなかったらまた今度でいいよ」
相沢はそれだけ言って三階へ戻っていった。
以前より外で見ることが増えても、ここへ戻れば相沢の動きはあまり変わらない。
*
午後、五階の撮影が予定より早く終わった。
搬出を神谷へ任せ、真壁は館内を一度回る。四階から三階、二階へ下り、問題がないことを確認して階段へ向かったところで、上から音が落ちてきた。
ギターだった。
短く鳴ったあと、少し間を置いて別の音が重なる。
真壁は足を止めた。
屋上だった。
*
最後の扉を押し開けると、風と一緒に草木の匂いが入ってきた。
屋上には小さな庭園が整えられている。低い植栽の間を曲線の小径が通り、小さな樹木がところどころで視線を遮っていた。昼の光を受けた葉が風に揺れ、その向こうには東京の建物が広がっている。
建物の中とは音の残り方が違う。
ギターは庭園の奥から聞こえていた。
真壁が小径を進むと、ベンチに凪隼人が座っている。ギターを抱え、その少し先に相沢涼がいた。
二人とも、まだ真壁には気づいていない。
凪が短く鳴らすと、相沢が声を重ねた。
ギターと同じ場所には乗せず、少しだけ外した旋律を置く。
凪がまた音を投げる。
相沢はそれを聞いて笑い、今度はさっきとは違う高さから声を返した。
風が葉を揺らし、その音まで二人の間へ入っていく。
曲を作っているようには見えなかった。
凪が鳴らせば、相沢が歌う。
相沢が置いた声を、今度は凪が拾う。
どちらかが形を決めるでもなく、その場で出たものを渡し合っている。
真壁は小径の途中で止まった。
長く聞くつもりはなかった。
澄川が凪の音を好きだと言っていたことを思い出す。相沢とも仕事をしたがる。
音楽のことは真壁には分からない。
ただ、二人とも相手を自分の方へ引こうとしていないことだけは分かった。
片方が出したものを拾い、形を変えて返す。どちらかが正しい場所へ持っていこうとはしない。
それでも音は続いている。
風が抜け、樹木の葉が揺れる。その隙間から見える街の向こうへ、ギターの音が薄く伸びた。
凪が先に真壁へ気づく。
手は止めない。
「真壁さん」
相沢も振り返った。
「あ、いた」
「巡回です」
「聞いてく?」
凪が言う。
「仕事中なので」
「そっか」
それ以上は誘わなかった。
真壁は扉へ向かう。
背後でまた音が重なった。
一度だけ振り返る。
凪のギターに、相沢の声が重なっている。
同じ旋律をなぞるのではなく、少し外れたところへ置かれた声の間を、風が通る。
澄川がここへ来たがる理由を、少しだけ受け取った。
真壁は庭園を出た。
*
一階へ戻ると、カフェのラックに新しい雑誌が入っていた。
表紙は澄川だった。
その先のモニターには、朝とは別のライブ映像が流れている。
真壁は足を止めず、そのまま警備室へ戻った。
神谷がこちらを見る。
「屋上でした?」
「はい」
「二人?」
「はい」
「名取さんから問い合わせ来る前でよかったですね」
真壁は端末を置く。
「もう場所は分かっています」
「先に言っときます?」
「聞かれたらでいいでしょう」
神谷が笑った。
*
夜、自宅へ戻ってから端末が震えた。
澄川からだった。
《今日、終わりました》
《お疲れさまでした》
少しして、
《そっちは?》
真壁は昼間、屋上で見た二人を浮かべた。
《凪さんと相沢さんが屋上にいました》
返事はすぐに来た。
《何してました?》
《音を出していました》
少し間が空く。
《二人で?》
《はい》
《それ聞きたかった》
真壁は画面を見る。
《澄川さんが一緒に仕事をしたい理由が、少し分かりました》
今度は返事が来るまで少し時間があった。
《本当に?》
《たぶん》
また間が空く。
《帰ったら聞かせてください》
《はい》
そこで一度、画面が静かになった。
少しして、もう一つ届く。
《真壁さんが聞いたなら、俺も聞きたかった》
真壁は昼間の屋上庭園を思い出す。
風の中で、二人の音だけが行き来していた。
《次は一緒に聞けるといいですね》
送る。
返事はすぐだった。
《はい》
真壁は画面を伏せた。
次にあの音を聞く時は、澄川が隣にいるかもしれなかった。
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