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6.再会編③
ストレートに質問を投げ掛けた。「また明日」と言ったのにその『明日』はなくて、連絡もつかなくなるなんてよっぽどのことがないと有り得ない話だ。あの時に受けた衝撃と喪失感を慰めるだけの理由が欲しい。
光は遠い目をしながら息を深く吸い、白い煙を吐いた。話したいと言ったのは光だったが、依理の質問に答えるのは少々躊躇 いがあるようだった。
「……簡単に言うと、父親のせいで家族全員で夜逃げする羽目になった、かな」
「夜逃げ……?」
「家のこと、話したことなかったよな。……俺の家族は俺と母さん、俺にとって父親に当たるクソ野郎の三人で、俺と母さんはアイツにずっと振り回されて生きてきた」
光は淡々と家族の話を始めた。若い頃から地元のスナックで働いていた光の母親は、客であった父親に口説かれ続け、やがて気を許した。光を授かったことで籍を入れたが、父親はその後態度が一変したと言う。元々経済力がない上ギャンブル依存ではあったが、息子が出来ても生活を改めないどころか、ギャンブルで作った借金は母親が返済するようになっていた。釣った魚に餌を与えない、どころの話ではない。
「母さんは綺麗な人だったけど、本当に男を見る目がなかったと思うよ。アイツが母さんを口説いたのだって、きっと母さんを利用して稼げるとか何とか思ったんだよ」
光は話の冒頭に説明のため『父親』という言葉を使ったが、それ以降は一度も言わなかった。父親と呼ぶに値しない、悍 ましい存在なのだということがうかがえる。
「母さんは仕事を掛け持ちしながら俺を育ててくれた。高校も普通科に通わせてくれたから、俺も少しでも母さんの負担を減らしてやりたくてバイトしてたんだよ。なのに、アイツ俺が高校入ってからどんどん悪化していって。遂に地元のヤバいヤツらの金に手付けたからって、この地域から出るぞって話になった。あの日カラオケから帰って来たら、アイツと母さん二人でボロいトラックに家財道具運んでてさ。俺には何の選択肢も残されてなかったよ」
あまりの衝撃的な内容に依理は黙って聞くことしか出来なかった。自分は学校での明るい光しか知らなくて、一緒に楽しくはしゃいでから帰る場所がそんな環境だとは想像もしていなかった。家の話になると言葉を濁したり浮かない顔をしていたのは、思春期特有の親とのコミュニケーション不和程度の問題だろうと呑気に考えていたあの頃の自分を殴ってやりたい。
「それで、東京に来たのか?」
「いや、いくつか転々として最終的に東京に行き着いたって感じだな。そのせいで高校も中退だよ。別に進学校でもなかったけど、普通に卒業はしたかったよな。最終学歴中卒だとまともな仕事出来ねぇし。だから生きるためなら何でもやったよ」
「何でも……」
その言葉に含まれる事柄を想像するのが怖かった。依理は自分の今までの暮らしについて、何の面白みもなく退屈だと思っていたが、光にとっては欲しくても手が届かないものだったのだ。自分がダラダラと無駄に人生を消費している間、光が苦しみや痛みを抱えながら生き延びていたのかと思うと罪悪感で押し潰されそうになる。
明らかにショックを受けている様子を見て、光は一息つき、軽快な口調に切り替える。
「ま、縁があってシゲさんに拾って貰ってからはだいぶマシなったとは思うけどな。あんまり稼げないけど。以上、俺ヒストリーでした。次は依理の番」
「俺?」
「当たり前だろ。俺ばっか赤裸々に話すのやだよ。依理は俺と会えなくなってからどうしてた?」
光は座椅子からベッドに座っている依理の隣に移動し、やや上目遣いで依理の表情をうかがう。前にもあった似たような状況。その既視感に、依理の心臓が不自然に鳴り始める。
「俺は……高校卒業して、大学行って、就職で東京来て」
「何系の会社?」
「IT系かな。企業向けに管理システム提案したりする感じ。一応営業職」
「依理、営業とか出来んの?」
「出来るし。まぁ元々いる顧客相手だから、バリバリの営業ってわけじゃないけど」
「三田さんとはあの後どうなった?」
光から投げられた変化球に依理は動揺する。高校生の時の恋愛話をするだけなのに、何故こんなにも胸が騒ぐのだろうか。
「……三カ月で、別れたよ」
「早。何が原因?」
「告白断れなくて、好きじゃないのに無理して付き合ってるんだろって」
「結局? 俺が折角気遣ってやったのに何だよそれ」
「本当それだよ。つーか三田さんだけじゃない。その後誰と付き合っても、相手から同じことばっか指摘されて続かない。それでいつも振られてる」
「学習しねぇヘタレだな。女の子と付き合うの向いてないんじゃね?」
横から覗き込んでくる光の視線。依理は目を合わさないように俯 いた。少しずつ、侵入禁止領域に踏み込まれている気がする。
「女の子と続かないんだったら、俺で良くね?」
「光」
「前に忘れてって言ったこと……覚えてる?」
「……あんなの、忘れられるわけない」
「覚えてんならさ、『続き』しようよ」
考えさせる暇など与えず、光は依理の首にしがみつくように手を回す。依理が目を逸らすことが出来ないよう互いの額をくっつけ、唇を重ねた。光との二度目のキスは高校生の時とは違って、すぐに熱い舌が口内に侵入してきた。ほのかにさっき吸っていた煙草の香りがする。時折漏れ出る光の吐息に眩暈を覚え、抵抗心が削ぎ落とされていく。こんなのは間違っていると自分に言い聞かせながらも舌を絡めてしまっているなんて矛盾だ。仕事と飲み会で疲れているところで終電を逃し、光と思わぬ形で再会して今に至る。情報量の多さに脳が停止して、自分は冷静さを失いかけているんじゃないか。
「はぁ……なぁ、その気になってきた?」
「光、ちょっと……」
唇を離すが顔を近付けたまま問い掛けてくる光。目の前にある妖艶な表情に依理は赤面し、形だけの抵抗の言葉は頼りなく消えていく。だが下のほうからベルトを外そうとする金属音が聞こえて、一気に理性が引き返してきた。
「っちょ、待て待て待てストップ!」
依理はベルトを弄 っていた光の手を掴み、少し距離を取る。顔を真っ赤にしてテンパっている姿はとても並の恋愛経験がある三十歳男性とは思えない。そんな依理を見て、光は揶揄 うような笑みを浮かべる。
「えー、いいのかよ。俺結構テクあるけどな」
「馬鹿言ってんなよ! あの時もそうだし、今日も……何でこんなことしてくんだよ」
無事帰還した理性とそもそもの疑問を胸に、依理は語気を強めて言った。すると光は急に冷めた表情に変わり、また加熱式煙草のデバイスとスティックを手に取った。
「そんなの、聞かなくてもわかってんだろ」
「……俺のことが好きってことかよ」
依理の問いに即答せず、光は煙草を咥えた状態で深く呼吸をする。吐いた煙が六畳の寝室を彷徨い、それをぼんやり眺めながらやがて光はぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「高校の時は純粋に好きだったよ。三田さんにも嫉妬した。でも今はまた違う感情かな」
「また違う、って?」
「どうせ抱かれるなら一度惚れたヤツがいい、って感じ。今日店で見て何となくわかんなかった? 俺さ、あっち系の人らにモテんの。シゲさんに拾われる前は男相手の商売で金貰ってた」
「え、ああ……」
店でのオネェ軍団とのやり取りを思い出す。セクシュアリティ的にストレートな男性であれば顔が引き攣ってもおかしくないようなドギツい会話の応酬でも、光は涼しい顔で交わしていた。元々のコミュニケーション能力に加え、その手の接客経験もあるから出来る芸当なのだろう。営業中に感じていた引っ掛かりが解けた。
「男同士の世界って結構エグいからな。女の子より頑丈だろ、って無茶苦茶するヤツいっぱいいるし。金で買ってんだからって何してもいいと思ってるヤツばっか。そんな経験し過ぎて、俺はすっかり擦れちまってんだよ」
「光……」
依理は思わず目を伏せた。知るのが怖くて想像することをやめていたのに、いざ本人の口から聞かされると胸が傷む。どれだけ明るく気丈に振舞っても、やはり光は傷だらけなのだ。
「そんなヤツに弄 ばれるだけなんてごめんなんだよ。だから偶然再会したお前に、好きだった男に無茶苦茶に抱かれたいと思った。お前にとっては性欲処理でもいい。その一瞬でも、お前のモノになれたらって。……俺のことキモいって思う?」
「……そんなことない」
依理は再び光の目を見て断言した。
「俺は光とまた会えて素直に嬉しいんだよ。これまでの自分振り返ってみて、お前以上に仲良くなったヤツなんていないと思う。そんなお前が抱えてた問題を俺は何も知らなかったんだなって、今正直すげぇ凹んでるよ」
「何で凹むんだよ。隠してたんだから知らないのは当たり前だろ」
「友達の辛い話は凹むだろ。俺は光をキモいとは思わない。あと、光を傷付けてきたヤツらと同じことはしたくない」
「え?」
光から向けられる好意については正直どうしたらいいのかわからない。だが、光がいなくなった日から自分の心は穴の空いた容器みたいだった。日々感じるちょっとした喜びもいつの間にか外に漏れ出てしまい、決して満たされる瞬間は訪れなかった。それが今日、光と再会したことで空いた穴が塞がったように依理は感じている。そんな自分の心の隙間を埋めてくれた光が、この十三年を孤独に生きてきたというなら、同じく自分が隙間を埋めてやりたいと思うのだ。
「俺はまた、昔みたいに光と一緒にいられたらって思うよ」
「友達として?」
「友達として。でも、光にとって心が安まることならしてもいい。あ、エロいことは禁止な」
「何でだよ、お前には損ないだろ」
「俺を見くびるな。大切な友達に軽率なことはしねぇから。……光はもっと、自分を大切にしろ」
店に行く道中見かけた泥酔状態の若者たちには言えなかった言葉を、光にはすんなり伝えることが出来た。怪しげな繁華街で存在意義を確かめたくて身を削る若者たちのように、光も自らを粗末に扱っているのなら、身近な友人として引き留め包み込んでやりたいと心からそう思ったからだ。
依理の言葉に光の表情が緩む。そして照れ隠しなのか、依理から顔を背けてボソッと呟いた。
「……キスは拒否しなかったくせに。説得力ねぇよ」
「なっ、それは」
「つーか……お前すんげー酒臭い。キスしながら酔っ払うかと思ったわ」
「は!? そんなの仕方ねぇだろ、体育会系職場の飲み会なめんなよ?」
「だから俺はソフドリでもいいって言ってあげたじゃん」
「うるせぇ。お前こそ煙草臭かったわ」
言い合って一瞬の間。二人は顔を見合わせて爆笑した。腹を抱えて、互いの肩をどつくと懐かしさが込み上げてくる。
「あーおかしい。酒臭い煙草臭いって最悪じゃん!」
「本当だよ、ムードもクソもねぇ」
「相手が女の子なら大ブーイングだからな、依理」
「だから、それはお前もだし!」
土曜の早朝、外はまだ暗く静かな時間帯に依理と光は笑い転げる。「近所迷惑だから声抑えろよ」と依理が注意するも光は全く気にしない。「住んでるヤツ夜職ばっかだから関係ねぇよ」と言って顔をくしゃくしゃにして笑った。それは十七歳の時によく見た、無邪気で眩しい至高の笑顔だった。
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