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  「…好きや。好き、輝(あきら)…。」  それは突然のことだった。  二人揃って、仕事の打ち合わせを終えて帰宅したところで、晩飯どうする?なんて話をしていたときだった。久しぶりに優太(ゆうた)の作った飯食いたいなー、うまいし、なんて呟きながら、リビングに荷物を下ろしながら、彼に背を向けた時だった。  ふいに後ろから抱きしめられて、彼はそう静かに呟いた。急にどうしたというのだろう。何かあったのか、とそう問おうとしたけれど、僅かに強められた腕の力に言葉は何も出なかった。  分からなかった。急に彼の中で何が起こったのか。そうでなくても、彼からのスキンシップは非常に稀だ。いつも俺から構いにいくことが多い分、それが珍しくて、嬉しくて。抱き締められて密着する背に彼を思いっきり感じることにした。彼だってそういう時くらいあるだろう、と。耳元でゆったり聞こえる彼の呼吸。すぐ近くにいる、というこれ以上ないという贅沢を。その腕を優しく触れば、彼はさらに慈しむように俺を抱き締める。      どのくらいかそうしていて、彼は、…ありがと、と静かに呟いて俺から離れていった。俺もそれに集中していた分、離れてしまったときの喪失感は凄く、…もっと、と無意識に彼の腕に手が伸びそうになった。それは届くことはなく、彼は向かう先を変え、 「飯、作るで。材料足りひんかったら借りていい?」 と、冷蔵庫の中を確認するように覗き込んでいる。俺が伸ばした手はそのまま宙を切ってしまう。どうやら彼は彼で、それで満足してしまったようだった。 「あ…うん。任せるわ。手伝うことあったら言って。」 「今日はええよ。打ち合わせも長かったし、眠かったら寝てていいで。」  そんな会話に全てを乗せて切り替えた。  思っていたよりも、彼の温もりは遥かに大きかった。いつも俺が冗談半分に彼に構いにいくことなど、軽率なものなような気がして。言葉にならなかった。…ありがと、と蚊の鳴くような声で伝えて、自分の部屋へと向かった。      自分の部屋で、荷物を放り投げてベッドへと身を転がした。本当に、先程の彼の行動は何一つ理解できることはなくて。ただ寝そべって、そのまま天井を眺めていた。  急に何か不安になったのか。ただそうしたかっただけなのか。俺が何か、不安にさせるようなことをしたのだろうか。…思考を巡らせるも、普段から適当や勢いで生きている俺からすれば、何もないとは言い切れないのが重々しいところだ。  …これは考えていても、何も答えは出ないやつ、と踏んで、少し目を閉じることにする。今日の打ち合わせは終始眠くて、バレないように振る舞ってはいたけれど、どうやら彼の目は誤魔化せなかったらしい。    少々眠りこけていた頃、ドアをノックする音にふと目が開く。 「輝、飯出来たけど、食う?」  そう声が聞こえて、自然とドアが開けられる。あ、寝てた?と俺の顔を見るなりそう微笑まれる。彼には何一つ、隠し事なんてできないようだ。    それから二人で夕食を囲み、やっぱり優太の料理は上手いと思う。素直にうまい、うまい、なんて言いながら。彼は、そんな褒めてもこれだけしかないで、としっかり釘を刺してくる。きっちり平らげてしまった皿はそこに佇んで、食べるペースは少し彼のほうが遅い。ゆったりと口へと運ぶその姿を眺めながら、ぼーっと空いた皿たちを眺めていた。 「輝ってほんまに俺の飯、うまいって食ってくれるよな。全然大したもん作ってへんのに。」 「え、だって俺より優太の方が料理上手いと思ってるよ。俺、適当だから。」  そうなん?なら褒め言葉として受け取っとくわ、と彼は微笑んだ。そんな普段のやりとりは、ルームシェアを始めた頃と何一つ変わっていない。  そう、本当に何一つ変わっていないのだ。この生活を長く続けるために、ルールは随時確認しながら決めていったけれど、それも自然とそうなった、というレベルで、そこに大きな不満も我慢もなかった。それは彼もどうやらそうらしい。それが講じてかなんなのかは分からないけれど、お互いに自然に告り合って付き合うことになり、今もこうしている。  他愛もない話をしている間に、彼も、ごちそうさま、と食べ終えたようだ。作る方と片付ける方、一緒に食った時は分担しよう、と、それも自然に決まった。俺は手元の食器をまとめシンクへと運ぶ。いつもならすぐに洗うか気分で考えるけれど、二人分あるとなるとまた理由が違った。面倒くさくなる前に、とスポンジに洗剤をかけ回した。  今日も一日あったことを振り返りながら、手元は泡でまみれている。カチャカチャと皿がぶつかる音が鳴っていたりする、この食器を洗う時間も嫌いではない。今日の打ち合わせは眠かったけれど、でも大好きな仕事仲間とわいわいできる時間は最高に楽しい。今日も良い一日だったなあ、なんてそんな呑気なことを考えながら、最後の一枚を洗い終える。ザーッと水が流れていくその水は少し冷たくて、そういえば最近、涼しくなってきたかも、ということの証明のようだ。泡が流れていくその様を眺めて、あともう少しか、といった、その時だった。  背中に大きな彼が優しくぶつかって、俺の腹回りに腕が回った。 「っ、ちょ、優太、濡れるって、」 「…いい、そんなの。」 「待ってよ、もうちょっとで終わるから、」 「待てへん。こうしてたい。」  本当にあと数枚の食器だけ、というところだったのに。本当にどうしたのだろう。本当に珍しい、ということしかなくて、その数枚の食器はそのままに水栓を止めた。なんとか手元だけを拭いたのち、俺はそのままに振り返った。 「なあ、優太、ほんとにどうした?」  やっとの思いで聞こうとしたのに、彼の顔を見れないまま、ぎゅ、と力の限り抱き締められる。  「なんか、あった?」  どうしても彼の様子が気になって仕方なかった俺は、抱きしめられたままなんとか言葉を捻り出した。それでも彼は、俺を抱き締めている腕の力は変わらず、そのまま佇む。 「…ほんまに、どうしようもないくらい、好きや。」  やっと、ぽつり、と吐き出された言葉は、静かに、それでも確かに熱の籠るものだった。 「俺も、好き、だよ…?」  素直に、俺も同じだと返事をしたものの、彼は一向に俺を離す気はないようで、耳元で熱く吐き出された息に、少し肩を揺らしてしまう。 「なんでこんなに好きなんか、愛しいのか、分からへん。こんなに今まで誰かを好きになったこともない、輝が初めてや、こんな気持ちにさせられんの。」  そう彼が呟いたとき、俺の耳元で軽く、ず、と鼻を啜るような音が聞こえて、彼の肩が少し揺れた。まさか、とは思ったけれど、肩に冷たい何かが落ちたとき、 「…優太、泣いてんの…?」 と、初めて彼が涙を流していることに気がついた。 「愛しくて、愛しくて、たまらんねん…。ルームシェアの相手になったのが、輝で本当によかった。俺のことを好きやって言ってくれたのが、輝でよかった。ほんまに、ほんまに…胸がいっぱいになってもうてて…幸せや。あかん、最近涙脆すぎて、情けないけど…。」  そう言って、彼は涙をぬぐいながら笑った。なぜだかは分からない、けれど、確かに彼の中で俺への想いが溢れてしまったような、俺のために涙を流してくれる。そんな彼が、情けないわけなんかない。 「…いや、そんなことないよ。…とりあえず、座ろ?」  そう声をかけて、共にリビングへと向かった。  むしろ、情けなさを感じたのは俺の方だった。彼の言動は淡白なものが多くて、ふいに、もう俺のこと好きじゃないのかな、なんて思うときも正直ゼロではなかった。言葉も触れ合いもそこそこに。同じ空間にいて、生活をするだけ。それを埋めるために、彼にスキンシップを求めるのは俺だけ。好き、と伝えるのも、俺だけ。そんな風に思ったこともあった。彼の腕の中で彼の本心に触れてしまった。口元に無意識に力が入ってしまう。 「…自信なかってん。輝は自由やから、奔放に生きる良さを持ってる。その奔放さが違うところを見始めたら、俺達終わるんかもしれんって。でも、こうやって同じ家に帰ってこれて、一緒に飯食える時間とか、ルームシェア始めてからずっと、俺の前で変わらず笑ってくれんねん。…こんな贅沢、あっていいんかって。」  彼は、これでもか、と言わんばかりに言葉を紡いでくれる。普段、こんなに何かを俺に伝えようとすることは滅多にない。同じ趣味の話題に花を咲かすことはあっても。俺が、構って、と言えば、仕方ないな、と笑いながら、頭を撫でてくれて、抱き締めてくれるのがやっとだったのに。  余裕なんだろうな、と、不安なんかないんだろうな、とずっと思っていた。  しかし、彼の本心は俺の遥かに想像超えたところにあったようだ。 「…っ、優太のばか、何でもっと早く言ってくれなかったんだよ…っ、優太だってマイペースだし、いつになったら来てくれんのって。俺、飽きられないようにって、ずっと必死だったのに…っ。」  彼につられたのか、俺の目頭も段々と熱くなってきて、彼の腕の力が緩んだその瞬間に、彼の胸元に額を当てて、溢れないように目元にぐっと力を入れた。背中に回した手は彼のシャツを力いっぱい握りしめる。溢れ出そうになる涙を堪えようとすればするほど、身体の色んなところが震え始める。 「飽きるわけないやろ。俺はどこにも行かへん。不安にさせてたんなら、ごめんな…。」  彼に謝られる必要なんてどこにもないはずだけれど、彼がそう呟いた瞬間、俺の目元から堰を切ったように涙が溢れ出した。止めようにも止まらないくらい、彼の胸元で泣きじゃくって、わんわん泣いた。彼は俺を抱きしめたまま、そのまま泣かせてくれて、時折頭を撫でながら、ありがとうな、って何度も静かに伝え続けていた。 「もー、俺より泣くとか聞いてへんて。」 「うぅ…っ、ばか…優太のせいだからな…!」 「…うん。そうやって感情豊かなところも、可愛いし、たまらへん。…輝。」  最後に静かに名前を呼ばれ、泣きじゃくりながらなんとか顔を上げれば、熱くも優しいキスが降ってきた。今日はどうやら、普段は淡白気味な彼の、特別な日だったようだ。 「ほんまに好きや。ずっと一緒におって。」 「…うん、俺も、好き…っ。」      終

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