1 / 1
【短編】傲慢なパティシエは、オメガを閉じ込める準備に忙しい
【六月三十日(火曜日)】
僕・周防トオルは、この秋、一ヶ月間の有給休暇を取得する予定だ。
神戸の有名洋菓子店『マホロバン』でトップパティシエを務める僕にとって、その休暇を確保するのは簡単なことではなかったけれど、ちゃんと根回しをして獲得した。
休暇中は、過去に目をかけて一度だけ抱いた、若手パティシエ・塚本キイチと一緒に暮らしたいと思っている。
今日はシフトも休みで、明日はマホロバンが定休日。
だから、一緒に住むために一年半をかけて建築したログハウスを見に行くのだ。
とはいえ彼に、ログハウスのことを事前に言う予定はない。
騙して閉じ込めてしまうつもり。
でも、大丈夫。安心して。
パティシエの彼が喜びそうなキッチン設備、素晴らしい食材、ケーキと向き合えるたっぷりの時間を用意してあげるから、心配はいらない。
キイチはすぐにその環境に馴染み、喜んでくれるはずだ。
僕より七歳年下の彼は、その頃、ちょうど二十七歳の誕生日を迎える。
キイチは二年前、僕の元を、そして神戸を、逃げ出した。
その理由は、彼がオメガだということに関係しているため、僕はオメガに関する書物を読んで知識を得たいと考えている。
現在の世に沿った、医学的な本は、とっくに読み終わった。
今、興味があるのは、その昔、まだ抑制剤が世界に広まる前の話だ。
三角屋根のログハウスを建てたのは、キイチが移り住んだ避暑地・清岳沢。
神戸の店からは、新幹線を乗り継いで四時間半以上かかる距離だ。
取り寄せていたオメガについての古い文献が先日届いたので、車内ではそれを読んで過ごす。
僕たちの曾祖父の時代に、効果の高い抑制剤が広く世界中に普及した。
今の世は、オメガだからといって、差別も、苦労もない。
そりゃ、僕みたいなアルファには分からない不便さがあるのかもしれない。
でも、オメガだからと揶揄されたりしない風潮だと信じている。
この本には、それよりも昔の話が書かれていた……。
抑制剤がない時代のオメガは、定期的に訪れる『ヒート』という発情期に翻弄されていたらしい。
そのことは知識としては知っていた。
それを起こさないために、キイチたちオメガは、毎日朝晩、抑制剤を飲んでいるのだから。
本には挿絵とともに、『巣作り』というものが書かれていた。
オメガがヒートを起こすとき、特定のアルファの匂いがついた衣服やファブリックを集め、こんもりとした巣を形成するというのだ。
初めて聞いた話だったが、強く興味を引かれながら、夢中でページを捲った。
あぁ、見てみたい。
閉じられたログハウスの中で、ヒートや、巣作りをするキイチを見てみたい。
僕ならば、そんな彼のことも、ちゃんと受けとめてあげられるだろうから。
ただ、当たり前のことだが、抑制剤を飲んでいたらヒートや巣作りは起きないらしい。
どうしたら「飲ませない」なんてことができるのか、新幹線の背もたれに身体をあずけながら考える。
今のところ、よいアイデアは浮かばないが、そんな姿を想像するだけで身体が熱を持ちそうだった。
昼過ぎに、清岳沢駅に到着する。
やはり避暑地らしく、爽やかな心地いい風が吹いていた。
僕はまず、今キイチが働いている観光客向け商店街にあるカフェ『ピュアピーク』へ足を運んだ。
このカフェには二年近く前から、僕の使用人で彼と同世代の亀井を送り込んでいて、バイトとして日々、キイチと共に働かせている。
彼からキイチの様子は常に報告を受けているが、直接その姿を見るのは、久しぶりのことだ。
僕は自慢のゆるくカーブした長い髪を一つにまとめ、サングラスをして、外から店内の様子をこっそりと窺う。
ちょうどキイチが、銀のトレーにケーキをのせ、テーブルへと運んでいる。
僕からしたら「可愛い」と思うことの多い彼だが、また少し大人の男に近づいたようで、凛々しく感じた。
それにしてもこの店は、パティシエにウエイターの仕事もさせるようだ。
ガラス越しで声は聞こえないが、女性客に話しかけ、笑顔で話を弾ませているのが分かる。
観光客へのサービスとして会話をしているのだろうが、報告で聞いているより、楽しそうなキイチの姿になんだか腹が立った。
こんな小さな店では、マホロバンと違って、計量からデコレーションまで一人で何でもこなさなきゃいけないのだろう。
なのに、接客までしているなんて不憫だ。
店のもっと奥の厨房へ目を向ければ、並んでいるのは古いタイプのオーブンや冷蔵庫で、彼の境遇を可哀想だと感じた。
休憩時間をもらった亀井と合流する。
「トオル様、遠くからお疲れ様です」
「亀井、さっき店の様子を外から覗き見てたんだけど、今日のキイチは特別に機嫌がよかったの?」
「いえ、特には。いつも通りだと思います」
「へー、そう」
彼の運転するワゴン車で、駅を挟んで反対側に建てた、まだ家具の入っていない三角屋根のログハウスに辿り着く。
前回見に来たときには、更地だった場所に、イメージ通りの建物が建っていた。
「いいね。思った通りの仕上がりだ」
ただ玄関の辺りが少し寂しく思える。
「門扉の両側に、秋にも咲く品種の白薔薇を植えるよう手配してくれる?」
「承知しました」
返事をしながら亀井が鍵を開けてくれ、中に一歩踏み入れば、木材のいい香りがした。
一階には吹き抜けのリビング、小さな書斎、トイレ、バスルームがある。
そして、大きくスペースをとっているのは、なんといってもキッチンだ。
ここに最新式のオーブン、冷蔵庫、各種調理器具を配置する予定で、すでに発注をかけてあった。
キイチがそれを見たら、それらに触れ、実際に使ってみたくなるに決まっている。
だってそういう意図で、彼のためだけに設計したキッチンなのだから。
階段を上り二階へ行けば、ベッドルームが一部屋ある。
ベッドは一つでいいだろう。
大きなキングサイズのベッドで、僕とキイチと愛犬のパニーで眠るのだ。
イメージが広がって、キイチと過ごす日々が待ちきれなくなっていく。
「亀井、鍵は内側から開かないようになるんだよね?」
「はい。そのように手配してあります。玄関ドアも窓も全て、電子ロックを掛ければ中からは開きません」
そんな会話をしていると、亀井のスマホがメッセージの着信を知らせた。
「誰から?」
「キイチさんが、休憩終わりに牛乳を買ってきて欲しいそうです」
マホロバンでは、市販の物を買って使うなんてことは滅多にしない。
「僕が選んであげるよ。ケーキ作りに最適の牛乳をね。それをキイチに届けてあげて」
亀井は、一瞬迷惑そうな表情を浮かべたけれど、すぐにそれを隠し「よろしくお願いします」と返事を寄越した。
—
亀井と別れ、僕は新幹線で東京駅まで戻る。
今夜は銀座近くにホテルを取っていて、一泊してから神戸へ帰るつもりだ。
新幹線の中では、今、東京で評判のいいパティスリーをスマホで調べまくり、どれを食べようかと考えた。
ホテルにチェックインを済ませたあと、ピュアピークでしたように、髪を一つにまとめサングラスをかけ、ケーキを買いに行く。
僕は、この業界ではそれなりに有名人で、偵察に来たとでも思われたら厄介だからね。
目当てのケーキを並んで購入し、テイクアウトした箱ごとホテルの冷蔵庫へしまう。
そして、館内のレストランで一人、夕食を済ます。
カルパッチョも、パスタも、赤ワインも美味しかったけれど、僕の気持ちはケーキへと向かっていた。
部屋へ戻り、シャワーを済ませ、バスローブに着替えて、待ちに待ったケーキを取り出す。
ドリンクは、紅茶ではなく炭酸水にした。
購入してきたケーキは、この時期らしくマンゴーをふんだんに使ったものだ。
「では」
フォークを刺し、口へと運ぶ。
「うん。評判通り。生クリームの味がいい」
その美味しさに反応した僕の下腹部は、少しずつ熱を持ち始めた。
実は僕は、他人が作った美味しいケーキを食べると「性的に興奮する」という特性を持っている。
おかしいと思うだろうが、事実だから仕方がない。
マンゴーのケーキは僕を昂らせてはくれたけれど、やはり想定内の美味しさだった。
同じ業界の人間として、僕の想像の枠を超えてはこない……。
それでも最後の一口を口へ運んだあと、僕はベッドに腰掛け、兆してしまった自分自身へ手を伸ばし、ゆっくりとしごいていく。
頭に思い浮かべるのは、もちろんキイチの姿だ。
ログハウスのベッドルームで、彼が僕の前に跪き、口で奉仕してくれるところを想像する。
彼の口内は熱くねっとりとしていて、僕自身を包み込んだ。
「キイチ……いいよ、キイチ。気持ちいい」
上目遣いで見上げてくるキイチは、トロンとした目をしながら、舌を使って僕に快楽を与えようと頑張ってくれる。
ただその映像は、少し解像度が低く、ぼやっとしていた。
指の動きを、少しずつ早くしていく。
「キイチ。早く、会いたいよ。もう、もう君を、逃がさないから……」
頭の中の映像が切り替わり、彼が僕のタオルやバスローブで作った巣の中から、ニッコリと笑いかけてくる。
見たい、この光景を、実際に見てみたい。
そう思うと、先端にプクリと雫が溢れ出てきた。
手の動きは、更に強く速くなる。
「あっ、キ、キイチっ。もう、で、でる」
手のひらには、ベッタリと白濁が飛び散った。
洗面所で手を洗い、「はぁはぁ」と乱れた息が整う頃には、妙に覚めた気持ちが、再びケーキのことを考えていた。
名の知れたパティシエのケーキよりも、キイチが作るケーキを食べたい。
彼は僕が教えたいことをすべて学ぶ前にマホロバンを去ってしまった。
その先は、自分で学ぶしかなかったはずで、足りない部分を豊かな発想力で補っているからこそ、僕が思い描く美味しさの枠を、越えてきてくれる可能性がある。
ピュアピークには、マホロバンのように同僚たちと競い合う新作会議もなく、客の反応を見ながら、全部ひとりでケーキの味を決めているらしい。
それは、神戸に残っている彼の同期たちよりも、実践で学んでいると言えるだろう。
キイチには、ログハウスで暮らす一ヶ月で更に腕をあげ、僕を心底興奮させてくれるケーキを作れるパティシエになってもらいたい。
あともう一押し。
それを僕が、手助けをしてあげるからね。
【七月一日(水曜日)】
ホテルをチェックアウトし、銀座のデパートへ向かう。
今日は、ログハウスに置く、バスローブやタオル、エプロンなどを選ぶ予定だ。
やはりそういう肌に触れるものは、品質にこだわりたい。
売り場を見て回っていると、美しいコバルトブルーのバスローブを見つけた。
手に取ると柔らかく、肌ざわりもいい。
僕の頭の中には、あることが閃く……。
「そちらのお色を、お気に召していただけましたか? タオルやブランケットにも同じお色がございますので、よろしければご案内いたします」
店員に「エプロンはないの?」と問う。
「こちらのブランドにはございませんが、色味が同じエプロンは、扱っております」
「ふーん。いいね。とてもいい。色違いは何色がある?」
「ダークブラウン、ダークグリーン、明るめの色をご希望でしたらイエローブラウンもございます」
「ダークグリーンがいいね。こっちも同じ色のエプロンが用意できる?」
僕は、コバルトブルーと、ダークグリーンで揃えられるものを、全て購入し、清岳沢へ発送してもらう手配をした。
僕が使用するタオルやバスローブ、ブランケット、エプロンは、全てコバルトブルーに統一する。
そして、キイチが使用するものは、全てダークグリーン。
つまり、もし「巣作り」というものが書物どおりに起きるならば、その巣はすべてコバルトブルーで構成されるはずだ。
我ながら、なんと素晴らしいアイデアだろう!
東京から神戸へ向かう新幹線の中で、亀井にメッセージを送信する。
『明後日の夜に届くよう、ログハウス宛てに荷物を送ってもらったから、受け取っておいて』
同じタイミングで、神戸から手配済みのキングサイズのベッドも納品される予定だ。
少しずつ準備は整っていく。
青空が流れる車窓を見ながら、三ヶ月後の「キイチを迎える日」へ気持ちを膨らませる。
彼は驚き、戸惑いながらも、最終的に僕と過ごせる日々を、喜んでくれるはず。
その日が来るのが、楽しみで仕方なく、笑みがこぼれそうだ。
キイチが抑制剤を飲まずに済むアイデアは、まだ浮かんでいないけれど「巣作り」が見られる可能性を探り続けたい。
何も知らずに亀井のワゴン車に乗せられ、ログハウスに連れてこられるキイチが最初に見るのは、美しい白薔薇の蕾だろう……。
(完)
—
お読みくださり、ありがとうございました。
トオルが準備を進めていた、この日から三ヶ月後。
キイチは亀井に、ログハウスへ連れて行かれます。
二人の恋の続きは、
『傲慢なパティシエに軟禁されたオメガは、最後の試食で彼を落とす』
でお楽しみいただけます。
Kindle電子書籍版:300円(税込)
Kindle Unlimited会員の方は読み放題です。
※全21話の長編BL小説。巻頭は無料で試し読みできます。
Amazonで作者名「木蓮フィ子」と検索してください。
ともだちにシェアしよう!

