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恋って残酷――

「なあ、あいつのどこがいいわけ?」  食べ終わった菓子パン袋を丸めながらそう訊いた。  昼休みの屋上は今にも雨が降り出しそうだ。ただそれだけでも気が滅入るところにもってきて、隣を見やれば飯もそこそこにウワの空で、ぼうっとしている相棒の様子にも腹が立つ。コイツの視線の先に何があるのかなんてことは、聞かずとも承知だ。  そう、色白でスレンダーな肢体に似合いの亜麻色の髪を風に揺らし、大きな瞳はクリクリと表情豊かによく動く。渡り廊下を歩きながら楽しげに笑う声、コイツの目線がいつも追いかけている先には必ずヤツがいる。  幼馴染だか何だか知らないが、ガキの頃からの知り合いで、仲良く遊んで育った仲らしい。  男のくせにして愛くるしい大きな瞳で真っ直ぐに相手を捉える視線、ちょっと頼りなげな仕草、他人に警戒心の無さ過ぎる素直でやさしい性質。そんなものが危なっかしく思えるのか、常に傍にいて見守ってやりたくなるのは分からないでもない。  知らずの内に保護者的な意識が身に付いてしまったわけか、とにかくヤツに対するこいつの過保護さには、見ていて呆れるものがあった。  過保護を通り越してそれが好意であるだろうことに気付いているのかいないのか、はっきりしないコイツの態度に腹の立つ思いが過ぎるのは、かくいう俺自身がコイツに捕らわれてしまっているからだということを浮き彫りにするようで後ろめたい。  側にいる時は親友気取り、それ以上の邪な感情など微塵も見せずに清く正しい幼馴染を演じ続けているのを見ていると、こっちの方が焦らされてならない。  そんなに好きなら手っ取り早く告っちまえばいいのに――  野郎同士だからとか、そんな些細なことを気にするタチ(性質)でもねえだろうによ。  いつもただただ遠くから見つめるだけで、意思表示のひとつもしようとしない。そんなコイツに対して、時折妙に苛立ちが募るのを抑えられずにいた。 ◇    ◇    ◇  ダチを相手に褒めるわけじゃないが、コイツは滅法イイ男だ。  濡れ羽色のストレートに切れ長二重のクールな瞳。タッパは長身が自慢の俺よりも、ほんの僅かに高い筋肉質で、見てくれだけでもたいがいの女なら一撃必殺ってくらいの男前だ。その上もって、一見の無愛想を裏切るきめ細やかな気配りも持ち合わせてると来りゃ、文句ナシだ。女だけじゃなく野郎にだって好かれる、いわばケチのつけようがない位のデキた奴。  こんな男に好意を持たれれば、誰だって悪い気はしないだろう。例えば相手がコイツに対して、恋愛感情やら好意やらを全く持ち合わせていない初対面の人間だったにしても――だ。  なのに告るどころかこうして遠目に見つめているだけで、しかも物憂げに溜息なんかをつかれた日にゃ、理由のない加虐心までもがこみ上げてきそうになる。  苛立ちをそのままに、俺はついヤツにちょっかいを出すのをやめられなかった。 「なあ、さっきっからボーッとしてっけど? もしか恋煩いとか? つまんねえ妄想にふけってねえで気晴らしでもしねえ?」  気を遣ってやった俺の問い掛けも、聞いているのかいないのか、まるで無反応のままに、未だ渡り廊下を追いかけていやがる。そんな態度にカッとなって、 「俺がなってやろか? てめえに恋人ができた時の予行演習も兼ねてさ。そうだな……キスでもさせてやろっか?」  わざとヤツの肩に肘を預けて寄り掛かり、たった今食ったばかりの甘いメロンパンの香りがはっきり伝わるくらいの近距離に顔を近づけながら、そうカマをかけてみた。 ――随分悶々としてるみたいだからさ、俺が慰めてやってもいいんだぜ?  そんな意味を込めて挑発してやったつもりだ。  だがヤツは焦りもせずに俺を振り返ると、半ば呆れ半分にポカンと少しの間を置いて、 「戯けてんじゃねえ」  と、短く突っ放しやがった。  おまけに俺自身ちょっと自慢の高い鼻筋を、グイとデカイ掌で押し返されてブチ切れもんだ。  つっけんどんなその態度に、こめかみ辺りがヒク付くと同時に心の深いトコロがグキっと痛んだ気がして、俺はひどく癪な気持ちにさせられた。  同じコトをあいつがしたならそんな態度はしないだろうに、そう思えばより一層癪な気持ちがこみ上げた。  今、眼下の渡り廊下を楽しげに微笑いながら歩くあいつが、こんなふうに顔を近づけて同じことをしたのなら、お前はどんな顔をするんだろう。ちょっと驚いて硬直して、でも悪い気はしないからすぐにフッと微笑んだりするのだろうか。  挙句、『バカなこと言ってんなよ』なんてあいつの髪なんか撫でながら甘い台詞でも吐くのかよ?  そんな想像をすれば、余計に腹が立った。と同時に心のあらゆる部分がスカスカになっていくようなヘンな気持ちになって、俺は何だかひどく傷付いたような気がしてならなかった。  相手が俺だから、  どうでもいい俺だから、そんなそっけない台詞を平気で返す。  眼中にない俺だから――  揺らぐ心が支えきれなくて、こうして隣に座っていることさえ辛くなって、堪らずに胸ポケットの煙草を口に銜え、火を点けた。  昼休みのガッコの屋上、そんなことは分かってる。  見つかったらマズイってことも分かってるさ。  だけどとめられなかった。煙草一欠片、今のどうしようもない気持ちを鎮めるのに頼って何が悪い。  自分でも説明のしようがない、モヤモヤとした苦しい気持ちごと吐き出すように、深く煙を吸い込んだ。 「何やってんだこのバカッ! ココどこだと思ってやがる」  眉間に少しの険をたてて、ヤツの指が俺の唇から煙草を取上げた。  ご尤もな台詞だ。  学校で煙草を吸っちゃいけませんよ、それ以前に未成年が何やってんですか。  言わずとも視線がそう物語っている。少しの侮蔑と苛立ちが混じったような表情で、ひん曲げられた唇の端をヒクつかせながら、『手間をかけさせるな』とでも言わんばかりにこちらを見据えている。  親友への説教ですか。  ああそうですか。  そういうてめえはどうなんだ。好きな野郎に『好きです』のひと言も云えない間抜けなくせして、他人に説教してる場合かよ?  あ――、『好きです』が言えないのは俺も同じか。  何だかどうでもいい気分にさせられる。そんな気持ちのままに、 「吸わなきゃやってらんねーことだってあンのよー」  背後の壁へともたれながら、俺はちょっと大袈裟なくらいの溜息をついてみせた。 ◇    ◇    ◇ 「おい、予鈴だ。そろそろ戻るぞ」  俺の消沈なんか全く眼中にない調子で、ぶっきらぼうにヤツが言う。  分厚い雲に覆われた空も、じっとりと重い湿気がまとわりつく空気も、何もかもが落ち込む気持ちを煽ってきやがるようで、居たたまれない気分になった。 「フケる――」 「はぁ?」 「次の時間、フケるっつったの! てめえは先行けや」  思いっきり視線を反らしながらふてくされてそう言った俺の態度に、ヤツの呆れた溜息が小さな音を立てた。  これ以上は言っても仕方がないと踏んだのか、しばらくの沈黙を置くと、ヤツは静かにこの場を立ち去って行った。  恋って残酷。  愛って過酷。  ダチって薄情。  俺は……惨め。  相思相愛なんてクソ食らえ、じゃん――!  ガツン、とフェンスに一発拳をくれて、皺くちゃになった煙草をもう一本取り出して銜えた。  ふと、その煙草の先にライターの火が差し出されたのに、驚いて隣を振り返れば、若干バツの悪そうな表情で苦笑いを浮かべたヤツが佇んでた。 「やっぱ付き合う――」  そう言ったヤツの唇にも同じように煙草が一本銜えられていて――  くゆらしたそれを煙たそうに細められた瞳が、遠くの空を見つめていた。  こんな仕草は堪らない。やっぱコイツってめちゃめちゃイイ男じゃん。  そう、憎らしいくらいにすべてが俺好みなんだ。容姿も仕草も何もかも、それこそ残酷なくらいにソソられる。  なんで戻って来るんだよ。  どういうつもりで戻って来たんだよ。  とてつもなくホッとする気持ちと、より一層落ち込む気持ちとが交叉していた。  やっぱダメだ。渡したくない――  幼馴染みだっていうあの男にも、いつでもこいつを取り巻いてキャアキャア言ってるクラスの女たちにも、時たま校門の前でこいつを待ってる隣の女学園の女たちにも、誰にも盗られたくない。  そしてできることなら――俺を見て欲しい。例えば気まぐれだっていい。何ならカラダだけだっていい。遊びでも欲求処理でも何でもいい。俺を求めてくれたらどんなにか――!  贅沢な望みだって分かってる。叶うはずのない想いだって分かってる。  いつか――こいつから『恋人ができた』って言葉を聞かされる時が来たら、俺はどんな顔で”おめでとう”を言うんだろう。未来を想像すれば、胸がズキズキと大袈裟なくらいの音を立てて痛み出した。 「は――! バッカよね、俺も……」  思わずこぼれちまった独り言と共に、不思議顔をしたヤツと目が合った。 「おい、泣きそうなツラしてどうした――?」  煙草をひねり消したヤツが怪訝そうに覗き込んでくる。俺、そんな面してたってか? 「……別に。何でもねって」  情けない声で苦笑いしてごまかした。 「何でもねえってツラじゃねえだろ」  しつけえって! 俺のことなんか、大して心配でもねえくせしてさ。  でもそんなに言うなら本音をぶつけてみるのも悪くねえかも。そう思って、 「んー、そうね。強いて言うなら……恋煩いってやつかね」  まるで他人事のように飄々とおどけてみせた。  こいつ、どんな反応をするんだろうか。何だか肝が据わってきて、ヤツの反応が楽しみになってくる。 「恋煩いだ? 誰に――?」 「さあな。内緒」 「好きなヤツでもできたわけ?」 「まあね。思いっきり片想いだけどな」  マジでこいつ、どんな反応を返してくっかな?  だんだん面白くなってきて、多少の上から目線でそう言った。だが、チラリと横目に見やったヤツの眉根が八の字に歪んでいるのに驚かされてしまった。  しばしの沈黙を置いてヤツが言った。  低い声で――そう、まるで地鳴りのするようなめちゃくちゃ重い声で――言った。 「相手――誰だ」  思い切り不機嫌そうに睨み付けてくる。ヤツのこんな顔を見たのは初めてだ。  いつもは往々にして穏やかで、誰かに対して怒っているところなんか見たこともないってのに。そんなこいつが、目を三角に吊り上げて鋭い視線で睨み付けてくる。  俺、何か気に障ることでも言っちまったんだろうか――、こんなおっかねえ顔したこいつに、驚きを通り越して冷や汗が出そうになる。 「な……に怒ってんだ……。ンな、メンチ切って……イケメンが台無し……」 「云えよ。誰だ――」 「誰……って」  タジタジになって一歩後退さりした瞬間に、デカい掌でガシッと髪ごと頭を掴まれて、俺は息が止まる思いに陥った。  煙草の匂いが立ち上る――  ほろ苦い独特の香りがツンと鼻を撫でる――  気付けば、視界に入りきらないくらいの近い位置でヤツの鼻先が俺の頬骨を撫でていた。 「どこの女だ。年上(うえ)か、年下(した)か?」 「……どこの……って」 「俺にゃ言えねえわけか?」  見なくても分かる。めちゃくちゃ機嫌が悪そうな声音がこいつの本気の怒りを訴えてくる。  ビリビリと、ジリジリと訴えてくる。  思わず背筋が寒くなりそうになって、目の前の胸板を思い切り突き飛ばした。 「何、急にッ……! 何、怒ってんだっ、てめ……! ワケ分かんね!」  乾坤一擲とばかりに怒鳴り上げ、勢い付いた拍子にガシャーンと大きな音を立てて後ろの金網に思い切り背中をぶつけた。  目の前では、今の今まで俺の頭を抱えていたヤツの大きな掌が、(くう)で止まったまま行き場を失くしたように硬直していた。  そんなヤツの表情も、まるで驚愕といったように歪んだまま硬直していた―― 「あ……悪り……、その……突き飛ばしたりして」  咄嗟に謝ると、ヤツの唇が微かに弧を描くようにうごめいた。 「――俺の方こそ悪かった。つい頭に血が上っちまって――すまねえ」  素直に謝ってくる姿が、何だか酷く切なげで、普段のこいつからは想像も付かない。まさに泣きそうなツラで苦笑している。 「ンだよ……。今度はてめえの方が泣きそうなツラしてよ……」 「ああ――そうかもな」 「そうかもなって、お前……」 「まさに泣きてえ気分だぜ――」  はっきりとした苦笑と共にヤツは言った。 「さっきは悪かった。てめえに好きなヤツがいるって聞いて血迷った。許せな?」 「――ッ!? ……って……それ、どういう……」  俺の問いに答えないままで、ヤツはまた一本、懐から煙草を取り出して唇に銜え込んだ。そしてもう一本を俺に差し出しながら言った。 「もう一服してくか」 「え!? あ、ああ……いいけど……」  クイと首を傾げて風を避け、デカい掌で囲いながら火を点ける……。 「確かにな――吸わなきゃやってらんねえこともあるわな」  煙たげに細められた瞳の上をユラユラと紫煙が立ち上っては消えていく。  まさか――まさかだけどさ。こいつの好きな奴って……。  まさか――な。ンなことあるわきゃ……ねえよな。  けど、さっきのこいつの態度、怒り、あれってもしかすると……もしかしたりなんか……する?  万が一の想像に、思わず頬が熱を持つ。ドキドキと心拍数が速くなる。  そんな思いを紛らわすように、俺もまた一服、ヤツの点けてくれた煙草を深く吸い込んだ。 「……な、(りょう)」 「ん?」 「お前って……その、好きな奴とか……いる?」 「いるぜ。お前――」そこで一旦言葉を止めて、ヤツはじっと俺を見つめた。見つめたというよりは凝視してるって方が当たってるくらい、鋭い視線を外してはくれない。「――はどうなんだ」 「え!?」  ンだよ! 疑問符かよ! つまり、『お前はどうなんだ?』そう訊きたかったわけかよ!  焦って損した。そんな気分のままに、俺も同様にカマをかけてみたくなった。 「俺? 俺は……お前……」お返しとばかりにここで一旦言葉を止めて、目の前のこいつの様子を窺い――そしてすぐに「……が言ったら教えても……いい」そう返してやった。するとヤツは薄く笑い、俺の指にある煙草をヒョイと取り上げて自分の口へと突っ込んだ。 「……って、おい! それ俺ンだ……ろ」 「代わりにコレをやる」  すかさず自分の煙草を俺の口へと突っ込んでよこす。 「ンだよ……これじゃ間接キスじゃん……!」  瞬時に紅潮しそうな頬の熱がこっ恥ずかしくて、俺は咄嗟にそんなことを口走ってしまった。 「間接じゃ足んねえか?」 「――へ?」 「なら直接――するか?」  こういう時のこいつの顔は堪らない。でかい切れ長の二重が細められて、めちゃくちゃ妖艶――すげえ色気にヤられそうだ。同い年なのにとてつもなくオトナに見えて、身体の奥底が熱を持つ。 「て……ッ、てめえが……してえなら……俺は別に……」  いいけど――その言葉は言わせてもらえなかった。  ほろ苦い煙草の香りの唇が、奪い取るように俺に触れた。 「さっき――」 「……ッ、え……?」 「キスしていいって言ったろ?」そう言って口角を上げる。憎たらしいくらいに気障で粋な笑顔で見つめてくる。 「てめえで言ったんだ。忘れたわけじゃねえだろ? なあ、紫月(しづき)」 ――って、ちゃんと聞いてやがったのかよ……! さっき俺が冗談で言ったこと。戯言だって突っ返したくせしてさ、今頃こんなの反則だろうが!  ふと空を見上げれば、分厚い曇天を突き破って日射しが顔を出し、眩しいくらいに俺らを射貫いていた。 「()っつ……!」 「じきに梅雨明けだからな」  俺の真横で瞳を細めたこいつのツラが、残酷なくらいに格好良く思えた。  ああ、恋って本当に―――― - FIN -

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