5 / 66
第3話 塩味と苦味
『ハマると地獄を見るぞ』
…言われても、何を大袈裟な!と笑って流した数時間前の自分を恨めしく思った。
恐る恐る舌先で触れ、隠れた苦味…というか、不純物の味を探る。
隠された微かなエグ味。知ってるものと違う。こんなに違うんだと再確認する。
熱い。想像以上の熱に不意を突かれ、握る手を思わず緩めてしまう。
ここまで来てやめるなんて言わないよね?と軽く睨みつけられ、気を取り直して塊に手を伸ばした。
事の発端は、会社を出てすぐ、寮の先輩土井さんに逢ったところから。
寮と言っても、会社で一棟借り上げているワンルームマンションなので、食事は自己管理。
せっかくの金曜だから、と、土井さんの馴染の店に立ち寄ることになった。
スナック「Venus」は俺達の寮のすぐ近く。ママの那須さんと土井さんが同郷だとかで意気投合し、決まってカウンターに陣取る。
気さくな店で、野郎ふたりの雑な会話。
「“過ぎたるは及ばざるが如し”っていうだろ?何事もあんばいってのがあるんだよ。」
…はい。
「乾いたままじゃ役に立たない!中指の腹だよ!その加減が大事なんだよ!」
…はい。
アルコールの所為か、いつもより熱くなる土井さんを、ママがたしなめる。
「土井ちゃん、無茶よぅ。話だけでどうやって伝えようってのw」
あたしはお役に立てないわよ~♪と陽気に立ち去るママ。
「那須ママの言うとおりだ。話だけじゃ、な?」
???
「船山、俺の部屋行くぞ!」
!?!?!?
。。。。。。。。。。。。。。。。。。
そして、土井さんの部屋で炊きたての新米をひたすら握る俺がいる。
土井さん自慢の、全国津々浦々の天然塩がずらりと並び、試して米と相性の良い塩を選べと言う。
米の甘みを引き立てる、荒塩に隠れた苦味、雑味。
選び方一つで、同じ手で握っていると思えないほど別物のように味を変える。
シンプルだからこそこだわりたくなる。塩の産地も、米の銘柄、水加減も。
『嵌ると地獄を見るぞ』と囁かれたのも今なら解る。地獄?いや天国だ!
きっとこの週末は、密林で炊飯器のレビューを読み漁るんだろ。わかってるよ、抗うのは無駄だよ。
その日から、やたらに米の減りが早い。
独身男子が、食費に、しかも家飯代に補填する羽目になるなんて…っ!
禁断のメニュー 塩むすび は天国……いや、やっぱり地獄だったのかもしれない。
<塩むすび編おしまい>
ともだちにシェアしよう!