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繭の中-26-
「出るって……」
「ちょっと野暮用が出来てな」
「そんな急に、私はまだ先生に教えて頂きたい事があるのに……」
己の弱さを痛感したばかりなだけに、見限られたかのような痛みを覚える。
「私は弟子失格ですか?」
表情を失い硬い声で訊ねるアークに対し、微笑む。
「違うぞアーク。そうじゃない。本当に用が出来ただけだ」
そうは言われても納得する事は出来ず、俯いてしまう。
「顔を上げろ」
言われ、慌てて顔を上げると黄金の優しい瞳が見詰めていた。
「私が居ても居なくても貴様がやる事に変わりは無い」
「それは確かにそうですが……」
「貴様は強くなれる。それは私が保証してやる。大体私が見込みの無い者を鍛えるなんて時間の無駄でしかない事をすると思うのか?」
「…いえ」
「だろ? 大丈夫だ。私から学ばなくとも貴様は強くなれる。ただ少し時間がかかるかも知れないがな」
悪戯っぽく笑うヴェロニカにアークは苦笑で返す。
「五年だ」
「え?」
「銀髪にかけた絶対服従の術式は五年で自動的に解除される。それまでにあいつを人間に戻してやれ」
そう言ってアークの頭を乱暴に撫でると、ヴェロニカは再び別邸を出て行った。
窓から見える空が夕闇に染まり始めた頃。魔術師学校へ登校していたバークが一人で別邸に現れた。
何時も誰かしらと一緒に居る彼が一人で居る事を珍しく思い、訊けば「皆、門の前で待っている」と言う。
皆と言う表現に引っかかりを覚え、眉根を寄せるとバークはアークの手を取った。
「取り合えず来てくれ」
引き摺られるようにして別邸を出ると鬱蒼と茂った木々の合い間を歩き進める。裏門が姿を現し目を凝らすと複数の人影があった。
「アークくん!」
当分聞く予定になかった声に呼ばれ、アークはたじろぐ。
「大丈夫だって。ちゃんとブロッカーがいるから」
見れば、長身のアレイスターを挟み込むようにしてピンクのツインテール少女と幼顔の少女。ダート、トルカ、トライル。そして黒髪の友人がいた。
「どうしたんですか?」
「んー。イグルんとジェリドくんとこの四バカが同時に休むから、何かあったんだって心配してたんだ。でね、今日は四バカだけ登校したからどういう事って問い詰めたら、アークくん家《ち》に居るって訊いて、メリーちゃんと一緒にお見舞いに来たんだよ。はい、これお見舞いの品」
手渡されたお菓子の詰め合わせに目を落とし言葉を反芻する。
メリーちゃんと一緒に……。
それは二人だけで来たと言う意味だろうか?
ならばと、アレイスターを見る。
「僕はアークくんに似合いそうなのを見つけてね。剣術師学校へ届けに行ったんだけど、休んでいると聞いて直接届けに来たのさ」
そう言うなり持っていた大きな手提げ袋から、パステルカラーを基調としたレースとリボンがふんだんにあしらわれたドレスを取り出した。
「どうかな?」
どうもこうもない。
「要りません!」
「そんな寂しい事言わないで。袖を通すだけでも、ね?」
甘く優しい笑みを浮かべながら、強引にドレスを受け取らせようとするヘンタイに少女二人の眼光が光る。
だが、少女達が行動を起こすより早くドレスを奪い取る手があった。
「イグル!?」
アークは突如現れた友人に目を丸くする。
周りに注意を払っていなかったとはいえ、その存在に全く気付けなかった。
一体何処から現れたのか。
「イグルくん。もしかしてそれが欲しいのかな? だったら同じ物を取り寄せようか?」
「要りません」
容赦なく断るイグルに返して欲しいとアレイスターは手を差し出すが、イグルはドレスを抱え込んだまま要求を無視した。
そんなイグルの態度を見てメリーはミルフィーに耳打ちする。
「もしかしてアークくんをヘンタイから守っているのかな?」
「いやいや。イグルんに限ってないない」
そう否定しながらもツインテールの少女は横目で白銀の少年を盗み見る。
背に庇うようにして立っている様にも見えるが、どうだろうか?
何時もの無感情の声と顔からは何も汲み取れない。
「んー。まあ、何にせよ私達がやる事は変わらないよね」
ミルフィーが視線を送るとメリーは頷いて術式で箒と荒縄を出現させると、二人の少女は目にも留まらぬ速さでヘンタイを括りつける。
「ミルフィーくん。メリーくん。これは一体?」
「アークくんの元気な姿を見れたのでもういいですよね?」
「うんうん。もうこれ以上は迷惑でしかないから先輩は帰りましょう」
今直ぐにでも強制送還されそうな雰囲気にアレイスターは慌てて待ったをかける。
「ちょっと待って欲しい。もう一件用事があるんだ」
「どんな用事ですか? ふざけた内容なら引き裂きますよ?」
幼顔に満面の笑みを浮かべ愛らしい声で恐ろしい事をさらりと言うメリーに、アレイスターは穏やかな笑みで答える。
「袋の中に花束が入っているからそれをアークくんに渡してくれるかな」
箒に括り付けられ身動きが取れないアレイスターに代わりミルフィーが袋から百合の花束を取り出してアークへ渡した。
「それをヴェロニカさんに渡してもらえるかな」
「先生に?」
「今度食事でも行きましょうと伝えて欲しい」
食事に…行く……。
言葉の意味が分からずに固まっていると、勘違いしたアレイスターが微笑を深める。
「安心して。彼女への愛と妹への愛は別物だから」
「は?」
「僕の妹愛はアークくんの物だからね」
ウィンクを飛ばされ、思わずアークは身を縮こまらせる。
「はーいはい。迷惑発言はそれくらいにして先輩は撤収して下さい」
ウィンクの残像を打ち払うようにミルフィーが両手を打ち鳴らすと、メリーが「飛べ」とドスの利いた声で指示を下す。箒は瞬く間にアレイスターを上空へと連れ去った。
「困った人は排除したし私達もそろそろお暇しましょうか?」
「んー。そうだね。イグルんは明日は学校に来るかな?」
ツインテールの少女に問われイグルは主の顔を伺い見る。
その仕草に少女二人は何か感じるところがあったのだろう。
顔を奇妙に歪ませミルフィーとメリーは顔を見合わせた。
「あの。イグルは明日にはちゃんと登校しますので心配は要りません」
イグルに代わりアークが答えた事で二人の少女は堪らず噴出した。
「うひうひ。さすがは剣術師学校一のキラキラ王子! イグルん落とすなんて凄いよね。本当に!」
「お菓子の詰め合わせより鯛の尾頭付きにすれば良かったかな?」
何やら意味ありげに笑う二人が非情に困った誤解をしていると気付き、アークは慌てて訂正する。
「ち、違いますよ。私達は清く正しい友人関係ですよ」
だが、アークの言葉を右から左へ受け流し、二人は更に笑い合う。
「お願いですから聞いて下さい」
「えー。でもでもイグルんとアークは仲良しさんなんだよね?」
話を向けられイグルは再び主の顔を見る。
すると「余計な事は言わないで」と目で制されてしまい正しい返答が分からず「私の口からは何とも言えません」そう答えると二人の少女は「主従関係決定!」と嬉しそうに叫んだ。
「違いますって!」
「いいっていいって。私達はそういうの偏見とか無いから」
「うん。心から応援するよ」
「ですから……」
「お幸せにね」
「式には呼んでね」
何度と無く訂正を入れようとするアークを無視し、二人の少女はひらひらと手を振りながら帰って行った。
「ありゃあ明日には魔術師学校中に知れ渡る事になるぞ」
ダートの言葉に脱力感を覚え、その場に座り込むと優しい声がかけられた。
「大丈夫?」
顔を上げるとそれまで少し離れたところにいた黒髪の友人の優しい笑みがあった。
「ラグナ……」
「色々あったみたいだね。凄く疲れた顔をしている」
差し出された手に掴まり立ち上がると、ラグナの数メートル後ろに荷物一杯に積んだ手押し車が見えた。
その視線に気付いたラグナが懐から重ねて折りたたまれた紙を取り出した。
「これ、お見舞い品リスト。名前と商品名が書いてあるから後で確認して下さい」
「へ?」
「学年中の生徒が君のお見舞いに来たいと言っていたんだけどね。大勢で押しかけては迷惑だろうと、代表者をくじ引きで決めたんだ。で、私が運よく当たり、皆からのお見舞い品を持って来た訳だ」
「それは返って迷惑を掛けた」
「別に大した事ではないよ。お見舞い品には飲み物も食べ物もあるからそれを食べて元気を出してくれ」
「ありがとう」
「アーク」
それまでとは違う真剣な声で呼ばれ手を握られる。
何だろうかと友人を見れば真剣な顔で言われた。
「君が私を受け入れてくれたように、私も君を受け入れるよ」
言葉の意味が分からずぽかんとしているとラグナは更に続けた。
「愛のかたちは一つじゃないからね」
真摯ではあったが的外れな言葉に脱力しへたり込む。
ダート等四人の爆笑の声に包まれながらアークは即席で作った話をラグナに聞かせた。
彼のピンチを救い、慕われただけだと。
アークが嘘を吐かないと信じているのか、ラグナは疑問の言葉は挟まずに「なるほど」と頷いた。
「やっぱりアークは凄いね」
心からの賛辞に多少の罪悪感を覚え、アークは乾いた笑いを漏らす。
ラグナはダート、トルカ、バーク、トライルそしてイグルに挨拶を済ますと再びアークへと向き直った。
「明日学校で会えるのを楽しみにしているよ。お大事に」
そう言って、ラグナはその場を後にした。
どっと疲れに襲われたアークはダート達に頼み、見舞いの品の入った手押し車を屋敷内に運んでもらう事にし、別邸に戻ると声を掛けようと振り返るとイグルはアレイスターが置いて行ったドレスや花を一まとめにし地面に置いていた。
次の瞬間品物が業火に包まれるのを見て、慌ててイグルに駆け寄る。
「何しているんだ?」
「気持ち悪いので燃やしました。いけませんでしたか?」
どういう気持ちからだとしても好意から貰った物だ。アークを思っての行動だとしても焼き払うのは遣り過ぎだと窘《たしな》める。
「次から私が貰った物を勝手に処分してはいけないよ」
「分かりました」
頭を下げたイグルの両手を確りと握る。
「守ってくれて有難う」
これまで幾度となく任務をこなしてきたが一度として礼を言われた事のないイグルはどう返事をすればいいのか分からず押し黙る。
「帰ろう」
日向の匂いのする笑顔で言われイグルは僅かに瞳を揺らし、小さな声で「はい」と答えた。
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