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繭の中-28-

 仕度を整えイグルを伴って食堂へ向かうと、既に朝食の仕度は整っていた。  十二人掛けの広いテーブルには父テールス一人が着いており、ヴェロニカの姿は見当たらない。  宴での酔いが抜け切らず寝ているのだろうと推察するが、それを訂正するようにテールスからヴェロニカが未明に出立したと聞かされアークは愕然とした。  訊きたい事も確認したい事もあった。  何より別れの挨拶くらいちゃんとさせて貰えなかった事に憤り、眉根寄せると心の内を察したテールスが謝罪した。 「すまないアーク。せめて挨拶くらいしてから出立して欲しいと頼んだのだが、湿っぽいのは嫌だと一蹴されてしまった。不甲斐無い父を許してくれ」 「謝らないで下さい。ヴェロニカ先生を止める事は、多分誰にも出来ない事ですから」  テールスが肩を竦め苦笑する。 「アーク。これを」  差し出された封筒を受け取り、差出人を確認するとヴェロニカのサインがあった。  開封し、便箋を取り出すとそこには別れの言葉も戦いに関する指針もなく。 『拾ったからには最後まで面倒を看ろよ』  それだけが書かれていた。  現れた時も去る時も突然。  挨拶の言葉も無く、残された言葉がこれだけとは先生らしいとアークは笑った。  朝食を終え、アークはイグルと共に馬車で術師学校のある森へと向かった。  魔術師学校の手前に設けられている待機所にて馬車から降りると、そこにはジェリドとダートそしてトルカが待機していた。 「待っていてくれたのか?」 「まだ狙われてるかもしれねーし。それじゃなくともそいつ一人にしとくと危なっかしいしな」  ジェリドはアークの一歩後ろに控えているイグルを顎で指し示す。  主従関係が結ばれる前なら確実に『大きなお世話です』『貴方には関係ありません』と冷たく切り捨てていたイグルが、否定も肯定もせずにいる。  誰の言葉も受け入れず拒絶を示していたイグルが他人に付き従う姿に慣ず、気持ち悪さからジェリドは顔を顰めた。 「イグル。昨日も言ったけど、学校では出来るだけジェリド達と行動を共にするんだ。判断に迷う事があれば相談する事。それと、からかいや冗談を真に受けて肌を晒したりしてはいけないよ」  幼子に諭すように言って聞かせると、イグルはその場に跪《ひざまず》く。 「我が身体はアーク様の領土。何人たりとも蹂躙させはしません」  真剣にそう誓う。  予想外の行動と言動にジェリドは片方の肩がカクンと落ち、制服がずり落ちそうになった。  イグルの態度に、後ろで腹を抱えゲラゲラと笑っている友人二人を尻目にジェリドは体制を立て直す。 「何、お前等そういう方向で纏まったの?」  一体何が起こったのか。  疑わしげな目で見ると、アークは勢いよく首を左右に振った。 「ちっ違うぞ。私達は君が考えるような如何わしい関係ではないからな」 「別に俺、何も言ってないけど?」  ジェーンやリリンの影響でか、他意の無い言葉であっても深読みをしてしまう。  自分こそが如何わしい想像をしていた事実に顔を赤らめ言い淀む。 「いや。あの……」  嫌な汗を拭いながら、潔く申し込む。 「すまない。今のは忘れてくれ」  アークの明らかな動揺にダートとトルカは爆笑し、ジェリドは溜息を吐いた。  要らぬ恥を掻いてしまったと両手で挟むように頬を叩き、羞恥に崩れた顔を引き締めると、一抹の不安を覚えながらもイグルと別れ、剣術師学校へ向かった。  病欠としていた為、敷地内に入るなり小中高関係なく剣術師学校の生徒に体調の良し悪しを訊ねられ、見舞品《プレゼント》攻撃に遭い、揉みくちゃとなった。  授業の合間合間に誰かしらが尋ねてきては、見舞品《プレゼント》渡されるという騒がしい一日が終わり、抱えきれないほどの見舞品《プレゼント》をクラスメイトの手を借りて待機所の馬車まで運び込んでいると魔術師学校の制服を着た長身金髪の男が近付いて来た。  アークは両手に見舞品《プレゼント》を抱えたまま固まり、それとは対照的にアレイスターの中身を知らない剣術師学校の女子生徒達は魔術師学校の微笑み王子の登場に色めき立った。 「全部お見舞いの品? アークくんは本当に人気者だね」  昨日に引き続きドレスを押し付けられる事を警戒するが、アレイスターの手には何も無く、そっと胸を撫で下ろす。  あとは妙な発言をしないで下さいと祈るばかり。 「手伝うよ」  そう申し出たアレイスターは車内に入りきらない見舞品《プレゼント》を業者やクラスメイトと共に馬車の屋根に括り付けて行く。  全ての作業が終わると、業者は席に戻り、アレイスターに興味津々な女子生徒は少しでもお近付きになろうと取り囲むが、完全完璧な甘ったるい微笑で「アークくんと内緒の話があるからゴメンね」と追い払われた。  馬車は何台か停まってはいるもののアレイスターと二人きりの状態に緊張を覚え、思わず間合いを取るアーク。 「ちょっといいかな?」 「駄目です」と言えず「はあ」と曖昧な返事をしてしまう。 「昨日のプレゼントの事なんだけど」  アークは浮かべていた作り笑顔を引き攣らせた。  パステルカラーのドレスの行方を聞かれたらどう答えたものか。  正直にイグルが燃やしてしまったと言う訳にはいかない。  何か適当な話を作らねばと思案する。 「百合の花束をヴェロニカさんには渡してもらえたかな?」  もじもじと問う姿に「食事に行こう」と言う言葉は冗談ではなかったのだと、驚きから固まる。  自分への迷惑なプレゼントはまだしも、先生への花束を渡す事が出来なかった事に罪悪感を覚え、申し訳無く思う。  燃やした事実は伏せ、ヴェロニカが突如出国してしまい渡せなかったと告げると、アレイスターは演劇俳優の如くオーバーアクションでその場に崩れ落ちた。 「そっそんな……出国だなんて……運命だと思ったのに……」  歩く災厄と謳われているヴェロニカに対し運命を感じるとはアレイスターの女性の好みに疑問を覚えるが、空想の妹を溺愛する人間だ。常人には理解しがたい趣向なのかもしれないと己を無理矢理納得させる。 「もう二度と会えないなんて……」  悲観にくれるアレイスターを不憫に思いアークはそっと声を掛ける。 「もっといい人が現れるかもしれませんし、元気出して下さい」  情けない顔で溜息を吐くアレイスターに微笑むと、巨体は勢いよくアークの腰へと抱き付いた。 「ああ、アンジュ! 何て優しい子なんだ」  腹の辺りに顔を埋め、すりすりと甘えてみせるヘンタイにアークは心の中で悲鳴を上げる。  声を出さなかったのは剣術師として十貴族としてのブライトからだが、それも何時まで持つか分からない。  醜態を晒す前にヘンタイを引き剥がさねばと筋肉強化の術式を発動させ、アレイスターの両肩を持って押しやるが、離れない。  何の術式も使っていない魔術師を動かせない訳が無い。  一体どうなっているのかと困惑していると、アレイスターが顔を上げた。 「愛は全てを凌駕するのさ」  甘く優しい笑顔だが、それゆえにえもいえぬ恐怖を感じ、今度こそ小さな小さな悲鳴を上げた。 「ヒッ!」  殴ってでも引き剥がそうと、拳を振り上げたところに何かが飛び込んで来た。  黄金に輝く梟《ふくろう》はアレイスターの頭上を掠るようにして過ぎ去り、旋回してアレイスターの肩へと止まった。  伝書役の梟の飛来にアレイスターはアークを離し、肩の梟を手にすると瞬時に光の文字へと姿を変え、二人の眼前に伝言を示した。 『緊急事態発生』  文字が再び姿を変えようとした次の瞬間。  魔術師学校全体を覆う防御壁が出現した。  第一位の術師が何人も在中する学校だ。滅多な事では防御壁が出現する事は無い。  事態の重さに緊張が走る。  見れば、アレイスターの顔に何時もの笑みは無く、重く硬い。 「アークくん。逃げてくれと言っても聞いてはくれないのだろうね」 「当たり前です」  アレイスターは苦笑し、ならばとアークを連れ立って走り出した。 「私達だけでは心もとない。剣術師学校に残っている者達にも助力を願おう」 「この時間なら先生達も残っているはずです」  筋肉強化の術式で先行し職員室を目指す事を考えるが、何が起こっているか分からない以上、別行動は避けるべきだと逸《はや》る気持ちを抑える。  近距離戦を得意とするアークが前を行く形で走り、剣術師学校の門を潜《くぐ》ると同時に背後で叫び声が上がった。反射的に振り返ろうとするが、全身が拘束されたかのように動かない。  腕が、足が、重い。  何事だと見れば、壁を這う蔦のように足元の影が全身に絡み付いていた。  引き剥がそうと腕を引くが、僅かにしか動かせず、暗い闇に飲まれるようにして身体が沈んで行く。  アレイスターの身を案じ、呼びかけるが応答が無い。 「アレイスター先輩!」  呼びかけながら筋肉強化の術式を使い何とか身を捻り、背後を窺い見るがアレイスターの姿は無い。  路上に残った暗い闇の跡《あと》が揺れているだけだ。  何者かが仕掛けたトラップにまんまと落ちた己の迂闊さを呪うと同時に、アレイスターの安否が心配だった。  何とかしてこの闇から逃れなければと甲殻鎧《こうかくがい》の剣を出現させ、纏わり付く闇に突き立てる。  切り離しては直ぐに絡み付いてくる為に闇から這い出るよりも呑み込まれる方が深い。  膝までだったのが腰まで呑み込まれ、今は胸まで呑まれている。  必死に剣で闇を払っていると夕刻の陽を遮るように影が落ちた。  反射的に影に向かって剣を突き出すと、肉を貫く感触が伝わった。 「往生際が悪いな」  夕闇に陰った姿にアークは目を瞠る。  重い衝撃を首に受け手足が痺れ、剣を零す。 「基本属性が雷撃系だけあって簡単には気を失わないね」  ならばと、再び腕が振り上げられる。  防がねばと思うが、一撃目で全身を麻痺させられたアークになす術は無い。  何故――と、言葉にならない疑問を胸に、振り下ろされる腕を見詰めた。

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