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繭の中-38-

 ディランの後ろを付いて少年達は歩いて行く。  グランドへ近くなるほどに空気の質は変わり、重苦しくなった。  術式による爆音を遠くに聞きながらグランドへ辿り着けば、初めて体験する戦場の異様な雰囲気に呑まれそうになり、アークは手を強く握った。  手足を失った者や裂かれた腹部から内臓を覗かせている者を高位術師が懸命に治癒を施している。今のところ死人は出ていないようだが、死の気配はそこら中に漂っており、眩暈を覚える血と肉の焦げる臭いに顔を顰めながら更に進むと、仮面を被り黒衣を纏った男の姿に場がざわついた。 「断罪者ヨルムだ」  あちらこちらから囁かれる貴族にとって恐怖の代名詞であるその名前に少年達は一斉にディランを見た。仮面に隠され表情は伺えずディラン本人からの言葉を待つが、それより早く声を掻き分けるようにして一人の剣術師が現れた。  鋼のような体躯を持った身長二メートルの巨漢。剣術師学校教師の男はディランの前に立ちはだかると怒りと侮蔑を含んだ目で睨み付けた。 「首狩りヨルム、何故貴様がここにいる!」 「やぁ、アモン。まだ生きていたんだね」  硬く苦々しい声を無視するような軽い声に苛立ちを覚えアモンは眉間に深い皺を刻んだ。 「何を企んでいる」 「企むなんて人聞きの悪い。今日は首切りに来た訳じゃないよ。ただの引率者さ」  その言葉にアモンはディランの背後にいる少年達を見た。 「魔術師学校の生徒に、金髪のは……アーク・エス・ノエルか?」  剣術担当教官であり何度も手合わせしているアモンは流石に少女の正体に気付き、肩を怒らせた。 「貴様、俺の生徒に何をさせる気だ!」 「何か誤解があるようだけど、この子の格好は俺は関係ないからね」 「ね?」と同意を求められアークはアモンに向き直ると頷いて見せた。 「格好の事はいいとしてもだ、こんな低位術師の子供達に何をさせる気だ!」 「ちょっと早目の戦場デビューかな」 「なっ! ふざけるなこの戦場がどれほど危険か分かって言っているのか!?」 「絶対に安全な戦場なんてないよ。それに彼らは術師だ。戦いと死は常にそこにある。第一この戦場を選んだのは彼らだ」 「だとしてもここを通す事は許可できない」 「別に許可なんか要らないよ。勝手に通るからさ」  自分の横を通り抜けようとするディランを止めようと咄嗟にアモンは掴もうとするが、手は空を切った。 「君じゃ俺を止める事は出来ない。そんな事二十年前に十分思い知っただろう?」 「そんな事分からんだろうが!」  アモンが剣を抜こうとしたその時。  鎌鼬《かまいたち》が如く鋭い風が放たれ、アモンの目の前を赤く染めた。  赤く飛散したものがバラバラと地に落ち、直接肌に空気が触れる感覚に自分の衣服が切り刻まれた事を悟った。 「次に邪魔しようとしたらパンツも切り刻むよ?」  羞恥と怒りに震えるアモンをそのままにディランはアーク達を引き連れ歩き出すと、ひしめき合っていた人だかりが割れ、最前線へと続く道が作られる。  アーク達が生まれるより前。貴族達を震撼させた私刑執行人と目の前の人物が結びつかないアークは悩んだ末に確認する。 「貴方は本当に断罪者ヨルムなんですか?」 「う~ん。訂正するとね、おいちゃんは自分でそんな名前を名乗った事はないんだよ? メディアが武器名から勝手にそう呼んでね、クレームを入れなかったからそのまま定着しちゃっただけなんだ」 「それじゃ、本当に……」 「二十年前に貴族の首を切り落としていた勘違い人間かという質問なら、答えはイエスだよ」  仮面の奥で目が微笑む。 「何故、貴族の首を切り落としたりなんかしたんですか?」 「二十年前はおいちゃんもまだまだ若くてね。悪い貴族を消したら世の中が変わると信じていたんだよ」 「……」 「でも、狩っても狩っても何も変わらなかった。国の人口が多少減っただけだった」  自嘲気味に声は笑う。 「で、幻想に打ち砕かれているところを騎士団に掴まってね。拷問の末、家畜の餌にする為、ミンチにされそうになっているところをチェブランカのオヤジに拾われたんだ」  あははっ――と、何でもない事のように笑うと防御壁を前にディランは足を止めた。  壁は透明で向こう側が確りと見える。  化け物との距離は数百メートルはあるが、禍々しく巨大な姿は恐怖と緊張を与える。  四十人程の剣術師と魔術師が連携して化け物を攻撃しているが、効果は見えない。  こんな物と渡り合えるだろうかと少年達が萎縮していると、ディランは近くに居る剣術師に話しかけた。 「ねぇ、君。少し前に顔に傷痕のある剣術師が来たと思うんだけど、アレはまだ生きているかな?」 「それならあちらに捕らえてますが……」 「そう。なら、それ離して貰える?」 「は……?」 「救助対象の人間はもういないんだよね? ならバカが一人突っ込んで行っても問題ないよね?」  問題ない訳ではないが、伝説の死刑執行人に言われては否は言えず、剣術師はすぐさま行動に移した。 「おい。貴様!」  背後からの声に振り向くと服の代わりに甲殻鎧の術式で作った鎧を纏ったアモンが立っていた。 「本当に子供達を中に入れる気か!」 「そう言っているよ」 「そんなマネが許されると思っているのか」 「誰かの許しなんか必要ないよ」  邪魔するなら排除する。  暗にそう匂わせるとアモンは唸り、側に居た剣術師に命じると、後方から二個中隊が現れた。 「低位の子供達を危険にさらす訳にはいかないからな。あくまで子供達を守る為だ。貴様の手助けをする訳じゃないからな!」 「君が正義漢で嬉しいよ」  忌々しい相手からの褒め言葉に不愉快そうに眉を上げると鼻を鳴らし、ディラン達を押しのけるようにしてアモンは防御壁へと進んだ。  援軍となる剣術師の登場にディランは親指を立てて良しのサインをして見せた。 「アモンが直情型熱血正義マンのままで良かったよ」 「ディランさん。まさか……」 「これで囮が増えた」 「人を巻き込むのは……」 「何を言っているんだい。君達は未熟で弱い。あんな化け物を正面から倒す事は出来ないし、そんな事を考える必要もない。立っている者は師匠でも何でも使えばいい。正義をなす為の覚悟はもう消えたのかな?」 「いえ……」 「余計な事は考えず、バカな王子様のもとへ行く事だけ考えるんだ。いいね?」  アークが頷いてみせると、ディランは少年達に中に入ってからの行動を説明した。 「バカ王子の目的はあくまでヴェロニカさんだ。魔力温存の為に高位術師相手にも手を抜いているようだからね。低位の君達の事なんか歯牙にもかけないだろう。取り付くのは簡単だ」  指揮するアモンの声が響く。 「遠距離攻撃を合図に防御壁を解け!」  耳を劈《つんざ》くような笛の音と同時に魔術師は術式を繋ぎだすと、防御壁の向こう側に居る化け物の頭上に術式が複数浮かんだ。  眩い光と同時に第一位の火炎系術式が吹き付けられる。 「今だ!」  アモンの声に防御壁は一部分だけ消え去り、そこから剣術師達が一斉に突入した。 「確りおいちゃんに付いて来るんだよ?」  そう断ると、ディランは近所を散歩するような気軽な足取りで地獄のへの入り口を潜り、その後を追うようにアーク達も潜った。

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