1 / 1
『花園さん』
この言葉に従え。
***
花園さんは喋りつづける。
昨日のこと。テレビのこと。会社のこと。今朝の隣の家の人の奥さんのシャツの襟が三センチ広すぎてあれはおかしい、靴下が短い、靴が汚れてゴミが大きかった、分別がどうこう。
部下は字が汚く曲がって、捻じ曲がって、ネクタイの柄が揺れて、揺れて動いて、丈がピンが靴が靴下が、靴下の丈が。足首。醜い。ホクロ。臑毛。判子の朱肉が乾いて掠れ、窓ガラスに鳥の残した白いシミ。飛び散る羽。卵は落ちて割れていた。
頭に入ってくる映像は酷くノイズまみれで、ぼくは反動をつけ、花園さんの勃起を裸足の足の先の爪の先で。
「いたぁいいいいいいひぃぃいぃ」
「うるせえ! クソジジイが!」
蹲った肩を蹴った。快楽で歪む、唾液まみれの醜い顔。ぼくは恍惚と喘ぎ、擦り寄り、甘えた声で花園さんを踏み躙って懇願した。
「もっとしゃべって」
「あの、あのね……今日の昼に寄ったコンビニは品出しもしないでカゴに」
花園さんは喋りつづける。あれがダメ。これがダメ。ぜんぶ間違っていて汚いから、ぼくはここから出られない。花園さんの声が、言葉が、ぼくの脳を快楽で震わせ、ぼくは許され、甲高い叫びに足を振り上げた。
寒い。寒い。寒くて喘いで、武者震いで。
「蹴って! ぶってくれ! きみの、あぎぎいいい」
「もっと!」
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」
「もっと! しゃべってぇ!」
「あ、あのね……う、ぐ、会社の、椅子が、汚くて、若い子が、女の、子がね、あ、あああ!」
花園さんの興奮の眼差し。ぼくは寒さを堪え、汗を掻き、花園さんのそれを何度も踏んだ。ビクビクと跳ね回り、白濁を散らすものにぼくは息を荒げ、不快な足の裏の雫を花園さんの顔に擦り付けた。歪む顔が。うっとりと、歪む顔が、顔が。
「舐めて、汚れた、舐めて」
「あ、ハァ、はひい、ああ」
ぼくの足の裏を綺麗にする花園さん。生っ白い顔を、豚のようにピンクに染めて、真っ赤な舌を足の裏に這わせて、しゃぶり、震え、悶える、醜い、醜い、醜い、老いた顔。
「あがあ!」
「しゃべって」
「あ、あが、ぎ」
押し込んだ踵に歯。痛みが走って鼻を踏み飛ばした。奇声を上げた惨めな中年が、床に転がり、潰れ、コンクリートの床にみすぼらしい頭髪が散った。
「しゃべってよ! しゃべって! しゃべってえぇ!」
「あ、あが、はが」
ままならない興奮。ヒステリックなぼくの声に、花園さんは恍惚と笑い、足を開き、オシメを換えてと強請るように足を抱えてぼくを誘った。その足に飛びつくぼくは、弛んだ尻の間の暗い穴に自身を埋め込み、叫びながら腰を振った。
「ああ! ああ! ああっ、はあ!」
「あがっ、あぐ、ぐう、ぐうう!」
絶望の声を上げ、弾けて崩れた。終わってしまった饗宴に泣いた。
********
「いいこにしているんだよ」
「うん」
ニコニコと笑い、花園さんは出て行った。
ぼくはここから出られない。
いいこにしています。
はやくかえってきてね。
「キ**イが」
だれのことばだろう。
ぼくのなかは、花園さんの言葉でいっぱい。
「おまえのせいだ、おまえのせいで、わたしは」
聞き覚えのあるそれに、花園さんが言葉を付け足す。
「だれもそんなことは言ってない。きみはここにいるんだよ。いいこでね」
「うん」
おまえのせいだ。
おまえのせいだ。
おまえのせいで、わたしは。
「公園の子供がうるさくて、母親はずっとおしゃべりで、砂が散って風が吹いて、山が崩れて流れて溶けた。昔の話だ。だからきみは、ここには居ない」
ぼくはここに居たい。
花園さんは狂っている。花園さんの言葉は正しい。
花園さんが泣いている。
寒いよ。寒いよ。また来週。
*******************
「生きてたの」
「しゃ…………しゃ、へ」
「そうだね、今日はじゃあ、バス停の」
「う」
「ぶってくれ」
「う」
「ぶってくれ! 昔のように! 強く!」
「う…………! うぁあああああああッ!」
「ひぃぃぃいっ、いたあぃいい」
「ひぃ、…………ひ」
「ここにいるんだよ、外に出ちゃダメだ、わかるね、いいこでね」
「————」
ここにいるよ。
どこにもいけない。うごけない。
せかいは危ない。嘘つきばかり。
花園さんは、ただしい人。
************* ************
「きみの世界は、わたしだけだ」
「————」
「あなたに教わった。ずっとこれが、わたしの世界だった」
*****
どこにいるの。ぼくはだれなの。
「こどもだ、きみは、とても素直な、かわいそうな、こども」
そうだ。ぼくは、素直なこども。
あなたの言葉にしたがうこども。
六十までの、としは数えた。
なんねん。あとなんねん。
「助けてくれ。もう……許してくれ……とうさん」
はやくかえってきてね。 花園さん。
ともだちにシェアしよう!