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第44話

「ね、ちーくん。俺と付き合わない?」 そう言われたのは朝も10時を過ぎ、着替えているときだった。 昨日の夜智紀さんの部屋に泊った。 日曜の今日、俺はこのあと友達の柳井と約束があって、智紀さんも用事があるらしい。 「どこにですか」 靴下を履きながら訊きかえせば、大きく吹き出す声が響く。 ダイニングテーブルですでにスーツに着替えてコーヒーを飲んでいた智紀さんはなにがおかしいのかゲラゲラと笑っている。 「……俺変なこと言いました?」 「言った」 即答されて眉を寄せる。 どこにですか、の何が変なんだ。 『ねぇ、俺と付き合わない?』 だけど不意に脳裏に蘇る言葉。 それは智紀さんの声でだけど、さっきとは違う。 あの日――ホワイトデーの夜、聞いた……ような気がする言葉だ。 いいですよ、と俺は返事して、だけど夢の中のことのような気がしてて。 あの後、どういう意味だったんだろうと考えた。 もしかしたら、 「やっぱりホワイトデーのとき俺が言ったの気づいてなかったか。ま、いいや。要は付き合わないイコール交際、つまり俺と恋人になりませんか、ってこと」 ――そういう意味じゃないか、なんて思ってまさか、と否定した。 きっと夢だろうと。だって俺と智紀さんの関係はとくに変わらなかったし。 だから忘れて、いま急に言われ普通に返したんだ。 「恋人……?」 ぽかんと口を開けてまた訊き返し、 「なんで?」 と言っていた。 そしたらまたげらげらと智紀さんが笑い出す。 確かに――普通に考えれば俺の問い返しはおかしいものだろう。 一般的に交際を申し込まれてなんでなんて返したら失礼だ、とわかってる。 だけど、なんで、としか言えない。 だって、智紀さんが俺の恋人になる? だって――。 「それは千裕のことが好きだから」 あっさり言われ、一気にパニックになる。 誰が、誰を好きだって? 言葉が出てこない。 でも俺の気持ちを見透かすように智紀さんが目を細めて言う。 「俺、千裕のこと好きだよ」 「……」 「それに毎週のように週末一緒に過ごして、平日だって都合つけばご飯食べたりエッチしたりしてさ、普通に考えてカップルと一緒じゃない?」 「……」 それは――客観的に見ればそうなのかもしれない。 セフレ……ってものがどの程度の間柄なのかわからない。 セックスだけするのか。 セックスだけして、ご飯食べたり映画見たりドライブしたり……ってしないのか? 「ちーくんは、俺のこと嫌い?」 ぐるぐると回る思考をぶった切るように智紀さんが訊いてくる。 「……別に、嫌いじゃないですけど。でも逆になんで俺なのか。……俺、男だし」 「ぐはっ!」 ぼそぼそと言えばやたら芝居がかった声がして、智紀さんがまるで心臓でも撃たれたかのように胸を押さえてテーブルに突っ伏した。 「……なんですか」 何だこの人、ひとが真剣に応えてるのに。 と、眉を寄せれば、苦笑しながら智紀さんが身体を起こし頬杖ついて俺を見つめる。 「いやー"男だし"なんていう今さらなことを言われるかーとちょっとショックを受けた智紀くんです」 「……っ、別に、俺はっ」 「まぁ元々ちーくんはノンケだしね。バイの俺と違って、いくらセックスが気持ちよかろうが実際男と付き合うとなると話は変わってくるよね」 「……」 ひゅ、と息を飲む音が大きく身体に響いた。 違う、そうじゃない。 いや、違わないけど、そうじゃなくて。 俺は別に――。 「智紀さん、俺は」 妙に気持ちが焦って声が上ずる。 だけど遮るように電子音が鳴りだした。 テーブルの上に置いてあった智紀さんのスマホが振動している。 それを手に取り液晶画面を確認してから智紀さんは俺に「ちょっとごめんね」と断り電話に出た。 「もしもし――。はい。――え、今ですか?」 仕事関係なんだろう。 喋り出す声を聞きながら俺は必死で頭の中を整理しようとした。 俺と智紀さんは男同士で、だけどセックスしている。 それは紛れもない事実だ。 智紀さんに出会わなかったら俺は男と……なんてことはなかっただろう。 確かに俺はノンケで、だけど智紀さんとセックスして。 それで智紀さんが俺のことを好き――……。 「いや、でも。友人が来てるんです」 妙に、耳に響いた言葉に、俺はハッと我に返っていつのまにか俯いていた顔を上げた。 途端に目が合う。 「ええ。……いえ、はぁ……」 智紀さんは俺に向かって小さく笑って、そして珍しく困ったように応対していた。 俺はさりげなく耳に触れ、そっと溜息。 "友人"って言葉に、反応してしまった自分がいやになる。 それが俺のことだってことは理解できる。 たださっき告白されて、智紀さんなら――……って俺なにバカなこと考えてるんだろう。 智紀さんが俺のことを――好きだなんてことすら信じられないのに。 俺と智紀さんが付き合うなんて、ありえないのに。 「わかりました。それは確認してからですよ。あとすぐには降りれませんから。はい――じゃあ」 またあとで、と電話を終える声に俺はまた俯いてしまっていたことに気づいた。 「ちーくん、ごめん」 「……え?」 なにが、ごめん? さっきの告白のことか? 混乱する俺のそばに智紀さんが立ちあがり近づいてくる。 「なぜか迎えが来ちゃって」 「……あ……このあとの用事の?」 「そう。現地集合の予定だったんだけど、近くまできたから拾いに来たんだってさ」 その、ごめんか。 ほっとする自分に気づいて困惑する。 それを誤魔化すようにさりげなく智紀さんから視線を逸らした。 「じゃあもう出なきゃいけませんね」 「そうだね。ちーくん、送ってくれるって言ってるんだけどどうする?」 「送ってもらわなくても……え? 誰が?」 「晄人のことは知ってるだろ?」 「松原さんなんですか?」 智紀さんの共同経営者である松原さんとは一度だけ少し喋ったことがある。 「いや、そのおにーさん。紘一さんっていうんだけどね。今日はその人にちょっと仕事関係で紹介してもらうひとがいてね」 秘密だけど、いわゆるコネってやつ?、と智紀さんが片目をつぶる。 「そうなんですね。……えっと、俺は大丈夫です」 見ず知らずのひと、それも智紀さんが敬語を使うような目上のひとに俺が送ってもらうなんてないない。 智紀さんになにか言われる前に、本当に気持ちだけで、と重ねて断った。 「だよね。それに俺も可愛いちーくん人目にさらしたくないしなー」 「は? なに意味不明なこと――っ」 人目にって、俺なんか歩いてたって誰の目にも止まるわけないだろ。 思わず呆れて返そうとしたとたん、一気に目の前に智紀さんの顔が近づく。 息を飲んだ瞬間、唇が塞がれて舌が入り込んできた。

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