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第1話
授業終了を告げるチャイムの音は、机と椅子がガタガタとぶつかり合う音でかき消される。窓から差し込む光は既に西に傾き、風は秋の匂いを纏っている。数日前までは真夏かというほど暑かったというのに、今はそれも感じさせない程に肌寒い季節へと変わっている。
授業が終了して5分。そろそろ来る頃かと、石橋 紡(いしばし つむぐ)は帰る用意をしながらいつもの足音を待つ。暫くして、パタパタと軽快な音を奏でる足音が近づいてくる。そして、3年1組の教室の扉を勢いよく開けるとともに
「つむちゃん!帰ろー!」
と、入ってきたのは紡の2個下の幼馴染であり恋人の矢島月斗(やしま つきと)だ。
「…月斗。つむちゃんはやめろって、何回言えば…」
呆れたような目線を月斗に向けつつ満更でも無さそうな表情を見せる紡。
「どうして??つむちゃんはつむちゃんでしょー?」
そう呼ぶことが当たり前という風に、月斗は大きな目をぱちぱちさせながら首を傾げ紡を見つめる。身長180cmを超える紡から見れば、頭2つ分小さい月斗から貰う視線は上目遣いになる。この大男を"つむちゃん"なんて呼べるのは、紛れもなく幼馴染の月斗だけである。
紡の帰る準備が終わり、2人は教室から出る。人気のない廊下は教室よりも更に気温が下がっている。はーっ、と両手に息を吐きながら隣を歩く紡に
「寒くなったねぇ。つむちゃん、まだ学ラン羽織らないの??」
と問う月斗。
「暑がりだからな。今の季節が丁度いい。むしろ涼しいくらいだ。」
またぱちぱちと目を瞬かせる月斗。"なんだよ"と言いたげな目線をやる紡に、月斗は微笑み返しながら言った。
「そうだよね。つむちゃん、みんながもうコート羽織ってるくらいの時期にまだ薄着してたもんね。」
小学生時代の頃を思い出し、月斗はくふくふと笑いを零す。可愛子ぶっている訳でもないだうが、可愛い。大柄な紡とは違って小柄で華奢な月斗。パーマがかかったふわふわな猫っ毛の髪は淡い茶色で、鼻につくようなきつい匂いではなくなんとも奥ゆかしい桜のような香りがする。肩幅も腰も、本当に男子高校生なのだろうかと思うくらいに細い。身長は167cmと平均ではあるが、その容姿のせいでつい守ってやりたくなるような衝動に駆られる。まるで小動物を可愛がる主人になった気分だ。
楽しそうに笑う月斗の髪の毛を優しく梳くように撫でる。普段外では人目を気にしてそういった恋人らしい事をしない紡だが、どうしてか急にこの愛らしい恋人を愛でたくなったのだ。
「つむちゃん?どうしたの??」
少し頬を赤らめて上目に紡を見つめる月斗。その言葉にハッとして慌てて手を離す。
「な、なんでもない…髪に埃、付いてただけだよ。」
別に嫌なわけじゃないのに…と小さく心の内で呟く月斗の顔は少し赤らんでいる。それを隠すように、もう1度ハーッと両手に息をかける。
帰り道は少し気まずかった。嫌な気まずさでは無くて、お互い恥ずかしくてどうすればいいか分からない気まずさである。会話をするでもなく、ただひたすら歩く。心はまるでマシュマロにでもなってしまったかのようにフワフワしているのに。
日はすっかり落ちてしまった。風も少し出てきて肌寒い。心なしか月斗の鼻の頭か赤くなっているように見えた。可愛いなあ、なんて思いながら横目で月人を見る。月斗は寒さを紛らすよう両手を擦り合わせている。今日の自分は少しおかしいのかもしれない。月斗に手を出したいなんて。しかも人の往来がある道で。いつもならそんな軽率なことはしないのに。
「月斗。」
一言声をかける。その声は熱を帯びていた。それは月斗にも伝わったようで、ビクッと小さく肩を震わせては驚いたように顔を上げ紡を見つめ返した。その瞳は微かに潤んでいる。
「な、ぁに?つむちゃん…んっ」
期待をするような瞳に耐え切れず、衝動的に月斗の唇を塞いだ。小さな月斗の唇を自分の唇で覆う。下唇に甘く歯を立てれば、熱い吐息を漏らし唇が開かれた。すかさずそこへ舌を割り込ませる。歯列をなぞり舌を絡めれば、控えめに月斗の方からも舌を絡めてきた。唾液の行き交う音が響く。と、同時に遠くでバイクの音が聞こえた。ハッと我に返り、これで終わりと月斗の舌を吸う。ちゅっと音を立てて唇を離した。力が抜けたのか、月斗はぎゅっと紡のシャツを掴んだ。
「は…う、っ…つむちゃん…こんなとこでだめだよ…」
息を乱しながら顔を赤らめ、目尻に涙を浮かべる月斗はどんな女性にも負けない。むしろそれ以上に美しいと思った。そっと頬に手を添えするりと撫でる。もう1度その柔らかい唇に吸いつきたい。ゆっくりと顔を寄せると今度は月斗に両頬を包まれる。
「つ、むちゃん…。だめだよ、人が来ちゃうから…。」
荒く息を吐き今にも月斗に襲いかかりそうな勢いにストップをかけられる。まだ潤んだ瞳を紡に向けながら、また、くふふっと笑いながら
「どうしちゃったの?今日のつむちゃんは積極的だねえ。」
と優しく頬を撫でられる。今すぐにでも飛び付きたいが、撫でる冷たい手が心地よくてそんな邪心もどこかへ行きそうだ。いや、行ってくれなければ困る。
「……ごめん。お前が、可愛くて…我慢出来なくなった。」
いつもこんな事にはならないのに。さっきまでの自分の行動を思い出しては急に恥ずかしくなった。それと同時に、いつ人が来るかもわからない道端でしかも強引に口付けことを申し訳なく思い、顔を赤らめながら精一杯の謝罪をする。
そんな紡の様子を見てきょとりとする月斗。しかしその顔はすぐに花が咲くような笑顔に変わる。愛しいという気持ちが溢れたような笑顔に。
「えへへ、嬉しいなあ…。つむちゃんいっつも難しい顔してるから、何か我慢してるのかなあって思ってんだ。あんな風なつむちゃん見れて僕嬉しい。もっともっと、してほしいなって思っちゃった。」
肩を竦め照れくさそうに微笑み、背伸びしたかと思えば紡の鼻の頭にキスをした。
「ば、か……今の俺をあんまり煽るな月斗。」
一旦は落ち着いたものの、体の内側の衝動が治まった訳では無い。燻っている熱はすぐにでも再発しそうだ。
けれど、可愛い恋人の行為を邪険にはしたくはなくて、誤魔化すように額にキスを返し柔らかい髪の毛を混ぜる。その様子を見て何かを考えるように空を見る月斗。そしてゆっくりと目線を紡に戻す。2人の目線が合う。
「ねえつむちゃん…今日ね、僕のうち、誰もいないの。もしね?もしつむちゃんが嫌じゃないなら…うち来る…?」
手を繋いで、2人は帰路に付いた。
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