1 / 533
第一幕『十六夜の邂逅』
プロローグ
西日の差しこむ部屋の中は、ダンボールでいっぱいだった。
この狭い部屋の中に、よくもまぁこんなにも荷物が入っていたものだと、自分でも感心する。
ダンボールの一つにガムテープで封をし終えると、立ち上がって窓を開け、埃っぽい空気を入れ替えた。三月末のまだ冷たい夕暮れ時の風が、さらりとその頬を撫でていく。
整然と家やマンションの立ち並ぶ街を見下ろして、息をついた。もうすぐ、ここともしばらくお別れだ。
中学校の卒業式も終わった。珠生 は明日、父親の住む京都へと引っ越すのだ。
「うわー、ごっちゃごちゃね」
開け放していた部屋のドアから、双子の姉・沖野千秋 が顔を出した。大きなスポーツバッグを肩にかけ、ジャージ姿の彼女は、断りなく暗い珠生の部屋に電気を点けた。珠生は眩しさに目を細めて、少し煩そうな表情を見せる。
沖野家はマンション住まいだ。母親と離婚した父親がここを出ていってからは、狭いながらも二人には自室が与えられている。千秋は六畳の奥まった和室、珠生は何かと騒がしい玄関横の四畳間。これだけで沖野兄弟のパワーバランスが分かろうというものであろう。
「明日、引越しの人が来るんだっけ?」
「うん、そうだよ」
双子の問いかけに、珠生は素っ気なくそう答えた。千秋は少し淋しげな表情を浮かべながらも、つんとした口調で言った。
「何で京都の高校にしたの?お父さんと一緒に暮らしたかったから?」
「言ったろ?大学受験したくないから、附属のあるところ受けただけ。家がある方がいいから、父さんのいる京都を選んだだけだよ」
「……でもさ、母さん、ちょっと悲しそうだったよ」
「別に、一生帰ってこないわけじゃないのに。大げさだな」
二人が小学校三年生の頃、両親は離婚した。幼かった二人には離婚の理由はよく分からず、ただゆるゆると父親が家を出ていってしまった寂しさだけをよく覚えている。
今になって母親に聞くと、当時大学の講師をしていた父親は研究や論文の執筆で忙しく、ほとんど家にいなかったらしい。そんな父親の生活について、母親は四六時中文句を言っていたのだとか。
しかし家族を顧みずに努力した甲斐あってか、父親はとある国立大学に准教授の席を得た。しかしそれは、同時に父が京都へ一人旅立つということを意味していた。
母親も技術開発の仕事をばりばりとこなす、いわゆるできる女だ。どちらも自分の仕事に誇りを持ち、そこから離れることはできなかったから、自然、二人は別離の道を選ぶことになったわけだ。
「……それに、俺はこっちでいい思い出、あんまないしさ」
珠生は窓枠に腰掛けて、自分とほとんど同じ顔をした姉を見た。二人は二卵性双生児ながら、ほとんど同じといっていい顔立ちをしている。
「小学校の頃は男女ってからかわれて、中学ではもやしって言われてさ。千秋が目立つから、どうしても俺まで目立っちゃって、大変だったよ」
「しょうがないじゃん。あたしだって目立ちたくて目立ってたわけじゃないし。それに、あんたは気にしすぎなのよ。あたしだって、女男って言われてたし、何でお前はそんなにガサツで女らしくないんだって、さんざん男子に言われたもん」
「それでも千秋は、強かったから」
「まぁね。あんたは弱すぎなんだよ。ちょっといじめられたくらいで、すぐ泣いちゃうから男子が調子に乗るんでしょ」
「……やめろよ」
そんな話は聞きたくない。強い奴はいつもそうだ。持って生まれた強さを当たり前のように振りかざして、弱い奴の気持ちなんか一ミリも考えようとしない。
分かりっこない。双子だからって、気持ちまで通じるわけじゃないんだ。
二人の性格は真逆といってもいいほどに異なる。
活発で社交的な姉の千秋。大人しく、人に興味を示さない弟の珠生。
千秋は身体を動かすのも外へ出ていくのも大好きな子どもだったため、あちこちにたくさん友達がいた。小学生の頃は男子とサッカーをしたり、バスケットをしたりと、まるで少年のように動きまわっていたものだ。
対する珠生は、外で遊ぶのも、大勢で遊ぶのも苦手な子どもだった。引っ込み思案で、ひたすら本を読んだり絵を描いたりするのが好きだった。
小学生の頃は体型も殆ど変わらなかったため、二人はよく男女逆に間違われた。加えて二人は、かなり人目を引く容姿をしていたため、余計に学校でも目立っていた。
ぱっちりとした大きな目と、形よく配置された鼻と口は人形のように整って、どちらかというと茶色味のかかったさらさらの髪の毛は、遠くから見てもその二人を目立たせた。どこへ行っても注目され、可愛い可愛いと褒めそやされる。珠生はそれが、たまらなく嫌だった。
「京都で高校デビューってことか」
と、千秋はジャージのポケットに手を突っ込んでいた右手を上げると、無造作に一つ括りにした髪の毛をほどいた。日に焼けて乾いた千秋の茶色い髪が揺れる。
「べつに。俺はまたいつも通りさ。淡々と勉強して、淡々と絵を書いて、淡々と大学行くんだ」
「なーんかつまんないの。そんなんでいいわけ? せっかくの高校生活なのに」
「俺は千秋みたいにはなれないよ。俺は俺で、地味に静かに生きていきたいんだよ」
「もう、ジジイみたいなこと言って。せっかくあたしより綺麗な顔してんのにさ」
「それは言えてる」
珠生はあっさりそう言うと、とんとん、と机の上に重ねてあったノートの類を整えてダンボールに入れた。
「ほんと、そういうとこうざいよね、あんた」
と、千秋はむくれてそう言った。
「それはお互い様だろ。俺らもさ、ちょっと離れたらもっと仲良くできそうじゃない?千秋は近すぎるから、俺は卑屈になっちゃうんだよ」
「それもそうか」
千秋は肩をすくめて、珠生をまっすぐに見つめた。
「……夏休みは、絶対こっちに帰ってきてよね」
何故か少し泣きそうな顔。何だかんだと言って、寂しいのだろうか。
合わせ鏡のように見てきた自分の片割れが、明日から遠くへ行ってしまうのだから。
「……うん、分かってるよ」
珠生は、静かにそう言って、微笑む。
千秋はぐいと袖で涙を拭うと、ばたばたと珠生の目の前から姿を消した。
ともだちにシェアしよう!