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八十、吐露

 地下鉄丸太町の駅の改札口の前に、制服姿の湊が立っていた。 「珠生はどうもなさそうやな」 「うん、俺はね」 「でもなんか、浮かない顔やな」 「……さっき起きたから」 「そっか」  千秋との諍いのことは、何となく言い出せなかった。二人は連れ立って地上に出ると、総合病院の方へと足を向けた。 「学校、どうなってた?」 「山辺はクビやって。犯罪のことに関して、表沙汰にはせぇへんから直ぐにやめろってことになったらしい」 「そっか……。通り魔云々のことは?」 「緑川先生が校長に色々と進言しててな。体育館の窓ガラス全部割られたことや、生徒の教室爆破事件なんかで、学校のイメージは落ち気味や。そんなに生徒に憎まれるような教育をしてんのかってな」 「全部俺のせいだ……。なんか、悪いことしちゃったな」 「別にお前が悪いわけちゃうやん。あ、ほんで、さらに通り魔なんて学校に入り込んだことが分かったら、どんだけ恨まれてんねんって思われるやろ? それこそうちの学校の評判おしまいやから、何とか伏せようってなったらしいわ」 「じゃあ、先輩の思うように進んだってことだね」 「そうや。やれやれ」 「それにしても、詳しいね」 「まぁ、元忍やからね。これくらいのことは余裕や。それくらいのことしか、今の俺にはできひんからな」 「そんなことないよ。俺は学校に湊がいてくれて、すごく心強いから」 「そうか? お前がそう言ってくれるんやったら、俺も嬉しいけどな」  湊は静かに微笑んで、珠生を見下ろした。珠生はそんな湊の落ち着いた気に触れて、心が落ち着くのを感じていた。  柊がいつも千珠を影から守ってくれていたように、湊の静かに包み込むような気はとても安心できる。 「柊」 「ん?」 「ありがとう」 「え? どうしたん?」  不意に昔の名前で呼ばれ、湊は驚いたような怪訝な表情を見せたが、少し嬉しそうでもあった。 「何でもない」  珠生も笑ってそう言うと、また前を向いて歩き出す。   + 「あらぁ、珠生くんと湊くんじゃないの」  いつになくテンションの高い葉山が、二人を笑顔で迎え入れた。その向こうでは、舜平がベッドの上にあぐらをかいて微妙な顔をしている。 「どうも、葉山さん。お元気そうですね」 と、湊が静かな声でそう言った。 「そう?珠生くんのお父さん、とっても素敵ね。背も高いし、教授ってことは頭もいいし、何よりも優しくていいわ」 「……どうしたんです?」  珠生はびっくりして葉山を見返す。 「さっきまで、先生が見舞いに来てくれてはったんやけど。最近藤原さんにこき使われてるから、先生の優しさが異常に心に染み入ったらしい」 「……あ、そうなんだ」 「今、お母さんとは別居なんでしょ? 珠生くん、私をお母さんって呼んでみたくない?」 「ええっ。そんなに気に入っちゃったの? 頼りないですよ、あの人」 「いいのいいの、私はそういう人のほうがいいの」 「だいぶお疲れなんやなぁ」 と、湊は同情を込めてそう呟いた。 「俺は止めませんけど勧めもしませんよ」 と、珠生は面倒くさそうにそう言った。 「ドライな子ね」  葉山は少しつまらなそうにそう言って、健介の持って来たフルーツのかごから幾つか果物を手に取った。 「まぁいいや。ふたりとも何か食べる?」 「いや、いいですよ。それより、俺らいるんで、葉山さんは少し休んだほうがいいんとちゃいます?」  湊はそう言って、葉山の手から果物を取る。 「湊くんも……優しいのね」  葉山の目が、きらりと光った。 「優しさに飢えすぎでしょ。もう今日は帰って寝てくださいよ」 と、舜平は胡座をかいた膝の上に肘をつく。 「そう……ね。そうしようかな。今夜も藤原さんと修行でしょ?」 「はい……すいません」 「あ、いいのいいの。藤原さん、仕事中はだるだるなのに、あの時間だけはいきいきしているからきっと楽しいのね」 「そうなんですか?」 「ええ、そうよ。今はホテルで寝てるはず……私も休ませてもらうわ」  葉山はスーツの上着を腕に引っ掛けて、バッグを持つ。 「じゃあね、みんな」 「お疲れ様です」  湊が律儀に一礼して葉山を送り出す。葉山は笑顔で手を振りながら、帰っていった。 「賑やかな人やな」 と、舜平は半分起こしたベッドに背をもたせかける。 「元気そうやん、舜平」  湊は病室の窓の方へ進み、下や上を見回してから舜平に向き直った。そうやって辺りを確認するのが癖らしい。 「まあな。回復力も昔どおりやから。ちょっと医者に怪しまれてるし、はよう出たいねんけど」 「いつまでおるん?」 「明日退院すんねんけどな。書類関係、藤原さんが引き受けてくれるらしい」 「なるほど」  二人がそんな話をしている間、珠生はいつものようにベッドサイドの椅子に座った。舜平と目が合うと、珠生はぽっと頬を染めて目をそらし、俯く。 「珠生、お前もなんか疲れた顔やな」 と、舜平が気遣わしげにそう言った。 「そうやな。やりすぎたんか?」 と、湊。 「えっ? 何を?」 と、舜平が慌てて湊にそう聞き返すと、湊は不思議そうな顔をして、「修行や」と言った。 「あ、ああ、修行ね、修行!! せやな、うん!」 と、舜平はぎこちなく笑う。 「……何言ってるんですか、舜平さん」  珠生は呆れたようにそう言って、ため息をついた。 「ただの寝不足だよ。多少は疲れてるけどね」  珠生は色が白いため、目の下のくまが少し目立っていた。明け方は暗くて気づかなかっただけなのか、それともあれから何かがあったのか、舜平には分からなかった。  湊から学校の状況を聞き、舜平は安心したように息をつく。舜平は彰の様子などを知りたがったが、湊は今日はまだ連絡を取っていないと言った。 「ちょっと電話してみるわ」 と、湊は病室を出ていった。 「なんかあったやろ、あれから」  湊がいなくなると、舜平は珠生にそう尋ねた。珠生は苦笑して、「舜平さんには、かなわないな」と言った。 「なんでもお見通しだ」 「まぁ……何となくや」 「千秋にね、あんたは誰だって、珠生を返してって言われたんだ」  舜平に朝方の千秋とのやり取りを話して聞かせるうち、珠生はまた悲しくなってきてしまった。 「俺は俺だって、思ってるけど……本当は違うのかなって。ずっと今まで自分は自分だと思って生きてきたけど、今はもう違うのかもしれないよね」 「そんなことない。……それに、人はちょっとずつ変わっていくもんや。千秋ちゃんは、それについていけずに戸惑ってるだけやろ」 「うん……でも……。変わりすぎだよね、多分」 「まぁ……今回ばかりは、しゃあないやろ。身近な……しかも双子の片割れやったら、そら戸惑うわ」 「うん」 「信じるかどうかはあの子次第やし、話してみてもいいんちゃう?」 「そうだね……」  珠生は疲れたように目を閉じて、ベッドに肘をついて額を押さえた。珠生の頭の上に、舜平の暖かい掌が置かれる。 「そう弱腰になるな。お前はお前やろ」 「……うん」  見あげた舜平の笑顔が優しい。珠生はふと、泣きたくなった。  珠生は立ち上がると、舜平の肩に顔を埋めた。さっきまで感じていたどろどろとした不安が、すっと消えて行く。  舜平の手が背中に回り、ぎゅっと珠生を抱きしめる。  ――何でこう、お前と離れられないんだろうな……と呟いて、髪をかきあげる千珠の姿が蘇る。舜平は珠生の背を抱く手に力を込めて、目を開いた。  どこへも向かわない二人の関係を、戸惑いながらも続けていたあの頃のことを思い出す。  今の不安定な珠生にとって、自分が必要であるということは分かっている。でも、こんな関係を続けていていいのかということは、考えものだ。 「あの……もう大丈夫だから。湊が戻ってくる、離してよ」 「離れたいなら、自分から離れたらええやろ」 「じゃあ……手、離してよ」  珠生はぐいっと舜平の胸を押し返した。舜平の真っ直ぐな目が、珠生の目を見つめる。 「……そんな目で見ないでくださいよ」 「え? そんな目って?」 「今にも襲いかかってきそうな目です」 「アホか。そんなこと思ってへんわ」 「どうだか」  珠生はそう言いながらもちょっと笑った。 「俺……湊見てくるついでに、なんか飲み物買って来る」 「はいはい」  ごろりとまたベッドに横になった舜平が、ひらひらと手を振って気のない返事をした。  ふと、ドアの取っ手に手をかけた珠生の動きが止まる。

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