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第1話

 俺の人生は最高だった。  中々に裕福な家庭に生まれ、金に不自由したことはない。頭はよかったし、顔もそこそこよかったのでモテにモテ、俺に逆らう奴は周りに居なかった。俺が気に入らないと思った奴は周りが勝手に排除したし、女は勝手に向こうから寄ってきた。イラつく奴は俺が手を下さなくともボロボロにされ、俺を取り合って女は争い、最高に滑稽で最高に面白かった。  自分でも性格は良くないほうだとは思うが、それで許されていたのだから、やはり生まれや見た目は中身より大事であると思わざるを得ない。  さて、俺の話を粗方させてもらったが、俺の人生は最高だった、と過去系なことにお気づきだろうか。  俺の人生は終わってしまったのだ。最悪な形で。 『おまえのせいで!』  そう言って俺を駅のホームから突き落としたのは誰だったか……。俺を恨んでる奴なんて思い当たりすぎるが、俺は別に殺されるほどのことはやらかしていない。苛めろと指示を出したこともないし、女がヤってくれと言うからヤっただけ。俺自身が苛めたことも人の女を無理矢理横取りしたこともないのだ。殺されるべきなのは苛めの実行犯や浮気をした女だ。  どう考えても俺は被害者であって、罰を受ける側ではない。素行や性格が悪かったという点なら、もう殺された時点でチャラにしてくれていいと思うのだ。  それが何故! 俺は生まれ変わった先で、こんな屈辱を味あわされなければならないのか! 「お、お願い……なんかくそくらえだが! 俺を……雇ってくれませんかねぇ! 旦那様ぁ!」 「お……おぅ?」  俺は前世を合わせても今まで下げたことのない頭を下げ、自分を雇ってもらうよう願い出る羽目になっていた。 ━━━━━━━━━━━━  俺が転生した先は、犬耳や猫耳の存在する、剣や魔法のありきたりなファンタジーな世界だった。そこで俺は犬の獣人として生まれた。  当初はチートキタァー! と、まだ見ぬ夢をはせていた。理不尽な死に方をした俺への、神からのご褒美なのだと思っていた。けれど、普通に文明の利器に頼りきっていた俺にはチートできる知識は何もなく、魔法も運動能力も犬の獣人の範囲内。神からのプレゼントは一切なかった。かろうじて頭の回転という点では多少優秀だったが、所詮優秀止まりだ。  加護をもらったわけではないならチートは無理そうだが、生まれは代々騎士を輩出する伯爵家。容姿は、灰色の美しい毛並みとピンと立った犬耳、フカフカの尻尾、金色のアーモンドアイと、顔は前世のものを受け継いでいるが異世界補正が加わりモテモテだった前世よりさらにイケメンに見える。これはもしかしなくとも、普通にしていても前世と同じかそれ以上に贅沢ができるではないだろうか。  ……そう考えていた時期が俺にもあった。  けれど、犬の獣人というのは思わぬ落とし穴が存在したのだ。  それこそが、俺が前世の罰を受けていると確信した原因である。  それを知ったのは、俺がまだ小さく前世の記憶が曖昧で、純粋に思考が幼かった頃。父親に、俺は今の地位から下剋上して王様まで上り詰めるのが夢だとほざいていた時のことだ。  父は、絶対無理だと言って笑ったのだ。  とんでもない父親だと、子供の夢を応援しないなど酷い親だと、罵っても父は変わらず、俺には無理だと繰り返した。 「ウォルク、犬の獣人は人に飼われるのが好きなんだ。父さんが母さんに服従してるようにな。お前も、成長すれば自然と好きな主人を見つけて仕えるほうを選ぶだろう。これは本能で決まっていることだ」  俺は絶望した。  何故、俺は人間として生まれなかったんだろうか。  俺は父が獣人で母が人間なのだが、そういう場合は、どちらかの種族として子供は生まれてくる。ハーフというものはなく、現に、俺の姉は完全なる人間で、反対に俺は完全に獣人だ。  人間に生まれる可能性が半分もあったのに、どうして俺は獣人になってしまったのだろう。そんな本能があるなんて聞いてない!  別に本気で王様になれるなんて思っちゃいないが、人に飼われる、服従することが本能など、俺には耐えられない。こんなにも精神が拒否しているのに、服従することなどあってたまるか。絶対に服従しない、俺は大丈夫だ。  そう言いきかせて順調に成人し、父と同じく騎士になり、25才になって王宮の近衛に配されたある日。  とうとうその日が俺にも来てしまった。  俺の目の前には、兄が王となった為に公爵となった、王弟ジルヴィオ・ブランデルム様。  信じられないことに、俺は、俺の身体は、俺の考えとは裏腹に、ブランデルム公爵に従えと言ってきかなくなってしまったのだ。信じられないことに、頭を撫でてもらいたい、顎の下を、首を、掻いてもらいたい。今すぐブランデルム公爵の前で腹をさらして寝転んでしまいたい。  違う!  こんなのは俺じゃない。俺は誰かの言うことを聞くのは大嫌いだ。みんな俺に従って滑稽なショーをみせればいいんだ。それを見るのが俺の楽しみであって、あの男を見るのが俺の楽しみでは……くそぅ、尻尾よ揺れるんじゃない!  その時は意地でも何でもないように装って帰ったものの、それからの日々が辛くてたまらなくなった。  公爵の顔が浮かんでは消え、耳が垂れて尻尾もしおらしく垂れ下がる。肉にかぶりつこうとしても公爵の顔がちらつき食欲がわかない。夜になってもさみしくなって目が冴え、喉からは悲しげな犬の声が漏れた。  おかげで食欲不振に寝不足で、髪や尻尾の艶はなくなるし隈は出来るし元気が出ないしフラフラしはじめてしまった。  これはヤバイ。命に関わる。  俺はとうとう、犬の獣人の本能に白旗を上げた。 「お、お願い……なんかくそくらえだが! 俺を……雇ってくれませんかねぇ! 旦那様ぁ!」  ブランデルム公爵は、明らかに体調不良の犬の獣人が不本意ながら嫌そうに雇えと願う姿に何かを察したらしく、快く俺を雇い入れてくれた。元々俺の家系は王族の騎士としては申し分ない、しっかりとした家だったし、俺自身も何の問題も起こさずに真面目に騎士をやっていたのもよかったのかもしれない。  俺は住み込みで働き、みるみる回復していった。  人に従うなどくそくらえと思っていたが、ブランデルム公爵は俺なんかとは違いとても良くできた人間で、人を従える人間というのはこういう人だと素直に認めさせるような人格者だった。俺はブランデルム公爵に仕えるのは悪くないかもしれない、俺の主人が公爵でよかった、とまで思い始めていた。  ある日の夜、俺はブランデルム公爵の寝室に呼ばれた。公爵のところで働き始めて約半年。ようやく寝室の警備を任されるまでに信用されたらしい。そのことが嬉しくて、無表情を装いながらもウキウキと左右に振れる尻尾は止められないまま、公爵の寝室へ向かった。  しかし何故か不思議なことに、既に寝室の扉の外側には護衛が立っていた。どういうことだと眉を寄せると、内側の警備をしろとその護衛に寝室の中へと押し込まれた。 (内側から警備? そんな馬鹿な……プライベート空間だぞ) 「ウォルク」  疑問が頭の中を支配するものの、ブランデルム公爵の俺を呼ぶ声で簡単に吹っ飛んだ。  その疑問も、俺とゆっくり話がしてみたくて寝室の内側の警備などとありもしない仕事を作って呼び出した、と晴らされれば、嬉しさも相まって気が緩む。 「ウォルク、お前は本当に私に撫でられるのが好きだな」  公爵の右手は俺の頭を撫でた後、耳をクニクニといじっていて、左手が顎の下をかりかりと引っ掻いている。あまりの心地よさに、思わず目を細め、喉からクゥと情けない声が漏れた。あぁ、いつもは仕事中だからと満足に公爵の手の感触を味わえなかったのだ。飼い主にこうして思う存分撫でてもらえるのは、こんなに気持ちいいことだったのかと幸せに浸る。 「はい、もちろんです」  もっと撫でろと、公爵の手に擦りよる。すると、公爵の左手が頬に移動し、俺の顔を上げさせた。そして近くで俺を眺めながら、呆れたように言った。 「まったく……だらしない顔だな。初対面の時とは大違いだ」  そりゃそうだ。今は、あの時とは違う。あの時は公爵の犬になるなんて考えられなかったけれど、今は公爵の犬以外の生き方が考えられなくなってしまっている。  公爵への忠誠と親愛を示すように、近くにあった公爵の口の端を、ペロリと舐めた。 「俺はもう、公爵の従順な犬ですよ? 大好きです公爵」  公爵は突然の出来事に目を見開いて固まっていたが、すぐに気を取り直してニヤリと唇を引き上げて笑った。  今まで穏やかな笑い方しか見たことがなかったので、突然男らしく雰囲気が変わったことに戸惑う。へにゃりとしていた耳が立ち、尻尾がぶわりと逆立った。  なんだっけ、この身体の反応。身の危険? 「そうか。なら、遠慮する必要はないな」  公爵の顔がさらに近づいたかと思うと、口が何かに塞がれた。何かってなんだ。あれだ。何だ? 「ん……んんーーー!!??」  驚きに身体が跳ねて離れようとする俺の後頭部を、いつの間にか回っていた公爵の手で掴まれて、さらに意味不明な事態が悪化する。  俺の口の中を、公爵の舌が蹂躙し始めた。えええこれってディープキスじゃ…… 「んん……はぁ、こうしゃ……」 「黙って従ってろ。私の従順な犬なんだろう? それと、ジルで良い」  くちゅりといやらしい音を立てながら一度公爵の口が離れ、従い難い命令を下される。へにゃりと耳が元気を無くした。 「無理です、公爵……」 「何がだ」  ムッとしたような顔で見下ろされ、公爵の機嫌を損なったことに冷や汗が出る。でも、どうしても無理なのだ。 「だって……こうしゃ……ジル様、」  鋭い目で、犬の獣人の俺よりもよっぽど獣のような顔で、今すぐにでもまた俺の唇に噛みつこうとする公爵に慌てて言葉を紡ぐ。 「黙って従えと言われましても……こんなの、どうしても声が漏れてしまいます」  何故公爵が俺に欲情しているのか分からないが、ディープキスをかますということは欲情していると取って間違いないはずだ。貴い方は男色も好むと言うし、公爵が"そう"でも全然俺の公爵への忠誠は揺らがないが、「黙れ」はない。  この雰囲気だとキスくらいでは終わらなそうだし……どんなに頑張って声を抑えたところで、絶対何かしら声は漏れてしまい黙れない。  その俺の訴えを間抜け顔で聞き届けた公爵は、またもや不敵な笑みを浮かべた。 「なるほど。それは私が悪かった。存分に声を上げるがいい。盛大にな」 「せいだい……それはちょっと……」 「なんだ、言うことがきけないのか?」  お仕置きだな。  ありきたりな変態のような言葉を吐いて、俺の反論を聞く前に、公爵は俺の口を再度塞いだ。

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