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はじまりとこれから
僕はこれを狂気と言わざるを得ない。なぜなら、これほど己を悪しき者だと感じ、自制を失わせるものはないからだ。
野々村義博は、ちょっと文壇に名の知れはじめた書生で、僕の親友だった。いつでも僕をはげまし、尊び、引き立ててくれていた。野々村こそは、世間に認められぬ僕の真価を見抜いてくれる男だった。
ちょっと僕の悪評に落ち込むのを見ては、あれがわからないとは馬鹿だぜと、いかに設定の妙があり、無駄がないかをとうとうと語って聞かせ、また深みがあると誉めそやし、僕の気持ちを深海から引き上げてくれた。
だが、誉めるばかりではないところが、野々村のえらいところだ。誉めるだけ、貶すだけなら誰でも可能だが、野々村はきちんと叱る部分は叱ってくれる。
「しかしな、木崎くん。君の話はどうも、読み解くには難解な、いわゆる一般受けはしない部分があるのだ。そのあたりを崩してわかりやすくすれば、君の真価を世に知らしめられるのだがなぁ」
我が事のように惜しがる野々村に、僕はますますの信頼を寄せて答えた。
「ありがとう、野々村。だが僕は、それをどうすればいいのか、さっぱりわからないんだ。僕にとっては、わかりやすく軽妙に書いているつもりなんだ」
「わかっているさ。そこが木崎くんの、清く気高い証拠となっている。俺は木崎くんの、そういうところに惚れ込んで共にいるのだ。世間では、釣り合わぬ仲と言われているが、文壇仲間の俗な寄り合いで、芸者遊びをするよりも、木崎くんと過ごすほうが、なんぼか楽しい。やはり君は、世間一般に媚びるために、作風を変えるよりも、いまのままを貫くがいいと思う」
「それだと、僕はいっこうに目が出ずに、食べてはいけない」
冗談めかして笑って見せると、野々村はひどく真面目な顔になって、そのときは俺が一生食わせてやるさ、と怖いくらい真っ直ぐに言った。
あれは、厚すぎる友情ゆえだろうと、僕は思った。それほど評価してくれる野々村を有り難く思い、彼に恥じない者になろうと、執筆にいそしんだ。
だが、僕の作品はちらほらとした評価しか受けられず、野々村はずんずんと世間に誉められる作品を出し続けた。
「やあ、野々村。ずいぶんと盛況じゃないか。僕は君に置いていかれるばかりだ」
「木崎くん」
評判の高い野々村に、なんとかして顔繋ぎをしてほしいと、高村東彦という僕とおなじ売れぬ書生に頼まれて、金持ちの高村のおごりで上等のカッフェーに行く話を持ってきた僕は、野々村の顔の青黒い沈んだ様子に目を見開いた。
「どうしたんだ、野々村‼」
「ああ、木崎くん」
慌てて駆け寄った僕の腕を、野々村はしっかりと掴んだ。体躯は野々村のほうが、運動もよくするので、ずっと強く大きいが、彼の精神は酷く繊細で弱いところがある。これはなにか、心に堪える事があったのだろうと、僕は察した。
「遠慮せず、なんでも話をしてくれ」
「俺の顔色を見ただけで、心配事があるとわかってくれたのか」
「当たり前じゃないか。僕と野々村の仲だろう」
励ますために笑いかければ、野々村もちらりと笑みを浮かべた。
「俺と木崎くんの仲は、誰よりも深いと思っていいのか」
「僕は野々村よりほかに、深い相手はいないよ」
「ああ!」
感激したように野々村に抱き締められて、僕は情けない事に、すっぽりと彼の腕に収まってしまった。
「君には高村という金持ちのパトロンができたから、もう俺とは会わないだろうと言われたんだ」
「なんだって?! 高村がパトロンとは、面白い冗談だ。確かに彼は金持ちだし、幾度も僕は食事を奢られている。だが、パトロンというものじゃない。彼も野々村のように、僕の作品を評価してくれて、僕の貧乏を見て、栄養を摂るよう親切にしてくれているだけだ」
「その男に、君が抱きつかれていたと聞いているぞ」
「それは、高村が洋行していたからだ。彼の家は西洋風の造りをしていて、両親が明治の時代に、いち早く異国との取引をはじめたから、その影響で向こうの文化にかぶれているんだよ」
「接吻をされたとも聞いたんだが、本当か」
「されたが、ほっぺたにだ。それは向こうの挨拶なのだと言っていた」
「それで、君は受けたのか」
「不意打ちだったからね。返してくれと言われたけれど、それはさすがに遠慮をしたよ」
「その頬は、右か、左か」
野々村の目が怖いくらいに底光りしていて、こいつはよほど僕の友情が離れるのを恐れているのだと思った。世間にちやほやされている作家の野々村に、これほど求められる人間は、他には居まい。そう思うと、なんだか愉快になって、からかってやりたくなって。
「そうさなぁ。どちらのほっぺただったか……。ちらりと口にもされたかな」
その発言は、まったくの間違いだった。あるいは、正解だったのか。
とにかく、それを聞いた野々村は目の色を変えて、僕の腰をガッチリと片腕で押さえ込み、もう片手で僕の頬をしっかりと掴むと、あろうことか唇に唇を合わせてきたのだ!
「んぅっ」
それだけでなく、驚きに無防備だった僕の口内に、ぬるりと舌を忍ばせて、窒息させるつもりかと思うほど激しく、僕は口腔を貪られた。
「んぅうっ、うっ、ふ……、んぅう」
野々村の肩を掴み、叩き、身を|捩《よじ》って逃れようとすれば、そのまま床に押し倒された。
「ふっ、ぅう……、んんっ、んぅう」
全身で押さえ込まれ、逃げられないと悟った僕は、とにかく会話をしなければと、野々村の舌から逃れるために顔を振った。すると野々村は、ますます深く舌を差し入れ、乱暴に口内をまさぐってきた。
「んぅ、ふ、ぅぐ……、ぅむぅうっ」
呼吸の苦しさに涙が滲む。それでも野々村は、やめてくれなかった。苦しげに眉根を寄せて、ひたすらに僕を求めてくる。
ぞくり、と僕の背骨に悪寒に似た甘いものが走った。それと同時に僕の牡に血が巡る。野々村が僕にすがっているのだと感じると、ますます牡に血が集まって疼いた。
「んっ、ぅう、ふ……、う」
本能の疼きを堪えようと、僕は下肢に力を込めた。それを、わずかな動きで察した野々村の手が、袴の脇から入り込み、僕の牡をためらうことなく、下帯ごと握りしめた。
「んぅ、ふっ……」
「俺の接吻で、こんなに硬くしてくれてのか」
ようやく離れた唇で空気を貪る僕の耳に、うっとりと野々村がささやく。その声の艶っぽさに、野々村に握られている牡が震えた。
「の、野々村……、なにを」
「高村という男が、どんな男かは知らないが、木崎くんを満足させられるのは、俺の他にはいないはずだ。そうだろう、木崎くん」
ベロリと耳の中をなめられて、僕はヒィと高い声を上げた。それが楽しいらしく、野々村は執拗に僕の耳奥を舐めまわしながら、低く甘い声を鼓膜に流してくる。
「木崎くんは、誰にも渡さない。君はずっと俺のそばで、その純真な心のままでいてくれればいいのだ。……君の作品のように、俺を魅了し続けてくれればいいのだ」
「んっ、ぁ……、野々村」
僕の牡を掴む野々村の指が動き、布越しに先端をくすぐられて、僕は上擦った声で彼を呼んだ。
「やめるんだ、野々村」
「いいや、やめない。……やめられるものか。俺はずっと、こうして木崎くんを組み敷いて、その全身を魂ごと、余すところなく味わう夢を抱えていたのだから」
野々村の息は熱く切なく、鼓膜を通して僕の脳に吹きかかった。じわん、と妙な痺れに教われて、野々村の手の中の本能が硬さを増す。
「……野々村」
「俺は正気だ、木崎くん。高村なぞという、後から現れた男に、君を渡してなるものか」
「ああっ!」
叫ぶように宣言した野々村に、袴を引き裂かれる。下帯に手を突っ込まれ、牡を引き出されたかと思うと、パクリとくわえられた。
「んっ、はぁ……、野々村、あっ、あ」
彼の口の中は温かく、心地よかった。熱くたぎっている箇所を、遠慮なく味わわれる。クビレを潰すように吸われたり、先の割れ目を舌先でチロチロと舐められたり、根本から全体を赤子が乳を吸うように、チュウチュウと吸われたりして、僕の牡は快楽の涎 を垂らし、するとますます野々村は必死の様子で僕の牡に、むしゃぶりついた。
そんな風にされて、我慢のできる者などいないだろう。
「ひっ、はぁあ、野々村……、あっ、出る、出るぅ」
まさか友人に飲ませる訳にはいかないと、乱れた理性で訴えれば、野々村にグッと袋の奥を刺激され、僕は彼の口の中に、盛大に放ってしまった。
「はっ、ぁ、あぁあああ……ッ!」
腰を浮かせて強ばり、放った僕は恍惚の痙攣に包まれた。野々村は僕の全てを吸い尽くさんと、舌と上顎でもって、僕の筒内に残るものを絞り取った。
「は……、ぁ」
うっとりと快楽に浸りながら、それでも友人の口に出してしまった罪悪を抱えて、僕は野々村を見た。すると彼は僕と視線を合わせたまま、手のひらを顔に当てて口を開き、絞り取った僕の液を見せつけながら吐き出した。
「ッ! 野々村」
カッと羞恥に全身が熱くなる。そんな僕を見て、野々村はニッコリとした。
「本当は飲んでしまいたかったんだが、使わなければならないから、我慢をしたんだ」
「使う? 我慢……、とは、どういうことだ」
「こういうことさ」
ひょいと野々村の手に片足を持ち上げられ、そのまま天井に尻を向けさせられた。
「なにをするんだ!」
「俺がずっと夢見ていたことさ」
野々村は淫靡に目を光らせて、僕の腰が床に落ちぬよう、腹で支えて笑った。
「木崎くんも、こうして精を放ったのだから、嫌ではないのだろう」
「ひっ……、あ」
下帯からはみ出された袋をしゃぶられ、高く細い悲鳴が喉奥から溢れ出た。野々村に下帯を取り去られると、濡れた自分の牡の証が視界に入った。
「ようく見ていてくれよ、木崎くん」
「あ……、なにを」
「今から、君と俺を繋ぐ箇所をほぐすのさ。君の精を使ってね」
「なに……、ひっ、あぅ」
体を丸められ、宣言どおりに野々村は行為を僕に見せようとしてきた。目の前に僕の牡があり、その向こうに野々村の淫らな笑顔がある。その間にある僕の尻の間に、僕の精で濡れた野々村の指が沈んだ。
「あっ、あ……、やめ、野々村、ぁ」
「怖がらなくてもいい、木崎くん。俺は君を傷つける気なんて、少しもないんだ。ただ君を愛したいだけなんだよ」
「そんっ……、は、ぁあ、あ」
グニグニと、意識もしたことがない内部で、野々村の指が動いている。見たくもないのに、野々村の淫猥な視線に縫い止められて、僕は顔を背 けられなかった。
「んぁっ、あ、野々村、ぉ、んぅ、気持ちが悪い……、ぅう」
受け入れる器官ではない場所を、指でまさぐられているのだから当然だ。しかし、気持ち悪さとは別のものが、腰の辺りに渦巻いている。
「は、ぁあ……、野々村」
「それなら、ここはどうだい?」
「ひっ、ぃいい!」
グリッと内部の一点を抉られると、激しい衝撃に打ちのめされた。そこを続けて刺激され、僕は口を大きく開いて悲鳴を上げる。
「はひっ、そこぉ、あっ、ああ……」
「気持ちがいいだろう? ほら、もっと乱れた姿を見せてくれ」
「んはぁあ……、あっ、ああ」
パタッ、と液体が僕の顔にかかった。視界に、猛る僕の牡がある。その先から流れるものが、僕の顔に落ちてきていた。
「はふっ、ぁ、あぁあ」
自分の精を顔に受けている。そんな僕を見て、野々村は幸せそうにほほえんでいた。
「ああ、木崎くん。……いい顔だ。もっと、もっとその顔を見せてくれ。ああ、さっきは君のイク顔が見られなかったから、今度は見せてほしいな」
そう言った野々村の指が激しく蠢 き、僕は本能に苛まれた。
「はひっ、はぁあ、の、野々村ぁ、あっ、あ」
「どうだ、木崎くん。また、出るときに教えてくれるのか」
野々村が頬を紅潮させて、唇を舐めた。その姿のあまりの淫靡さに、僕の意識が白く弾けた。
「んはっ、は、ぁあ、ああぁああ」
不自然な体制で放った僕の精は、全て自分の顔にかかった。独特の匂いに包まれて、解放の息を漏らせば、野々村がいつの間にか、彼の牡を取り出して僕の尻にあてがっていた。
その牡のたくましく隆々とそそり起っている須賀田に、思わず喉がゴクリと鳴った。
「いよいよだ、木崎くん。絶頂の余韻で君が弛緩しているうちに、俺を埋め込もう」
ズ、と尻に熱く重い感覚が走った。
「ぉぐ……、ぅ、あ、あ」
ズ、ズ、と質量のあるものに、体が開かれる圧迫に息が詰まる。
「ほら、木崎くんの中に俺が入って行くのが見えるだろう」
繋がっている箇所が見えるほど、体を丸めているわけではないが、それでも野々村の牡の姿が視界から消えていくのと同時に、圧迫が強まるので、彼が僕の中に侵入しているのだとわかる。
「は、ぁあ、あ……、く、くるし……、ぃ……」
無理な体制で内側から圧迫されて、僕の息は詰まりそうだった。悲しくもないのにボロボロと涙が溢れる。
「木崎くん……、すまない……、ああ、泣かせてしまったな。しかし、君の泣き顔はなんて愛らしいんだ。俺がその顔をさせているのだと思うと、酷く興奮するよ」
「ぅうっ、野々村……、あっ」
もっと息苦しい目に遭わされるのかと危惧したが、野々村は僕の腰を下ろしてくれた。体が伸びたことで呼吸がいくら楽になる。
「木崎くん」
野々村がかぶさってきた。
「高村という男は、木崎くんにこうして入ったのか」
野々村の質量に圧迫されて声が出せずに、僕はただ首を振った。すると野々村は無邪気によろこび、接吻をしてきた。
「んっ、んんっ、んぅ」
口腔を深くまさぐられながら、野々村をより奥に埋め込まれて、僕は全身が彼に支配されたのだと知った。男の器官がそれほど太く長いはずはないのに、体のすみずみまで野々村の存在を感じている。
「木崎くんに入った男は、いままであるのか」
僕はまた、首を振った。
「なら、俺が最初で最後の男になるんだな。ああ、なんてことだ!」
「んぁっ」
感激した野々村に軽く突き上げられて、鼻にかかった声が漏れた。それに気をよくしたらしく、野々村が小刻みに揺さぶってくる。
「木崎くん、木崎くん」
「は、ぁあ……、あぅ、野々村……、なんで、こんな」
「決まっているだろう。誰にも木崎くんを渡さないためだ。君は俺のものだ。これからずっと、俺の恋人だ」
「こ、恋人……、っあ、そん、ぁ、ことぉ」
そんなことを承諾した覚えはない。そう言いたいのに、興奮した野々村にガンガンと腰を打ち付けられて、言葉が喘ぎと混ざって伝えられない。
「の、野々村ぁ、あっ、は、はぅう」
突き上げられるごとに、野々村の熱に擦られる部分が快楽に爛 れて、理性が散っていく。
「木崎くん……、いやらしい顔をしているな。俺に突かれて感じているのか」
「んぁあ、そんっ、な、こと……、あっ、ああ」
「乳首が起っているぞ。桜のような色をしているな」
「ひぅっ、あ、ああ」
身を折った野々村に乳首を吸われて、はじめて僕は男もそこで快楽を得られるのだと知った。
「ふっ、ぅあ、んっ、野々村ぁ、の、のむ……、っ」
もはや自分がなにを言いたいのか、僕はわからくなっていた。わかるのはただ、野々村が僕に欲情をして、すがるように犯されているということだけだ。
「木崎くん、君は俺のものだ……、永遠に、俺のものだ」
繰り返す野々村は、僕を強姦しているというのに、眉根を寄せて苦しげに、悲しげに必死に汗をにじませていた。
文壇に認められ、多くの女が近づきになりたいと望む容姿をしている野々村が、ひたすら一途に僕を求めている。
なんて愛らしいんだと、僕の心に愛情が閃いた。浮かんだ情動のままに、野々村の首に腕を回す。
「木崎くん……、俺の、木崎くん」
必死に突き上げてくる野々村が滑稽で、僕は彼を受け入れてやることに決めた。するとキュウンと野々村を飲み込んでいる箇所が収縮し、彼の形をまざまざと知らされた。
「っ、は……、野々村」
「木崎くん」
僕の気持ちの変化が伝わったのだろう。野々村は、ますます激しく、それこそ全力で走るように僕に挑んだ。僕はただ声を上げて野々村の乱暴を受け入れ、それを快感に変えて野々村を絞めつける。
「はぁあ、っ、はんっ、は、はぅう、野々村、あっ、もう、うあ」
大きく出入りする野々村の傘に抉られて、僕は三度目の絶頂を迎えようとしていた。
「ああ、木崎くん……、木崎……、っ、隆平」
野々村に下の名前で呼ばれるのは、これがはじめてだった。思いの丈がこもった呼び声と共に、野々村の熱い心が体内に注がれる。それに押し流されて、僕は盛大に放埒な声を放った。
「はぁあああっ!」
海老のように体をそらして、魂の解放とも思える恍惚に意識を手放す。しかしそれは一瞬で、すぐに野々村の体温を現実の重さとして感じた。
「……野々村」
思うよりも気だるい声になった。野々村は泣き出しそうな顔で、強く僕を抱き締めてきた。
「木崎くん。どうか、俺の恋人になってくれ。君がほかのだれかのものになるなど、耐えられない。不足があるなら、補うよう努力する。だから、どうか俺のそばで生きていてくれ」
真摯な野々村の言葉に、僕の胸はなぜか熱くなった。その奥から笑いが込み上げてきて、押さえられないままに笑うと、野々村が泣き笑いの情けない顔になった。
「どうして笑うんだ。俺はこんなに、真剣なのに」
「だって、君。これが笑わずにいられるか? 親友と思っていた男に、いきなり押し倒されて無体をされたあげく、その相手に懇願をされているんだぜ」
言葉にすると、いっそうおかしくなって、僕は笑い転げた。野々村はますます居心地の悪そうな、情けない顔になる。
「木崎くん。俺は真面目だ」
「わかっている、わかっているさ、野々村」
笑いが収まらないまま、僕は野々村の髪を両手で掻き乱した。
そうだ。野々村は精神的に弱いところがある。そしてそれを、いつも僕にしか見せない。
思い出すと、愉悦に包まれた。
「野々村」
「なんだ」
「君は、僕がいないと生きてはいけないのか」
「いけない」
間髪入れずに、眉を引き締めて野々村は答えた。
「木崎くんがいなければ、俺は呼吸もできなくなる」
「それは大事 だな」
僕は神妙な顔でうなずいた。
「そういうことなら、しかたがない」
野々村の生き死にを僕が握っているのだと思うと、ひどく愉快だった。そんな気持ちで野々村を受け入れるのは、悪だという声がする。しかし、それがどうしたのだ。魂をくすぐるものが、野々村の望みを叶えてやれと言っている。
「俺の恋人に、なってくれるか」
「なる」
「俺を愛してくれるか」
「それは、わからない」
野々村が奇妙な顔をした。
「さっきも言ったが、いきなり犯されて、愛してくれと言われても、大抵のものは断るどころか、相手を憎むだろう。そうは思わないか」
「それは……」
野々村が顔を曇らせる。その表情に、僕の体が疼いた。これは持ってはいけない悦びだと、理性が叫べば叫ぶほど、背徳に煽られた美酒のごとき悦楽が、僕の身心を満たした。
世に認められ、ちやほやされていながら、いい気になることもなく、遊びの誘いにも乗らず、清く真面目に過ごしていた野々村が、僕の言葉に心を乱されている。それを極上の楽しみと感じている僕は、なんてあさましいのだろう。
ゾクゾクと体中が快感に震えた。
「憎む代わりに、恋人になってやる。その間に、僕を満足せしめたら愛してやるよ」
「本当か」
「本当だ」
真意を探る目で野々村に見つめられ、僕はほほえんだ。
「気に入らないのなら、もう二度と君とは会わない」
サッと野々村が青くなる。
「それは嫌だ」
「なら、愛されなくとも我慢しろ。恋人には、なってやるんだからな」
「……わかった」
「よし」
従順な犬を誉めるように言ってやれば、野々村は悩みながらも笑顔を浮かべた。
「それなら、もう高村とは会わないか」
「高村は関係ないだろう」
「君に接吻をしたのだろう」
「あれは、異国のあいさつだ」
「下心があるに決まっている」
決めつけて不機嫌になる野々村が、かわいく見えて苛めたくなった。
「そこまで束縛されるのなら、恋人は解消だ」
「っ! そんな……、木崎くん」
眉をハの字にした野々村を、クックッと笑ってやった。
「さあ、僕が恋人になってやったんだ。とりあえず、なにをしてくれるんだ?」
ニヤニヤすると、野々村は仕方なさそうに嘆息した。
「人間関係に口を出すのは、やめておこう。その代わり、また接吻をされそうになったら逃げてくれ。俺のほかに、木崎くんに触れる奴は許せない」
「僕にこんなことを、しでかそうという奴は、野々村ぐらいのものだろう」
「いいや。木崎くんが気づいていないだけさ。なんせ君は、凛としているのに可愛らしいのだから」
僕は目をまるくした。
「君は、そんなふうに僕を見ていたのか」
野々村がはにかむ。なんとはなしに、可愛いなと感じた僕は、これに似たものだろうかと、野々村の気持ちを想像してみた。
「それで、僕を犯したいと思っていたのか」
「それは……、まあ、そうだ。だが、我慢をしようとしていた。それなのに、君に接吻をした男がいると聞いて」
悔しそうに奥歯を噛み締める野々村に、もっと意地悪を言って翻弄してやりたくなった。こんなものは悪の道だと思いつつ、僕は意地悪を口にする。
「友達だと思っていたのに、野々村は僕を組み敷いて好き放題にしたいと、いやらしい目で見ていたんだな」
「いやらしくはない。これは純然たる恋心だ」
「純然たる恋心であれば、袴を引き裂いて犯してもいいというのか」
「そ、それは」
うろたえる野々村の姿がたまらない。いままですこしも浮かばなかったこの気持ちは、いったいどこに潜んでいたのだろう。
僕はこれを狂気と言わざるを得ない。なぜなら、これほど己を悪しき者だと感じ、自制を失わせるものはないからだ。
そして同時に、だからこそ甘露のような愉悦を得られるのだとも思った。
野々村は必死に弁明している。僕は言葉を無意味だと聞き流し、僕に対してまっすぐにうろたえている野々村を、もっと深く支配してやるには、どうすればいいのかと考えていた。
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