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喰われる
喰われる、と思った。
何もかも貪られ、細胞の一つもこの世に残されず、消え去ってしまうと。
けれど、それはそれでいいのかもしれない。
遺したいものなど微塵もない自分には、綺麗な終わり方なのかもしれない。
幸福は、案外そんなものなのだと。
くだらないことを考えていたら、いつのまにか行為は終わっていた。
互いの液体でべたべたの体を、温かなタオルで丁寧に拭かれていく。苦痛さえ感じるセックスよりも、こっちの方が随分心地よいと七条は思った。
セックスの時は性急で乱暴になる指先が、肌の上を優しく滑っていく。
「足、開くね」
穏やかな声が問いかけてくる。七条の気怠い体を気遣って、そっと足を左右に割り開き、高田の指先が陰部へ到着する。そこに性的なものは一切ない。労わるだけだ。
「っ、!」
不意に小さな痛みが走り、七条は顔を歪めた。高田はビクッと震え、慌てて手を止めて後孔を見やる。わずかに血がシーツに染みていた。その瞬間、高田は青ざめ、泣きそうな顔を上げて七条を見やった。
「ごめっ…!ごめん、ごめん。こんな…いた、痛かっただろう?…今、薬塗るね」
ベッドのサイドテーブルから軟膏を取り出して、傷ついた部分へ最新の注意を払って、優しく優しく塗りこむ。その間ずっと、「ごめん、ごめん」と高田は言い続けた。骨ばった形のよい長い指は、普段、繊細で優しくて―――とても臆病だ。
まるでこの人自身のようだと七条は思い、ふっと鼻が鳴った。
「…先生…、キスして」
行為後の掠れた声で、七条は呟いた。急なおねだりに高田の動きは止まる。
「キスしてくれたら、許してあげるよ」
あからさまに高田は安堵の息をついた。「ごめんね…」と呟いて、高田はぎこちない触れるだけのキスを七条の唇に落とす。
「…やだ…。ちゃんとしたやつしろよ」
ぐっと高田のワイシャツを掴み、唇を押し付け、濡れた舌を無理やり差し込む。戸惑い気味の唇が開き、互いの舌が咥内を弄び始めた。冷めたはずの熱が、体の奥の方から一瞬にして湧き上がる。その熱情のまま高田のワイシャツの中へ指を滑らせると、ビクッと体が震えたのが分かり、七条はクッと喉を鳴らした。しかし、すぐに体を離される。互いを繋ぐ透明な糸がシーツに落ちる。
「っ、ダメだよ。怪我してるのに…」
僅かに頬を染めながらも至極真面目な顔で、高田は制止の言葉を言い放った。七条はポカンと呆気にとられ、何度か瞬きを繰り返す。そうして、しばらくしてからククッとおかしそうに笑い出した。
「はは…っ、『ケガ』?てか、先生が『ケガ』させたんじゃん。それに、さっきまで『ケガ』しててもヤッてたんだから、別に今更じゃん」
「だ、だから、だよ。こ、これ以上…痛い思いさせたくないよ…」
「はっ…」
思わず嘲るような笑いが、七条の口から漏れた。
―――うそつき。
本当は、痛い思いをしたくないのは、高田の方だ。高田の言葉は嘘ばかり。
『傷つけたくない、優しくしたい』
相手を傷つけて、自分が傷つきたくないだけだ。そのくせ、気を遣っているように見えて、実際、自分の欲望に従順で、相手が傷つくのなんてお構いなし。そのことに気づきもしない。傲慢で強欲。独裁者のようにさえ思える。
(俺の気持ちなんて…俺のことなんて、どうでもいいくせに…)
臆病を隠す優しさなんて、本当はいらない。
「っ、ふ…く…」
「ど、どうしたんだい?ごめん、な、なんか痛いことしたかい?」
そんな優しさ望んでない。
傲慢で強欲で、独裁者のようなその本性で、求めて。
俺の存在が微塵に残らない程、食い尽くしてくれてかまわないから。
「先生…」
「ん?」
「本当におれのこと…好き?」
END
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